第二十話 ラエレース救援
「おそらくあの傭兵隊長はラエレースの町に攻め込む気でしょう」
確信を込めたクーメルの言葉だったが、俺には信じ難い気がした。
「兵たちの装備を奪っていましたからな。一部の兵がラエレースの兵に化け、城門を開かせるのでしょう」
だが、シュルトナーも同意見のようで、そう言ってクーメルを頷かせていた。
「そんなことをしてどうする気だ?」
ラエレース侯爵の治める町に攻め込んだりしたら、この国にはいられないだろう。
「もちろん町を略奪するのです。侯爵は最後にあの傭兵隊長を切りましたからな。その報復と言うことでしょう」
「そんなことが許されるのか?」
俺は憤りを込めてそう聞いたのだが、シュルトナーも怒りの表情を見せた。
「許されるはずがありません。ですが領主が対応を誤れば、領民はそれに巻き込まれるのです。臣下に諌める者もいないのでしょう」
「それにしたって……」
俺は彼の論に納得しかねる気がしたのだが、クーメルがそんな俺に向かって言ってきた。
「ハルト様がラマティアであの傭兵隊長を退けるまで、彼はほとんど負け知らずでした。それが一敗地に塗れ、あまつさえジャンルーフでの根拠としていたグヤマーンの町から追われたのです。影響はジャンルーフ王国内にとどまりませんでした」
「奴はビュトリス王国やクルクレーラ王国でこそ、それまで多くの武勲を上げてきたのです。成り上がり者と苦々しく思っても、戦えば勝つ奴の力に頼る者は多く、逆に奴を敵に回せば手痛い目に遭うのが常だったのですから。それを変えたのはハルト様ですぞ」
「えっ。俺?」
シュルトナーの指摘したのは、それまで俺がまったく気づいていなかったことだった。
「さようです。ハルト様が奴を完膚なきまでに打ち破ったことで、周囲の目は一気に変わったのです」
彼は重々しく頷いて言うと続けて、
「ですからその中でも酷く対応を変えたラエレース侯爵の領地を狙ったのでしょう。ラエレースの町は奴にとってビュトリス王国内の根拠地のようになっていましたからな。それが奴が敗れたと知った途端、この町に残されていた奴の資産を没収し、周辺の町から権益を奪ったのは無頼の者どもが勝手にやったことと嘯いたのですから。奴の怒りたるや……」
軽蔑をその顔に見せて俺に説明してくれたが、俺には理解できない気がしていた。
「それで周りの領主たちや国王は納得したのか?」
散々、傭兵たちを使って私服を肥やしておいて、奴が敗れたら王国や周りの領主から袋叩きに遭うんじゃないだろうか。
「納得しないからこそ、ハルト様に爵位を授けて圧力を加えたのです。それでもラエレース侯爵家は古くからある力のある貴族。近年はほとんど独立国のような有り様でしたから」
あの侯爵、王からの圧力を跳ね除けるくらいの力はあるようだ。
「ちょっと待ってくれ。アンクレード。停めてくれ」
俺は慌ててアンクレードにそう伝え、馬車を街道の脇に停めてもらった。
「ハルト様。どうされたのです? 追っ手の心配はないとは申し上げましたが、急がれるに越したことはないと思いますが」
「クーメルは平気なのか?」
俺は彼にそう尋ねた。
「あの町にはクーメルに癒しの魔法を使ってくれた修道士だっているんじゃないか。それにシュルトナーに俺が奴を破ったからこうなったなんて言われて、俺は平気な顔でクルクレーラへ逃げ出すのか?」
「それは……」
いつも冷静なクーメルも思わず言葉に詰まっていた。
「ではどうするとおっしゃるのです? 奴らは既に町へ向かっていますぞ」
シュルトナーが不機嫌そうに返したとおり、おそらく傭兵たちはもうあの場から発って、ラエレースの町に向かっているだろう。
あの傭兵隊長の指揮の下、兵たちの動きは見事だったし、それはラマティアの町の時からそうだったのだ。
「俺は町の人たちを救いたいと思う。俺のせいでたくさんの人が被害を受けるなんて、耐えられないからな」
シュルトナーの口が開いて、彼は何か言いたそうだった。
だがそれより先にイレーネ様の声が馬車に響く。
「私もハルト様とあの町に向かいます。ハルト様ならきっと町の人々を守ってくださる。私たちの町を守って下さったように」
力強く俺を支持してくれた彼女に、クーメルも考えを変えてくれた。
