第百話 ハルトの縁談
ビュトリス王、ティエモザ四世の使者は、ソニヤ・フォン・サローヴァと名乗った。
かの国では伯爵として王の側近くに仕えているらしい。
「今日はハルト・フォン・スフィールト宰相閣下に縁談をお持ちしいたしました」
彼はその地位に相応しいゆったりとした様子で、俺に対してそう来意を告げた。
「縁談とはどういうことですか?」
いきなりの申し出に俺は戸惑いを隠せない。
まさか使者の目的がそんな内容だなんて思ってもみなかったからだ。
「閣下はまだご結婚されていないとお聞きしています。そこでできれば我が国から奥方をお迎えいただきたいと、そう考えているのです」
どうやら本当に俺にビュトリス王国から妻を迎えろということらしい。
要は政略結婚を勧めてきたってことだろう。俺も偉くなったものだ。
「いえ。私はたしかに結婚はしていませんが、すでに婚約者がいます。ですから……」
「婚約はあくまで婚約でしょう。より相応しい方がいれば、婚約を解消することなどよくあることではありませんか?」
どうやら貴族の間では、婚約などその程度のものらしい。
たしかに相手の家が没落すれば、家格が合わなくなるし、もっと言えばそもそも財産目当てなら目的が果たせなくなるから、そういった場合には婚約など簡単に破棄されてしまうのだろう。
「いえ。私の婚約者は……」
「ラマティアの領主、ファーフレント男爵のお嬢様ですな。失礼ですが侯爵である閣下とでは釣り合いが取れないかと」
当たり前ではあるが、イレーネ様のことも調査済らしい。
彼女はエフラットを訪れたことがあるし、その時に俺の婚約者だと名乗ってもいるから調べるまでもなかったかもしれない。
「私がお持ちしたのはバシスブルグ侯爵家のご令嬢、テレース様です。家格的にもちょうど釣り合いが取れておりますし、テレース様はバシスブルグの白百合とも呼ばれるお美しい方。年齢こそニ十二歳と閣下より少し年上ですが、閣下に相応しい方だと思いますが」
澱みなくそう述べたのは、俺の意向に関係なく申し出ようと準備していたからだろう。
「いえ。お断りします」
俺はイレーネ様にこちらから婚約を破棄することはないと約束している。
だから彼女が将来ハルト一世と結ばれるまで、そうすることはできないのだ。
「お気に召しませんか?」
使者はそう言ってまた口を開いた。
「では、タルージャ公爵家のエレーナ様はいかがでしょう。彼女は公爵の一人娘。また王国一の才媛と評判です。それに彼女とご結婚されることは、公爵家をお継ぎになることと同義ですが」
そこまで言うのはどうかとも思うが、彼が薦める令嬢と結婚すれば、俺は将来、公爵になれるらしい。
俺にこの世界の未来に関する知識がなければ、こんな好条件の結婚相手はいないと思うだろう。
「お断りします!」
どんな高位に就いたところで、ハルト一世がこの世界の秩序を一新すれば、俺はイレーネ様を捨てた男として断罪されるに違いない。
彼女との婚約を解消するという選択肢は俺にはないのだ。
「どうしてですか。失礼ですが閣下は侯爵になられたばかり。タルージャ公爵家はビュトリス王国建国時からある歴史ある名門中の名門です。その爵位を継ぐまたとない機会なのですが」
使者が俺を責めるように言ってきたが、言葉の端々に本当は俺のことなど重んじていないということがにじみ出ている気がする。
おそらく彼の家のサローヴァ伯爵家も歴史ある家名を誇る貴族なのだろう。
俺のことを成り上がり者だと苦々しく思っていることが何となく分かる。
「何といわれようと私は婚約を解消する気はありません。これ以上お話ししても意味がありません。お引き取りください」
「くっ!」
伯爵はわずかに焦りの色を見せたが、すぐに落ち着いた顔に戻った。
「閣下には敵いませんな。もしやすべてを見抜いておられたのですかな? では、ティエモザ四世陛下の真意をここでお示ししましょう」
何だか大仰な態度で彼は威儀を正し、俺に向かって宣言した。
「陛下はあなたにカテリア王女との婚姻を許すと仰せになりました。謹んでお受けになられますように」
これにはさすがに俺も驚いた。
カテリア王女と言えば、俺が初めてエフラットを訪れた時に、紹介状を貰って会っていただいた王女様だ。
あの時は俺はジャンルーフ王国の勲爵士に過ぎず、今もカレークにいるステイラ嬢の伝手でお目通りが叶ったのだ。
「王女様との結婚など、滅相もありません。辞退させていただきます」
俺はここまで結構、無遠慮に縁談を断ってきたが、それもあって使者のサローヴァ伯爵はかなり気分を害しているように見えた。
彼は何とか取り繕っているが、俺でも気がつくほどにとげとげしいものが感じられるのだ。
「王がお許しになったのです。ご辞退などあり得ませんぞ!」
俺が断ることを想定していなかったのか、彼は大声で返してきた。
いや、どちらかと言えば、ついこの間まで貴族と言うもおこがましい辺境の勲爵士の三男坊に過ぎなかった俺が、侯爵令嬢どころか王女様との結婚まで認められ、しかもそれを断ることに貴族としてのプライドが傷つけられたのかもしれなかった。
「大きな声を出さないでいただきたい」
これまでずっと俺とサローヴァ伯爵のやり取りを見守っていたシュルトナーが、そういって伯爵をたしなめた。
