第ニ十二話 クーメルの招聘
「ルーレブルグまで、もう少しでしょうか?」
馬車を停め、街道の脇で馬を休ませながら俺たちも馬車から降りて休憩を取っていると、イレーネ様が俺に聞いてきた。
「いえ。まだありますね。ハルファタからエフラットまでの距離に比べてもルーレブルグは遠いですから」
俺は元いた世界の地図を思い出して答えた。
クルクレーラ地方はこの時代でも広大な平地の広がる穀倉地帯で、ここまで馬車はその中をゆっくりと進んで来ていた。
国境となっているサーカ川を越えたのは既にもう二日前だが、平原がどこまでも続いていた。
「ハルト様はルーレブルグを訪れたことがおありなのですか?」
俺がいかにも知っているように答えたからか、イレーネ様は不思議そうな顔をされた。
「いいえ。行ったことはありません。そういうことならクーメルの方が詳しいですね」
あまり話すとぼろが出そうなので、俺は話をクーメルに振ることにした。
千年後の世界と同じ部分も多そうだが、あまり話していると微妙な差異に気づかれそうだ。
「私も行ったことはありませんから、書物で得た知識だけですが……」
そう前置きして彼はその驚くほどの知識量を示してくれた。
「ルーレブルグは古く魔法帝国時代から栄える都市で、その時代にはこの周辺を治める政庁が置かれていたと言われています。そのためか町の側にはその時代の遺跡が眠っているようです。四方に道が通じ、大河サーカの水運の便もあり『八達』と呼ばれることもある交通の要衝です。そのサーカ川のもたらす恵みによってルーレブルグ周辺の地味は肥え、その生産力の高さがクルクレーラを大国たらしめています。現在の王はカデュロス七世。決して暗愚ではありませんが、欲が深いとあまり評判は良くないようですね」
そこまで彼が一気に言ったところで、
「まあ、そんなところだな」
長くなりそうだったので、俺は彼の言葉を遮った。
こういうのを聞くと、やっぱり彼こそハルト一世の大宰相に相応しいと思えてくる。
彼ならハルト一世の下で治世に辣腕を振るうことができるだろう。
「クーメルさんは本当に博識ですね。ハルト様とはどこでお知り合いになったのですか?」
イレーネ様は不思議そうにクーメルに聞いていた。
俺だってそれなりに知識はあると思うのだが、残念ながらイレーネ様にはそう思われていないのだろうか。
俺はどうしても元の世界の知識と混同してしまうところがあるから、あまり余計なことを言わないようにしているからかもしれない。
「ハルト様が私を茅屋にお訪ねくださったのです」
クーメルは自慢気に言ったが、俺が横から訂正した。
「いや。俺はいきなり家までは行っていないぞ。クーメルはその時、釣りをしていたからな」
「そうですね。私が釣りをしているところをハルト様がお訪ねになられたのです。懐かしいですね」
そんなに昔ってわけでもないから、懐かしいってほどではないと思うのだが、クーメルは本当に懐かしそうな表情を見せていた。
「ハルト様は『クーメルという人を訪ねてきたんだけど、あの家がそうかな?』と川に釣り糸を垂れる私にお尋ねになったのです」
「ずいぶんと間抜けな話ですね」
アンクレードが俺をからかうように言うが、それを否定したのはクーメルだった。
「そうでもありません」
彼は一度目を瞑り、その時を思い出すように微かな笑みを見せた。
「私の学問の師であるシーファ先生は、色々な方に私のことを推薦してくださっていましたから。家を訪ねてくる方も時々ですがいたのです。先生の有り難い思し召しではありしまたが、私にとっては迷惑でもありました」
「こいつはやる気を見せないからな。いつも冷静なのは買うけどな」
アンクレードが今度はクーメルを揶揄するが、彼はどこ吹く風といった様子だった。
「私は昼は近くの川で釣りをしたり、木陰で本を読んだりして過ごすようにしていたのです。ゆったりと過ごす生活を邪魔されたくはありませんでしたから」
「それがどうしてハルト様と?」
イレーネ様が俺とクーメルを交互にご覧になって尋ねられたが、俺だって不思議だ。
ハルト一世の手掛かりを求めて彼を尋ねたのだから、まさか俺とともに来てくれるなんて思わなかったのだ。
「ハルト様は『あの家がそうです。でも留守のようですよ』と答えた私にいきなり、『そうか。あなたがクーメルさんですよね』と言ってきたのです」
「その日は名札でも付けていたんじゃないか?」
アンクレードが茶々を入れてきて、「そんなことあるわけないだろ」って俺は言いそうになったが、クーメルはまた笑みを見せただけだった。
「私は『いいえ。人違いです』と返そうと思ったのですが、ハルト様の目があまりに確信に満ちたものだったので、そうお答えしてはまずいような気がしたのです」
