第百十九話 ハルトを暴く
(こんなうらぶれた宿にハルト一世が……)
俺たちが訪れたのは、やっと探し求めていた主君に会えると昂っていた俺の気持ちが一気に冷めるような、そんな小さな宿だった。
「こちらで間違いないんだな?」
俺はジュオリーアと言った女性の文官に確認した。
こんな宿に将来この世界を統べる皇帝陛下を案内したら、この都市同盟の共同統領である俺が罪に問われるのではと、空恐ろしい気がした。
「はい。部屋にいるか確認してまいります」
彼女は事務的な態度で宿の受付に向かい、そこにいた係の者と話している。
俺はもう気が気ではなかった。
(この町で最高の宿ってどこなのだろう? 以前、俺が宿泊した領主屋敷の側にある宿か?)
俺はすぐにそこを手配させてハルト一世に移っていただこうかと考えていた。
いや、まずはいっそ領主屋敷に入っていただいた方がなどとも考えを巡らす。
「部屋にいるようです。閣下。どうぞこちらへ」
だがジュオリーアはまた事務的な態度で俺を宿の奥へと導くと、とある部屋の前で立ち止まり、いきなりそのドアをノックした。
コンコン、コン……
「ハルトさん。いらっしゃいますか?」
俺がノックすべきだったかと思った時にはすでに遅く、彼女は失礼にもそう部屋の中に呼び掛けていた。
「えっ。ちょっと……」
焦る俺に、だが、部屋の中からのんびりとした声が返ってくる。
「はい。どなたですか?」
そう尋ねてきた声は若い男のもののように聞こえた。
そしてすぐに扉が少しだけ開き、俺と同じくらいの年齢に見える男性が、隙間から顔を覗かせた。
「先ほど政庁でお話を伺ったジュオリーアです」
彼女がそう答えると、男は扉を開いた。
「ジュオリーアさん。随分と早かったですね。どうぞお入りください」
そう言って彼女を部屋へ招き入れる。
「失礼します」
彼女に続いて俺も部屋へと入って行くと、男は怪訝そうな顔を見せた。
「あの。失礼ですがこちらはどなた様ですか?」
男は俺の方を見てジュオリーアにそう尋ねてきた。
「俺……いや私は……」
焦った俺は上手く言葉が出てこず、その間にジュオリーアが笑顔で彼に答えてしまう。
「こちらは共同統領閣下です。この度、あなたが申し出てくださった『ハルト』という名前の方を探しておられるのは閣下なのです」
「……あ、そうなんですね」
少し驚いたのか、何となく不安そうにも見える顔を見せて、男は部屋の奥の椅子を俺たちに勧め、自分はベッドのふちに腰かけた。
「あなたがハルト様なのですね?」
優男って感じのする少し小柄なその男性は、俺の問い掛けに一瞬の間があった後、
「あ、はい。私がハルトです」
そう答えた。
俺の中でのハルト一世のイメージは、かなり重々しく威厳に満ちたものだったから、正直言ってかなりのギャップを感じた。
だが、彼の姿を正確に写した肖像画なんて残っていないから分からないし、今はまだ若いから多少頼りなく見えても仕方がないのかもしれない。
俺はそう思い直した。
「ハルト様にお願いがございます!」
俺は彼の前に跪いてそう告げた。
「えっ。いきなりですか。それにそんな。よしてください」
彼の慌てぶりは何事にも動じないと言われたハルト一世には似つかわしくない気がする。
だが、考えてみれば彼は帝位に即いてからも、街中を歩く老婆の声にも耳を傾けるほど気さくな態度を見せる度量の大きな人物だったのだ。
俺にいきなり跪いての礼を求めたりはしないのかもしれなかった。
「失礼しました。ですがハルト様に是非、私の仕官をお許しいただきたいのです」
この機会を逃してなるものかと、俺はこれまでずっと胸に抱いてきた希望を彼に申し述べる。
これまでの努力はすべてこの時のためにあったのだから、多少図々しいのは覚悟の上だ。
「いや。無理です。私に政庁のお役目など。できるはずもありません。それはご勘弁を」
彼に拒否の返事をされて、俺は衝撃を受けた。
しかし、政庁の役目って、どこからそんな話がでてきたのかって、俺は混乱してしまう。
(いや。落ち着け。俺はクーメルやアンクレードたち七功臣みたいに彼の配下になることが決まっているわけじゃない。だからきちんと説明して受け入れてもらう必要があるんだろう)
そう考えて、俺は改めて彼に仕官を願い出る。
「お言葉ごもっともですが、そこをなんとかお認めください。クーメルとダニエラ・サヴォラーエ、そしてフィロメ・クラニクラスはこの町に来ています。アンクレードもシュルトナーも私の領地のスフィールトでお待ちしています。ですから何とか私も末席に加えていただきたいのです」
俺の必死の願いにも、彼はどうも目を白黒させているみたいで、聞き入れてくれる様子はない。
「ジュオリーアさん。これはいったいどういうことです? この方は何をおっしゃっているのですか?」
俺もここを先途と必死の思いだったが、彼もかなり慌てているようで、常に冷静沈着だったと伝えられるハルト一世のイメージとは合わない気もしたのだが、今はそれどころではなかった。
