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第百二十三話 軍を東へ

 シュテヴァンやオトルフ卿とともに、俺とクーメルはスフィールトへ帰還した。


「お待ちしておりました。ハルト様。お久しぶりです」


 アンクレードとも再会したが、それを懐かしんでいる時間はない。


「もう軍を発する準備は整っておりますぞ。ハルト様はパラスフィル辺りでのんびりされておられましたからな」


 シュルトナーは相変わらずだなと思ったが、俺がクーメルと馬を飛ばして帰って来たことは分かっているはずだから、本気ではないのだろう。


 スタフィーノ公爵にも久しぶりにご挨拶をしたかったのだが、彼の具合は一進一退、いや、どちらかと言えば良くなっていないようだった。


 仕方なくフランドとブレマンディに帰還と軍を出すことを伝えてもらうようにお願いした。


「私からも何度も伝えてありますから、問題はありませんな。どうせ何もおっしゃらないのですから、そこまでお気を遣う必要もないのではありませんか?」


 シュルトナーはまた辛辣だったが、いくら宰相職にあるとはいえ、勝手に軍を出すことに俺はまだ抵抗があった。


 いや、そもそも戦うことが怖いってこともあるのだろう。

 誰かに止めてもらいたいのかもしれなかった。



「ビュトリス側に動きはありません。ですがキルダ方面では動きがあったようです」


 領主屋敷で開いた軍議の席で、シュルトナーからそう報告があった。


「ラトルの町へ大軍が近づいており、既に戦書も届いたとのことです。もう戦端が開かれているでしょうな」


「戦書って、どんな内容なんだ?」


 シュルトナーがそのままスルーしそうになったので、俺は慌てて確認した。


「奴らが勝手な言い分を並べているだけです。ご興味がおありなら、お聞かせしますが」


 一応、敵の言い分も聞いておくべきかなって思った俺は、この世界ではちょっと変わっているのかもしれなかった。

 こちらは手出しをしていないのに攻め寄せて来るって、どんな言い分があるんだろうって気になったこともある。


 俺が黙っていると、彼は懐から書類を取り出し、読み上げ始めた。


「最初は定型文ですから飛ばしますぞ。

 貴国は貴族とは名ばかりの賤しき勲爵士の三男風情と手を握り、自ら災いを求めた。

 すぐに我らにラトルの町とその南の平原を割譲し、怪しい者と袂を分かち、和を求めよ。

 その者は分を弁えず、ジャンルーフの混乱に付け込み、王家を抑圧して宰相を僭称したに過ぎない。

 ともに手を携えて無法な者を排除するならば、破滅を免れることができるであろう。こんなところですが、まだ続けますか?」


「いや。もういいや」


 聞くんじゃなかったと思ったが、シュルトナーの言ったとおり、俺を非難して、自分勝手な言い分を並べているだけのようだ。


「それでもカデュロス七世とティエモザ四世の連名になっていますから、これで我らがビュトリスに攻め込む大義名分にはなりますな」


 俺はキルダ王国の宰相でもあるから、クルクレーラ王とビュトリス王が喧嘩を売ってきたのなら、攻め込んでも問題ないだろう。


「敵はほぼ全軍をラトルへ向けたようです。こちらは寡兵とはいえ、あたかも無人の野を行くが如く軍を進めることができるでしょう」


 クーメルはここへ来る前からそう言っていたから、彼の想定どおりに事が運んでいるってことだろう。


「キルダ王国に負担を強いるみたいで、申し訳ないな」


 あの国の宮廷で、俺は敵を前に逃げ出すみたいに言われたのだ。

 できるだけ奮戦して、早く応援に駆けつけるべきだろう。


「キルダ王国が裏切ることはないのですかな?」


 シュテヴァンが指摘してくれたが、俺はあの国の宰相になって日も浅い。

 それは十分にありそうだった。


「大丈夫です。あの国はハルト様のお力を良く知っています。逆にビュトリスとクルクレーラはハルト様のお力を知らないからこそ、このような戦に踏み切ったのです。一部の心ある人たちは唇を噛んでいることでしょう」


 クーメルは自信ありげだった。

 

 俺が派手に魔法を使い出したのは、キルダ平原でワイバーンを退治して以降だから、その両国は俺の魔法を目撃したものが少ないことはたしかだろう。


 でも、さすがに噂くらいは伝わっていると思うのだが。


「キルダ王国には戦の後で十分に報いてやればいいでしょう。今はビュトリスを撃ち破り、クルクレーラの王都、ルーレブルグを目指すことだけを考えるべきです。上手くいけばラトルの包囲を解いて王都救援に駆け付ける敵軍を、包囲殲滅することさえできるかもしれません」


