第ニ話 ラマティアの町
前の晩、俺たちはラマティアの隣町、フラツカの町で宿を取り、食堂で夕食をとっていた。
すると隣のテーブルの一団の話が、耳に入ってきたのだ。
「ラマティアはもうまずいな。グヤマーンの町の連中はどうやらいよいよ攻め込むつもりらしいぜ。俺たちはさっさと逃げ出して正解だったと思うよ」
俺はそれを聞いて、どきりとしてしまったのだが、アンクレードはすぐに隣のテーブルに顔を向けた。
「ラマティアの町はそんなにまずいのかい?」
「ああ。グヤマーンの領主に雇われた兵たちは手段を選ばないからな。とんだ災難としか言いようがないよ。あんたたちも、あの町には近づかない方がいいぜ」
すでに酒ででき上がっているようにも見える隣の客は、俺たちにそう教えてくれた。
「ハルト様。どうされますか?」
「うーん。どうしようかな」
ラマティアの町の領主の娘だというイレーネ嬢が、皇妃となるイレーネと同一人物だという確証はない。
でも、そうでないという保証もないのだ。
「グヤマーンの町の兵が攻め込むって、いったいどういうことなんだ?」
俺の質問に、隣のテーブルの男はそんなことも知らないのかといった顔をしたが、それでも教えてくれた。
「いや。ずっと水源を巡る争いがあるんだが、最近、腕の立つ傭兵が町に入ったらしく、そいつらが力づくで周りの町に言い分を呑ませているんだ」
(ずいぶんと酷い話だな。王国の統治はどうなってるんだ?)
そんな風に思った俺は、まだまだ前の世界や、現代日本の感覚が抜け切っていないのだろう。
この世界では王の力が国の隅々まで及んでいるわけでもなく、特に貴族の間では自力救済が基本といった部分もあるようだった。
「そんなに切迫してるのか?」
以前からある水に関する争いなら、そんなに簡単に決着はつかないだろうと思えるのだ。
「傭兵なんて、いつまでも雇えるものでもないだろう? それに、そいつらがいなくなったら元の木阿弥なんじゃないか?」
俺の指摘に気を悪くしたのか、隣のテーブルから投げられた声は冷めたものだった。
「そう思うのなら行ってみたらどうだ? 俺は別に止めないぜ」
別に無理をして向かう必要もないかという方向に、少し傾きかけていた俺の気持ちは、彼の言葉に一気にラマティアに行ってみる方へと傾いたのだった。
「のどかなものだな」
街道をラマティアへと向かいながら、俺はクーメルたちにそんなことを言った。
もちろん当てつけだが、実際にここまでの道中では変わったことは何も起きていなかった。
途中の林も鳥のさえずりが大きく聞こえるくらい静かで、この近くで騒擾が起きているなんて信じられない気がする。
だが、そういうことは口に出すものではなかったらしい。
その直後に俺たちの前方から、三台の馬車が凄い勢いで走って来たのだ。
町まではまだ少し掛かりそうで、イレーネ嬢は俺にさらに問い掛けてくる。
「ハルト様は、どうしてそのような魔法をお使いになれるのですか?」
俺の魔法は本来はこの世界の未来で使われているもの。ハルト一世が再興する古代魔法帝国の遺産なのだ。
あまり人に知られたくはないのだが、彼女は将来、皇妃になる可能性のある女性だ。信頼を得ておくためにも多少の情報開示は必要だろう。
「イレーネ様にはお教えしますが、他言無用に願えますか?」
俺の言葉に彼女が頷くのを待って、俺は小声で彼女に真実の一端を伝えた。
「私の魔法は古代魔法帝国時代のものなのです。故あって私はそれを知っているのです」
「古代魔法帝国……」
彼女が驚くのも無理はない。
ハルト一世の魔術の復興以来、古代魔法帝国の魔法は次々と再発見、復元され、俺の暮らしていた千年の後には、それをはるかに凌ぐ魔法が生み出されていた。
だが、この時代、魔法を扱う技術の多くは忘れ去られて著しく衰退し、魔術をほとんど使い物にならないものにしていたのだ。
このあたりは俺の元いた未来では初等学校の児童でも歴史の時間に『魔法の復興』として習うくらいだ。
そんな話をしながら、俺たちの乗った馬車はようやくラマティアへと到着した。
城門をくぐり、町の中へと進んで行く。
「すぐに部屋を用意させますので、どうぞ私の家でゆっくりお過ごしください」
イレーネ嬢のお言葉に甘え、俺たちは領主館の客となった。
三人で客間で寛いでいるとノックがあり、イレーネ嬢とともに中年の男性が入って来た。
「娘の危ないところを救っていただいたそうで、感謝の言葉もありません。ありがとうございます」
丁寧にお礼を述べたのは、イレーネ嬢の父親のファーフレント卿、その人だった。
彼はハルト一世にとって岳父にあたる人物だ。いや、少なくともその可能性がある。
帝国の政治に口を出すようなことはなかったはずではあるが、やはり失礼があってはならないなと、俺は気を引き締めた。
「いえ。たまたま通りかかっただけですし、運が良かったのです。これもお嬢様に神が特別な役割を期待され、加護をお与えになっているからでしょう」
