第百五話 キルダ王国の誘い
「私はアンジェリアナ女王の使いでエルバネから参りましたヴァンサンドルと申します。以後、お見知りおきを」
キルダ王国からの使者は、あくまでも慇懃な態度で俺に挨拶をしてきた。
「はじめまして、ヴァンサンドル卿。今日はどういったご用向きですか?」
俺は今はパラスフィル公国内で魔法担当の宰相として過ごしているが、本来はジャンルーフ王国の宰相なのだ。
キルダ王国から使者が来たとなると、通商だとか同盟だとかそういった政治的な判断を求められるのかもしれない。
そう危惧していた。
「アンジェリアナ陛下はスフィールト卿がジャンルーフだけでなくパラスフィル公国でも宰相に就任されたと聞いてとても残念に思っておられます」
彼の話の冒頭はどうも雲行きの怪しく感じられるものだった。
アンジェリアナ女王は俺の宰相就任に異議を唱えるのかと思われたからだ。
「残念……とは、どういったことでしょうか?」
俺は懸念が顔に出ていたのだろう。
ヴァンサンドル卿は少しだけだが笑顔を見せた。
「いえ。陛下はご自分の方が先にスフィールト卿を勧誘したのに、パラスフィルの大公に先を越されたと、そう思われているのです」
どうやら俺が両国の宰相になったことを咎めようということではなさそうだが、俺にはキルダ王国がわざわざ使者を寄越した意図が分からなかった。
「たしかにアンジェリアナ女王には仕えないかとお誘いいただきましたが、あの時は旅を続けておりましたので」
俺はそう言って無難に話を済まそうとした。
先にと言うことであれば、俺はハルファタでシグスデアル七世陛下から王軍に誘われている。
でも、ビュトリス王国やクルクレーラ王国では爵位こそ贈られたものの、王宮のお役や領地を賜ることはなかったから、キルダ王国が俺に示してくれた好意は格別だったと言えるのかもしれなかった。
「それはもちろん分かっております。ですが、今は事情が変わったと、そういうことなのですね?」
相変わらずその顔に微笑みを浮かべながら、彼は俺の回答に理解を示してくれた。
そう思ったのだが、
「ですから今なら、アンジェリアナ陛下の勧誘に応じていただけるのではないかと、私がまかり越した次第です」
「えっと。私はジャンルーフ王国の宰相で、今はこの国で学校の設立に動いているのですが」
その俺を勧誘するって無理があるんじゃないかと思うのだ。
クーメルたちは俺の領地であるスフィールトにいるし、今やっている学校の設立だって途中で投げ出したりしたくない。
「もちろん存じ上げております」
彼は笑みを湛えたまま、ゆっくりとした動きで懐から紙を丸めて筒状にした物を取り出し、それに施されていた封を切った。
「ハルト・フォン・スフィールト侯爵を王国の宰相に任じます。陛下は閣下に期待されておられますよ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
いきなり何を言い出すんだって思いで、俺は彼に呼び掛けた。
「私を王国の宰相って、キルダ王国の宰相ってことですか?」
「そのとおりです」
当然だって顔で答えられても困るのだ。
「何か問題でも?」
挙げ句にヴァンサンドル卿は、逆に俺に尋ねてくる始末だ。
問題ばかりでしょうって言いたいところだったが、俺の頭に浮かんだのは、かなり細かいことだった。
「問題って、その。今の宰相の方はどうなるのです?」
ジャンルーフでは宰相であったジンマーカスが国王に即位して宰相には誰が就任したか知らないが、彼が敗死したことで自然とポストが空いてしまった。
そして、ここパラスフィルでは、俺はあくまで『魔法と教育を司る』宰相なのだ。
俺はわざわざ今の宰相を罷免したりすることで、キルダ王国内で反感を買ったりしたくはなかった。
「宰相はおりません。アンジェリアナ陛下が親政を行っておられますから、宰相は空席となっているのです。陛下はスフィールト卿にその権限の一部を担っていただきたいと考えておられるのです」
だが、ヴァンサンドル卿はまたにっこりと笑うと、俺にそう告げた。
それなら別に……なんて訳にはいかないのだ。
「もちろん我が国においでいただくのは、パラスフィル公国でのご用がお済みになってからで結構です。もともと我が国は公国とは長い間友好関係を保っております。両国で宰相に就任いただいても問題はないかと」
いや、大問題でしょうとは思うのだが、そう断言されてしまうと、俺なんかの頭では反論も難しい。
狼狽える俺に対して、ヴァンサンドル卿は落ち着き払っていて、それだけでも勝負ありって気がするのだ。
(こんなことならクーメルを連れてくるのだった)
俺はそう考えて臍を噛む思いだった。
彼がいれば俺は「どうしたらいい」って聞くだけで、最良の選択ができるのだ。
彼はハルト一世の大宰相なのだから。
「ハルト様。お受けになられても問題はないと思います」
突然、これまで俺の隣で静かにしていたイレーネが、そう言って俺の顔を見てきた。
どうやら困り果てた俺を見かねて、救いの手を差し伸べてくれたらしい。
「クーメルさんが私たちについて来なかったのは、ハルト様のお考えのとおりにされて良いと考えられたからではありませんか? ハルト様が窮地に陥るような状況を、クーメルさんが見過ごすとは思えませんし」
言われてみればそのとおりだなって気もするが、如何に大宰相クーメルとはいえ、ここまでのことを予測し得るものなのだろうか?
