第百ニ話 華燭の典
「ハルト様、イレーネ様。おめでとうございます」
ビュトリスからもたらされた縁談を断って半年後、俺はスフィールトでイレーネ様との結婚を披露する宴を開いた。
クーメルやアンクレードのほか、ハルファタからのシュテヴァンやオトルフ卿など、招かれた客たちは口々に俺とイレーネ様にお祝いの言葉をくれる。
純白のドレスをお召しになったイレーネ様は輝くばかりに美しく、俺がこれまで持っていた懸念を吹き飛ばしてくれるように思えた。
いや、本当なら彼女のその美貌こそが、俺の懸念が正しかったことを示しているのだろう。
だが俺はもうそのことは考えないことに決めた。
たとえそれによって反逆者と断罪されることがあろうと、自分の想いを通すことにしたのだ。
(ハルト一世は人格者だったらしいから、俺が家臣となればその妻を奪うようなことはされないだろう)
そう目論んだこともある。
彼は暴虐だとか、悪逆非道だとかそういった批判など受けたことのない聖王だったのだ。
だから俺が先にイレーネ様と結婚してしまえば、諦めてくれる。俺はそう信じることに決めた。
「ハルト様?」
そんなことを考えている俺が、ぼうっとしているように見えたのか、イレーネ様が新郎である俺に呼び掛けてきた。
「何でもありません。イレーネ様に、いやイレーネに見惚れてしまっていたんだ」
それはある意味、俺の正直な感想だったのだが、イレーネは少し恥ずかしそうな笑顔を見せてくれた。
宴の会場となった俺の屋敷には、外国からの客の姿もあった。
「ハルト様は各国で爵位を得られていますから、ご結婚を知らせる必要があるでしょう」
シュルトナーのそんな助言に従ったのだ。
ビュトリス王国からはあのサローヴァ伯爵が来ていた。
彼こそ良い面の皮だろう。
「スフィールト侯爵閣下。今日はおめでとうございます」
腹の中でどう思っているかは想像に難くないが、彼は以前見せた笑みを湛え、優雅な所作でそうお祝いを述べてくれた。
キルダ王国からはアンジェリアナ女王の使者が駆けつけてくれた。
「陛下は侯爵のご結婚を心よりお喜びになられています。ジャンルーフの宰相にご就任されたことにも遅ればせながらお祝いを申し上げます」
礼儀正しくそうお祝いの言葉をくれた後、俺にだけ聞こえるような声で、
「ですが、陛下はハルト様には是非、我が国で仕官していただきたかったとも申しておりました。宰相としてお迎えすれば良かったと」
そんなことを伝えてきた。
祝いの席だし、話半分に聞いておくしかないだろう。
パラスフィル公国からやって来たティスモス大公の使者はコラリウスだった。
「大公閣下はスフィールト侯から受けたご恩を忘れてはおりません。本日は誠におめでとうございます」
俺をあの地の争いに巻き込んだのは彼なのだが、ヨスランからティスモスへと代替わりをした後も、彼はあの国で重きをなしているようだった。
そして聖都リュクサンダールからはシスター・プレセラがやって来てくれた。
いや、彼女は癒しの力を評価されて、司祭の位を得ていたからプレセラ司祭というのが適切だろう。
「ハルト様、イレーネ様。お久しぶりです。今日はおめでとうございます。お二人に神の祝福がありますように」
まだ若いから、教会内での位としてはそこまでではないのかもしれないが、聖女と呼ばれる彼女に祈ってもらえると霊験あらたかって気がする。
「ありがとうございます。プレセラ様はお忙しいでしょうに、わざわざお出でいただいて」
イレーネ様が丁寧にお礼を言ってくれると、プレセラ司祭は俺の方を見て、
「いいえ。ハルト様は私に神のご意思を伝えてくれた方ですから。その方の慶事にお伺いできて神の恵みに感謝しています」
そんなことを言ってくださった。
俺は別に彼女に神の意思を伝えたわけではない。ただ、魔法の使い方を教授しただけだ。
でも癒しの魔法が何度も使えるようになったことは、彼女にとってそのくらい意味のあることだったのだろう。
「最愛の息子よ。家訓を守って、しっかりと約束を果たしたな。私は嬉しいぞ!」
当然、親族たちも宴に列席していた。
中でも父もヴェスティンバルからやって来て、相変わらずよく分からないことを言ってきた。
「ハルト。おめでとう」
こちらもネマーニャさんと結婚したばかりのテーバン兄さんも王都から駆けつけてくれた。
俺がジンマーカスに敗れていたら、ここにいるこの世界の家族たちも唯では済まなかったと思うと、危険な橋を渡ったものだと思う。
「イレーネさん。ハルトをよろしくお願いしますね」
母はそう言って優しくイレーネに微笑み掛けてくれた。
俺に「イレーネさんを大切になさい」と言った時は厳しい表情だと思ったくらいだから、彼女にもイレーネの方が俺より数段しっかりしていることは分かっているのかもしれなかった。
「イレーネや。おめでとう。本当に良かったな」
ファーフレント卿も俺の親族に交じってにこにこと嬉しそうな笑顔を見せてくれていた。
「ハルト様が我が町、ラマティアにいらして五年ですか。感慨深いですな。今後もイレーネをよろしくお願いしますぞ」
「はい。必ず……」
そう言われてみれば確かにあれから五年の歳月が流れていた。
その間、俺はずっとハルト一世を探してきたのに、彼の消息はいまだに掴めていないのだ。
「必ずイレーネを幸せにします」
ファーフレント卿にそう宣言して、俺は自分の言葉に今後のことに思いを馳せた。
ハルト一世が現れた時、俺はどう対応すればいいのだろうか?