「失礼いたしました。しかしですな……」
伯爵は我に返ったように丁寧な態度に戻り、しかし困惑した顔を見せた。
「王女とのご結婚など、他国の臣下に対して破格の扱いですぞ」
そう続けて、やはり憤慨したといった不満そうな顔を覗かせる。
「そう思われるのなら、先ほどのハルト様のお返事をそのままお伝えになられればよろしい。王女様にご降嫁いただくなど滅相もないと」
シュルトナーはさらに俺を援護してくれるようだ。
「ですから先にエレーナ様やテレース様をお薦めしたのです。それではご不満のご様子でしたから、陛下のご厚意をお示ししたのですぞ」
その二人については、俺はにべもなくって感じで断ってしまったから、彼からしたら俺が不満を持っているように見えたのかもしれなかった。
おそらくさらに高位の貴族令嬢との縁談を求める身の程知らずな成り上がり者って思ったのだろう。
「いいえ。不満などありようはずがありません」
俺はちょっと反省して、そう答えた。
「それでしたら、是非……」
伯爵は再びそう勧めてくる。だが、俺はビュトリス王国からの縁談など受けるわけにはいかないのだ。
「いいえ。残念ですが最初にお話ししたように、私には既に婚約者がいます。彼女を裏切ることなど考えられません。ですから、申し訳ありませんがお引き取りください」
彼の言うとおり、勲爵士の三男に過ぎなかった俺からしたら、破格の扱いということになるのだろう。
だが、イレーネ様との婚約を破棄するなんて、彼女が悲しむであろうことを考えるとできるはずもない。
「ではその婚約者が辞退すればよろしいのですな? 王女と結婚するために婚約者を捨てたとされるのは外聞が悪いと。そういうことですかな?」
そう言われてみて、俺は自分の胸が痛むのを感じた。
イレーネ様が俺との婚約を破棄される。
それは本当は既定路線だったはずなのだ。
「そうではありません。俺は彼女を愛しています。彼女以外との結婚など考えられないのです。ですから、申し訳ありませんがお引き取りいただきたい」
自分で口にしたことなのだが、自然にそんな言葉が出てきたことに俺は驚いていた。
彼女と出会ってからもう四年以上が経ったが、彼女はますます輝きを増すようで、それでいてその純粋さを失っていなかった。
やはり彼女こそ皇妃に違いないと俺に確信させるくらいに。
「理解できませんな。その方は私の三番目の息子にでも娶せてもよろしいかと思っていたのですが。どうしてそこまで執着されるのか。お美しい方とは聞いてはいますが」
男爵家の令嬢には伯爵家の三男で十分だとでも言うのだろう。
勲爵士家の三男であった俺への当て擦りを含んでいるのかもしれないが。
「ご理解いただけないのは残念です。ですが、私は彼女との約束をこの上なく大切に思っているのです。いいえ、そうではなく彼女は私の特別な人なのです。今回のお話はここまでにさせてください」
俺がそう言うと、シュルトナーがそれを引き取って「主がそう申しておりますのでお引き取りを」と彼に伝えてくれた。
それでも伯爵はまだぐずぐずしていたが、再度シュルトナーが今度は少し強めの声で「お引き取りを」と伝えると、
「後悔なさいますぞ」
捨て台詞のような言葉を残し、靴音高く部屋から出て行った。
「ハルト様。見直しましたぞ」
自分は役に立たないからと、陪席を断ったアンクレードは、シュルトナーから話を聞いたらしく、俺の執務室へやって来るとそんな口をきいてきた。
「どういうことだ?」
「いえ。イレーネ様を愛しているから他の女性との結婚など考えられないと、そう言い放ったそうではないですか? それでこそハルト様です。いや、ハルト様らしからぬお言葉ですかな」
彼の中で俺の評価が上がったのか下がったのか、今一つ微妙な気がするが、彼は何故か上機嫌だった。
「いや。でも断ってしまって良かったのか?」
俺がそう口にすると、彼は興ざめしたって顔を見せた。
あの時はイレーネ様が侮辱されたような気がして、思わずそう言ってしまったが、ビュトリス王の機嫌を損ねて問題はないのだろうか?
あのサローヴァ伯爵があることないこと吹き込みそうな気がするし。
「別に問題はありませんな」
これまでずっとビュトリス王国との交渉をしてくれていたシュルトナーはそう言ってくれた。
【ハルト一世本紀 第五章の十四】
国公はエフラットへ赴き、大帝の意を伝えた。
「陛下は貧しき時を共に過ごし、食事を分け合ったことさえある人の手を振り払うことなどできないとおっしゃっておられます。あなた方はそれを幸いとなされるべきです」
エフラットにいた者たちはそれでも納得しないように見えたので、国公は諄々と諭した。
「今、あなた方は自らの持つ珠の方が価値があると、それと取り替えるべきだとおっしゃいます。ですが、そうして取り替えたもの以上の価値を持つ珠を献上する者が現れたらどうするのです。世に珠を持つ者はあなた方だけではありません。クルクレーラもキルダも、その機会があれば掌中の珠を陛下に手渡さんとするでしょう。自ら範を示すべきではないのです」
その言葉にエフラットの者たちは言葉を失くし、大帝の意を迎えることを約した。




