第十話 妖魔の森
「ここが呪われた『妖魔の森』か。たしかに静かだな」
「私もこれほど森の奥まで来たのは初めてです。町の住民もまずここまでは来ますまい」
人気のない森の中を俺たち四人は進んで行く。
シュルトナーが俺に答えたとおり、迷い込みでもしなければこの辺りまで町の人間が立ち入ることはないのだろう。
「いや。でもこれは人が通った跡じゃないか。けもの道なのかね?」
「おそらくエルフたちが通っているのでしょう。途中で行き止まりのような場所もありましたし」
アンクレードとクーメルもそんな話をしていた。
歩いている俺たちの足下には、何となく獣道のように下草の少ない場所が続いていた。
エルフたちがこの森を見回っているからなのかもしれなかった。
そしてクーメルが言ったように俺たちがたどって来たスフィールトの町から森へと続く道は、荊棘の林に行く手を阻まれ、通行できなくなっていた。
「確かにハルト様の魔法がなかったら、あそこを抜けるのは至難の業でしたでしょうからな」
アンクレードが俺を見て言うが、魔法なしであの荊棘の林を抜けるのはきついかもしれない。
「その論ですと帰りもハルト様がいないと通れませんからな。気楽に入るべきではなかったですか」
シュルトナーが気味が悪そうにそう口にした。
あの荊棘の林には明らかに魔法が掛かっていた。
「後はエルフに会って魔法を解除してもらうかだな」
俺が魔法防御を掛けた俺たちの周りだけは、荊棘が消え去って通れるようになったのだ。
おそらくエルフたちの魔法で作られた荊棘の障壁を抜けるには、彼ら以上の魔力を必要とするのだろう。
「しかし魔法であれが消し去れると、よくお気づきになりましたな」
アンクレードがまた感心してくれているようだが、荊棘の中へと道が続いているのは見れば分かった。
痛いのは嫌だからと、俺はとりあえず魔法防御を使ってみた。
そうしたら荊棘がそれを避けるように消え去っただけだから、たまたまなのだ。あまり誉められても面映ゆい。
「かなり来ましたな。これ以上進むと日のあるうちに帰れないかもしれません。この辺りが限界だと思います」
シュルトナーがそう言った時だった。
「この森に人間が入ることは許されません。すぐに立ち去りなさい。お前たちはもう、自分たちの罪を忘れてしまったのですか?」
俺たちの耳に、そんな声が聞こえてきた。
「おい。いったいどこから聞こえるんだ?」
アンクレードが慌てて周りを見回すが、当然、どこにも気配は感じられない。
(早速、来たか。じゃあ、こちらからも……)
俺がそう考えている間に、アンクレードが大きな声を出す。
「俺たちはあんたたちと交渉したいと思って、ここまでやって来たんだ!」
その大声は森に空しく響き、返って来たのは鳥の鳴き声くらいだった。
「アンクレード。無駄ですよ。彼らはこの近くにはいませんから」
クーメルが冷静に彼を諭すが、その通りだ。
彼らは風の力を利用して、かなりの遠距離から声を届けているのだろう。
鋭敏な聴覚を持つ彼らでも、アンクレードの声が聞こえた可能性は低いと思われた。
「エルフよ。俺たちはあなたたちと交渉したい。もう森を荒らすことはしないから、どうか話し合いに応じてほしい」
今度は俺が、アンクレードのような大声ではないが、同じように声を出す。
「いや。ハルト様。彼らはこの近くにはいないって……」
彼は苦笑するような顔で俺にそう言ったが、俺は彼と同じことをした訳ではなかった。
俺はエルフに魔法通信で話し掛けたのだ。
「ハルト様は魔法でエルフたちと話されているのです」
クーメルはさすがに分かったようだ。
魔法なのだから口に出す必要はないのだが、それでは三人には分からないだろうと思って、敢えて発声したのだ。
(これは、この感覚は何百年ぶりか。あなたはいったい何者です? いや、人間はまた、魔法を使うようになったのですか?)
