第百二十四話 エフラット占領
「あれは正規軍ではありませんな」
シュルトナーは敵軍の様子を遠望して、それが分かったようだった。
「一瞬、裏をかかれたかと思いましたが、そうではないようですね」
クーメルが珍しく安堵したって話し方でそれに応じていた。
こちらは戦える兵の数は思いの外、少ないようだから主力をこちらに振り向けられていたらどうなったのだろうと思う。
クーメルのことだから、そこも考えてはあるのだろう。
でも、そうなると貴重な兵力をラトルの町に釘付けにされることになるのだから効率は悪いのかもしれなかった。
「あれは、おそらく傭兵ですな」
シュルトナーの言葉に、俺はまさか『イヴァールト・アンドラシー』をビュトリス側は雇ったのかと思った。
だがシュルトナーの考えは違ったらしい。
「あれは、あの王子ではありませんか? 以前カレークに攻め込んできた」
敵軍はかなり近づいて来て、後方に兵たちに守られた黄色い髪の人物が見える。
はっきりとは分からないがあのクラウズとか言った王子の可能性はありそうだった。
「ここはハルト様のお力を借りるまでもなさそうですな」
さっきはあんなことを言っていたのに、アンクレードは敵軍の内容を把握して、勝算を見出したようだった。
「いや。わざわざ兵を損ずる必要はないよ。俺が魔法を使うから、アンクレードは援護してくれ」
「その必要もなさそうですぞ」
シュルトナーが指差す先で敵は算を乱し、潰走を始めたように見てた。
これには俺の方が唖然とした。
「どういうことだ?」
「傭兵たちの方がハルト様のお力を良く知っているということでしょう。こちらがハルト様自ら率いる軍だと気がついて逃げだしたのです」
それは、以前カレークの町の郊外、川辺で起きた遭遇戦の繰り返しのようだった。
いや、あの時は俺が魔法を使うまで傭兵たちは逃げ出さなかったから、あれより酷いかもしれない。
(あの王子も進歩しないな)
俺はそう思ったが、シュルトナーはより手厳しかった。
「王宮の奥で享楽に耽る者は、目も耳も塞がれているようなものですからな。現実を見ることもできなければ、忠言を聞くこともないのでしょう」
その言葉を裏付けるように、敵の混乱はますます酷くなり、王子を護る兵士たちまでが浮き足立っているようだった。
「俺はあなたに何の危害を加えていないのに、どうして執拗に攻撃して来るんだ?」
捕えられたクラウズ王子を見下ろして、俺はそう尋ねた。
今回のビュトリスとクルクレーラの作戦は、クーメルが見抜いたとおり俺との対決を避け、俺のいる場所から遠い地点に侵攻して、そこを主戦場にするってものだろう。
さすがに俺一人だけでは、いくら魔法の力があっても敵意を持った国の支配なんてできないのだから。
引き据えられた王子は俺を見上げると、叫ぶように口を開いた。
「お前は危険だからだ。やっぱり僕が思っていたとおりになった。僕があれほどお前の危険さを説いたのに、誰も耳を貸さなかったから、こんなことになったんだ」
俺は自分の危険さに気がついたのが彼であったことに感謝すべきなのかもしれなかった。
もっと人望のある王族や大貴族が俺の危険性を説いていたら、苦戦を強いられていたかもしれないのだ。
「たしかに俺はビュトリスに攻め込んだけど、それはビュトリス側が求めたこと、別の道もあったはずだけどな」
俺の話など聞く気はないとばかりに、王子は顔を背けていた。
「閣下。この者をどうなさいますか?」
彼を監視するように立つ武官がそう尋ねてきて、さすがに王子の顔色が変わった。
「どうするって。別にどうする必要もないんじゃないか。こちらにも損害はなかったし」
部隊の展開やここでこうして進軍を停止しているから、時間的なロスは多少はあるだろう。
だが、それだって兵を休めたと考えれば、それほどのことでもない。
「馬を与えて解き放ってやれ。どこへでも逃げてもらえばいい」
彼は屈辱に顔を歪めるようにも見えたが、それでも大人しく兵に連行されて行った。
「よろしいのですか?」
シュルトナーが確認してくるが、無用な流血は避けたいのが俺の本音だ。
「あんなのでもティエモザ四世の子息だからな。無闇に生命を奪うわけにもいかないだろう」
捕虜にして身代金でも要求するって手があるかもしれないが、今は時間が惜しい。
とにかく早くエフラットまでの道のりを踏破してしまいたかった。
その後はクーメルの想定どおり、俺たちを遮る軍も現れず、呆気ないほど順調に行軍は進み、エフラットの町が見えてきた。
「門は開け放たれていますな」
シュルトナーが言ったとおり、敵はエフラットでの抗戦を諦めたようだった。
「そうなのか? さすがに王都だからここで決戦かと思っていたんだけどな」
俺は肩透かしを食った気分だった。
エフラットの町はビュトリス王国最大の町だし、王国内の各地に道が通じている交通の要衝でもある。
以前スフィールトにジンマーカスの派遣した軍が進出してきた時に恐れていたような四方からの敵軍の一斉攻撃に遭う可能性もあるなと思っていたのだ。
