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第百二十二話 開戦前夜

 エルバネに着くと、俺はすぐにアンジェリアナ女王に謁見を求めた。


「そなた。何やら顔つきが変わったように見えるの」


 俺をひと目見て女王陛下はそう言った。

 自分ではそんな気はないが、心境の変化が顔にも出ているのかもしれなかった。


「女王陛下にお願いがございます」


「何なりと申してみよ」


 俺の申し出に彼女は鷹揚に応じてくれた。


「クルクレーラ王国がビュトリス王国と結び、何やら不穏な動きを見せているようです。おそらくはラトルの町を目指して軍を進めて来るものと思われます」


 俺の言葉に謁見の間にざわめきが起こった。


「さようか。その動きについては、すでにニコノール辺境伯からも報告が来ておる。国境の部隊に動きがあるとな」


 彼女の返事はクーメルの分析を裏付けるものだった。


「それで、どうする気じゃ。宰相殿が軍を率い、クルクレーラの軟弱者どもを追い散らしてくれるのか?」


 彼女の問いは当然だろう。敵が来ることが分かっているのなら、次は対策に決まっている。


「いいえ。私はこの機を逃さず、ジャンルーフ方面から軍を進め、ビュトリスを、そしてクルクレーラを屈服させます。陛下にはラトルの町に籠城をお命じいただき、私がクルクレーラを崩壊させるまで町を死守していただきたい」


 俺がそう述べると謁見の間のざわめきがさらに大きくなり、軍服を着た軍人らしき人物が口を開く。


「町を死守せよと簡単におっしゃるが、クルクレーラがビュトリスと結んだとなると、敵は大兵。いくらラトルが要害の地とはいえ、いつまでも持ち堪えられるとは思えませんぞ」


 彼に続いて、高位の貴族であろう立派な礼服に身を包んだ男性が大きな声を出す。


「敵軍の来襲を前に、宰相閣下はこの国を抜け出すとおっしゃる。ジャンルーフから軍を進めるなどと、それで本当にクルクレーラまで達することができるのですかな?」


 俺も自分で言っていて、何だか逃げ出すと思われそうだなと感じたから、そう言われても仕方がないだろう。


 だが、この方針はクーメルが立てたもの。

 違えるわけにはいかないのだ。


「ビュトリスには必ず攻め込みます。そしてそのまま遠からずクルクレーラにも軍を進めることをお約束します」


 そのための準備はクーメルからの連絡を受けたアンクレードやシュルトナーが進めてくれているはずだ。


 クーメルによれば、すでにビュトリス方面の国境にも、こちらを偵察しているのであろう小部隊の姿が確認されているようだった。


「まずはクルクレーラの軍を撃退されてはどうなのです。その方が安全なのではありませんか?」


 また別の文官らしき人物が、少し遠慮がちにそう質問してきた。

 キルダ王国の者としてはそう考えて当然だろう。


 俺の覇権に協力する義理など、彼らにはないのだから。


「ジャンルーフは寡兵ゆえ、私が向かわなければ苦戦は必至。しかも国境に近いスフィールトからは道が四方に通じています。その点、ラトルの町は要害の地、守るにはラトルの方が向いています。

 ジャンルーフの国境からエフラットを抜いて、ラエレースからクルクレーラを目指せば、ルーレブルグが危機に陥ったのを知って、彼らは軍を返すでしょう。それまで耐えていただきたいのです」


 謁見の間はまた、ざわめきに包まれたが、女王陛下が右手を挙げて、それを抑えた。


「スフィールト公爵を宰相とした時点で、我が国は命運を公爵に託したのだ。公爵がそうすべきだと言うのなら、そうするしかあるまい。キルダ王国の尚武の気風を示そうではないか!」


 そう言った彼女は、先ほど発言した軍人らしき男性に向き直ると、


「余も陣をラトルへ進めるぞ! クルクレーラの弱卒どもなど何ほどやあらん。サーカ川の流れと堅固な城壁を前に呆然とする奴らに、我らが精鋭の力を見せつけてくれよう!」


 そう勇ましく宣言した。

 その姿は、さすがは生まれながらの王族だと感じさせる威厳に満ちたもので、俺ではこうはいかないだろう。


「ありがとうございます。私はすぐにここを発ち、ジャンルーフに向かいます。ルーレブルグでお会いできることを楽しみにしております」


 俺はそう言って礼をすると、謁見の間を退出した。



「ダニエラにはイレーネの警護を頼む」


 今回は道を急ぐ必要がある。

 俺はクーメルと二人、馬でパラス山脈の峠越えの道を進むことにした。


「ハルト様。私も馬に乗る訓練はしています」


 イレーネはそう言ってくれたが、俺は彼女に負担を掛けたくなかった。


「いや。どうせ軍を出すまでに時間が掛かるはずだ。馬車をペルティア経由で回しても出征までには間に合うと思う。無理をする必要はない」


 本当はクーメルさえいれば、問題なく出撃の準備は整うのだろうが、俺は曲がりなりにも総大将だ。

 兵の士気にも関わるし、さすがに後から遅れて行くわけにはいかないだろう。


「イレーネ様は必ずお護りします。ハルト様もお気をつけて」


 ダニエラもビュトリスとの戦いに参加したそうだったが、俺の依頼に何も言わずに従ってくれた。



 険しいパラス山脈を攀じ登るように越えて、俺たちはパラスフィル公国の領域へと入った。


 アイヴィクの町ではティスモス大公に謁見した。


「クルクレーラが軍を進め、キルダ王国との国境を犯そうとしています。私はジャンルーフからクルクレーラとよしみを通じたビュトリスに攻め込み、そのままルーレブルグを目指します。公国に直接、害は及ばないと思いますが、ご用心を」