そう言って彼は俺の顔を見た。
彼が家の側の小川で釣りをしていて、訪ねて来たハルト一世と出会ったってのは後世ではかなり有名な話だし、俺はピンと来て、思わずそう言ってしまったのだ。
「思わず『そうです』と答えてしまい、私は混乱しながらハルト様を茅屋にお誘いしたのです。そこでのハルト様のお話が、また私を困惑させるのに十分なものでした」
俺もその頃、簡単にいくと思っていたハルト一世探しに何の手掛かりも得られずに途方に暮れていたから、藁にも縋る思いだったのだ。
「ハルト様は何とおっしゃったのですか?」
イレーネ様が聞くと、クーメルは苦笑しながら答えた。
「私が仕える自分と同じ名前の方に自分も仕えたい。だから私にその人、自分と同じハルトという名前の人を紹介してほしい。そうおっしゃったのです」
「私の時もそうでしたが、何を言っているのか分かりませんな」
シュルトナーが間髪入れずそう続けたが、確かにちょっと何を言っているのか分かりにくいとは思う。
でも、俺は本当にそう思っていたし、今もそう思っているのだ。
「もちろん私はそんな名前の人は知らないと答えました。するとハルト様はその人がここへ現れるまで待たせてほしいとおっしゃったのです」
「迷惑な話だな」
アンクレードの言葉どおり、今なら俺も迷惑だって分かる。
でも、その時は必死だったのだ。
「迷惑な話です」
クーメルが同意して、俺は『迷惑な男』認定されていた。
「そこで私はこれから王都まで行くから同行してもらえませんかとハルト様に提案したのです。あのまま家に居座られては困りますし、ちょうどそろそろ王都を訪ねようかと思っていましたから」
「そうだったのか? クーメルは王都に行けば何か分かるかもしれないって言ったじゃないか」
俺は彼がそう言ったから、てっきり王都でハルト一世の情報を集めてくれるのか、さすがは彼と縁の深い大宰相クーメルだなと思ったのだが、どうもそうではなかったらしい。
「そうです。そうでも言わないとハルト様は我が家から出て行ってくれなさそうでしたから」
彼の冷静な判断は正しい。俺は彼をマークしていればハルト一世にたどり着けると思っていたから、ハルト一世が彼を訪ねて来るまで梃子でも動かぬつもりだったのだ。
「それがどうして今までご一緒されているのですか?」
ここまで酷い言われようだったからイレーネ様がそう思われるのも無理はない。
「一番の理由は……ハルト様の魔法を見たからですね。王都へ向かい始めてすぐに姿を見せたゴブリンを、ハルト様は炎の魔法で簡単に片づけてしまわれましたから」
彼はそう言ってまた俺の顔を見た。
普段はなるべく魔法を人に見られないようにしていたのだが、あの時はクーメルにけがでもさせたら大変だと俺は焦っていた。
「まあ、確かに驚くよな。俺も初めてハルト様の魔法を目の当たりにした時には驚いたからな」
アンクレードが頷くと、クーメルは逆に顔を振った。
「今、一番の理由と言いましたが、本当はそれが一番ではないかもしれません。共に過ごすうちに、すぐにハルト様が不思議な方だと分かりましたから」
俺自身にはそんな気はないが、彼ほどの智者に掛かれば、俺の言動からこの時代の人とは違うものが俺の中にあることを見通すことなど簡単なことなのかもしれなかった。
「アンクレードも、魔法だけでなくハルト様の不思議さを感じたことは何度もあるでしょう。今では多少慣れてしまいましたがね」
「ああ。違いない。不思議なお方だと俺も思うよ」
本人を前にして不思議な人ってどうかと思うが、二人の様子からして別に貶しているわけでもないのだろう。
それでもハルト一世の大功臣となる二人とは、今のところ良好な関係が築けているようで、俺は安堵したのだった。
【大宰相、大将軍列伝・第一章の一】
大宰相クーメルは、大帝と同じヴェスティンバルの人である。
彼は町の中で暮らさず、荒野にひとり、簡素な家を建てて住んでいた。
晴れた日は川で釣りや耕作に勤しみ、雨の日にはひねもす書物を読んで飽きなかった。
大帝が訪れた日も彼は川で釣りをしていた。
静かに背後に立った後の主君を彼は振り向きもしなかった。
あまつさえ「そこに立たれてはあなたの影が釣りを妨げます」と告げて、大帝に暗に立ち去るように求めた。
「私が南面して立ち、あなたが北面すれば私の影があなたを妨げることはない。あなたはどうしてそうしようとしないのか?」
大帝の言葉の意味を賢明な大宰相はすぐに理解し、臣従を申し出た。
その後は彼は常に大帝の傍らにあって彼を支えることになるが、その始まりはこのようであった。




