第百四話 パラスフィル公国で
パラスフィル公国での学校の設立は順調に進んでいた。
各地の領主も協力的だし、コラリウスがティスモス大公に進言して、俺が向かう前に学校用の建物や備品を用意するようお触れを出してくれたのだ。
しかも準備が整った町では子どもたちを集め、先に読み書きや算術を教え始めてくれていた。
「これは盲点だったな。まずは魔法の学校をって考えていたからな」
俺自身は魔法だけではなく、読み書きや算術も学校で教えたいと考えていたのだが、やはり前の世界の、魔法至上主義の影響を色濃く受けていたのかもしれない。
それに最初の頃はジャンルーフ王国内に俺が命令を出すって、かなり抵抗感があったのも事実だ。
「魔法を教えられるのはハルト様だけでしたから。でも、たしかに有り難いですね」
今はイレーネも魔法を教えられる、と言うよりも使って見せることができるから、そう言う意味ではより効率的に学校が運営できる。
「あとはハルト様のお書きになった教本ですね。これがあれば私はいなくてもいい気がします」
「いや。そんなことはないから」
イレーネは俺の教本のことをとても評価してくれるが、魔法を習得する上で最も重要なのは、まず、魔法をその目で見て、自分も使うことができるって信じることなのだ。
そのことは俺自身が前の世界で身に染みて感じていることだ。
「俺だけでなくイレーネが魔法を使うところを見れば、男の子も女の子も誰もが魔法を使えるって思えるじゃないか」
七、八歳くらいの子どもたちでも、男女の別を気にする子は気にするし、それ以前に自分は使えないんじゃないかっていう疑いを一欠けらも持たないためには、例外なく誰もが使えるってことを目の当たりにする以上のことはないのだ。
「ジャンルーフ王国こそ、もう俺はいらないな。子どもたちの間で魔法が使えることを自律的に教え合えるようになっているから」
魔法が使えるようになる年齢に達していない子どもたちも、七、八歳くらいのお兄ちゃんやお姉ちゃんが魔法を使う姿を見て、自分も使ってみたい、使えるはずだって思うことができるのだ。
そうして考えてみると、古代魔法帝国時代には魔法を使えるのは貴族階級だけだったというのも分かる気がする。
(帝国の支配のために、魔法は厳重に秘匿され、平民が魔法を使うことは禁じられていたらしいからな)
俺はハルト一世の最大の功績と言われる『魔法の復興』。特にその中でも魔法のすべての人への開放についての歴史の授業を思い出していた。
「あの子どもたちが大きくなるころには、きっと誰もが同じように魔法を使える世の中になるのでしょうね」
イレーネはそう言って嬉しそうだが、千年後の世界を経験している俺は、そこまで楽観的にはなれなかった。
「ああ。誰でも魔法は使えるようになる。便利な世の中になるな」
そう答えながら、だがそこには厳然とした格差が存在していたことを俺は知っている。
たしかに魔法を使うことは誰だってできた。俺のようなごく一部の例外を除いて。
だが、殊に高度な呪文を必要とする魔法となると、誰もが自在に扱えたとはとても言えないのだ。
「早くそうなるといいですね。これも皆、ハルト様のお力です」
イレーネの優しい笑みに、俺はすぐにその懸念を打ち消したが、自分のしていることが果たして正しいことなのかという疑念は心の底に残る気がした。
「ここの浜辺も美しいですね。エメラルド・グリーンと言うのでしょうか?」
「お褒めに預かり光栄です。ぜひゆっくりご滞在ください」
パルヤの町でとりあえず魔法の初歩を教え終えた俺とイレーネは、海岸沿いに走る街道を馬車に揺られ、次の町へ入った。
「ハルト・フォン・スフィールト様が大公閣下の擁立に尽力されたこと、この国では知らぬ者はおりません。しかもこの度は我が国の子どもたちの教育にお力をお貸しいただけるとのこと、私も誠心誠意、務めさせていただきます」
ここトゥルマの町の領主、コヴィルス卿はそう言って最大限の協力を申し出てくれた。
「この町にもあの『レゾフォ川の戦い』に従軍した兵がおりまして。閣下の実力のほどは、町でも語り種になっています。その閣下が我がパラスフィルの宰相となられるのであれば、周辺国も一目置くことでしょう」
あの頃はもうクーメルの助言に従って、派手に魔法を使っていたから当然の結果ではあるのだが、俺の力はここパラスフィル公国ではよく知られているようだ。
俺を宰相に任命したのも、ただ子どもたちの教育のためだけではないということだろう。
「この先はこの教本に従って、魔法の訓練を続けてください。焦りは禁物ですからゆっくりと」
俺がそう言ってこの町での最後の魔法の授業を終えようとすると、子どもたちの内の一人が手を挙げ、質問をしてきた。
「ハルト先生。先生がレゾフォ川で使われたような強力な魔法を僕たちも使うことができるようになるのですか?」
ここまで直接的な質問は初めてだが、それも俺の魔法がこの国の人たちにそれだけのインパクトを与えていたってことだろう。