エルフは今度は魔法通信で俺に話し掛けてきたので、俺は彼に向かって。
「済まないが、ここにいる者の中で、俺以外は魔法を使えないんだ。あなたからは、風の力で声を届けてくれないか?」
エルフ側も魔法通信を使ってくるとなると、俺にしか聞こえないから、いちいちクーメルたちに俺が伝える必要がある。
それはいかにも面倒だった。
「分かりました。ですが、あなたは魔法を使うことができる。私たちの扱う魔法を遥かに凌駕する、あの怖しい力を……。そうなのですね?」
エルフの声に、恐れの感情が垣間見える気がした。
「あなたたちの気高さと、森を大切に思う気持ちは理解しているつもりです。この町の住民も少なくなりましたから、もう、森を荒らしたりせずとも暮らしていけるはずです。ですから街道の周辺だけでも、結界から外してもらえませんか?」
俺の呼び掛けに、再びエルフの声が答えてきたが、それは意外なものだった。
「私たちの結界は、人間の町を含めた、この周辺を守るためのもの。その問題が解決されなければ、結界を解く訳にはいきません」
エルフの「そちらへ伺い、詳しくお話しいたしましょう」という声が聞こえ、しばらく待っていると、二人のエルフが姿を見せた。
一人は俺と同じくらいの身長の男性で、どうやら先ほどまで俺と会話していたのは彼のように思われた。
もう一人は彼より少し小柄な女性のエルフだった。
二人とも輝くような金色の髪に、宝石のような深緑色の瞳が印象的だ。
整った顔からは、人より明らかに長い耳が伸びており、彼らがエルフであることは明らかだった。
「私はフィアレナール。ここの仲間たちを束ねている者です。そして、彼女はエーレラフィル。実際に結界を維持している巫女たちの長です」
俺たちもそれぞれ名乗って、エルフとの話し合いが始まった。
「あなたたちは人間が森を荒らしたことで、結界を築かれ、森を閉ざされたのではなかったのですか?」
まずはクーメルがフィアレナールに疑問を向けた。
「人間たちの間では、そういうことになっているのですね。あれからかなりの年月が経ちましたから、それも仕方がないのかもしれません」
フィアレナールが嘆息するように言うと、エーレラフィルがそれを引き取って口を開いた。
「正確には、人間が『水晶の迷宮』に足を踏み入れ、眠っていたベヒモスを起こしてしまったからなのです。ベヒモスを迷宮の外へ出さないよう、私たちは結界を維持しているのです」
「こちら側では、あんたたちが森を荒らされたのに怒って、結界を張って人間を森から追い出したことになっているぜ」
アンクレードの言葉にも、二人は怒りを見せることはなかった。
「人間の中にも、色々な方がいることは理解しています。水晶の迷宮に何を求めたのか入り込み、そこで眠っていた恐ろしいベヒモスを目覚めさせてしまった。そんなことを、正直には伝えられない者もいることでしょう」
エーレラフィルはしっかりと俺たちの目を見て、そう語った。
こちらのあやふやな言い伝えと、どちらが真実かは考えるまでもない気がする。
「朝に夕に、彼女を中心とした巫女たちが祈りを捧げ、森の結界を維持することで、ベヒモスが水晶の迷宮から出て来ないように、人が危険な迷宮に近づかないように努めているのです」
そこまで言ったところで、フィアレナールは、その事に気づいたようだった。
「魔法使い。あなたなら、あの恐ろしいベヒモスを倒せるのではありませんか?」
「えっ。俺のこと? いや、俺は……」
皆の視線が集まる中、「魔法については最底辺だから」と言いかけて、俺はこの世界では自分が強力な魔法を操る魔法使いであることを、改めて思い出したのだった。
【魔法帝国地理誌 北狄伝】
帝国の北方、ビュトリス地方とジャンルーフ地方の間には、エルフ族が棲まう森がある。
彼らは概ね帝国と友好関係を保ち、少ないながらも近隣の町と交易を行い、穏やかに暮らしている。
彼らは耳が長く尖っていることを除けば、人とそれほど変わらないが、容姿も美しく、自らの文化に誇りを持っている。
ややもすると、人を見下すこともあったと伝えられる彼らが、帝国の統治に不満なく服しているのは、ハルト一世が彼らの安寧に心を砕いたためであるとされる。
「大帝は勇敢に我々との共通の敵に立ち向かわれ、見事にそれを打ち倒された。そして何の報酬も求めなかった」
彼らの間で、ハルト一世の行いはそう伝えられ、讃えられている。
おそらくは混入した別の伝承が、ハルト一世の事績とされたものであろうが、エルフ族の中でさえ、彼が尊崇を受けていることは驚くべきことである。