そんな疑念が当然生じたが、俺は思い直した。
(『大宰相クーメルはその本拠に居ながらにして敵を手玉に取り、相手の策を看破って、それをまた逆手に取る』だったかな?)
俺はクーメルの偉大さを表す歴史書の記述を思い出していた。
それが真実がどうかは千年も前のことなので知る由もないが、そう伝えられていることは事実なのだ。
「分かりました。では、パラスフィル公国での学校の設立がひと通り済んだら、キルダ王国へ参ります」
俺の返事にヴァンサンドル卿はこれまで浮かべていた笑みとは違った安堵の表情を見せた。
「助かります。必ずスフィールト侯をお連れするようにとの厳命でしたから。もしご同行いただけないのなら、亡命しようかと考えておりました」
こちらはさすがに冗談だと思うが、卿はそんなことを言ってきた。
まあ、彼も無事に故国へ帰れると言うのなら、間違った判断ではないのだろう。
その日の晩、俺は皆で夕食のテーブルを囲みながら、キルダ王国のアンジェリアナ女王の申し出について話してみた。
「どの国も疑心暗鬼なのですね。嘆かわしいことです」
プレセラ司祭はそう言って顔をしかめた。
「司祭様はそうおっしゃいますが、私たちには民の安全を守る責務がありますから」
コラリウスがそう答えても、司祭は納得していないようだった。
「ハルト様は聖騎士に任じられようというお方。すべてを教会とハルト様にお任せすれば良いのです。それをお互いに争って……」
「スフィールト侯は聖騎士に任じられているのですか?」
コラリウスがかなり大きな声を出して俺たちを驚かせた。
「ご存知なかったのですか?」
プレセラ司祭の方が意外だって顔をしたが、俺はまず念の為、訂正をしておいた。
「いえ。まだ見習いです。俺は『聖騎士見習い』に過ぎませんから」
そう言ってもコラリウスはまだ興奮冷めやらぬって様子だった。
「聖騎士とは、いったいどんな奇跡を起こされたのです?」
だからまだ『見習い』だってのは、聞いてもらえなさそうだった。
「それは……」
リュクサンダールで見聞きしたこと、特に『炎のオベリスク』での出来事は口外してはいけないことになっているのだ。
そうなると俺が起こしたと認められた奇跡についてなんて話すわけにはいかない。
それが俺が『聖騎士見習い』に任じられたことを知る者がほとんどいない理由なのだが。
「ハルト様の起こされた奇跡は総大主教に、主教庁に正しく認められたものです。疑ってはなりません」
プレセラ司祭はそう告げて、俺の起こした奇跡の内容には触れなかった。
この芸当は彼女だから許されることで、俺ならもう一度尋ねられるだけだろう。
「さようですか。もちろん疑うわけではありません。私たちはこれまでスフィールト侯の起こされた奇跡について、いくらでも見聞きしていますから。かく言う私もその一人です」
コラリウスはそんなに俺が魔法を使うところを見ていたわけではないと思うのだが、彼はそう言ってプレセラと争うことは避けたようだった。
「まあいいや。とにかく司祭の言うとおり、俺は『聖騎士見習い』を名乗る許しを得たんだ。でも、それってそんな大したことなのか?」
俺がこの世界の前に十五年を過ごした千年後の世界は、今いる世界とは比較にならないほど魔法至上主義の世界だった。
だから教会の力はこの世界ほどではなく、俺には『聖騎士』の持つ価値が今一つ分からない。
たしかにこの時代には教会はもっと身近で、人々は敬虔だったと歴史の授業で習った記憶があるし、実際に両親や兄弟は頻繁に教会を訪れていた。
現代日本や千年後の世界の記憶がある俺は、そこまでではなかったが。
「何をおっしゃっておられるのです。聖騎士と言えば神のお遣わしになった教会の守護者。信徒たちの先頭に立って、それを導かれる方ではないですか」
信徒たちの先頭に立つのは総大主教なんじゃないかと思ったが、その辺りの解釈は色々らしい。
まあ、この世界ではかなりのステータスになるようだった。
【ハルト一世本紀 第五章の十八】
婚礼を終えた大帝が皇妃とパラスフィル地方に遊ぶと、キルダを治める者が使者を送ってきた。
「今、貴き陛下のお姿がジャンルーフから近づくのを見て、民は陛下のご来臨を心待ちにしています。どうかキルダヘお運びください」
大帝は珍しく躊躇されたが、皇妃はキルダへ行くことを勧められた。
「ジャンルーフには大宰相と国公がいます。キルダヘ向かうことを迷われるべきではないでしょう」
彼女の勧めに大帝は頷かれ、キルダへと赴かれることになった。




