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中編

この番外編には監禁・虐待・マインドコントロール要素があります。閲覧の際は注意してください。

蛇足と感じる方は、このまま見なかったことにしていただけると幸いです。

「この悪女めが……! いいか、こんなことをしても私の心は手に入らない! 私に愛されようなどというふざけた考えは捨てるんだな!」


 祖国にいる父王とこの国の王をせっついて急遽執り行わせた結婚式を終えて早々、クラウスは憎々しげに噛みついてきた。玄関ホールで新妻を迎えるバールトン家の空気も寒々しい。リリーティアが誰からも歓迎されていないことは明白だ。


 だが、リリーティアは意にも介さない。この程度の敵意は幼いころに浴び慣れていた。今さら恐怖どころか疎ましさすら感じない。リリーティアにあるのは、しばらくぶりに感じる屈服させがいのありそうな下僕の出現に対する喜びだけだった。


(エイレナ様に手を出されないよう、結婚を急がせたかいがありましたわね。この様子なら、未練がましくエイレナ様に縋っていたでしょうから)


 リリーティアにとって幸運だったのは、クラウスの元婚約者である侯爵令嬢エイレナ・ヴェルデロサが彼との結婚にまったく乗り気なように見えなかったことだ。多分クラウスのほうは、彼女を好いていたと思うのだが。

 もっとも、そもそもリリーティアを恋敵とみなすのは、何かしらの特殊な感性か性癖か、あるいは病んだ心を持つ女性ぐらいのものだ。そういった特別な事情がない限り─仮にあったとしても力ずくで─婚約はすぐに解消させられる。だから本当の幸運は、リリーティアがちゃんとした男を探し出すまでもなく、エイレナをクラウス達から守ってくれるような新しい恋人が出現したことだと言ったほうが正しいだろう。


 随分察しがよかったようだから、あの青年はこちらの内情を掴んで出方をうかがっていたのかもしれない。

 これでリリーティアによそ見をするようなら食指も動いたが、そうではないようなので放っておくことにした。今回の目的はあくまでも結婚相手を探すことで、すでにぴったりの下僕を捕まえたのだから、これ以上欲張る必要もない。


「権力にものを言わせてこの家に嫁いだようだが、残念だったな。貴様を次期バールトン公爵夫人と認める者は、この家にはいないのだ」


 クラウスの言葉に、バールトン公爵夫妻はもちろん出迎えのために集まってきた使用人達も異口同音に同意した。


「自分の立場を理解したのなら、身の程をわきまえてつつましく暮らせ! 今後一切、私の視界に入らないようにするんだな!」

「ではそのおめめをくり抜かないといけませんわね。シキ、準備を」

「はっ」


 ぱん、と手を鳴らすと、リリーティア親衛隊の護衛隊長が進み出た。彼の指示に従い、騎士もザッとクラウスを取り囲んだ。


「は? お、おい、何をする気だ!?」

「何、と申されましても。貴方の目に映る範囲だなんて、貴方にしかわからないでしょう? でしたら、わたくしを見てしまわないようにするためには、貴方の視力をなくしてしまったほうが確実ではありませんこと?」


 慌てふためく公爵家の面々に対して賛同を求めるように、「ねぇ」とリリーティアは微笑む。曇りのないその笑みには、ある種の強い力があった。あまりにも自然な口調で問われたこともあり、思わず何人かが頷いてしまう。


「ふふっ。冗談ですわ」


 ぱん、ぱん。リリーティアが二度手を打ち鳴らしたのは、騎士に取り押さえられたクラウスが悲鳴を上げてからだった。手の鳴る音を聞いて、まるで魔法にかけられたかのように動けなかった公爵家の人間達が、やっと息を吹き返す。親衛隊も剣を収めたが、クラウスへの拘束は解かれない。


「ですがそこの使用人達は、あるじに危険が迫っていても何もしようといたしませんのね。しつけがなっていないのか、それともそこまでの忠誠を捧げるに足りる主人ではないのか……」


 不出来さを指摘され、忠誠心を疑われた使用人達が、きぃきぃと騒ぎ立てる。これから踏みにじる者のさえずりはいつ聴いても心地よいと、リリーティアは笑みを深めた。


 その笑みを見た瞬間、逃れようともがいていたクラウスの背筋が凍る。社交の場で見たあの王女の姿と、こうして妻として迎え入れた女の姿が噛み合わない。恋愛にしか興味のなさそうな、良くも悪くもまっすぐなだけの小娘だと思っていたのに。


