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第百十ニ話 バルナラーバの逃亡

 シェルブランの町を出発した俺たちは街道を北上し、キルダ王国を目指した。

 当然、フィロメも同行している。


「最終的にはキルダ王国との国境に近いケムリックの町に共同統領の政庁を置こうと考えています。ハルト様との連絡が取りやすいですから」


「分かった。フィロメのやり易いようにしてくれ」


 俺がそう答えると彼女は「責任重大ですね」なんて言いながら、官吏たちにてきぱきと指示を出し、ケムリックへの移動の準備を整えてくれた。


「思っていたより大変なんだな」


 俺に従う官吏たちもそれなりの数になりそうだと知って、そう感想を漏らしたのだが、


「大したことはありません。共同統領が担うのは主に外交と軍事だけですから。そもそも都市同盟では各都市の自治権が強いのです」


 そう言って彼女は平気な顔だ。

 彼女に言わせれば、共同統領が交代するたびに繰り返されていることなのだから、当たり前だってことらしい。


「私たちはゆっくりとケムリックへ参りましょう。ハルト様をお迎えする準備は先行して整えさせておきます」


 そう言って彼女は慌ただしく官吏たちに指示を出してくれた。

 彼女がいなかったらこうはいかなかったに違いない。


 やはりハルト一世の人を見る目は確かなのだなと、七功臣の一人に間違いないであろう彼女の姿に俺は感心する思いだった。


「じゃあ、この国でもやっぱり学校を開設していくか。でもそれって越権行為にならないか?」


 官吏たちの移動やケムリックでの受け入れに時間が掛かるというのなら、その間に俺にできることはそのくらいしかないなと思った。

 でも、共同統領の権限は外交と軍事のみだってことなら、教育については手を出すべきではないのかもしれなかった。


「その程度のこと、どの町からも苦情は出ないでしょう。この地は巡礼たちも多く通りますから、各地に学校が開かれたことは、既にかなりの人が知っていますし」


 彼女はそう言って、学校設立の準備についても、手配してくれた。



「ハルト様はケムリックからエルバネへ向かわれるのですね。私はここで失礼いたします」


 これまで俺と行動をともにしてくれていたプレセラ司祭は、シェルブランの町からリュクサンダールを目指して歩いて出発して行った。


 馬車を用立てますと申し出たのだが、


「いいえ。この先は巡礼の方たちと歩いて参ります。途中には疲れて動けなくなったり、けがをされた方もいるでしょうから、その方たちを癒してさしあげたいのです」


 彼女の決意は固そうで、それからすぐに町を発ってしまった。



「ハルト様。クーメル殿の方はいかがいたしましょうか?」


 謹厳なダニエラが心配してくれたが、たしかに俺は先日、ぺルティア都市同盟まで来てほしいと彼に伝えてもらっていた。


「ええと。もういいかな。クーメルには申し訳ないけれど、何とかなりそうだって伝えてくれないか?」


 フィロメがいなかったら、それこそ彼に混乱を収拾してもらうしかなかったかもしれない。

 でも、キルダ王国へ向かう目途がついた今、彼にわざわざこんな遠方まで出て来てもらう必要はない気がした。


「承知しました。再度、スフィールトに伝令を出し、その旨をお伝えするようにします」


 ダニエラによれば、以前派遣した伝令からそこまで時間は経っていないから、クーメルの出立には間に合うのではないかということだった。



 そうした様々な手配に時を過ごしながら、俺たちはそれでもシェルブランからケーレスへ、そしてイナルガの町へと向かった。


「この町にも魔法学校を開いて行こうと思うんだ」


 俺はイレーネとそんな話をしていた。


 この町は領主が更迭されて、上層部には多少、俺に対する反感があるかもしれない。

 だから他の町と差別されたとか思われないように、きちんと魔法学校を開設しておいた方がいいかななんて思ったのだ。


「ええ。この町にもハルト様の教え子がいることになるのですから。素晴らしいことだと思います」


 俺にはあまりそんな発想はなかったのだが、イレーネはそう言って賛成してくれた。


「そうか。教え子か」


「はい。魔法が使えようになった子どもたちは皆、ハルト様の教え子です。ジャンルーフでは、その教え子に教えを受けて、子どもたちが魔法を使えるようになっていますけれど、その子たちも元をたどればハルト様に教えを受けたようなものですから」