「今回はクルクレーラが主導権を握っているのでしょう。ハルト様に攻められるとすれば、まずはビュトリスですから、ビュトリスは譲歩せざるを得ないのです」
クーメルはそう言うが、それにしたって首都を放棄するって思い切ったなと思った俺は、考えが足りなかったことを町に入って思い知らされた。
「まるで滅んだ町ですな」
シュルトナーの感想は言い得て妙だなと俺も言わざるを得ない。
城壁や町の建物はそのままなので、遠くから見ただけでは気がつかなかったのだろうが、そこはほとんど人気のない町だった。
「石を投げられないだけマシかもな」
俺はそう言って自分を慰めたが、これでは王都を占領したと言ってもほとんど意味はなさそうだった。
「残っているのは飢民だけですか?」
アンクレードはそう言って、軍に炊き出しの準備を命じていた。
「城の倉庫も見てみるか?」
「王宮の接収は既に命じました。むだだとは思いますがね」
どうやらティエモザ王をはじめ、この国の貴族や軍人たちは、国の財産を根こそぎ持って、クルクレーラへ退避したらしかった。
「食料を多めに持って来て良かったです。それでも細く食いつなぐ必要がありますね」
クーメルはこのことがあると予期して、輜重隊ばかりの編成をしたらしかった。
「兵糧攻めですか。ハルト様も人間ですから、食べなきゃ生きていけませんからな。考えましたな」
アンクレードが俺を見て、そんなことを言ったが、彼は俺を何だと思っていたのだろう。
「せっかく占領はしたけど、ここに長居は無用だな。すぐにラエレースからルーレブルグを目指そう」
それでも建物は無傷で残っているから、雨露は防ぐことができる。
野営よりは多少マシだから、出立は明日の朝ということにした。
「では、兵にもそう伝えます」
アンクレードがそう言って立ち去った。
「せっかくですから一晩、王宮で過ごしますか?」
「いや、いいよ。兵士たちと一緒で」
ベッドくらいは残っているかもしれないが、明日には発つと決めたのだ。
この町の処理についてはシュルトナーに任せれば、適切な対応してくれるだろう。
「やれやれ。こんなところで留守番ですか」
俺がそうお願いすると、彼は面白くなさそうだったが、それでも一部の兵を率いて、王宮へと向かって行った。
そこで軍政を敷くべく、準備をするようだった。
「町の住民も大部分が逃げ出していますから、統治も何もあったものではありませんな」
彼はそうも言っていたが、とりあえずは町の治安を維持しないとならない。
残っているのは移動に耐えられない老人や病人がほとんどのようだったから、その人たちに軍の糧食を分け与える必要もありそうだった。
「敵国の首都を占領したのに、補給もままならないんだな」
俺はしてやられたって気がしたが、クーメルは当然、予期していたことなので、まったくショックを受けてはいないようだ。
「一部の補給物資を開放して町の人々を救うとともに、身軽になった兵の一部には武器を持たせますから。我が軍の陣容は強化されます」
それでもここに一部の兵を残す必要もあるし、クルクレーラの十万人という兵力には遠く及ばない。
「まあ、いいや。エフラットはこんなだけど、ルーレブルグはこうは行かないんだろう?」
いずれにせよ最後は戦わざるを得ないのだ。
戦力の損耗を抑えられたと考えれば、これで満足すべきだろう。
「敵はルーレブルグまでこちらの軍が進出できるとは思っていないでしょう。そのためにすべての食料を運び出し、畑の作物は刈り取ったのですから」
そう言われて、俺はこの町までの進軍の途中に広がっていた畑で、まったく作物が育てられていなかったことに思い至った。
「そうか。徹底してたんだな」
そんなことをしたらビュトリスの損害にも凄まじいものがあると思う。
でも、戦わずに俺に退却を強いるためには必要だと判断したのだろう。
いや、クルクレーラが主導しているようだから、ビュトリスの損害には無頓着なのかもしれなかった。
「ですからルーレブルグを臨む地点まで軍を進めれば、彼らは驚き慌ててラトルの町から軍を返すはずです。それまでの勝負です」
とりあえず今のところクーメルの予想した範囲内で事態は進展しているらしかった。
だが、俺はもとよりクーメルでさえ想像もしていないことがラトルで起ころうとしていた。
【諌臣列伝・第一章の八】
国公はシルトをはじめ多くの町を任された股肱の臣であった。
大帝の親征の多くに従軍し、各地の町で軍政を担い。その背後を安からしめた。
「大宰相の申されるとおり行えば、自ずと町は治まるもの。考えるまでもありません」
彼はそう嘯いて、飄々として町を治めたが、その非凡なることを大帝は良くご存知であった。
「彼は才もさることながら、その心根の正しさは臣も遠く及びません」
大宰相も国公をそう評したが、彼は常にその言葉を受けなかった。
「新たな策を献じることのできなかった小臣に、どうして功などありましょうか」
彼は他人に対して口をきわめてその非を咎めたが、自らにはそれ以上に厳しかったので、大帝の下に仕える者でそれを恨みに思うものはいなかった。




