第百十七話 書簡を焼く
「クーメル。ちょっと待ってくれ。生命だけは助けられないか?」
この時代、いやこの時代ではなくても国に対して反乱を起こした者は死罪が相当なのかもしれない。
でも、俺はさすがに耐えられない気がしていた。
「この者の罪は斬刑に値します。それはペルティア都市同盟でもキルダ王国でも、ジャンルーフでも変わりません」
クーメルの主張には明確な根拠があって、普通なら俺なんかが反論できる余地などなさそうだった。
「いや。そうだ。俺は公爵になってキルダ王国の宰相にもなったじゃないか。そんなめでたい時に、何も血を流す必要はないんじゃないか?」
俺は現代日本でも別に死刑廃止論者でもなかった。
まだ中学生だったし、あまりそういったことを深く考えた記憶はない。
でも、自分で「血を流す」とか言った時点で身震いするような気がしていた。
「国王の即位でもあれば恩赦もあるかもしれませんが、ハルト様はご自身の昇爵と宰相就任がそれと同等だとおっしゃるのですか?」
冷静な顔でそう詰められると、俺は言葉に詰まってしまう。
でも、さすがに死刑は、しかも斬刑とかは勘弁してほしかった。
「いや。そんなことは言わないけど……、そうだ。俺たちがキルダ王国の兵を率いて来たのは極秘じゃないか。ここで彼を斬ったら、それが明らかになってしまうんじゃないかな?」
自分で言っていて途中から無理があるなって思ったから、クーメルからしたら突っ込むのは簡単だったろう。
彼は難しい顔を見せて、
「彼を生かしておいては将来に禍根を残します。災いの芽は摘んでおくべきだとは思いますが、ハルト様がそうおっしゃるのであれば仕方がありません」
そう言ってバルナラーバに向き直った。
「本来なら斬刑に処するところであるが、ハルト様のお慈悲によって生命だけは助けることになった。今後はキルダ王国にその身を預けることにするが、二度と都市同盟に足を踏み入れてはならん」
項垂れたバルナラーバの両脇をキルダの騎兵が抱え、領主屋敷から連行していった。
そうして彼が姿を消すと、クーメルが俺に笑顔を向けてきた。
「ハルト様は相変わらずですね。あのような男でも生命を惜しまれますか?」
どうやら彼のこれまでの厳しい態度には演技も入っていたらしかった。
どうせ俺が止めるだろうと予想して、奴に死刑の恐怖を味わわせたってことだろう。
「いや。クーメルだって、人が死ぬところなんて見たくないだろう?」
俺はそう反論を試みてみたが、勝ち目なんてあろうはずもなかった。
彼は一瞬、真剣な顔を見せると、
「それはそうですが、彼を残す危険を鑑みれば断固として斬刑に処すこともあり得ると思ってはいました」
だが続けて、
「キルダ王国の刑務を司る官吏には、既に話をつけてあります。騎兵の一部が彼をエルバネまで連行し、速やかに収監の手続きがとられるはずです」
そう例のしたり顔を見せて言ったから、やはり俺が反対することはお見通しだったらしかった。
翌朝、領主屋敷に集まってきたイナルガの町の官吏や貴族連中は、領主の席に俺が座っているのを見て仰天したようだった。
「あ、あなたはまさか共同統領閣下。どうしてそんなことに?」
宿老って感じの白い髭を生やした官吏らしき人物がそう口にすれば、
「本当にスフィールト侯なのですか? あのシェルブランの評議会でお見掛けした」
こちらはこの町の貴族なのだろう。
どうやら彼は俺が共同統領に選ばれた評議会に出席していたようだった。
「叛逆者バルナラーバは追放された。この町は元のとおりぺルティア都市同盟にとどまる。領主も以前、決まったとおりブレノミア殿が務められる!」
俺の横に軍服姿で立つダニエラが、よく通る声でそう宣言した。
そして奥の扉が開くと、ニ十代後半くらいの男性が、脚を引きずるようにして俺の横へと歩んで来た。