 まだ基礎的な魔法しか伝授していないが、魔法を使えるようになれば、後は訓練によって少しずつ腕が上がっていくはずだ。

 そのための教本も俺は準備していた。


「イレーネの教え子もたくさんいるけどな」


 俺の言葉にイレーネは笑顔を見せて、


「私はハルト様の最初の教え子だと思っていますから。それが私の自慢なのです」


 そんな風に答えてくれた。



「ハルト様。申し訳ありません」


 フィロメがそう言ってきたのは、イナルガの町に着いてすぐのことだった。


 俺はまさか彼女に何かあって、故郷であるこの町から動けなくなったとか、そういった事態を想像してしまった。


 今、彼女に去られたら、それこそクーメルでも呼ぶしかなくなってしまう。


「どうしたんだ? まさかフィロメ。あなたの体調が思わしくないとか?」


 それが俺が最も危惧していたことだったのだが、彼女は俺の言葉に一瞬、きょとんとした顔をした。


「いえ。そんな程度のことではありません。実は軟禁下にあった前領主のバルナラーバが逃亡したのです。一昨日の事のようです」


 俺自身はすっかり忘れていたのだが、彼は軟禁先の領主の別邸を、何者かの手引きによって抜け出したらしかった。


「すぐに捜索に掛かりましたが、手掛かりは得られていません」


 彼はつい先日までこの町の領主だったのだし、町には彼の協力者がいくらでもいるだろう。

 下手をすれば別邸を警備していた兵士だって怪しいものだと思う。


「まあ、いいや。現領主が同盟から脱退するとか言い出したわけじゃないんだろう?」


「それはそうですが。捨て置いては将来に禍根を残すことになりますから」


 バルナラーバの後任は、親族とはいえ彼とは疎遠だった姪の婿が立っていて、フィロメによればその権力基盤は盤石とは言えないらしい。


「じゃあ、任せるよ。同盟内の各町にも手配をするんだろう? 簡単には逃げおおせられないんじゃないか?」


 彼の評議会での発言は危険なものだったが、果たして領主の地位を追われねばならないほどのことを仕出かしたのかと言われると、元現代日本人の俺の感覚からすると疑問が残る。


 もう少し時間を掛けて説得する道もあったのではないかとも思うのだ。


「はい。そちらは既に手配済です」


 フィロメの手際の良さはさすがだなって俺は感心してしまい、元からあまり関心のなかったことも相まって、俺はバルナラーバが逃亡したことは頭の片隅に追いやってしまった。



「ちょっと中途半端な気がするけど、一応の基礎は教えられたと思うから、ケムリックへ向かおうか」


 バルナラーバが逃亡したことで、イナルガの町の初等魔法学校での俺の魔法の授業は、厳戒態勢の中で行われることになってしまった。


 さらには、この先の町での学校設立も棚上げになってしまい、俺たちは一気にケムリックの町へ行くことになった。


「さすがにケムリックに奴が潜伏したとは思えません。つい先日まで対立していた町ですから住民の目も厳しいでしょうし」


 俺はパラスフィル公国の首都アイヴィクに公弟派のコラリウスがいた例もあるから、大丈夫かなって気もしたのだが、他らなぬフィロメが言うのならそうなのかもしれなかった。


「ケムリックでは、俺はどのくらい滞在する必要がある?」


 ハフランの町でアンジェリアナ女王からの使者であるヴァンサンドル卿に会ってから、もう半年以上が経っている。

 さすがに宰相就任が反故になるとは思わないが、女王陛下の思し召しを軽んじていると思われないか気に掛かる。


「ざっとひと月はいただきたいと思います」


「えっ。そんなにか?」


 俺が大きな声を上げると、フィロメが困惑した顔を見せた。


「では、せめて二十日ほどいただけないでしょうか。政庁の準備は先遣した者たちが整えているはずですが、領主との会談や閲兵、今後の打ち合わせなどは欠かせませんから」


 これまで散々、そんなことを繰り返してきた気がするが、逆に言えばケムリックの町だけ、それ無しで済ますってわけにもいかないのだろう。

 特にこれからフィロメが滞在する、ある意味ぺルティア都市同盟での根拠地になるのだし。


「それから、以前お命じいただいた例の件。あの報告も各地から集めておりますので。今のところ捗々(はかばか)しい成果が得られてはいませんが」


 俺に近侍していたダニエラの眉がぴくりと動き、俺は何となく彼に呆れられているような気がした。


 いや、彼はシュルトナーたちとは違うから、そんなことはないのかも知れないが、フィロメが言った「例の件」が何を意味しているのかは分かっているような気がする。


「そ、そうか。それは残念だな。引き続き調査を続けてもらって、分かればすぐに俺に連絡してくれればいいから」


 彼女の能力を以てしても、行方が掴めないというのなら、このぺルティア都市同盟にもハルト一世はいないのかもしれなかった。





【ハルト一世本紀 第五章のニ十五】


 枢密使は大帝の付託に良く応え、ぺルティア地方の民は、その治世を楽しんだ。


 だが、たまたまイナルガの町で小さな騒擾があり、枢密使はそれを大帝に陳謝した。


「陛下のご宸襟を騒がせましたこと、誠に申し訳なく、申し開きの言葉もございません」


 しきりと恐縮する様子を見せる枢密使に、大帝は鷹揚にお声を掛けられた。


「そのようなことで、わざわざ申し開きなど不要である。そなたさえ無事であれば、この地は治まることは分かっているのだから」


 自身に対する大帝の信頼を知り、君恩の有り難さに枢密使は滂沱(ぼうだ)の涙を流した。


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