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第三探索隊長テントでの密会①

 タカイラが死んだ翌日、師令官テントのまわりは朝から野次馬たちでいっぱいだった。


 モンキーポッドの監視小屋にいる見張り番も駐屯地周辺ではなく師令官テントを見下ろし、隣接するテントを寝床にしている獣人たちは入り口の布をめくり上げて師令官テントの様子をうかがっている。


 あたしとグレンも野次馬に混じって師令官と探索隊長二人の会話に聞き耳を立てていた。


「次の補給隊が来る前に決行すべきでしょう? そうすれば第二探索隊長の死は探索時の事故だと報告できる」


 第一探索隊長ラフリクスの声はずいぶん強気だった。


 野次馬は総勢五十人くらいいるようだけど、ほとんどの獣人は耳がいいから後ろの方にいても十分聞こえる。ラフリクスが防音結界を張っていないということは、あえて獣人奴隷に聞かせるつもりのようだ。


 さっきからラフリクスが主張しているのは第二十五次計画の前倒し。タカイラの死を悼む様子はまったくないし、何か理由をつけてさっさとゾボルザックを離れたいのだろう。もしくは、ぐずぐずしてたら自分もタカイラと同じように殺される――と、思っているとか?


「本隊に報告なく決行して大丈夫なんですか?」


 計画前倒しを渋っているのは師令官ではなく臆病者のイヌエンジュだった。


 本隊を統括する大公の心象を悪くしたくないのかもしれないけど、魔獣討伐が基本任務の本隊に戻ったところでイヌエンジュが上手くやっていけるとは思えない。隠れて密林の魔獣を治療するくらい生き物を殺すのが嫌なくせに。


「おそらく数日中には追加の補給分が到着するはずだ。本隊の伝令も一緒にな。そのときタカイラがいないことをどう説明するんだ? え? イヌエンジュ」


 ネヴィル師令官もテントにいるはずなのに、相変わらず探索隊長たちは好き勝手喋っている。


「事実をそのまま伝えればいいと思います。密林の奥に入って黄棘熊にやられたって」


 ハァ、とテント越しにラフリクスの吐息が聞こえてきた。ため息吐きたくなる気持ちはあたしにも分かる。


 イヌエンジュはタカイラがあたしに何か(・・)したことは察したようだけど、タカイラが密林で黄棘熊に殺されたという嘘は信じているようだった。たぶん、師令官が部下である探索隊長を手に掛けるとは微塵も思っていないのだろう。


 鈍いし、間抜けだし、変なとこで子どもみたいに純粋で、ここに左遷されて来たのはきっとタカイラかラフリクスみたいな腹黒いヤツに騙されてドジを踏んだに違いない。


「イヌエンジュ、おまえは魔術師のくせに呆れるほど頭が悪いな。本当に黄棘熊が現れたなら、なぜタカイラは緊急信号の火球(ファイヤーボール)を上げなかった?」


「あのとき火炎魔法を使った気配がありましたよ」


 それはおそらく師令官が剣に流した火属性の魔力。


「だとしても誰も火球を見ていない。それこそ魔獣の魔力だったんじゃないのか? ネコ科の魔獣は火を放つ種類もある。だいたい、タカイラが獣人奴隷をかばって密林に入ったなんて誰が信じるんだ。本隊の伝令も信じやしないさ。そう思いませんか、ネヴィル師令官」


 ラフリクスは含みのある言い方で師令官に話を振った。


 タカイラの死に師令官が関与しているとラフリクスは確信しているようだし、ここに集まった獣人の大半もそう考えている。タカイラが師令官を怒らせて処分されたと分かっているのだ。タカイラの被害者はあたしだけじゃないから、師令官を賞賛するような言葉もチラホラ耳に入ってくる。


「ラフリクス隊長はタカイラ隊長がなぜ密林に入ったと思われますか?」


 師令官がようやく口を開いた。


「さあ? わたしにはタカイラが自ら密林に入ったとは思えませんから誰かに連れて行かれたのでしょう。それが黄棘熊だという可能性もゼロではありませんが、もしかしたら〝闇〟が連れて行ったのかもしれませんね」


 挑発するようなラフリクスの口調は、もしかしたら師令官の魔力属性に気づいたのかもしれない。


「〝闇〟?」


 とイヌエンジュが素っ頓狂な声をあげた。獣人たちがその反応にクスクスと忍び笑いする。


「ところで師令官。昨夜現れたという黄棘熊は回収しないのですか? 売ればかなり高額になるはずですが」


「残念ながら黄棘熊は逃しました。わたしが確認したのは黄棘熊の爪で引き裂かれたタカイラ隊長の遺体だけです。すでに他の魔獣たちが群がっていたので遺体は諦めました」


 ふん、と鼻息が聞こえたのはラフリクスだろう。


「昨夜、闇の森近くにタカイラの魔力を感知しましたが、魔力の死後放散により今は位置が曖昧です。タカイラが死んだのは間違いない。不思議なのは、タカイラの移動中に彼の魔力を感知できなかったことです。わたしはイヌエンジュと一緒に密林の入り口で待機していましたが、タカイラの魔力が突然闇の森近くに現れたのを感じました。これは一体どういうことでしょう?」


