第百二十一話 ハルトの決意
「クーメル。そうなると危険なのはペルティア都市同盟の町じゃなくてキルダ王国の方なんだろう?」
俺はここまで彼の話を聞いてそう思った。
それならケムリックの町ではなく、エルバネの王宮でキルダ王国の人々にこそ危険を伝えるべきだろう。
「もちろんこの後、エルバネへ向かいます。ハルト様からアンジェリアナ女王に直接お伝えいただきたいのです」
彼の言葉は強く、俺は断ることはできないことを悟った。
あまり女王陛下との謁見は気が進まないが、それが許される状況ではなさそうだった。
「ですがその間、このペルティア都市同盟が一貫してキルダ王国を支持し、その背後を犯すような真似をしないことも重要です。この国がふらふらしていたら、キルダ王国は全力を対クルクレーラ戦に振り向けられませんから」
どうも彼の中では、クルクレーラ軍がキルダ王国へ侵攻してくることは既定事実になっているらしい。
「そちらについてはお任せください。決して背後を脅かすようなことはさせませんから」
フィロメはそう言って自信ありげだ。
クーメルと頷きあっているから、俺が退屈して逃げ出した後も、二人でこのための策を練っていたのだろう。
「で、俺からは女王陛下に何をお願いすればいいんだ?」
俺が尋ねると、彼は例のしたり顔を見せた。
「堅固な城塞都市と言ってよいラトルの町に籠り、敵軍が退却するまでひたすら耐えること。それだけです」
「それでいいのか?」
俺はクーメルのことだからまた何か奇想天外な計略でも使って魔法のように敵軍を壊滅させるのかと思ったのだが、どうも地味な作戦だ。
「ええ。それで十分ですし、それ以外は危険です。クルクレーラはなんと言っても大陸有数の大国です。動員できる兵力はキルダ王国とは比較にならないでしょう。平原での会戦などは敗北を求めるようなものですから」
彼はクルクレーラを決して侮ってはいないようだった。
そうなると俺はまずビュトリス王国を破って後、キルダ王国の救援に向かうのかと思ったのだが、クーメルの考えは違うようだった。
「ここは一気にハルト様が覇権を確立される時だと考えています。いずれも辺境とはいえハルト様はすでに四国を従えておみえです。残る二国を倒して大陸西方の覇権を握れば、残りを平らげることは容易いことでしょう」
彼の言葉に俺は驚きを隠せない。
「クーメル。何を言っているんだ? 俺の覇権ってどういうことだ?」
俺はたしかに四つの国で宰相級の地位にあるが、それらの国の王ではないのだ。
「ハルト様。現実をご覧ください。ジャンルーフは国王の空位が続き、パラスフィルの大公位を定めたのは実質ハルト様です。ペルティアでは評議会で正式に認められた共同統領になられており、キルダ王国では王族以外は就任することも稀な宰相になられています。ハルト様の覇権を疑う者はいないでしょう」
「ちょっと待ってくれ」
俺はハルト一世が現れたらすべてを彼に献上し、その功をもってそれなりの地位につけてもらえればいいと思っていた。
だから自分が既に得たものが、覇権と言われるほどになっていようとは考えていなかったのだ。
「いくらでもお待ちいたします。それで現実が変わるわけではありませんし、当面はエルバネへ、そしてスフィールトへ向かう必要がありますから」
クーメルの考えは揺るぎそうになく、俺の認識の方を改める必要があるようだった。
その後、俺たちはケムリックを発ち、エルバネを目指した。
馬上の俺を仰ぎ見て、フィロメが「ご武運を」と言ってくれたのが何やら生々しい。
俺はそういうのが似合うタイプではないと思っていたのだが。
(俺がこの世界の覇権を握る?)
クーメルが言ったとおりなら、そうなることになる。
だが、それは本来ハルト一世が成すべきことのはずだ。
(やはり俺が転生したことで、何かこの世界の禁忌に触れたのか?)
そう思うのが妥当な気がした。
それによってハルト一世がこの世界から排除されてしまったのだ。
彼がこの世界にいない理由は、ほかには思いつかなかった。
(そうなると、俺がハルト一世の役割を担う、いや、まさか俺がハルト一世なのか?)