「共同統領閣下。ありがとうございました。おかげで命拾いをいたしました。お礼の言葉もありません」
そう言って弱々しく俺に向かって頭を下げた人物こそ、あのバルナラーバの姪の婿で、この町の領主になっていたブレノミア卿だった。
彼は義理の伯父のバルナラーバに領主の座を奪われ、別邸に幽閉されていたらしかった。
「それに引き替えこの町の者どもは正統なる領主と閣下に認められた私に従わず、中には反逆者と連絡を取り、奴に忠誠を誓っていた者さえおりました」
そう言って忌々しげに大広間に集まった者たちを見渡した。
「先ほど領主の執務室へ赴き、その証拠の品を確保いたしました。いまからここでその不忠者どもの正体を暴いていただきたいのです」
彼は手に持っていた書類の束を俺に差し出してきた。
「何ですか? それは」
ぱっと見はただの紙の束にしか見えないが、よく見るとところどころに封蠟の跡やサインらしきものが見えるから、手紙や封書の類らしかった。
「反逆者と内通した証拠です。閣下には同盟を裏切った者どもに破滅を与えていただきたい」
そう言って彼はその書類の束をさらに俺に向かって突き出すようにしてきた。
「これを俺に託すとおっしゃるのですか?」
「そのとおりです。これを白日の下に晒せば、誰が同盟への反逆者に与したかは一目瞭然。同盟の共同統領たる閣下なら、厳しい処罰を下すことも可能でしょう」
俺なんかに任せずに自分でやればいいのにと思わぬでもないが、彼の権力基盤は脆弱なようだし、この町を陥とす実力を持ち、彼を幽閉から救った俺の意向に沿いたいってことなのかもしれなかった。
「じゃあ、俺がどんな処分を下そうとも、ご納得いただけるということですね?」
俺は念の為、ブレノミア卿に確認した。
後で苦情を寄せられないように予防線を張ったのだ。
「もちろんです。私は不忠者どもとは違います。閣下のご裁定に異議など申し立てるはずもございません」
彼がそう言うのを聞いて、俺は手を伸ばすと恭しく捧げられた書類の束を受け取る素振りをした。
「レビテーション!」
だが、そうはせずに呪文を唱え、書類の束を部屋の天井近くまで浮かび上がらせる。
「な! 何をなさるのです!」
驚きの声を上げるブレノミア卿に構わず、俺はさらに魔法を発動させる。
「ファイアボール・マーヴェ!!」
いくつもの炎の球が生まれ、その炎が宙に浮かぶ書類に向かって行った。
途端に書類の束は炎に包まれて燃え上がる。
「おおっ!」「何が起きているのだ?」
広間がどよめきに包まれる。
皆、俺の意図が掴めずにいるようだった。
そして俺がレビテーションを解くと、書類だったものはゆっくりと床に落ちて来た。
もうわずかな灰が残っているだけになっていたが。
「何ということをされるのです! これでは裏切り者が誰か分からなくなってしまったではありませんか!」
ブレノミア卿は大きな声で俺を詰るように言ってきた。
彼は実際に別邸に閉じ込められるっていう酷い目に遭っているから申し訳ないのだが、俺はこの町の官吏や貴族をいちいち罰する気にはなれなかった。
「もうバルナラーバは捕らえて手の届かぬところへ送りました。奴の反乱は終わったのです。これ以上の処罰者を出すことを俺は望みません」
俺が冷静に返すと、ブレノミア卿は一瞬、反論しようかという気配を見せたが、そこにすかさずクーメルが口を挟んできた。
「ハルト様は前領主の反乱を許した者たちの不手際を不問に付すことにされたのです。処罰するとなれば、最高責任者の罪から問わねばなりませんから」
彼の言葉にブレノミア卿は気圧されたように口を閉じた。
クーメルの脅しに屈したか、それとも俺と不仲なところを見せることは得策ではないってとっさに考えたのかもしれないが、別にそれでも構わなかった。