「タカイラ隊長は強力な魔力抑制魔術が付与された私物のローブを羽織っていたようです。ラフリクス殿が上級魔術師だといっても感知できなくて当たり前。黄棘熊にマントを裂かれて魔力がようやく感知できたのでしょう」


「まったく。タカイラ隊長といい、師令官殿といい、ここの魔術師団員は魔力抑制ローブで気配を消して一体何をしているのやら」


 滅多にないネヴィル師令官とラフリクス隊長の舌戦に獣人たちは興味津々のようだった。テント内に同席しているイヌエンジュは相当居心地が悪いはず。


「ラフリクス隊長。前にも説明しましたが、わたしが魔力抑制ローブを着用するのは密林の魔獣に気取られないためです。ラフリクス隊長のように魔獣が恐れて逃げてしまうほどの魔力があればローブなしでも堂々としていられるのですが」


 言い合いもそろそろ面倒になったのか、師令官はさらっと躱して嘘をついた。持ち上げられてまんざらでもないのかラフリクスはゴホンと咳払い。


 ラフリクスが師令官の魔力量を見誤っているのは魔剣士を頭からバカにしているからだ。師令官はそれを利用してラフリクスを手のひらの上で踊らせている、はず。


「ネヴィル師令官、話を戻しましょう。探索日程のことですが」


 師令官が「わかりました」とラフリクスの言葉を遮った。


「一斉探索を二日後に決行しましょう。補給隊はすでに砂漠地帯に入っているでしょうから、鳥人に手紙を届けてもらいます。日程前倒しの理由は獣人たちが脱走を企てたから無理やり森に入れた、とでもしましょうか」


 普段と違ってスラスラと話を進める師令官に「えっ、あっ」とラフリクスの戸惑った声が聞こえてくる。


「待ってください師令官。脱走はダメです。監督不行き届きで我々に処罰があるかもしれません。あっ、いいことを思いつきました。闇の手がかりを見つけたタカイラが帝国に寝返ろうと駐屯地を抜け出し、そのタカイラを探すために獣人を密林に放ったということにしませんか?」


 今思いついたのではなく、昨夜一晩考えた案を口にしたようなわざとらしさがあった。


「ラフリクス隊長、闇の手がかりなんてあるんですか? 闇の存在すら怪しいのに」


 やっぱりイヌエンジュはちょっとズレている。


「だからそういうことじゃないんだよ」


 ラフリクスは苛立ちを隠さず、「つまり」と師令官がまとめに入った。


「闇の情報を持って逃げようとしたタカイラ隊長を探すために獣人を森に入れた――ということにするわけですね。それならば本隊には事後報告でよさそうです」


 あからさまな偽装工作に獣人たちはざわついているが、実のところタカイラが闇の情報を持っていたのは事実だ。だって死ぬ前に師令官が教えたから。


 スムーズに自分の案が通ったからかラフリクスは饒舌だった。


「そうです。ですから、これまでのように駐屯地近くから森に入るのではなく、アルヘンソ側の国境近くからも獣人を放ちましょう。二日後の早朝くらいを目処に」


「なぜ早朝に?」


「夜のうちに移動し、朝早く密林に入れば向こうの国境警備兵に気づかれずに済みます。夜行性で足の速い獣人を連れてわたしがアルヘンソ国境に向かいましょう。イヌエンジュは夜目の効く小型種を連れて適当なところで奴隷を密林に放せばいい。駐屯地ではそれ以外の獣人を師令官が指揮して下さればよろしいかと」


 獣人たちの間ではすでに自分がどこに行くかが話題になっている。あたしは雑務係で駐屯地に残るということもあり得るし、イヌエンジュ率いる小型種獣人部隊かもしれない。


「裏がありそうっスよね」


 いつのまに隣にいたのか、レニーがコソッとあたしの耳元で囁いた。あたしは無言でうなずく。


「グレン、あたし探索に行く。密林で合流しよう」


 グレンは返事の代わりにギュッとあたしの手を握りしめた。あたしの魔力感知能力はラフリクスよりも上。グレンの気配なら奴隷紋の魔力のゆらぎや移動パターンでわかるから合流は難しくない。


