第百十八話 ハルト現る
「間もなくケムリックの町です」
街道を進む俺たちにダニエラがそう教えてくれた。
「騎兵たちにはエルバネに先に帰ってもらおう。俺たちは少しケムリックに寄って、フィロメに会っていきたいからな」
キルダ王国の軍部隊を引き連れて来たのは緊急避難的な措置なのだ。
できれば気づかれぬうちに、同盟領から引き上げさせておくべきだろう。
「フィロメと言う方は優秀な女性らしいですね」
一方でクーメルはフィロメに会うのは初めてだ。
ここはせっかくの機会なのだから、彼を将来同じハルト一世に仕える枢密使に会わせておくべきだろう。
「ああ。貨殖の道に秀でているらしい。通商の活発なぺルティアの出身だからかな」
俺はそう言ってしまってから、これって前世の記憶だったよなって気がついた。
彼女とは知り合ってからあまり時間も経っていないから、その才能については実はよく分かっていないのだ。
「さようですか。それは心強いですね」
クーメルはそう言って静かに笑っていたから、さすがに何も気がついていないと信じたい。
「閣下。ありがとうございます」
俺がケムリックの政庁を訪れるとフィロメは初めは驚き、すぐに涙を流さんばかりに喜んでくれた。
「正直申し上げて心細かったですから。この町の領主でさえあまり頼りにならない様子でしたし」
当たり前だが、どうやら彼女を含め、この町の人たちはイナルガの町で起きたことをまだ知らないらしかった。
「バルナラーバなら片づいたぞ。奴はもう国境を越えてキルダ王国領に入っているはずだ」
俺たちもすぐに後を追うことになったが、精鋭である騎兵たちの行軍は素早いものだったから、すでにキルダ領内に入っているだろう。
「えっ。どういうことですか?」
「ハルト様が魔法を使い、あの町の城壁を破壊されたのです。後は騎兵を突入させバルナラーバを虜にしました。これでもうハルト様に逆らう者はいないでしょう」
そこまで説明してから、クーメルは「はじめまして」とフィロメに挨拶をしていた。
「まあ今、クーメルが言ったとおりではあるけど、キルダ王国の兵を借りたんだ。彼らにはもう引き上げてもらったから気づいた人もあまりいないと思うけどな」
クーメルの言い方だと、俺はすごく乱暴者ってことになりそうなのだ。
彼はそうすることで反乱を起こす気をなくさせることができるって考えているのかもしれないが、俺の名誉のことも考えてほしい。
「さようですか。キルダの兵まで。ハルト様のお手を煩わせて、私は代行者失格ですね」
彼女は申し訳なさそうに、そして寂しそうにそう言ってきたが、俺が口を開くより早く、クーメルが彼女を慰めるように話し始めていた。
「そのようなことはありません。ペルティア都市同盟の町の独立心が強いことは有名ですから。ハルト様がもう少しここに滞在して睨みをきかせていれば、状況は変わっていたでしょう。あなたも急かされたのではありませんか?」
どうもクーメルの言い方だと、俺がさっさとキルダ王国へと向かったことが、今回の乱の遠因だってことらしい。
俺はたしかに彼女の「少なくともひと月」って要請を蹴っているから、そう言われてしまうとひと言もない。
「いえ。それでも私はバルナラーバの反乱を防げなかったことは事実ですから」
彼女はまだ神妙な様子を見せていたが、クーメルの方は容赦がなかった。
「もともとあなたはあの町の出身でしょう? 元領主に対する遠慮もあったでしょうし、その領主を果断に引退に追い込んだのはあなただと伺っています。ハルト様が共同統領になられるなど、もともとかなり無理な話だったのです。あなたの賢明な判断がなかったら同盟は瓦解し、内乱が起きていたことでしょう。それだけでも大変な功績だと思いますよ」
澱みなく話す彼に、さすがのフィロメも口を挟む隙を見出せないようだった。
「そうおっしゃっていただいて、少しだけ心が軽くなった気がします。ありがとうございます」
俺だってクーメルやシュルトナーの助けなしでここまでやって来たのだから、少しは褒めてもらってもいいと思うのだが。
そんなことを考えている俺を尻目に、クーメルとフィロメの二人は今後の統治の方針について話し合いを始めていた。
「実はビュトリス王国との関係が不安定になってきているのです。ですからこの地域には安定をしてもらっていなければ困るのです。今やこの周辺はハルト様がパラスフィル公国とキルダ王国の宰相になられ、このぺルティア都市同盟もハルト様を盟主としているのですから、三国が相和して、安定的な関係を維持してほしいのです」
俺がスフィールトを発ってから、もう一年以上が経っているから、ビュトリス王国との関係に何らかの変化があってもおかしくはない。
それでなくても俺はあの国のクラウズ王子の軍を撃退したり、カテリア王女との縁談を断ったりしているからな。
「アンクレードもおりますし、ハルファタのギオレク卿に後詰めをお願いしてありますから、何か起こることなどあり得ませんが、それでも以前より国境に注意を払う必要があることは確かなのです」
俺の顔が不安そうに見えたのか、クーメルがそう説明してくれる。
「ギオレク卿ってシュテヴァンがいざとなったら駆けつけてくれるわけか。それなら大丈夫そうだな」