 アンクレードの言うとおりだろう。

 でも、上手くいけばってのはクーメルがいるのだから、上手くいくに決まっていると俺は思っていた。



「進軍!」


 スフィールト郊外の練兵場から、ジャンルーフ軍は進発した。


 その数は一万二千。少ないって聞いていた俺は目が回るような気がした。


「クルクレーラとビュトリスの連合軍は、十万に迫る兵をラトル方面へ送っていることでしょう。動員できる兵力で言えば、ジャンルーフなど足元にも及びませんから」


 サリハヤ川でジンマーカス側が動員してきた兵が二万だったから、国外へ派遣する遠征軍としては一万二千はそれなりの規模だろう。


 でも、敵が十万と聞くとやっぱり見劣りすることは否めない。

 クーメルに言わせれば、だから俺の魔法が必要なんだってことなのだろうが。


「でも数の割には大規模な感じがするな」


 一万二千の兵なら、もう少しコンパクトにまとまって行軍できそうな気がするが、俺たちの軍は全軍が出発するまでにかなりの時間が掛かりそうだった。


「急がないとラトルの町が落ちたら大変だからな」


 あの町が突破されたら、敵の大軍がキルダ平原からエルバネまで一気になだれ込むだろう。


 そうなっては俺はアンジェリアナ女王に会わす顔がない。


「ハルト様。大丈夫です。大規模な戦闘はありませんから。それを見越してのこの編成なのです」


 クーメルは涼しい顔だが、俺には行軍が遅く感じられて気が気ではない。



 それでもアンクレードの指揮の下、軍は隊を乱すことなく進み、カレークの町を過ぎた。


「ここから先はビュトリス領だな」


 カレークの町の先で国境となっている川を渡ると、そこはもう敵の支配する領域だ。


 もっとも以前の国境は『妖魔の森』だったから、実は既に敵地に入り込んでいるとも言えた。


「気味が悪いくらいに誰もいませんな」


 シュルトナーが口にしたとおり、街道を行く人の姿は見えなかった。

 まあ、戦いが起こるかもしれない道を選んで行く物好きもいないだろうから、当然かもしれない。


「このままエフラットへ着くといいけどな」


 俺はもともと戦いなんて求めてはいないのだ。

 平和で安穏と過ごせる日々を求めてハルト一世に仕えようと思っていたのに、家を出てから戦ってばかりいるような気がする。


「それもあり得るかもしれませんな」


 アンクレードが俺の側へ馬を寄せてきて、そう教えてくれた。


「クーメルの見立てでは敵はハルト様と直接戦おうとはしないだろうと言うことでしたから」


 彼はそのために俺とスフィールトへ戻ったのだ。

 要害の地であるラトルで敵を食い止めているうちに、俺ができる限りの領域を確保する。


 それでビュトリスとクルクレーラを屈服させるのだ。


 最悪、逃げ場をなくした敵軍を捕捉して殲滅することも選択肢のひとつのようだった。


「いや。あれは敵軍なんじゃないか?」


 街道を向こうからやって来る集団が見え、それはただの旅人とは思えなかった。


「敵軍……ですな。数はさほどでもありませんが」


 彼は慌てて兵たちに指示を出すべく動き出した。


 伝令が走り、先頭を行く部隊が止まって陣形を整え始める。


「俺たちはけっこう最前線に近いんだな」


 別に後方に隠れていようとは思わないが、俺は一応は総大将のはずだ。

 それがかなり前に位置することになるように見えたので驚いたのだ。


「本格的に戦える兵はさほど多くありませんからな」


 いつの間にかまたアンクレードが戻って来ていて、俺にそんなことを告げた。


「どういうことだ?」


 俺は焦って聞いたのだが、アンクレードは平然とした顔でとんでもないことを言い出した。


「いえ。我が軍の大半は輜重の兵ですから。荷駄やそれを守る兵ばかりで、直接敵と戦える者は全体の二割もいませんからな」


 どうしてそんなことになっているのか分からないが、どうやら俺の率いてきた軍の戦闘員は二千そこそこで、残りはすべて輸送部隊って編成になっているらしかった。


「えっ。じゃあどうするんだ?」


 俺は本気で焦っていたのだが、アンクレードは涼しい顔だ。


「案ずることはありません。ハルト様がおられますからな」


 本人に向かってそれはないと思ったが、クーメルの計画ではそうなっているのだろう。


 敵側も大した数ではなさそうだし、ここは俺が何とかするしかなさそうだった。





【大宰相、大将軍列伝・第一章の十六】


 帝国草創期に大宰相の果たした役割はあまりに大きく、その功は大将軍でさえ一歩譲るものであった。


「戦場に至る前にその戦いを手の上に乗せ、戦いが始まるや勝利を我が手にもたらしてくれたのは、すべて大宰相の智謀である」


 大帝もそう彼の功績を激賞された。


「臣の功など如何ほどのこともありません。敵を退けたるは結局、陛下の御徳によるもの。見通しを誤り、我が策が潰えたかと覚悟したことはラトルでのことだけではありません」


 大宰相は大帝からお褒めの言葉を受けると、自らを戒めるようにそう返すのが常であった。


 戦場では常に主導権を渡さず「一戦して敵に二度苦杯を舐めさせる」と称された彼にとっても、あらゆる戦いが思いどおりに進んだわけではなかった。


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連載『賢者様はすべてご存じです!』は折をみて更新しています。
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