第十八話 ラエレース侯爵
「間もなくラエレースの町です。今夜はここで宿を取りますか?」
馬車の中でシュルトナーが俺に聞いてきた。
「ラエレースって、どこかで聞いた気がするな」
俺が頭の隅に引っ掛かっていたことを口にすると、彼は即座に答えてくれた。
「ラエレース侯爵はイヴァールト・アンドラシーを使って周辺の領主に小競り合いを仕掛け、その権益を奪った貴族です。一時は彼の威勢をかなりの領主たちが怖れていましたが、ハルト様が奴をグヤマーンに撃退して後、威信を著しく低下させています。今は彼の方が国王からの譴責を恐れ、領地に逼塞しているのでしょう」
彼の言葉に俺はきな臭いものを感じた。
「そんな領主が治める町に入って大丈夫なのか? それに王国はどうして罰しないんだ?」
アンドラシーにどのくらいの報酬を支払ったのか知らないが、俺がグヤマーンで見た時には、奴の率いる傭兵部隊は少なくとも数百人の規模であったはずだ。
その数を維持できる程度であったとしても、この周辺の権益をかなり奪わないと割に合わないと思う。
「ラエレース家は王国創建時からの名門ですから『呼び出されることなき権利』を有しているのです。国王と言えど、侯爵を罰することは容易ではないでしょうな」
また流れるようにシュルトナーが理由を教えてくれた。こういうのを聞くと、彼は他国の貴族家についてまでかなり詳しいのに、どうしてハルト一世については知らないのかって思えてくる。
「やめておきますか?」
シュルトナーが俺の判断を求めてくる。
「クーメルはどう思う?」
俺はそのままクーメルに尋ねたが、彼は珍しくはっきりと返事をしない。
「クーメルさん。大丈夫ですか?」
イレーネ様が彼の異変に気がついて、そう声を掛けた。
「大丈夫……です」
彼の返事はどうみても大丈夫ではなさそうだったし、顔色も明らかに悪かった。
「アンクレード! 停めてくれ。クーメルが!」
俺たちはとりあえず道端に馬車を停めた。
クーメルは青い顔をしながら馬車から転がるように降りてきて、そのまま路傍にうずくまってしまう。
「クーメル。大丈夫か?」
彼はもともとアンクレードみたいに頑健な身体ではない。長旅の疲れが出たのかもしれなかった。
「どうされました?」
俺たちがクーメルを囲んでいると、通り掛かった巡礼らしき一団の先頭にいた男性が声を掛けてきた。
「いえ。仲間が体調を崩してしまって。少し休んでいるのです」
俺が答えるとその人物は同情に堪えないといった表情を見せた。
身に着けているのは僧衣だからどうやら彼は修道僧のようだ。
「それはお困りでしょう。私が治癒の力をお使いしてもよろしいですか?」
「えっ。よろしいのですか?」
俺は驚いて彼の顔を見た。
彼は笑みを浮かべて頷く。
「慈しみ深きお方よ。あなたの力もて、彼の者に癒しを与えたまえ」
祈りにも似た彼の声が響くと、その手が暖かい色をした光に包まれ、彼はその手をクーメルに近づけた。
「どうですか?」
「……楽になった気がします」
彼の問い掛けにクーメルが答えた。
先ほどまでは口をきくことさえ辛そうだったから、本当に良くなったのだろう。
「ありがとうございます。何かお礼を……」
俺が申し出ると彼はゆっくりと顔を振った。
「いいえ。こちらこそ良い修行をさせていただきました。それにここでお会いしたのも神のお導き、私がお礼をいただく理由はありませんから」
そう言って何も受け取ろうとはしなかった。
「それにまだ油断はできません。どうやら旅の方のようですが、ここで少しゆっくりされたら急がずに町で横になられた方がいいと思いますよ。私たちもあの町で数日過ごす予定ですから、もしまた体調を崩されたりしたら教会をお尋ねください。では、あなた方に神の祝福を」
そう言ってラエレースの町へと向かって行った。