これまでは「もっと色々な種類の魔法を使うにはどうしたらしいですか?」とか、「魔法の力を強くする方法はありますか?」とか聞かれるのが常だったのだ。
「そうですね。おそらく使えるようになると思います。でも、そのためにはまず、魔力を増やすことが重要です。教本に沿って何度も練習を繰り返すことで魔力を増やすことができますから、まずはそうしてください」
そう教えてから、俺は続けて、
「でも魔法を勝手気ままに使ってはいけません。基本的な魔法を習得したら、次は相手の魔法を打ち消す方法をしっかりと学んでください。それはとても重要なのです」
魔法は便利だが当然、悪事にも使うことができる。
だから、まずはそれを防ぐ方法を皆が学ぶ必要がある。
簡単に防がれると分かっていれば、そうそう悪事に使うことはできないはずだ。
俺がこれまで戦場で思う存分魔法を使うことができたのは、この世界に俺の魔法を防ぐことができる人間がいないからってのが大きいのだ。
「どのくらい練習したら先生みたいに魔法を使うことができるようになりますか?」
今度は別の女の子がそう聞いてきた。
「個人差もありますから難しいですが、皆がある程度は使えるようになるはずです。毎日、練習を続けてください」
そう答えながら、俺は自分の答えに自信が持てなかった。
俺の魔法の実力は、魔法の発達した千年後の世界でもかなりのものだと、いや、異質と言っていいほどのものだと思えたからだ。
(考えてみれば、俺はそれまで魔法が使えなかったから訓練のしようもなかったのに、いきなりあんな強力な魔法が発動したなんて、不思議な話だな)
だからこの世界で子どもたちが訓練をしたからと言って、俺と同程度の魔法が使えるようになるのかは未知数だった。
「では、これで私の授業は終わりです。皆さん、これからも頑張ってください」
俺はそんな不審な気持ちを抱きながらも、この町での魔法の講義を終えた。
「ハルト先生。イレーネ先生。ありがとうございました!」
子どもたちは元気に俺たちにお礼の言葉をくれる。
たったの十日間程度なのだが、それでもお別れしたくないと泣きそうな顔を見せる子もいて、俺は後ろ髪を引かれる思いだった。
その多くがイレーネに向かっての言葉だってのが常なのだが。
「ハルト様は魔法の使えない子どもたちのことを、いつもお気に掛けておられるのですね」
次の町へと向かう馬車で、イレーネが俺に尋ねてきた。
「そうだな。そう言うイレーネだって、同じようにしてくれているじゃないか」
彼女の優しさに救われている子どもたちは多いと思うのだ。
俺の方がどうしても、前の世界の自分を重ねてしまって、見るに堪えないって気持ちになることが多い。
ある程度の年齢になるとほとんど魔法を使うことができないから、さすがに俺も諦めがつくようになってきていたが。
「ええ。私は幸いハルト様と過ごす時間が長かったおかげか、魔法が使えるようになりましたけれど、使えなかったら辛かっただろうなと思いますから」
彼女に俺が「信じることで魔法が使えるようになる」って伝えたことは、実は彼女にかなりのプレッシャーを与えていたのかもしれなかった。
魔法が使えなかったら、まるで俺のことを信じてないってことになりそうだからだ。
アンクレードやクーメルの例を見ても、そう簡単ではないことはよく分かるから、かなり酷な言葉だったのかもしれなかった。
「俺もイレーネが魔法が使うことができたのが、本当に嬉しかったよ」
それも俺が彼女との結婚に踏み切った理由の一つかもしれなかった。
たとえこの後、ハルト一世が現れたとて、彼女は俺のことを信じ続けてくれるのではないか。そう思えたのだ。
歴史から見て、それはただの幻想なのかもしれなかったが、俺はそれに賭けることにしたのだ。
そうして俺たちがいくつかの町で初等魔法学校を開設し、パラスフィル公国の副都ハフランに至った時、コラリウスから思いがけない報告を受けた。
「キルダ王国の使者が、アイヴィクからこちらに向かっているそうです。ハルト様にはここ、ハフランでその使者とお会いいただければと思いますが」
どうしてまたキルダ王国の使者が、パラスフィル公国にいる俺に面会を求めてくるのか理由が分からないのだが、とりあえず会うしかなさそうだった。
俺はクーメルを呼び寄せようかと思ったが、いずれにせよ間に合うとも思えないので、ダニエラがスフィールトへ送っている伝令に託して、使者のことをクーメルたちに伝えてもらうことにした。
【魔法帝国地理誌 パラスフィル地方】(抜粋)
この地方の北西部の海岸線には美しい砂浜が続いている場所が多い。
特にトゥルマの町の近くにあるビーチは見事で、朝夕はエメラルドグリーンに、昼はターコイズブルーに輝く海に、ゆっくりと長い弧を描きながら続く白い砂浜が大変美しい。
それは、この地を訪れたハルト一世とイレーネ皇妃がこの海岸を大そう気に入り、町に長く逗留されたとの伝説があるほどだ。
今もその海岸は、伝説に相応しい美しさで我々を魅了し続けている。