こんなことを言ったらアンクレードが気を悪くしそうだなって思ったが、そもそもクーメルやシュルトナーがいるのだから抜かりなどあろうはずもない。
その後もクーメルとフィロメは同盟内の諸都市の状況やキルダ王国との関係、果てはリュクサンダールの主教庁の思惑など、俺の理解の範疇を超える話を延々と続けていた。
「俺はちょっと休憩をしてくるよ」
正直、退屈を覚えていた俺は席を外し、政庁の中をうろうろと歩き回った。
共同統領様ともあろう者のあるべき姿ではないのかもしれないが、元々俺はそんなご大層な人間ではない。
いくつかの部屋を覗くと、そこでは文官たちが皆、真面目に机に向かって事務を処理しているようだった。
やはり上が優秀だと、下も働くんだなって、俺はフィロメの力量に感心する思いだった。
おそらく彼女がしっかり業務を把握しているってこともあるのだろうと思ったのだ。
そうして俺が文官たちの働きを眺めていると、一人の官吏の男性と目が合った。
茶色の髪をぴっちりと真ん中で分け、口ひげを生やしたその男性は、いかにも能吏って感じだったが、その彼は立ち上がると俺に近寄って来た。
「まさか共同統領閣下であらせられますか?」
「ああ。そうだ」
ちょっと偉そうかなって思いながらも、俺はそう返した。
そもそも俺は「あらせられる」なんて言葉が似合う威厳のある人間じゃないのだが。
途端に部屋の中に文官たちが一斉に顔を上げ、俺に注目が集まった。
「先日のフィロメ様とご一緒に政庁にいらっしゃった時、お見掛けいたしました。今日はお忙しい中、ご視察ですか?」
俺はクーメルとフィロメの会話について行けず、退屈しのぎにぶらぶらしていただけだから、「ご視察」って言われると鼻白む思いがするが、そう言って間違いではない。
「まあ、そんなところだな。多少時間が空いたからな」
後半は俺の良心がそう言わせたのかもしれなかったが、それを聞いた文官は、何か思いついたようだった。
「お時間がおありなら、お命じいただいたあの件、閣下と同名の方を探すようにとのご命令でご報告があるのですが」
「えっ!」
突然の話に、俺は気が動転して二の句が継げなかった。
「ジュオリーア。例の話なんだが、今ここで閣下に……。いや、やはりフィロメ様に先にご報告差し上げてからの方が……」
文官は自分が座っていた席の側にいる女性に話し掛けたが、すぐに考え直したのか、そう言って尻込みするような様子を見せた。
「いや。ハルトいっせ……ハルトって名前の人が見つかったのか? ならばすぐに会わせてくれ!」
今度は俺は慌てて彼に頼み込む。
長年探し続けたハルト一世に、たまたま反乱を鎮圧し、フィロメと話そうとして訪れた町で出会えるなんて。
これこそ神のお導き、この機会を逃してはならなって思ったのだ。
「そうですか。では、すぐに呼んでまいります」
彼は俺の様子にただならぬものを感じたのか、すぐにそう言って女性に指示を出そうとした。
「いや。待ってくれ! 俺の方から会いに行くから。その人はこの町にいるのか?」
相手がハルト一世だとしたら、呼びつけるなんてとんでもない。
礼を尽くしてお迎えするべきだし、まずはこちらからご挨拶に伺うべきだろう。
「ええ。この町の宿に滞在しています。では宿の部屋にいるか確認をしてから……」
「いいや。すぐに伺おう。ここから近いのか?」
俺はこの機会を逃してしまったら、また会えなくなってしまうのではないかと焦っていた。
ヴェスティンバルの家を出てから、これまで五、六年もずっと探し続けてきた相手なのだ。
「はい。歩いてもさほど時間は掛かりませんが、今からですか?」
さすがに怪訝そうな顔をする文官を急かすと、彼はジュオリーアと言った女性に俺を案内するよう指示してくれた。
「彼が政庁に申し出たのは本当につい数時間前のことですから、まだ町の外には出ていないと思います。まさか閣下がお越しになるとは思ってもいませんでしたので、いつものとおり明日にもフィロメ様にご報告する予定だったのですが」
そう説明してくれる彼女に先導され、俺は政庁からそれほど遠くない、小さな宿へと足を運んだのだった。
【軍師、将軍列伝・第三章の四】
「嘗て大帝の供をしてぺルティアの地、ケムリックに遊んだ時、出会った枢密使は印象は背の高い女性というものであった。だが、話してみて彼女の並外れて聡明なることをすぐに理解した」
帝国の再興が成って後、大宰相は枢密使の印象をそのように語っている。
「彼女がいなくとも、陛下の御徳によっていつかは帝国は再興していたことは疑いない。だが、彼女の果断によってその時が来ることが数年は早まった。たった数年と思うのは浅はかなことである。多くの民の苦痛を思えば、彼女の功績は莫大なものがあると分かるであろう」
あまり人を褒めないと大帝に評された国公も、彼女の功は明らかであるとした。
だが、彼女は自身に対する評価を過大であると常に人に語った。
「私は陛下よって見出され、過分な職責を与えられました。そして大宰相に導かれたことで、その職を何とか遂行し得たに過ぎません。大宰相に初めてお会いした時、私は大きな過ちを犯したところでした。それを救ってくださったのは、陛下と大宰相、それに近衛騎士団長なのです」
彼女は自らの功績を誇ることなく、常にそのことを戒めとして大帝に仕えた。




