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第百一話 ハルトの求婚

「ビュトリス王国はハルト様を取り込もうとしているのです。あちらこそハルト様の機嫌を損ねることを恐れているでしょう」


 シュルトナーはそんなことを言っていたが、一国が俺を恐れるなんてことがあるのだろうか?


「シュルトナーは大袈裟だな。それなら俺はあそこまで苦労していないし」


 ジンマーカスとの戦いで、俺は直接の戦闘を避けられて、部隊を離れて陽動作戦を行うことで辛くも勝利を収めることができたのだ。


 俺一人でできることなどたかが知れているし、クーメルやアンクレードが敵方にいれば、あのように行ったとは思えない。


 そう言う意味では、彼らを味方に引き入れたのは、俺にしては素晴らしい判断だったと思う。


「大袈裟ではありません。たしかにここまでハルト様は苦労されてきました。ですがそれはハルト様の地位が低かったからです」


 シュルトナーの考えは俺とは違うようで、俺の地位の低さがこれまで物事が上手く運ばなかった原因だと言ってきた。


「これまではハルト様お一人の魔法の力に頼るしかありませんでしたから。王都から大軍勢が押し寄せれば逆にクーメル殿の策によるしかなかったのです。ところが、今やハルト様は実質的なジャンルーフ王国の統治者です」


 俺はそれについては何度も否定しているのだが、彼に言わせれば世間の見方は違うらしい。


「ハルト様はジャンルーフで軍を動員し、戦闘に投じることができるではありませんか。それこそが統治者である証なのです」


 俺はこれまで極力スタフィーノ公爵を立て、勝手なことをしないようにしていた。

 だが、最近はさすがに見切りをつけて爵位の授与やビュトリス王国をはじめとする近隣諸国との外交案件を捌くことにしている。


 軍の動員とその指揮もそのうちのひとつで、俺が判断しているってことなのだろう。


「それなら俺の受けられる提案を持って来ないと。いきなり縁談なんて持って来られても受けられるはずがないし」


 俺はビュトリス王国の思惑を測りかねた。

 俺からすると今回の提案は本当に悪手だと思う。


「ハルト様の受けられる提案とはどのようなものですかな?」


 シュルトナーが聞いてくるが、そんなのは決まっているのだ。


「例えば俺に代わってジャンルーフ王国を治める者を推薦するとかだな」


 俺がそう答えると、シュルトナーが目を大きく見開いた。


「は? ハルト様はなにをおっしゃっておられるのです?」


 そんなに驚かなくてもって思うのだが、どうやら彼には意外だったらしい。

 もう知り合ってかなり長いのに、まだ俺の思いに気がついていなかったのだろうか?


「俺の代わりにこの国を統治する人を出して欲しいって言ったんだ。俺はこの国の統治者になんてなりたくはないからな」


 ハルト一世からこの地方の統治を命ぜられたのなら、全身全霊をもってその職を全うし、彼の信頼に応えるようにするが、彼が現れてもいない段階でこの地方を支配していたら、滅亡確実だって思うのだ。


「シュルトナー。ハルト様は本気ですよ」


 クーメルが顔を出し、俺の気持ちを代弁してくれた。

 彼にはさすがに分かったようだ。


「今はそれで問題ないのですから、良いではありませんか。ビュトリス王国の策謀も無事に切り抜けられましたし」


 クーメルが続けると、シュルトナーはまだ少し憮然とした顔をしていたが、すぐに諦めたように、


「クーメル殿の言うとおりですな。それでも対応だけはしてくださっていますから」


 そんな風に言って俺を見遣った。



「ハルト様。カテリア様とのご結婚をお断りになられたというのは本当ですか?」


 ビュトリスからの使者が去った翌日、イレーネ様は俺にそうお尋ねになった。


「本当です。突然、エフラットから来た使者がそんなことを言い出して困りました」


 嘘を言うわけにもいかないので、俺は素直にそう答えた。

 どうやらアンクレードあたりから、噂を聞いたらしい。


「ハルト様はそれでよろしいのですか?」


 彼女は驚きをその顔に浮かべ、俺にさらに訊いてきた。


「もちろんです。私にはイレーネ様という婚約者がいますから」


 俺は正直に答えたのだが、彼女は一瞬、言葉を失った後、顔を伏せてしまう。


「ハルト様がそう言ってくださるのは嬉しいのですが……。でも、私は考えてしまうのです。私がここにいることで、ハルト様の負担になっているのではないかと……」


「そんなことはありません」


 俺は即座に否定したが、彼女は顔を伏せたまま首を振った。


「ハルト様はお優しいからそう言ってくださいますけれど。父もハルト様に私との婚約のことをお尋ねしましたし、今度はビュトリス王国から王女様とご結婚のお話が。ハルト様には私などより相応しい方がいる。皆がそう思っていると感じるのです」