「確かにハルト様なら逃げる必要はありません。ですが、あの修道士のことなら教会に行くと言っていましたから。イヴァールト・アンドラシーは賢い男のようですから、教会や修道士には手を出さないでしょう」
「やれやれ。今度は捕まらないようにしなければなりませんな。傭兵どもとて、あのような癒しの力を使う者をよもや害したりしますまい。自軍の兵のけがを治療させるくらいはするかもしれませんがね」
シュルトナーも仕方ないといった顔を見せた。
言われてみればあの修道士の力はこの世界ではかなりのものだろう。
聖職者の扱う癒しの魔法も、この時代はかなり弱まっていたようだった。
「じゃあ、ラエレースの町に戻るんですな。何処までもお供しますとも」
アンクレードはそう言って馬車を返してくれた。
「飛ばしますぞ。クーメルは大丈夫ですかな?」
彼の言葉にクーメルは苦笑を返していた。
「間に合いませんでしたな」
夕闇に沈むラエレースの町を遠望し、シュルトナーが嘆息するように言った。
おそらく領主館だろう町の北側の一角から黒い煙が上がっている。
「いや。まだだ。少しでも被害を減らさないと」
俺たちは馬車を走らせ町へと向かった。
到着した東門はもう閉じられる時間だろうに開け放たれ、周辺には戦いの跡があった。
「これはひどい……」
門が開いていたのも道理、城兵はことごとく討たれ、護る者は一人として残っていなかった。
「とにかく町の人たちを守らないと……」
俺は惨たらしい光景にかなりショックを受けていたが、ここで逃げ出すわけにはいかなかった。
「ハルト様。ラマティアの時のように城壁に登られますか?」
アンクレードが聞いてくれて、俺は皆を引き連れて城壁に登った。
この辺りの兵はすべて討たれたのか、それとも逃げ去りでもしたのか城壁の上にも誰もいない。
俺はそこから町を見渡した。
「恐るべき早業ですな。領主屋敷は壊滅でしょう」
アンクレードの言うとおり町の北側にある領主屋敷からは火の手が上がり、俺たちの見ている前で尖塔が大きな炎を噴き上げて崩れ落ちた。
「ハルト様……」
イレーネ様が俺の右腕にそっと手を添えてきた。
その手は震えているようだった。
「ハルト様がいなかったら、私たちの町もこんなふうに。あれはラマティアの町がたどる運命だったかもしれないのです」
震える声でそう言った彼女の手に俺は左手を乗せた。
「奴らどうやら町にも火を放ったようですな」
見ると町の至るところに火の手が上がり始めていた。
「傭兵たちは火を放ちながら移動していますね。アンドラシーは優れた指揮官のようですね。見事な用兵です。町の各地へと別れた兵がまた集まり出しています。目的地はおそらく……」
「あれは! 奴らが戻って来ますぞ」
クーメルの話の途中でシュルトナーが叫ぶように言って指差した先、東門へと向かう道を傭兵たちだろう兵士が駆けてくる。
先頭には数騎の騎士がいて、彼らを率いていた。
「ハルト様。奴を討ちますか?」
アンクレードが聞いてくるが、今は奴、傭兵隊長『イヴァールト・アンドラシー』は町から引き上げようとしているのだ。
「いや。わざわざ引き止める必要はないな。ここはやり過ごそう」
俺たちは城壁に身を隠した。
今は奴らと争っている場合ではない。それよりも町の住民を一人でも救うべきだった。
俺たちがいる城壁の下の門を、傭兵たちは次々と通り抜けて行く。
彼らが掲げる松明に照らされて輝く真紅の軍旗は、俺には血の色に見えた。
【ハルト一世本紀 第二章の十七】
ラエレースの民に撫恤の心を示されんと、大帝は町を再訪された。
「大宰相の言葉が正しかったことは、町の様子から火を見るよりも明らかです」
大将軍が驚きを示したとおり、道理を弁えぬ者を襲う運命は過酷であった。
「陛下はこのようなことを望まれたわけではありますまい。民を慈しむことこそ陛下のお心のはずです」
国公の言葉に大帝は頷かれた。
大帝の偉大な魔法が町を覆い、多くの民が救われた。
だが、不敬を続けた侯爵はその行いに相応しい報いを受けた。
「これはあの者が自ら招いたこと、陛下が寛大にも許されたとて、自分から炎に飛び込む者を救う術はありません」
「陛下が善く民を導き、町を戦火から守られることは私も我が父も知っています。誰がこの町に起きたことで、陛下を責めましょう」
大宰相と皇妃が相次いで大帝の心を推し測って言上し、大帝はようやっと愁眉を開かれた。




