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第九十九話 ビュトリス王国の使者

 俺はハルファタ滞在を切り上げてスフィールトに帰還した。


「ハルト様。お久しぶりです」


 領主屋敷でクーメルは嫌味ではないのだろうが、俺にそんな挨拶をしてきた。

 実際、俺はスフィールトを半年以上留守にしていたことになる。


「ああ。でもダニエラから連絡はもらっていたから。特に変わりはないんだよな」


 残念なことに、彼が王国中に手配してくれたにも関わらず、ハルト一世の所在は(よう)として知れなかった。

 彼はジャンルーフ地方の出身だという史書の記述は実は誤りなのかもしれない。


「スタフィーノ公爵は相変わらずです。私も最近はあまり頻繁には訪れておりません。あまり無理強いするのも憚られる気がいたしますので」


 俺が考えていたのはそちらではなかったのだが、彼のことだから、それもお見通しの上で、敢えてそんな物言いをしている気もする。


「俺が行っても同じかな?」


 本来なら彼が王位に即いているはずなのだから、ご機嫌伺いくらいには行くべきなのだろうが、最近はそれさえも疎ましく思われているらしい。

 公爵の家臣たちからも相変わらず「そっとしておいてほしい」と言われているようだった。


「そういう訳で、これ以上は待ってはおられませんな。特に叙爵や外交です。すべてハルト様のお帰りを待って進めることにしておりましたから」


 シュルトナーがそんなことを言って、俺が長らく戻らなかったことを非難するような態度を見せた。


「俺の帰りなんか待たずに、クーメルとシュルトナーで進めてくれれば良かったじゃないか?」


 俺は本当にそう思ったのだが、シュルトナーに叱責されてしまった。


「何をおっしゃっているのですか? 貴族の叙爵や他国との外交などは国王大権に属すものですぞ。いかなクーメル殿とて、勝手に進めることなどできようはずもありません。まして私などは口を挟むことさえ控えるべきでしょう」


「それなら俺だって同じじゃないか」


 俺は国王ではないし、宰相と言ったって国王ではなくスタフィーノ公爵から仮に任命されただけなのだ。

 俺だって勝手に爵位を与えたり、外国と交渉を進めたりしたら、それこそ先日ハルファタで俺を襲った者たちが主張していた俺の野望とやらに根拠を与えることになってしまうだろう。


「そうおっしゃられても、今やジャンルーフで最も力があるのはハルト様なのですから、ハルト様にご判断いただくしかないのです。責任をもって」


 最後に彼が付け加えた言葉には嫌味がこもっている気がした。

 でも、一面では俺がスフィールトを発って、各地で子どもたちに魔法を教えていたのは、そういった責務から無意識のうちに逃げていたのかもしれなかった。


「ああ。分かったよ。でも助言はしてくれるんだろう?」


 俺は腹を括った。

 クーメルやシュルトナーの助言通り進めておけば、大きな間違いなどあるはずもない。


 それに後日、ハルト一世に申し開きも立つと考えたのだ。


「やけに素直ですな」


 まさかクーメルやシュルトナーが責任逃れをするとは思えない。

 相手は稀代の名君ハルト一世なのだ。


 俺じゃないんだから、万が一彼らがそんな行いをしたらすぐに見破ってしまうに違いない。


「ああ。シュルトナーが言っていることは正論だからな。この国のためには泥をかぶることを怖れている場合じゃないだろう」


 実際には俺のいかにも小人物的な打算による結論なのだが、結果としては民衆のためになろうだろう。

 クーメルやシュルトナーと早めに合流しておいたのは正解だったということだ。


「それで大きな問題になっているのはどんなことなんだ?」


 俺たちがジンマーカスをハルファタから逐って、既に一年近くが経過している。

 その後、ジンマーカスの死を確認し、それを為したマクシミルを伴ってハルファタへ入城。さらにスフィールトへ一時戻ったものの、その後は王国中を巡っていたのだ。


 スタフィーノ公爵の説得を続けていたとはいえ、王国の外交や叙爵が滞っていたことは確かだろう。


「喫緊の課題はビュトリス王国との外交ですな。ジャンルーフ王国の仮想敵国といえば、ずっとかの国でしたから」


「ビュトリスについてはシュルトナーがずっと折衝を続けてくれていたじゃないか?」


 クラウズ王子が何を考えたのか傭兵を引き連れて攻め込んで来たりしたが、それ以外は概ねあの国とは友好的な関係を保てていたと思うのだ。


「それはこちらが隙を見せなかったことと、ハルト様の力をもってジャンルーフ王国が混乱に陥れば、それで良いとかの国が考えていたことによるのです」


 だからこそティエモザ四世は俺の要請をかなり無理をしてまで受け入れたのだとシュルトナーは分析しているようだった。

 いや、彼のことだからそれを分かった上で交渉に臨んだということなのだろう。


「実際にこちらは一種の内乱状態に陥り、その後も国王を決められない有り様です。彼らが想定していた以上の結果がもたらされたと言えるでしょう」


 クーメルが後を引き継いで説明してくれたが、俺だってまさかここまでスタフィーノ公爵が頑なだとは思わなかったのだ。

 そういう意味では、彼の言うとおりなのだろう。


「ですが、戦いが我々の勝利に終わってから一年が経ち、こちらの国内が安定を見せてくると彼らは不安を覚え始めたのです。あちらも一時は内戦状態にありましたからな」


 あの『イヴァールト・アンドラシー』によってビュトリス王国はラエレース侯爵家などが相争い、当主が亡くなった貴族家もあったくらいの混乱に陥っていたのだ。

 その後もラエレースの町が彼の率いる傭兵部隊に蹂躙されたりして、酷い損害を受けたはずだ。


「何しろ我が国はジンマーカスによって王家の血を引く貴族が一掃され、結果として王権が強化されましたから。こちらは国王不在とは言え、ビュトリスの宮廷は安穏としていられるとは思っていないでしょう」


