第百二十話 周辺国の動き
ハルト一世を探すことを諦める。
それは俺のこれまでの努力すべてを捨て去ることを意味しているような気がした。
「いや。クーメル。ちょっと待ってくれないか」
俺はこれまで彼の言うとおり物事を進めてきた。そしてそれは上手く行ってきたと思う。
さすがはハルト一世の大宰相だと、感心したことも一度や二度ではない。
その彼が俺にハルトという名の者は俺以外にいないと言ったのだ。
「もちろんすぐにとは申しません。ですが、もう各地にお触れを出すことは止めさせていただきたいと考えています。これまで各国を巡り、各地でハルト様と同名の方を探しましたが、何の成果もありませんでしたし、もうよろしいでしょう」
俺は海峡の向こう側、大陸の東方にはまだ探索の手が及んでいない地があるんじゃないかと思ったが、そもそもハルト一世はジャンルーフの出身とされているのだ。
だからこそ俺にはチャンスがあると思ったし、見つけるのも容易だと考えていたのだが。
「分かった。たしかにこんなことが起きているのなら、もう各地で俺と同名の人を探すことは止めてもらって構わない。でも、少し考えさせてほしい」
俺の答えにクーメルは納得してはいないようだったが、理解を示してくれた。
「分かっております。ハルト様は私と出会われる前からずっと、ご自身と同名の方のことを気に掛けて来られましたから。そして、その方がこの世界の支配者となって魔法帝国を再興するともおっしゃいました。ですが、私はそれは信じてはおりません。シュルトナーも言っていましたが、魔法で未来を覗き見たなどと取って付けたような理由で、あまりにも不自然でしたから」
どうも俺の下手な嘘で、クーメルやシュルトナーを騙すことはできなかったようだ。
だが、占いで未来を覗き見たというのは本当ではないにしても、ハルト一世による魔法帝国の再興は起こるはずの未来なのだ。
(だって、この世界にはクーメルもシュルトナーも、アンクレードやダニエラだっている。そして、イレーネも……)
それがこの世界が俺が以前いた世界の千年前の世界である証拠だと思うのだ。
それなのにハルト一世だけが姿を見せないことは理解できなかった。
(まさか、俺がいるからか?)
それは恐ろしい想像だった。
俺という異物が千年後の世界から混入したことで、ハルト一世がこの世界から排除された。その可能性に思い至ってしまったのだ。
ハルトという名前の者がこの世界には一人しか存在できない。
もしそういうことになっているのなら、俺がこの世界に転生したことで、ハルト一世の方が除去されてしまったってこともあるのかもしれなかった。
「ハルト様。大丈夫ですか? お顔色が優れないようですが?」
フィロメが俺を心配するように声を掛けてくれた。
恐ろしい想像に、俺は青い顔をしていたらしい。
「あ、ああ。大丈夫だ」
そう答えながら、俺は千年後の世界では『ハルト』なんて名前はありふれていたことを思い出していた。
魔法学校のクラスには俺を含め、何人もの『ハルト』がいた。
そう考えるとハルトが一人しか存在できないなんていう規制が、この世界に働いているっていうのは、ありそうもない気がしてきた。
「とにかく一度、政庁へ戻りましょう。こんなところでは安心して話すこともできませんし」
クーメルも「こんなところ」ってのは宿に失礼なんじゃないかと思ったが、たしかに部屋の壁も薄そうだし、ここはクーメルやフィロメが政治向きの話をするのには向いていなさそうなことは確かだった。
「ああ。そうしよう」
俺たちは宿を後にして一旦、政庁に戻ることにした。
「ハルト様には、そろそろスフィールトへお戻りいただきたいのです」
政庁の会議室でクーメルは俺にそう切り出した。
彼は俺が共同統領となったぺルティア都市同盟の不安定さに危険を覚えたことと、俺にスフィールトへの帰還を促すため、この地までやって来たらしかった。
「シュルトナーにお願いしようとも思ったのですが、これまでビュトリス王国との折衝はすべて彼が担ってきましたから。彼にはスフィールトに残ってもらったのです」
「そんなに切迫してるのか?」
俺の問いにクーメルは頷いた。
「ハルト様が国内各地に魔法学校を開かれ、子どもたちに魔法を教えていることが徐々に周辺国へと伝わっているのです。その子どもたちがハルト様のような強力な魔法を使って攻め寄せるのではないか。各国はそう疑っているのでしょう」
「えっ。そんなことを思われているのか?」
アンジェリアナ女王もそんなことを言っていたが、俺は千年後の世界を真似てみただけだ。
まして子どもを兵力として戦争に使うとか、元が現代日本人の俺にはそんな発想はなかった。
「もちろんです。ラマティアの町で、キルダ平原で、そしてレゾフォ川でハルト様が示された魔法の力を使う者が近い将来、何十人、何百人といった集団となって彼らを襲うのではないかと恐れているのです」
俺にはそんな気はまったくなかったが、どうやらそう疑う者は多いようだ。