 俺の申し出に大公は真剣な表情を見せた。


「ジャンルーフからビュトリスを抜いてクルクレーラの王都ルーレブルグを目指すとは、壮大な軍略ですね。成功すれば大陸の地図は塗り替えられましょう。スフィールト公から受けた恩を返すのは今です。我々も協力いたします」


 彼はそう言ってくれたが、この国は内乱状態から脱して、あまり時間が経っていないのだ。

 兵力の提供などはあまり期待できなかった。


「ありがとうございます。まずは国境を固め、敵につけ入る隙を与えないようにお願いします」


 俺の依頼に大公は、北方のハフラン近郊へ兵を増派すると約束してくれた。


 クーメルの計画では、クルクレーラの軍をラトルの町に釘付けにすることになっているから、パラスフィル公国には牽制以上の役割は期待していない。


 その程度で十分だった。



 アイヴィクを出て、街道をひたすら北へと向かう。

 ここをイレーネと南へと向かったのはついこの間のことなのに、もう随分と前のことのように思われた。


「ハルト様。急ぎましょう」


 途中の町には、それぞれ俺が建てた学校があるはずだが、今は寄り道をしている暇はない。


 俺はクーメルと二人、ハフランを経由して一気にジャンルーフへと馬を走らせた。



 今はビュトリス王国の領域に足を踏み入れるわけにはいかないので大回りをするしかなかった。

 ハルファタへ到着した俺たちをシュテヴァンが迎えてくれた。


「ここまでお疲れでしょう。シュルトナー殿から連絡が届いています。ビュトリス側には今のところ目立った動きはないようです」


 彼の報告に、俺はほっとできるような気がしたが、そもそもビュトリス王国の軍が動かないことはクーメルの計画では折り込み済みなのだ。


「ビュトリスは、よく俺がジャンルーフに戻って来ることが分かったな」


 改めて考えてみると不思議な気がしたが、シュテヴァンが少し戸惑いを見せて、


「間もなくハルト様がお帰りになると、こちらではその噂でもちきりでしたから、ビュトリス側にもさすがに情報が入っていると思いますが」


 俺の理解度に呆れられたかもしれないが、言われてみればシュルトナーがいるのだから、その手の情報操作はお手の物なのだろう。


「今回はハルト様の存在を明らかにした方が良いのです。その分、キルダ王国には頑張ってもらう必要がありますが、ラトルの町はそう簡単には落ちません。その間にハルト様がルーレブルグへ至れば、敵は軍を引くしかなくなるでしょう。時間との勝負なのです」


 クーメルにはここまで何度か説明してもらっていたが、俺は今一つ理解できていなかったようだ。

 それでも、彼の思惑どおり進んでいるらしいから、問題はないだろう。


「すでにハルファタの部隊はスフィールトへ向けて出発しています。スフィールトでアンクレード殿の部隊と合流する手はずになっています」


 そう言うシュテヴァン自身にも、今回の遠征に参加してもらう必要があった。


「シュテヴァンさんにはエフラットの町をお任せしたいのです。私たちはエフラットを陥として後、そのままクルクレーラ王国方面へと軍を進めます。残せる兵力は多くはありませんが、後方の安全の確保は重要ですから」


 彼はこれまでジャンルーフ最大の町であるハルファタを預かり、問題を発生させなかった。

 クーメルの指示があったにせよ、その手腕には今回も期待して良いだろう。


「分かりました。この老骨がまだお役に立つというのなら本望です」


 俺から見ると彼はまだそこまで老人って感じじゃないと思うのだが、それは現代日本の感覚かもしれなかった。


 魔法の発達していないこの世界では寿命は短く、彼くらいの年齢になれば十分にお年寄りなのだろう。

 これから魔法が復興すれば、治癒魔法も発達するから、寿命も延びるはずだった。





【ハルト一世本紀 第六章の四】


 エフラットの町を手中に収めた大帝に、周辺の町は自ら門を開き、賀を献じてその統治に服した。


「すべては大宰相の構想の賜物です。その筋書きどおりに進むのです」


 国公はそう言って進軍の順調なことを祝ったが、大帝はそれを喜ばれなかった。


「戦には変事が付き物である。こちらが容易に軍を進められる分、ラトルの町の圧力は増しているであろう。あの町に何事もなければ良いが」


 大帝が広く戦いの全体を見渡されることはこのようであったので、皆は気を引き締めた。


 それでも軍はさらに進み、クルクレーラの地に入ってルーレブルグを指呼の間に臨んだ。


「ラトルの町が落ちましてございます」


 悲報が届き、大帝は軍を返した。


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