「そうそう、クラウス様。ひとつだけ訂正させていただいてもよろしくって?」


 リリーティアはつかつかとクラウスに歩み寄り、有無を言わさずその顎を持ち上げた。


「わたくしを愛そうだなんて、思い上がりはおよしになってくださいな。いいこと? わたくしが貴方を、愛してあげる・・・のです。貴方がわたくしに捧げていいのは、命と忠誠だけですわ。それ以外を受け取る気はございませんので、そのおつもりで」


 彼の唇を優しく舌でなぞり、勢いよく噛みつく。クラウスの唇の上ににじんだ彼の血を、薬指を使ってぬぐい取ったリリーティアは、その指の先をちろりと舐めた。



 冷遇される花嫁に、夫婦の寝室があてがわれるわけがない。もちろんまっとうな使用人もだ。リリーティアの部屋として用意されたのは物置小屋だった。もしここが王都のタウンハウスではなく地方のカントリーハウスだったなら、離れか厩舎で暮らすことになっていたもしれない。

 だが、何も困ることはなかった。バールトン家の無能な使用人に頼るまでもなく、リリーティアには優秀な親衛隊がいるのだから。


「リリーティア、一体何をしているの!」

「部屋の改装ですわ、お義母かあ様。いただいたお部屋だけでは荷物が入りきらなくって」


 このタウンハウスの間取りなら主寝室はここだろうと狙いを定めた広い部屋の家具を勝手に運び出し、代わりに花嫁道具を並べていく。親衛隊はてきぱきと動いた。


「まぁ! そんな勝手な真似、許さないわよ!」

「わたくしが許しました」


 バールトン公爵夫人アーラマは顔を真っ赤にしてわめく。だが、優雅に紅茶を楽しむリリーティアにとって、その激昂は愉快な音楽にすぎない。


「な、なんて傲慢な……! この家の女主人を誰だと思っているのかしら!」


 リリーティアが手を鳴らす。傍らに立つ親衛隊所属のメイドが、新しく淹れ直した紅茶を差し出した。

 ティーカップを受け取ったリリーティアは、ためらいなく中身をアーラマの顔めがけてぶちまける。熱い紅茶を浴びせられたアーラマは悲鳴を上げてのたうち回った。リリーティアが手を離したので、バールトン家の趣味の悪い茶器もがちゃんと割れた。


「たいへん。お義母様がティーカップを落としてしまわれたわ。もう随分お年を召していらっしゃるから、手元が狂ってしまわれたのね」


 リリーティアは痛ましげに眉根を寄せて、倒れ込んだアーラマにハンカチを差し出す。


「身体に不自由が出ないうちに、早くご隠居なさったらいかがです? バールトン家はわたくしがしっかり切り盛りいたしますわ」


 そう耳元で囁かれ、アーラマはぎょっと目を見開いて逃げ出した。笑みを浮かべるこの新妻が、同じ人間だと思えなかった。


*


 リリーティアは親衛隊から人員を割き、公爵家の人間と要職に就く使用人を監視させて、その日やっていたことを逐一報告させた。もっとも、全員別々の部屋に監禁して何もさせていないのだから、報告内容に変わり映えはないが。

 何回おまるを使いたがったとか、何回水をせびられたとか、そういう記録ばかりだ。リリーティアを賛美して服従を誓う言葉を一定回数言わなければ、人間らしい行為は何ひとつとしてさせなかった。


 一般の使用人は持ち場ごとにグループにわけ、庭に穴をひたすら掘らせて埋めさせたり、重い荷物を持たせて同じ部屋をいったりきたりさせたりと、意味のない仕事ばかりやらせている。もちろん、親衛隊の厳しい監督付きだ。

 少しでも楽をしたり逃げ出そうとしたりした者がいれば、連帯責任として全員のノルマにより負荷をかける。日常の業務から解放されたと最初は呑気に構えていた使用人達も、数日で音を上げるようになった。だが、すでにリリーティアの持参金から新しい使用人を臨時で採用しているし、奪った分の日常業務も親衛隊の側仕えで回している。古い使用人はもはや不要だ。