「俺たちも今日は早めに宿に入ってゆっくりしよう」
クーメルが「もう動けます」と馬車に乗り込んだので、俺はそう言って町に入るようにアンクレードに伝えた。
「承知しました。立派な町ですな。良い宿もありそうです」
彼はそう言って馬車を町へと向けてくれた。
「王都から来たハルト・フォン・スフィールト准男爵の一行だ」
アンクレードが町の門で、俺が王都から来た貴族であることを告げると衛兵たちの長が奥から姿を見せた。
「失礼ですが、当地にどういったご用で?」
「いや。旅の途中で立ち寄っただけだ。明日の朝には東に向かって発つから」
俺がそう説明しても、衛兵たちは容易に俺たちを解放してくれない。
兵が馬を駆って町の中へ向かったりと何やら慌ただしい動きを見せる中、俺たちはしばらく衛兵から詮議を受けていた。
「このままだと宿が取れなくなるんじゃないですか?」
アンクレードが嫌味っぽく、兵たちに聞こえるように言うと、隊長が再び姿を見せた。
「宿泊先ならこちらでご用意いたします。どうぞご安心を」
宿泊先って城の牢獄じゃないだろうなって思えてきて、俺はこの町に入ったことを後悔し始めていた。
でも、ここで逃げ出したら追手が掛かるだろう。そうなると馬車で逃げ切れるとは思えない。
俺がそんなことを考えている間、隊長が兵の一人を呼んで何やら言いつけていた。
「お時間をちょうだいしました。宿までこの者がご案内いたします」
そう言ってその兵を紹介してくれる。
俺たちは衛兵に先導されて町の中を進み、城と言ってよい規模を誇る領主屋敷を横目に見て、そのすぐ側に建つ立派なホテルに案内された。
「貴族になったって気がするな」
少し遅めの夕食の後、俺が皆を自分の部屋に集め、そんな感想を伝えるとアンクレードは呆れたって顔をした。
「ハルト様はもともと貴族ではありませんか」
彼はそう言うが、この世界の俺の父親は辺境の勲爵士に過ぎず、こんなホテルに泊まるようなご身分ではなかった。
「貴族と言ったって、たかが田舎勲爵士の三男坊だからな。偉くなったものだって思うよ」
俺が感慨を込めて言うと、奥の部屋からクーメルが起きてきた。
「クーメル。大丈夫なのか?」
俺の問い掛けに、彼は少し弱々しいながらも笑みを見せてくれた。
「ええ。私はもう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました。それよりもハルト様は相変わらず志が低いですね。ハルト様の魔法の力をひと目でも見た者は、ハルト様がとても今の爵位程度で収まる方ではないと確信するはずです。私がそうであるように」
いつも冷静な彼の言葉に珍しく熱がこもり、俺は虚を突かれた思いだった。
「いや。志が低いって。俺は十分に高い志を持っていると思っているけどな」
ハルト一世に仕えることで、この世界ではかなりの地位に上ることができると思っているのだ。
この世界の歴史を知る者として、それを最大限活用した野心的な戦略だと思う。
「ハルト様はこれですからな。イレーネ様からも言ってやってくださいませんか?」
アンクレードもクーメルと同意見のようで、彼はイレーネ様をそう焚きつけていた。
俺は彼女の気分を害するようなことをしたくないから、やめてほしい。
「そうですね。クーメルの言うとおりだと思います。でも、私は焦る必要はないと思っています。私はハルト様を信じていますし、その気持ちを失わなければ、きっとハルト様は私たちをまだ見ぬ高みへと連れて行ってくださると思っていますから」
何だかすごく期待されていて気後れしてしまう。
そういうのは俺ではなくて、ハルト一世に言ってほしい。
「できるだけ早く、そうなるように努めます」
俺が思わずそう答えると、彼女は悲しそうな顔をした。