ちょっとリップサービスが過ぎるかなとも思ったが、彼女は皇妃になるかもしれないのだ。後々のことを考えれば、このくらいは言っておいても問題ないはずだ。
礼を言い終わった彼は、すぐに引き上げるのかと思ったのだが、そうではなかったようだ。
「少しお時間をいただけますか」
そう言ってイレーネ嬢と二人で並んでソファに座り、俺たちと会話を交わすことになった。
「ハルト殿。この町の防衛にご協力いただけませんでしょうか?」
突然の卿の申し出に、さすがに俺は驚きを隠しきれなかった。
イレーネ嬢にこんなにすんなりと会えたことは思わぬ幸運と言えなくもなかったが、俺のもともとの目的はハルト一世を見つけ、彼に仕官することなのだ。
「いえ。俺はただの通りすがりの冒険者ですし、それはちょっと」
フラツカの町の宿で男たちが言っていたことは本当だったな、思っていた以上にこの町は危険なようだから、早々に退避しようかと思案していた俺には、そんな要請はとても受けられない気がした。
「ですが、娘を守り、暴漢たちを蹴散らした手際は見事なものだったと伺いました。そのお力を貸していただけませんか?」
「お嬢様をお守りできたのはたまたまです。私には何の力もありませんし」
いや、あいつらが目撃者を消そうとしたのか、はたまた俺たちを彼女の味方と思ったのか、俺たちにまで襲いかかってきたりしなかったら、あんなことにはならなかったかもしれないのだ。
もとはと言えば、アンクレードが馬車を追いかけたりしなかったら、俺たちはトラブルに巻き込まれることなく、この町に着いていたはずなのだ。
そうすると、イレーネ嬢は奴らに連れ去られてしまい、俺は無駄足を踏むことになったのかもしれないが。
「ご謙遜を。見たことのないほどのご手腕であったと、娘も家臣も絶賛しておりましたぞ」
「私からもお願いします。ハルト様。この町をお救いください」
突然、イレーネ嬢が口を開き、父親であるファーフレント卿と一緒になって、俺にそう頼んできた。
将来の主君の妃かもしれない彼女に頭を下げられて、俺は困ってしまう。
彼女は俺の魔法をその目で見ているから、誤魔化しようもないし、ちょっとまずいのだ。
「少しだけイレーネ様とお話ししたいのですが……」
俺の言葉に彼女の顔がパッと明るくなる。
いや、俺は何とかお断りしようと思っているのだから、そんな顔を見せられても困るのだが。
「では、私は席を外した方がよろしいでしょうな。ハルト殿には色良いお返事を期待しております。イレーネや。頼んだよ」
卿がそう言って部屋から出て行くと、俺はそのままソファで彼女と向き合うことになった。
こうして改めて見ると本当に美しく愛らしい女性だ。
これなら確かに彼女が皇妃でもおかしくはないという気がしてくる。
(ハルト一世がどうして皇妃と知り合ったかなんて、そこまでは知らないから、別のイレーネかもしれないけどな)
そう考えながらも、俺にはやはり彼女が皇妃になる気がしてならなかった。
「イレーネ様。先ほどあったことは誰にも言わないでくださいとお願いしたはずですが」
「ええ。分かっています。ですから魔法のことはお父様にも伝えておりません。でも、このままではこのラマティアの町はグヤマーンの軍勢に蹂躙されてしまいます。ですから、今は藁にもすがる思いなのです」
俺が咎めるように少し強めの言葉を発しても、彼女は決して狼狽えるようなことはなく冷静に、だが本当にこの町のことを心配していることが分かる真情のこもった声で返してきた。
「ハルト様。乗り掛かった船ではないですか。それに、元々の目的は……」
「アンクレード!」
煮え切らない俺の態度に業を煮やしたのか、アンクレードがそんなことを言い出したので、俺は慌ててそれを遮った。
【ハルト一世本紀・第一章の三】
大帝がラマティアの町へ至ると、岳父が恭しく出迎えた。
「今、この町にかつてなき英傑をお迎えし、将は戦機を見出し、兵は戦意を高揚し、民は歓喜の声を上げています。よろしくここにとどまられて、我らを勝利へとお導きください」
また、彼は続けて大帝に言上した。
「五十五年前に、この町に聖獣が姿を現し、『これから五十五年と五か月、五日の後に、聖王がこの町に来臨する』との予言をもたらしましたが、正しく今日がその日に当たることは、この町の古老たちが揃って唱えていることです」
それを聞かれた大帝は静かに頷かれた。
「帝業がこの地より拓かれることは、五十五年前などではなく、遥か以前から決まっていたこと。何を一頭の獣などに惑わされることがありましょうや」
大将軍がそう言って不遜な態度を示したので、大帝はそれを嗜められた。
「瑞兆がここにその実を結んだことは疑いもなく、この上なき喜びです」
皇妃が改めて、大帝の来駕に謝辞を捧げたので、大帝はそれを喜ばれた。
賢明な皇妃が君臣の和に心を砕くことは、その始めからこのようであった。