宴も終わり、翌朝、俺は普通に政務に復帰していた。
「ベセマラード卿はティスモス大公の親書を持参されたそうです。お目通りを願っておられますが」
シュルトナーの態度もいつもと変わらない。
イレーネとは五年も婚約していたし、その間ほとんど一緒に過ごしていたから、これまでだって夫婦のようなものだったのだ。
それでも何となく、少なくとも俺は彼女とこれからも一緒に過ごせるのだという安堵の気持ちのようなものを感じていた。
彼女もそうであってくれると良いのだが。
「ご婚礼の翌日に早速で恐縮ではありますが、ティスモス様からの親書をお持ちしています。こちらです」
そう言ってベセマラード卿、あのコラリウスは俺に封蠟を施された手紙を差し出した。
「宛先は俺でいいんだよな?」
「もちろんです」
スタフィーノ公爵も昨日の宴にお呼びしたかったのだが、彼はやはり多くの人の前には出たくないとのことだったので諦めたのだ。
各国の君主たちからの親書の類も、すべて俺に宛てたものになっているのも仕方のないことなのだろう。
「これは、俺にパラスフィル公国に来てほしいってことなのか?」
信書は初めこそ、俺に結婚のお祝いを述べたりと儀礼的なものだったが、読み進めていくうちに俺をかの国に招待すると記されていた。
「ティスモス様はスフィールト侯が各地に学び舎を建て、子どもたちに魔法を教えておられることに大変興味を持たれています。是非、わが国においでいただき、同じように子どもたちを教えていただきたいのです」
そのために俺を呼び寄せるって、どうなんだろうって気がする。
俺は曲がりなりにもこの国の宰相で、それなりに責任のある立場だと思うのだが。
「クーメルはどう思う?」
それでもそう聞けてしまうのが、俺の強みとも言えるだろう。
ジャンルーフ王国の統治に関して言えば、俺なんかは完全にお飾りで、実際の政務はクーメルとシュルトナーがいれば事足りるのだから。
「ハルト様のお気持ち次第かと。以前のようにダニエラをお連れいただき、連絡を絶やさぬようにしていただければ、後のことは憂いのないようにさせていただきますが」
大宰相クーメルにとって、この程度の小国の面倒を見ることくらい片手間にできることだろう。
俺がいようがいまいが憂いなどあるはずもない。
「わが国はジャンルーフに比べて暖かく、海沿いには美しい砂浜もございます。そちらでゆっくり過ごしていただくのも良いかと思うのですが……」
コラリウスはそう言ってさらに俺を誘ってくれた。
この世界には新婚旅行なんて風習はなさそうだが、ティスモス大公の誘いに乗れば、それに近い経験ができそうではある。
「かなり静かにはなりましたが、ジャンルーフではハルト様を狙う者もまだいますからな。それも良いかもしれません」
シュルトナーは反対するかと思ったがそうでもないようだった。
俺はこれまで散々、スフィールトを留守にしてきたから、あまり変わらないってことなのかもしれなかった。
「言われてみれば、俺はもう教師役はできなくなっていたからな。パラスフィル公国でなら、またできるかも」
ハルファタで襲撃を受けて以来、俺は教壇に立つことができなくなっていた。
俺はいいのだが、自分の子どもを暴漢に狙われている先生の下で学ばせたいなんて親はいないのだ。
「わが国はティスモス様の下、安定を取り戻しています。閣下の身の安全は保障いたします」
考えてみればティスモス大公は前大公の息子だ。
そして彼の祖父の遺言どおり、テラレーサ姫と結婚して国を治めているのだ。
ジンマーカス一派や彼に除かれた王族たちのような遺恨を持つ者は少ないのかもしれなかった。
「じゃあ。ちょっとだけ行って来るか。でも、俺は他国の者なのに勝手に動いていいのか? 後、学校の建設費用とかは面倒見てくれるんだよな?」
細かい話なのだが、俺は念の為コラリウスに確認をした。
【ハルト一世本紀 第五章の十六】
大帝と皇妃の華燭の典はシルトにて執り行われた。
「これまで民は多難な時を過ごして来た。今、小安を得たとはいえ、華美な行いは慎んでほしい」
民衆の生活に心を寄せられる大帝と皇妃は、二人してそう望まれたので、後年の帝国の規模を考えれば、それは恐ろしいほど簡素なものであった。
「ここに長年の望みが叶ったのだ。どうして外聞など気にしよう」
より繁縟を求める属吏たちに、大帝は笑っておっしゃった。
それでも各地から人が集い、宴は賑やかなものとなった。
「陛下のご結婚を神も寿ぎましょう」
その中には聖女の姿もあり、彼女は大帝と皇妃にそのように賀を述べた。