「ハルト様はいつまで経っても私に心を開いてくださらないのですね。私たちは婚約者なのに、そんなよそよそしい話し方をされて……」
今にも泣き出しそうな彼女の様子に、皆が珍しく俺を非難するような顔を見せる。
俺だって彼女を悲しませるのは本意ではない。
でも、俺の器量でできることなんてしれていると思うのだ。
その晩は何かが起きることもなく、宿で眠ることができ、俺は拍子抜けする思いだったのだが、翌朝、俺たちが朝食を取っていると、昨日俺たちを宿へ案内してくれた兵士が顔を出した。
「領主のラエレース侯爵がお会いしたいとのことです」
おいでなすったなとは思ったが、俺には「面倒なことにならないといいな」という思いしかない。
おそらく王都から来た准男爵が自分が雇っていたイヴァールト・アンドラシーと因縁のある者だと知って、探りを入れてきたのだろう。
「分かりました。すぐに伺います」
領主の要請とあれば、町の中でそれを拒むことは難しいだろう。俺たちを領主屋敷のすぐ側の宿に案内したのだっておそらくそのためだ。
俺たちは兵に従って領主屋敷へと向かった。
「スフィールト准男爵。貴殿はエフラットの連中からどのような命を受けてきたのだ?」
神経質そうな中年男性であるラエレース侯爵は、挨拶もそこそこにいきなり俺にそう尋ねてきた。
「私はもともとジャンルーフ王国の者です。ティエモザ四世陛下から爵位はいただきましたが、特段、命令を受けたわけではありません」
そう答えながら、王都の人たちは俺がラエレースの町へ向かうことを知っていて、上手く侯爵への牽制として使おうと考えたのかもしれないと気がついた。
何しろ俺は彼が使った傭兵隊長を打ち破った功績を讃えられて爵位を賜っているのだ。
侯爵の様子から、彼がそのことを知っていることは明白だった。
「何を白々しい。貴様がこの町へ姿を見せた理由など見え透いておるわ。王都へ詫びを入れよと言うことであろう」
侯爵の側近であろう彼の左に佇立する家臣が吐き捨てるように俺たちに向かって言った。
彼らからすれば、俺がこの町にのこのことやって来たこと自体が、王国からの圧力ということになるのだろう。
「王都にいらっしゃる方々の思惑など私は知りませんが。この町へはクルクレーラ王国への旅の途中で立ち寄ったまで。侯爵が国王陛下にお詫びをするかどうかは、私には関係のないことです」
俺は正直に言ったつもりだったのだが、侯爵の家臣たちは納得しないようだった。
それだけでなく、俺に対してとんでもない要求を突き付けてきた。
「今回、我らのラエレース侯爵家が苦境に陥ったのも、お前が余計なことをしでかしたからだ。お前にはその償いをしてもらわなければならん」
「償いと申しますと……」
やっぱり面倒な話になったなと思いながら俺は聞いた。
ここには俺たちだけでなく、イレーネ様もいるから、無茶はできないのだ。
「我らはクルクレーラ王国との境にある『コスチャフ砦』を攻める。それに手を貸せ」
【ハルト一世本紀 第二章の十五】
大帝がラエレースに至ると、その地を治めていた侯爵が大帝を迎えた。
「陛下のお力をもって隣国との境にある砦を陥していただきたい」
侯爵は浅ましい願いを口にした。
「砦があるのは、双方に信がないためである。信があれば、陛下のお力に頼るまでもなく砦はその意味を失い、自ずとなくなるはず。わざわざ陛下のお手を煩わせる必要などないのだ」
大将軍が道理を説いたが、侯爵はひたすら大帝に砦を攻めることを求め続けた。
あまつさえ、陛下の傍らにあった皇妃に害を及ぼすかのようなことを口にし、大帝の怒りを買った。
「道理を弁えぬ者は長くその生命を全うすることはできません。この領の主の終わりは遠くないことでしょう」
大宰相は大帝の怒りを鎮めんとして、ラエレースの領主の行く末をそう予言した。
結果として、その予言は遠からず成就することとなった。