 どうも彼女には自分のことがよく分かっていないようだった。

 彼女は俺なんかには到底手の届かない皇妃になるべき方なのに。


「そんなことはありません。イレーネ様には私などよりもっと相応しい方がいらっしゃるのではないかと思っていますが」


 俺はいつも考えていることを口にしただけだったのだが、彼女は急に顔を上げると、俺の顔をしっかりと見た。


「まさかハルト様には、こうなることがお分かりだったのですか? いつかクーメルさんが父に言ったように、ご自身がはるかな高みに立たれるということが……」


 彼女の言うとおり、今の俺は不安定ではあるが侯爵にしてジャンルーフ王国の宰相ということになっている。

 普通に考えれば目を見張るほどの立身出世ということになるのだろう。


 元の俺は田舎勲爵士の三男坊に過ぎなかったのだから。


「いえ。今の地位について言えば、私の思っていたものではないのです。私は困惑しているくらいなのです」


 俺の返事にイレーネ様の方が困惑されているようにも見えるが、俺の正直な思いはそうだ。


 俺の本意はハルト一世に仕えることで、この国で偉くなることなんて考えてもみなかったのだから。

 その気なら初めてハルファタを訪れ、ジグスデアル七世陛下に軍に誘われた時に、さっさとそれを受けていれば良かったことになる。


「ハルト様は私には相応しい方がいると初めてお会いした頃からそう言ってくださいました。それは今以上の高みに立たれる自信がおありになったからなのですか? ハルト様と私では住む世界が違うことになると……」


 イレーネ様はちょっと勘違いをしておられるようだった。

 俺が高みに立つからとかではなく、彼女が至尊の御位に即かれる方の隣に立たれるからなのだが。


 でも、住む世界が違うと言えばそのとおりだろう。


「いえ。そうではありません。掛け値なしにイレーネ様の前には私より素晴らしい方が現れるはずなのです」


 彼女は俺のことをこれまでずっと信じてくれていた。それこそ魔法を使うことができるほどに。

 だが、今は俺の言葉が信じられないようだ。


「そのようなこと、あるはずもありません。ハルト様と婚約をした時にもそうお伝えしたはずです。そして、ハルト様には私との約束が重荷になっているのですね? ハルト様からは婚約を解消することはないとおっしゃった、あの時の約束が」


「いいえ。そんなことはありません。それに私から婚約を解消する理由がありませんから」


 本当にそうなのだ。彼女はいつも俺のことを想ってくれていて、それでいて可憐で美しく、アンクレードを筆頭に仲間たちの誰からも好かれている。


 目に涙を浮かべるイレーネ様の姿を見て、俺は自分の本当の気持ちに気がついた。

 このままだと彼女の方から婚約を破棄すると言われてしまいそうだという段になって初めて、彼女を失うことに耐えられないと思ったのだ。


「イレーネ様は私が今の地位も、なにもかもすべてを失ってしまったとしても、それでも俺の側にいてくれますか?」


 俺はそう口にしたが、自分の言葉に恐怖を感じていた。

 俺はこれまでずっと、ハルト一世が現れた時に彼に仕えることができるようにと考えてやってきた。


 それを初めて違えるのだ。


「どんなことがあっても私はハルト様のお側にいます。ハルト様以外の方は考えられません」


 震えがくるかと思うほどの怖れから、だが、イレーネ様の言葉が救ってくれる。


 彼女はもう四年以上も俺と行動をともにしてくれている。

 そしてその間、ずっと俺のことを想ってくれていたのだ。


「イレーネ様のお気持ちは分かりました。私などで本当に良いとおっしゃるのなら、私はイレーネ様と結婚したいと思います。いえ、結婚していただけますか?」


 俺はハルト一世の最愛の皇妃であろう人と結婚することを望んだ。

 これまでこの世界での自分の人生を賭けてやってきたことを、反故にするかもしれない道を択んだのだ。


「……はい。ハルト様……」


 そう言って俺を見詰めてくれる彼女に腕を伸ばしてその身体を引き寄せると、俺はこれまでの想いを込めて強く抱きしめた。





【ハルト一世本紀 第五章の十五】


 世の人々は大帝のこれまでの疾風迅雷の如き御働きによって小安を得、大帝もそれを喜ばれた。


「陛下は時を良くご存知です。今、陛下のお力で世はひとまず静まっています。陛下は家中のことにも心を寄せられるべきです」


 常に兵事に心を砕いてきた大将軍は、兵を休めることのできる今を措いて、慶事に見合う時機はないと奏上した。


「世はまだ治まってはおらず、私事を先にするのは如何なものか」


 大帝は珍しく迷われていたが、国公が諫めて言った。


「陛下の私事は私事にあらず。陛下が家中を(ととの)えられてこそ、世を安寧に導くことができるのです。ビュトリスの例がそれを示しておりましょう」


 彼は皇妃の席が定まらないことで、諸侯が浮足立つことを大帝に説いた。


「国公の言葉に従おう。それは大きな喜びである」


 大帝はそうお答えになり、改めて皇妃の位を定められた。


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