 ジンマーカスがそこまで考えていたとは思えないが、ジャンルーフ王国はいくつかあった公爵領などの王家の者が治めていた土地が国王直轄地となって、経済的にも王の権力が圧倒的になっている。

 ビュトリス王国と戦争が起きた場合、直属の兵を多く動かす経済力のあるジャンルーフ王国が優位に立つ可能性はあった。


「しかも、こちらにはハルト様がいらっしゃいますからな。ある意味、クラウズ王子の対応が正しかったのだと思いますぞ」


 シュルトナーの考えでは、ビュトリス王国にとって最良の結果は、ジャンルーフ王国軍が苦戦の末に俺を破り、俺がエフラットに亡命することだったらしい。


「それで俺を押し立ててジャンルーフに攻め込むのか?」


 俺は王族でもないのだから、それは買いかぶり過ぎだと思うのだ。

 さすがに国と国との間で戦争が起きたら、俺一人の力でどうにかなるものではないだろう。


 それでも局地的には戦況に変化をもたらすことくらいはできるかもしれなかった。

 ハルト一世が姿を現すまでのことだとは思うのだが。


「そこまでせずとも、手駒を一つ確保することになりますから。ハルト様はビュトリス王国の貴族でもありますから戦端を開く口実にもなりますし。まあ、実現しませんでしたから、あくまで仮定の話ですが」


 俺は目の前の大軍をどうするかだけで精一杯で、ビュトリス王国の事情まで考慮している余裕はなかったが、色々な思惑が蠢いていたってことらしかった。


「仮定の話はさておき、こちらはまだこの状態だからな。まずは国内の体制を整えることが先決だろう。そうじゃないのか?」


 俺は何だか戦闘狂みたいに思われているみたいだが、決してそんなことはない。

 元は平和を愛する現代日本人だったのだ。


「そうではあるのですが、あまり露骨にそれを表に出すと足元を見られますからな。硬軟織り交ぜた対応ができると思わせる必要がありますな」


「悪いけど、そこはシュルトナーに任せるよ」


 俺にそんな芸当ができるはずもない。

 結局、ビュトリス王国への対応は、シュルトナーに一任するしかなさそうだ。


「任せていただくのは結構ですが、大方針としては先ほどハルト様のおっしゃった国内の体制整備を重視して、ビュトリスとは事を構えないということでよろしいですな?」


「ああ。それで構わない」


 俺がそう答えると、クーメルが口を挟んできた。


「ここまでの方針と大きく変化はないということでよろしいかと。ですが、そろそろ相手方にも何らかの動きがあるのではないかと思います。まだ想像の域をでませんが」


 少し心配そうな様子で彼はそんなことを口にした。

 こちらがいくら国内体制を整備する時間が欲しいと思っていても、相手がそれを与えてくれるかは別問題だってことらしい。



 それからひと月の間、俺は居心地の悪さを感じながらも、シュテヴァンやオトルフ卿の昇爵や、マクシミルの近衛騎士団への復帰の手続きを進めたりした。


「やっと正式な論功行賞が行えましたな」


 シュルトナーは安心したって様子でそう言っていたが、これが正式かって言われると俺は難しい気がしていた。

 叙爵や貴族の領地が絡む案件は一応、スタフィーノ公爵に伝えてもらうよう毎回、彼の二人の臣下に報告してはいた。


 だが、それが実行されているとは思えなかった。



「ハルト様。ビュトリス王国から使者が参りましたぞ」


 そんなある日、シュルトナーが俺に隣国から使者がやって来たことを告げた。


「シュルトナーに事前の連絡はなかったのか?」


 あの国との交渉はシュルトナーに一任してあったから、彼に知らせることもなく、いきなり使者がやって来たというのなら不審な気がしたのだ。

 それでも会わないという選択肢はなさそうだ。


「分かった。失礼に当たるかもしれないけれど、とりあえず俺が受けるしかないな」


 ティエモザ四世からの正式な使者ならば、本来は俺が受けるべきものだはないだろう。

 だが、それはもう何度も議論したことで、現状では俺が会うしかない。


「いえ。今回はハルト様に対する使者ですから、ハルト様に受けていただければ事足ります」


 王国への正式な親書ではなく、俺への私的な依頼らしい。

 クーメルとシュルトナーが言っていたからってわけでもないが、俺はその使者に何かきな臭いものを感じていた。





【ハルト一世本紀 第五章の十三】


 大帝がスフィールトに至ると、そこにビュトリス地方を治める者からの使者が訪れた。


 大帝の威勢を恐れ、友誼を求めてきたのである。


「彼の者の申し出は無礼千万。到底受け入れられるものではありません」


 大将軍はその申し出に怒り心頭の様子だった。


「友誼を求めて来る者の手を払うことは本意ではない」


 大帝はそうおっしゃったものの不躾な申し出を喜んでおられないことは明らかだった。


「陛下のお心を知らぬ者ゆえ、致し方ありません。私から言って聞かせましょう」


 国公がビュトリスに足を運び、大帝の意を伝えることになった。


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