「ハルト様。今は集中してください。危険です」
ダニエラが馬を寄せてきて、俺にそう注意してくれる。
我に返った俺は、愚にもつかない考えを打ち消した。
俺みたいな小さな人間が、あの歴史上他に類を見ないほどの英雄と言っていいハルト一世であるはずなどない。
前の世界でも散々、名前負けだって言われ続けたのだ。
その晩、途中の小さな町で投宿し、俺は改めてクーメルに尋ねた。
「クーメルは俺がこの世界を統一することができるって本気で思うのか?」
俺はここが前に生きていた世界の千年前の世界らしいと気づいたところで、じゃあ、この世界を統べるハルト一世に取り入って、ある程度の地位を得ようって考えるような小人物だ。
本物のハルト一世なら、そんな驥尾に付すようなことは考えず、自分の力でこの世界の未来を切り開こうってするはずだ。
「はい。ハルト様以外、誰がそれを成し得ましょうか」
だが、俺の考えに反して、クーメルは即座に、しかも断言するように返してきた。
「俺はそんなことは考えてもみなかった。ある程度の地位に就いて、それなりの生活を送ることができたらそれでいいって、ずっとそう考えてきたんだ」
「存じております」
クーメルの答えは矛盾しているように俺には思われた。
だが、彼はそんな俺の思いも見通していたかのように言葉を継いだ。
「ハルト様は初めてお会いした時から常人とは違ったところがおありでした。魔法を使われるということではありません。もちろんそれも驚きでしたが、それだけなら私一人でさえ、ここまでお供してはいないでしょう」
自分では見ることができなかったが、俺は驚いた顔をしていたと思う。
彼からそんな風に思われているとは考えてもみなかったからだ。
「ハルト様は、あれほど強力な魔法の力をお持ちになりながら、それで人を脅したり、ましてや傷つけたりしようとはなさいません。そして私やアンクレードに対してもどうしてかと思うほど丁寧に接してくださいます。隠者を気取った一介の書生に過ぎなかった私の献策を、それこそ一国の宰相の決定かのように重んじてくださいました」
それは俺にとっては当たり前のことだった。
何しろ相手はハルト一世の大宰相のクーメルなのだ。
その献策に従っていれば間違いないと知っているから、何でも彼に聞いたし、彼が策を献じてくれれば安心して実行することができた。
そして、彼やアンクレードに去られたら大損失だって分かっていたから、丁重に扱ったのだ。
「いや……俺は……」
この世界の千年後の未来から来たからってのが答えなのだが、そんなのは信じてもらえないだろうから、苦し紛れに占いで未来を覗き見たって言うしかなかった。
だが、それも信じてもらえなかったようだから今、こうして話をしているのだ。
「私は突拍子もない考えは嫌いです。物事にはすべて道理があるとそう信じていますから。ですがハルト様を見ていると、その確信が揺らいできます。あなたは神がこの世のお遣わしになった方ではないかと。そう思うしかないことの連続でしたから」
「俺はそんな大した人間じゃない。ただ魔法が使えるだけで、それ以外は普通以下だからな」
魔法が使えることだって、前の世界では当然で、俺はそれすらできなかった。
そう思ってした俺の返事に、クーメルは首を振った。
「そのようなことはありません。ハルト様は敵に対してさえ、死傷者がなるべく出ないように気遣っておられます。そして降伏した者にも驚くほど寛大です。各地に学校を建てられるなど、常に民衆や子どもたちのことを気に掛けておられます。だからこそ私はハルト様に賭けてみようと思うようになったのです。ハルト様がこの世界を統べれば、きっと良い世の中になる。そう思えましたから」
それは俺がハルト一世に出会った時に、彼からこれまでの失政を咎められないようにとやってきたことだ。
奇しくもそれがクーメルをして、俺に力を貸そうと考えることにつながっていたようだった。
「ハルト様。古代魔法帝国の滅亡以来、この世界は幾つもの国が並び立ち、互いに争いを続けてきました。今回、ハルト様が敗れれば、その状況に逆戻りです。この世界を統一し、争いのない平和な世界を築けるのはハルト様だけなのです」
彼の真剣な訴えに、俺は覚悟を決めることにした。
争いのない平和な世界が訪れるというのなら、それに手を貸さないなんて選択はありえない。
「分かったよ。クーメル。でもやることはこれまでと変わらないけどな。クーメルの教えてくれるとおりに進めるよ」
俺の言葉に彼は安堵の息を漏らしたようだった。
どうやらハルト一世がいないかもしれないこの世界で、俺は彼の大業に少しでも近づくべく努めることにしたのだ。
(クーメルもアンクレードも、シュルトナーもいる。きっと大丈夫だ)
そして、俺自身が結婚することを選んだイレーネも、俺の傍で俺を助けてくれるはずだ。
俺は彼らの助けを借りて、この世界の統一に乗り出すことを決意した。
【ハルト一世本紀 第六章の三】
スフィールトへ大帝がお戻りになると、その地の民は大いに喜んだ。
大帝の不在により、不逞の者たちがこの地を乱さんとするのではと不安を感じる者もいたからである。
「まずはビュトリスに軍を進めましょう」
大宰相の献言に大帝は頷かれたが、その進みは遅かった。
大帝はその進む先にビュトリスとは異なるものをご覧になっていたからである。
それでもビュトリスで大帝に抗おうとした者たちは、ひと支えすることもできずに逃げ去った。
「彼らの末路や如何?」
大帝は敵対した者たちのために嘆かれた。