「それは私にもなんとも……。閣下。どうされたのですか?」
問い掛けられたジュオリーアも、理由が分からず困惑しているようだった。
それでも俺はここを動く気はない。そう思っていたのだが……。
「ハルト様。何をされているのです!」
いつもは静かなクーメルの声が、珍しく俺を叱責するもののように聞こえた。
「クーメル。どうしてここへ? いや。クーメルからもお願いしてくれ。俺を家臣に加えてくれって」
だが、俺は冷静ではいられなかった。
俺では無理でも、七功臣の筆頭に挙げられる彼の言葉なら、ハルト一世にも響くんじゃないかと藁にも縋る想いだったのだ。
「ハルト様。落ち着いてください。この者はハルト様の求めておられる者ではありません」
一方のクーメルはいつもの落ち着いた声で、俺を諭すように言ってきた。
「えっ」
驚いてハルト一世と思しき男を見ると、彼は怯えたような顔を見せている。
顔色も心なしか青ざめているようだ。
「そこの者よ。自分のしたことが、どれほどのことを引き起こすか分かってきたのではないですか? 今なら不問に付しますから、本当のことを答えなさい。あなたの名前は何なのです?」
クーメルの言葉に蒼白な顔色をしていた男が、我に返ったようにおずおずと口を開いた。
「ヴァルターと申します。どうかお許しください」
床に身を投げ、まさにひれ伏して土下座するといった様子で、男はそう答えた。
その声は震えてさえいるようだった。
「えっ。ハルト……じゃないのか?」
「ハルト様。この男の名は『ヴァルター』。ハルト様と同じ『ハルト』ではありません」
クーメルの言葉に、俺は身体中の力が抜けて、その場に座り込んでしまいそうになった。
見ると彼の後ろにはフィロメと、俺にこの男のことを教えてくれた文官の男性の姿があった。
どうやら彼がクーメルたちをここまで連れて来たようだった。
「今、見たことは他言無用です。もし外に漏れたらヴァルター、あなたが漏らしたとしてきつく罰します。これを持って消えなさい」
そう言ってクーメルは懐から銀貨を数枚出すと、ヴァルターと名乗った男に握らせた。
「は、はい。決して口外いたしません。ありがとうございます」
男はニ度、三度と頭を下げると、這う這うの体といった様子で荷物を持つと、そのまま逃げるように部屋から出て行った。
呆然とする俺に対して、クーメルは男が消えたのを見て、フィロメと二人の文官に対しても厳しく聞こえる声で言った。
「あなたたちもここで見たことは忘れてください。決して口にしてはなりません」
「はい。承知しました」
三人は神妙な顔で答え、ジュオリーアなどは泣き出しそうな顔を見せていた。
クーメルは俺に向き直ると、
「ハルト様。ハルト様が同名の方に仕えたいとおっしゃっていたのは本気だったのですね。最初はまさかと思っていましたが、ここまで執拗に同じ名前の方を探されていましたから。最近は分かっていたつもりでしたが、それでも……驚きました」
そう言った後、彼はこれまで俺と同名の者を探してきた顛末を教えてくれた。
「今の者はまだマシなのです。『ヴァルター』という名の響きは多少、ハルト様のお名前と共通するものがありますから。最近は各地で『ハルト』という名の者を王国の宰相やここでは統領が探していると知って、褒美にあずかろうとする者が後を絶たないのです。あの者のように自ら名乗り出たり、何人かで組んで騙そうとしたり」
まさかそんなことになっていようとは思ってもみなかった俺は、愕然とする思いだった。
「これまで何度も申し上げてきましたが、ハルトというお名前を持つ方はハルト様以外にはおりません。そう名乗り出て来た者も、こちらで調査をしてその偽りを暴き、叱りつけて追い返していたのです。これまでことごとくそうでした」
「そうだったのか……」
これまで報告が無いなと思っていた裏で、クーメルたちがそんな苦労をしていたと知って、俺は情けない気がした。
ハルト一世の大宰相たる彼に、余計な仕事をさせてしまっていたのだ。
「そうです。ですからハルト様。もう諦めていただけませんか? ハルト様がいくら探されてもハルトという名前の方はハルト様ご自身しかいないのではないでしょうか?」
【大宰相、大将軍列伝・第一章の七】
大宰相が大帝の命を違えぬことは、鳥が空を、魚が水の中を行くが如く、ごく自然のことと思われていた。
「陛下の思し召しは自然にして理にかなっておいでです。臣が敢えてそれを違える道理がありません」
彼もそう言って、大帝の命をそのまま実行することが常であった。
大帝はそれをお聞きになるとお笑いになった。
「創業の当初は命を誤つこと度々であった。大宰相はそれも実行して、しかも害を及さなかった。真に人傑と言うべきである」
大宰相は僅かに得意そうな顔を見せ、「何ほどのこともありません」と言った後、続けて、
「陛下のお言葉は臣等、そして民草に生きる糧を与え、安穏たる生活を保障するもの。その重さは臣の及ぶところではありません」
大帝にそう忠言を呈することを忘れなかった。