「今後はブレノミア卿に従い、ほかの町と協力して同盟の力になってほしい。それと、まずは俺が壊してしまった城壁の修理を頼みたい」
「なんと! 昨夜、城壁が壊れたのは、スフィールト侯がなされたことなのですか?」
どうやら多くの人にとって、昨夜のあれは天変地異ってことになっているようだった。
キルダ王国の騎兵たちは訓練が行き届いていて、とても迅速に行動してくれた。
だからその姿を見た者はそれほど多くはなかったのかもしれなかった。
「ああ。悪いけれど、さすがに同盟から離脱するとか、ほかの町に呼び掛けて分裂を図るとか、そんなことを許すわけにはいかないからな。さっさと彼に退場してもらうには、それが手っ取り早かったんだ」
城壁の修復にはそれなりの労力と資金が必要かもしれないが、ぺルティア都市同盟が分裂し、内乱状態になることを考えたら、その損害とは比較にならないだろう。
「承知いたしました。まずは応急処置を。そして城壁には古くなった箇所もありましたから、他と合わせて修繕いたします」
白い髭を生やした老官吏が、恭しい態度で俺に答えた。
どうやらあまり事を大きくしないでくれようとしているようで、俺としては有り難かった。
「ハルト様。お見事でした」
帰り道でクーメルが珍しく俺を褒めてくれた。
「ああ。クーメルの考えてくれたとおりに進んだからな」
今回も基本線は彼の立てた筋書きどおりだったのだ。
俺がやったのは魔法で城壁を破壊したことと、警備の兵を眠らせたことくらいだろう。
「そういうことではありません」
だが、クーメルは涼やかな目で俺を見て、ゆっくりと首を振った。
「ハルト様の裁定はお見事でした。あの場であの書類を吟味し、バルナラーバと通じていた者を処罰すれば、ブレノミア卿の恨みは晴らせたかもしれません。しかし新たな混乱を招き、あたら有能な者を失うことにもなったでしょう」
「そうか?」
俺にはキルダ王国の兵を率いていて、さっさと事態を収拾する必要があったし、そもそも共同統領の責務をフィロメに丸投げして自分はさっさと隣国へ行ってしまったって負い目もある。
そして何よりハルト一世だったらどうするだろうってことが頭にあったのだ。
「クーメルがそう言ってくれるなら、良かったんだろうな」
俺はそう答えながら、彼が敵対した者の罪を問わず、大度量をもって許したっていう話を思い出したのだ。
そして彼の大宰相となるクーメルも褒めてくれたから、彼も同じだろうって思うことができた。
俺は以前いた一千年後の世界で「大帝ハルト一世と大宰相クーメルは流れる雲と吹く風の如く、その考えを同じくした」と聞いた覚えがあったのだ。
【ハルト一世本紀 第十二章の六】
大帝は寛広にしてよく人を許された。
「人は過ちを犯すものである。それを咎めてばかりいては力を貸してくれる者はいなくなるであろう。自らの過ちこそ戒めるべきで、臣下の過ちは民に害を及ぼさぬかぎり目くじらを立てるべきではない」
大宰相や大将軍と話す中で、大帝はよくそうおっしゃった。
実際にとある町で大帝に反旗を翻す者が出た時、彼はその町を僅かな兵をもって雷の如き速さで急襲し、鎮圧したことがあった。
「反乱者に与した者の書簡はすべて確保してございます。陛下のご裁可をお待ちいたします」
乱が鎮まった時、その町を治めていた者がそう言上したが、大帝はその言を容れられなかった。
「乱を起こした者は、その威勢は強く、人々は大いにそれに惑わされたと聞いている。今、一時の心の迷いをもってそれを罪としては、その罰は重きに過ぎることになるであろう」
そうおっしゃって差し出された書簡をすべて、その場で焼き捨てられた。
このことを知って後、人々は大帝の徳の大きさを知り、町は善く治まった。




