壱
「いい加減になさい!」
パンッと、乾いた音が響いた。私、ローゼ・ブランテの目の前に打たれた頬を抑え、涙目になりながらもこちらを睨む少女がいた。
何度も忠告したのにもかかわらず、私の婚約者と親しげに話たり舞踏会では、二回以上ダンスを踊ったり、私の婚約者だけではなく婚約者がいる他の男性にも同じように接していると聞くではないか。
――――まぁ、そういう物語なのだから、仕方ない。
(ん、そういうモノなんて私はいったい……。仕方がないとは、どうしてそんな考えになりますの?)
自身の言葉が信じられず、私自身に問いかける。けれど、その問いに返ってくることはない。自身からの答えを待っているだなんて、まるでもう1人別の人格が私の中にいるみたいではないか。ローゼは、バカな考えを笑い飛ばそうとしたその時。
――――私は、もうヒロインの行動に我慢ならないの!!
一際大きな声が脳内に響き渡った。
声は、ふるりふるり、と心を揺らし、記憶を司る脳までもを揺らさんとしている。
酷い頭痛が、ローゼを襲った。こめかみをおさえて、痛みに堪える。誰かが私に呼びかけたような気がしたが、ぐらぐらと揺らぐ視界で私が目にしたのは、はちみつブロンドの髪。目の前のコレをなんと呼んでいただろうか。
あぁ、そうだ、確か
(…………ヒロイン?)
その瞬間、一際大きな揺れと痛みと共に、私の脳内に凄まじい量の情報がなだれ込んできたのだ。
「…………ふぅ、シスルくんの攻略、終わった………すごかった。すき」
私がローゼ・ブランテとかいう名前じゃなくて、斎藤江美里だった頃。地球という星の、日本という国で生まれた、乙女ゲームが大好きなごくごく普通の女の子だった。
とくに【ディアガーデン】っていう乙女ゲームにハマっていて、自分のサイトを開設しては【ディアガーデン】の夢小説を書くほどだった。
【ディアガーデン】とは、魔法学園を舞台にした乙女ゲームだ。貧乏男爵家に産まれたヒロインは、実は世界で唯一回復魔法が使える神子。その力に目覚めたきっかけは、メインヒーローであるルイ・ゼラニウム王子との出会いのシーンだ。
街で起きた騒動に巻き込まれたヒロインを守った時に、王子は怪我を負ってしまう。守ってくれた彼を助けたいというヒロインの気持ちが王子の傷を癒した。回復魔法、目の前で披露されたソレの意味を王子が知らぬはずはなく、すぐさま彼女を王城へと連れて行く。国王陛下との謁見、陛下から学園へと通うよう勅命が下され、さらに魔王を倒すのを手伝ってくれないかと頼まれる…………が、ここは、二週目からのルート分岐なので、一週目では、ヒロインは断ってしまっている。(のちのち魔王と対峙することにはなるけれど)
入学したヒロインを待ち受けるのは、ヒロインをイジメる悪役令嬢。しかし、攻略キャラと仲を深めていくうちに時は経ち、数々のイジメをしてきた悪役令嬢は魔王とともに排除され、ヒロインと攻略キャラは、幸せな日常を歩んでいく。
【ディアガーデン】の大まかなストーリーは、こんな感じだ。
攻略キャラは全部で五人と隠し攻略キャラが一人。
メインヒーローである、フロール王国の第一王子、ルイ・ゼラニウム。金髪碧眼のザッ王子という見た目のキャラだ。ただ、自分が正しいと思っているふしがある。
二人目は、フロール王国の第二王子、クロード・ゼラニウム。黒髪碧眼のクールキャラ。バカと女性が嫌いで、とくにローゼのことは汚物だと思っている。ルイとは二歳差で兄のことを密かに慕っている。
三人目は、ルイの幼なじみであり、親友の魔法騎士シスル・エライユ。赤色の長い髪を頭の高い位置で結び、切れ長の瞳は金色に輝く。まだ、学生という年齢にもかかわらず、将来王国騎士になることを約束されている超エリート。ルイとクロードの間にいることが多かったからか、その性格はおせっかい……いや、世話焼きだ。
四人目は、可憐な後輩。しかし、その実態は小悪魔。魔族だが、こっそりと人間の世界に溶け込み共存しているアンペール家の一人息子、ニヴァリス・アンペール。ふわふわとした白銀の髪に、うさぎのように真っ赤な瞳。中性的な容姿に、心をゆるしたくなるが彼はとんでもない策士。一度狙った相手は逃がさない。
五人目は、筋肉バ……鍛えることが大好きな王国騎士を目指す同級生、コリウス・バラデュール。ツンツンとはねた茶髪に、瞳は緑色。普段は、見てる者でさえ明るくなれるほど元気で笑顔が素敵なキャラだが、シスルのことを目の敵にしている。
最後のキャラは、隠しキャラの魔王ダリア。彼は元人間だったようで、学園のどこかにひっそりと身を隠しているらしい。ヒロインちゃんが大好きで、それ以外には塩対応である。
そして、私の目の前にいるのは、その乙女ゲームのヒロイン。ウェーブのかかったハチミツブロンドの髪、見る角度で紫色にみえる不思議な青の瞳。彼女は、フリージア・オベール。そして、私は王子の婚約者でヒロインをイジメる悪役令嬢、ローゼ・ブランテとしてこの場に立っている。
どうやら悪役令嬢に転生してしまったらしい。
「………………どうして」
「ブランテ様?」
フリージアが心配そうにこちらをみてくる。けれど、私はそんなこと気にしている余裕などなかった。
ディアガーデンの設定に信じたくないことがあるからだ。
ひとつ、悪役令嬢ローゼ・ブランテは18歳の12月24日のクリスマスイベントのときに魂ごと消滅されてしまうこと。
ふたつ、私の最推しである、シスル・エライユはとある秘密を知ってしまい、シスル攻略ルート以外は親友の王子を裏切り死んでしまうこと。
最後のみっつめ、この世界はヒロインのために魔王が創った世界で、私たちは、本来の世界では仮死状態である事。
ヒロインの箱庭のために魔王は、フルール王国の人間すべての精神を抜きとり、この箱庭に閉じ込めている。つまりは、仮死状態。私たちは、半分死んでいる。
(転生したってことは、あっちのわたしは死んでしまったってことでしょう!? それなのに、転生しても死んでる――半分だけど――っていったいどういうことよーーーー!!)
頭を抱え出した私に、周りはどうかしたのかとオロオロし出す。そんな中、騒ぎを聞きつけてきたのか攻略キャラが全員ヒロインの周りに集まった。
「これは、なんの騒ぎだ、ローゼ・ブランテ」
ギロリとこちらを睨むのは、最推しのシスル。
(ぎゃーーー!!シスルくんが、息してる。私を強い眼差しで見つめてきてる。あっ、なんかもう、どうでもいいや)
目の前にいるシスルを見て、私は考えることを放棄した。本当は、死んでるとかどうでもいいではないか、目の前に愛しのシスルが居て、息をしているのだから。
「聞いているのか?」
突然の推しの顔がドアップになり、私の心臓は、はちきれんばかりに鼓動をうつ。身体が心臓の暴走に耐えきれなくなり、ふらりと傾く。
「おい!?」
「ローゼさま!?」
愛しい声と可愛らしい声が微かに聞こえてきたが、それを最後に私は意識を失った。