 とはいえ、ろくに仕事もできない使用人に紹介状など書けばバールトン家の恥になる。自分からいとまを願い出た者もいたが、紹介状が書かれないと知るやいなや即座に取り下げた。紹介状もないまま貴族の家を辞めた者は、よほどの不始末をしたのだとみなされて再雇用が難しいからだ。



 公爵家に届く手紙のすべてに目を通した後、クラウスを閉じ込めている部屋に行くのがここ最近のリリーティアの日課だった。


「き、貴様……! 一体何の権限があって、こんな真似を……?」


 ドアが開いて人が来た気配を鋭敏に察したのだろう。ヒールの音から入室者が女性だということもわかる。目隠しをしたクラウスの弱々しくも刺々しい声音は、やってきたのがリリーティアだと確信しているからこそのものだった。


 同じ家の中にいるのだから、騎士達に寝込みを襲わせれば簡単に拘束できる。育ちがよくて上品な公爵夫妻とその令息、それから年季の入ったリーダー格の使用人はなすすべなく目隠しと手縄をされ、互いの声が届かない部屋に放り込まれた。リリーティアが嫁いできたその日にだ。

 公爵家に届く手紙は、すべてリリーティアが当主夫妻と嫡男に代わって返事を出し、来客も断っている。人々は残念がったが、新婚を邪魔する無粋な輩と言われたくないせいか無理に押しかけたり強引に連れ出そうとしたりする者はいなかった。


「飢えと渇きに耐えきれずにわたくしに服従を誓った回数が五回、不浄の気配に耐えきれずにわたくしに服従を誓った回数が八回。この言葉は口だけですの?」


 リリーティアは今日の記録を読み上げた。監視役の騎士達によって跪かされ、上体を押し倒されたクラウスの頭をぐりぐりと踏みつける。クラウスは折れてしまいそうなほど強く歯を食いしばっていた。


「ですが、足音だけでわたくしだとわかったのは褒めてさしあげます。いい子、いい子……」


 先ほどまで踏んでいた頭を優しく撫でて、リリーティアは彼の鼻尖びせんに軽くキスをする。クラウスは嫌がるように身をよじったが、その動きは昨日と比べて鈍くなっていた。


 同じ言葉を口にさせ、ただでさえ量と回数を制限した食事や飲み物に下剤と催淫剤を混ぜ、睡眠の時間を削る。人間の尊厳を丁寧にすり潰していけば、混迷する心なんて簡単に操れた。同じ時期に監禁された他の人間は、すでにリリーティアに心からの忠誠を誓って自由を得たと告げればなおさらだ。実際、公爵夫人アーラマと女中頭はもうリリーティアの洗脳下にあった。今の調子でいけば、公爵ナシアフと執事もじきに堕ちるだろう。


 屈辱に蝕まれながらも息を荒げるクラウスの姿には、リリーティアの嗜虐心も大いに満たされた。もう一押しで堕ちていくと、直感が囁く。


「いつまでもここにいたら、クラウス様も窮屈でしょう? ですから、わたくしと賭けをしませんこと?」


 リリーティアはクラウスの目隠しを外した。クラウスはまぶしげに目を細める。瞳はまだ熱を失っていないが、虚ろに揺れている。絶望に染まるのが楽しみだ。


「賭け……?」


 極限まで追い詰められた人間は、目の前に垂らされた慈悲の糸を無条件に信じてしまう。


「貴方の愛しいエイレナ様。貴方達の愛が本物であれば、わたくしは潔く身を引きましょう。もう二度とバールトン家にかかわらないと、お約束いたします」


 むしろその交渉の余地を与えてくれたことに、感謝すら覚える。


「ですが、愛し合うお二人の姿など虚像に過ぎなかったと貴方が認めるのなら、その時こそ誓った言葉を真実にしてくださいな」


 一抹の不安を、真実を求める好奇心と自分は絶対に助かるという楽観が塗り潰す。


「い……いいだろう。後悔するなよ……!」


 クラウスは反撃の契機を掴んで不遜に笑う。そんな彼のことが、たまらなく愛おしかった。


(いじらしい人。わたくしの手のひらの上から逃げることなどできないと、すぐに教えてさしあげましょう)


 だって、クラウスが信じる愛なんて、この世のどこにも存在しないのだから。

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― 新着の感想 ―
王家の要請で結ばれた政略結婚の相手をあからさまに冷遇するのはちょっと頭が悪すぎる気が。
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