これもクーメルの言葉に従って、派手に魔法を使ったからじゃないかって恨めしい気もしたが。
「こちらにはそんな気はないって納得してもらえないかな? 本当のことだし」
俺の発言は自分でも平和ボケ以外、何ものでもないなって思えるものだったが、クーメルはゆっくりと首を左右に振った。
「もちろんシュルトナーはこれまでそう主張してきましたが、ビュトリスも、そしてクルクレーラももう国内の声を抑えきれなくなっているのでしょう。状況は緊迫の度合いを増しているのです」
俺が呑気にパラスフィル公国からペルティア都市同盟、そしてキルダ王国へと巡っている間に、事態は思わぬ方向へ変化していたようだった。
「どうしたら納得してもらえるんだ?」
戦争だけは避けないとと思って俺は聞いたのだが、クーメルの語った内容は非現実的なものだった。
「そうですね。国内のそしてパラスフィル公国やペルティア都市同盟内にハルト様がお作りになった学校をすべて廃止し、魔法の使用を禁ずる。そんなところでしょうか」
彼もそれは無理だっておそらく分かって言っているのだろう。その声は乾いたものだった。
「そんな……。今さらそんなことは……」
思わず俺がそう口にすると、彼もゆっくりと頷いていた。
やはり彼にも分かっているのだろう。
「今はもうハルト様がいらっしゃらなくても、子どもたちは次々と魔法が使えるようになっていますから。学校を廃止しても無意味でしょう」
友だちや兄や姉が魔法を使うところを見れば、その子どもたちは魔法が使えるようになる。
いまやジャンルーフでの魔法の習得は、そういった連鎖が起こる段階に入っていた。
「じゃあ、ビュトリス王国やクルクレーラ王国にも学校を作ろう。それでいいだろう?」
お互いに魔法は使えるが、それを防ぐ方法を知っているっていう状況は、千年後の世界そのものだ。
それできちんと秩序は保たれ、平和な日常を送っていたのだ。
「ハルト様を宰相に迎えよと強制されると、政治の実権を握られると彼らは恐れているのです。すでにジャンルーフはもとより、パラスフィルもペルティアも、そしてキルダまでがハルト様の軍門に降ったと、そう考えているでしょうから」
「くっ」
どうやら状況は俺が考えているものよりも、さらに悪いもののようだった。
俺にはその気はなかったのだが、彼らからすると、俺が各国に宰相の地位を要求し、魔法の力を背景にそれを呑ませているように映ったようだ。
「ハルト様と婚姻を結ぶという策も封じられ、彼らが暴発する危険が高まっているのです。このまま放置してハルト様の麾下に魔法を使う者が増え続ければ、ますます不利になると考えているでしょうから」
「で、俺がスフィールトに帰ってどうなるんだ?」
クーメルがここに来たのは、俺を呼び返すためだと彼は言った。
それなら、ダニエラに急使でも寄越せば済んだはずだ。
俺は彼が帰還を求めれば、すぐにそうしたであろうからだ。
「ハルト様がスフィールトへ戻られれば、ビュトリス王国は動かないでしょう。これまでハルト様と戦って勝ちを収めた者はいませんから直接、ハルト様に当たる愚は犯さないはずです。問題はクルクレーラの動きです」
どうしてここでクルクレーラが出てくるのか俺にはさっぱり分からなかったが、俺の顔がそう見えたからか、彼はそれについて説明してくれた。
「もともとクルクレーラとビュトリスはサーカ川を挟み、クルクレーラ側がコスチャフ砦を築くなど対立を繰り返してきました。それが対ハルト様の一点で結んだのです」
俺はクルクレーラ王国から憎まれるようなことは何もしていないと思うのだが、それは甘い考えらしかった。
「クルクレーラは昔からキルダ平原の北、ラトルの町周辺の領有を狙っていました。ですがキルダ王国へ兵を向ければビュトリスに背後を見せることになるため、これまでは均衡が保たれてきたのです」
そう言った彼は、会議室にいる皆を見回した。
「ハルト様は既にキルダ王国の宰相を受けられてしまわれました。ハルト様がここにいればクルクレーラはキルダ王国に手を出さずに、逆にビュトリスがスフィールトに攻め込むでしょう。
一方でハルト様がジャンルーフへ戻られればクルクレーラの軍がラトルへ攻め込むはずです。キルダ平原も解放され、彼らからすればあの地は垂涎の的となっているのですから」
彼はこの場にいる皆に、覚悟を求めているようだった。
【ハルト一世本紀 第六章のニ】
大宰相は大帝に還御を願った。
「まだ為すべきことが為されていないのに、大宰相はそれを見捨てて帰れと言うのか」
大帝は嘆かれたが、大宰相は面を冒して、今一度同じように奏した。
「陛下のお帰りがなくば、臣の策は成し得ません。天下の平定は遅れ、民の苦しみが続くでしょう」
彼の重ねての請いを大帝は容れられた。
「人の心はうつろうもの。状況は時々刻々と変化する。大宰相の鬼謀をもってしても、そのすべてを占うことは難事であろうに」
それでも大帝はそう嘆かれ、不安をお持ちになっていることを吐露された。