 グレンに向けた声はレニーにも聞こえていたらしく、彼は「ふうん」と意味深な声をもらした。馬獣人のレニーはラフリクスの案通りなら国境に向かうことになるはず。


 考えごとをしていたら突然どよめきが起こり、師令官と二人の探索隊長がテントから出てきたのが見えた。師令官は集まった獣人たちを見回すと、「注目してくれ」と頭上で手を振る。


「多くの人は知っていると思うが、昨夜第二探索隊長タカイラ殿が黄棘熊との戦いで殉死した。それを受けて第二十五次探索について検討したのだが、二日後に一斉探索を行うことに決めた。このあと計画を詰めて本日夕刻に詳細を伝える。一つ目の月が昇る頃に集合をかけるから広場に集まって欲しい。なお、次の探索では探索隊を三ヵ所に分けて森に入る。今回は年齢問わず全員での探索となるが、雑務係として駐屯地に残りたい者は昼までに申し出るように。以上、解散」


 テント内の話はすべて筒抜けだったのにも関わらず師令官は堂々とラフリクスの案を獣人に伝え、獣人たちは戸惑いつつも自分の持ち場に戻っていった。


 探索隊長が一人いなくなっても駐屯地の生活に変化はなく、ソワソワした空気だけがいつもと違っている。あたしが夕食用のヒスタインコを捌いていると、同じ第三探索隊所属のリックが話しかけてきた。あたしと同い年で、レニーと同時期に駐屯地に来た探索員だ。


「姫、おれたちどうしたらいいですか?」


 同い年なのにリックは敬語を使う。たぶん、あたしが「姫」と呼ばれてるから。


「どうもしなくていいよ。どこから密林に入ってもやることは同じだし、嫌な気配がする方に向かえば闇の森にたどり着く。密林とは景色が変わるからすぐわかるはずだよ。奴隷紋の魔力が消えたら好きなところに行けばいい。アルヘンソ領に抜けるなら慎重にね」


「姫は残るんですか? 妹を連れて行くかどうか迷ってて」


 リックがチラッと振り返った先にいるのは、笑顔がまだあどけない二歳年下のルー。イヌエンジュが彼女の肌に触れたと思うとジワリと重鈍い感情が胸に湧いてくる。


「連れて行った方がいいよ。ここに残ったら奴隷商に売られるかも」


「えっ?」


「次の探索のあと、たぶん駐屯地は閉鎖になる。師令官はここに残るはずだから、ラフリスクとイヌエンジュが獣人を連れて本隊に向かうことになると思う。ラフリスクなら獣人を売ってお金は自分のものにするんじゃない? 報告書類の改竄なんてお手のものだもん」


 リックはしばらく考え込んでいたけれど、あたしがヒスタインコを捌き終える頃には心を決めたようだった。


「ルーも連れて行きます。密林の魔獣を怖がってたけど、おれがついてれば大丈夫ですよね?」


「今回はあたしも探索に加わるよ。たぶん一緒の部隊じゃない?」


「本当ですか?」


 リックがパッと嬉しそうにしたのは、ルーを説得しやすくなったからだ。あたしが魔獣と戦えると知ってるのは師令官だけ。


 夕食の下拵えを終えてテントに戻る途中、師令官テントからイヌワシが飛んでいくのが見えた。あたしと同じ第三探索隊の雑務係ヒルダだ。雑務係といっても彼女の仕事は洗濯や料理じゃなくて周辺の偵察。視力のいい鳥人の何人かは偵察員として比較的長く駐屯地に留まっていて、ヒルダがここに来たのは確かグレンより少し前。


 密林上空に向かうイヌワシをぼんやり眺めていたら、視界の端でイヌエンジュのテントからラフリクスが出ていくのが見えた。


 師令官テントと違って魔術師は自分のテントに好き勝手に結界を張っている。防御のための物理結界や魔術結界の他に、中の声を漏らさないための防音結界、安眠のための外部遮音結界などなど。


 耳のいいあたしでもイヌエンジュのテント内の音がまったく聞こえないということは、防音結界が張られているようだった。魔術師二人がコソコソと何の密談をしていたのか――。


 あたしはスカートの下に隠した短剣を確認し、物陰で黒猫に変身した。防音結界なら外の声は聞こえるはずだから、人目を避けてイヌエンジュのテントに近づき「ニャア」と鳴き声をあげる。予想通りテントの裾がわずかにめくられ、その隙間からスルッと中に入り込んだ。


「……姫」


 呆気にとられるイヌエンジュの前を素通りし、あたしはテントの入口を背にして人の姿に戻った。そして、着ていたチュニックを脱いで奴隷紋の刻まれた胸をイヌエンジュの前に晒す。


「ちょ、ちょっと。一体なんのつもり?」


 イヌエンジュの視線はあたしの左胸を覆う大きくぼんやりした奴隷紋をチラッと見たけれど、すぐに目をそらした。


「ラフリクスと何を話したの?」


「それは……」


 ベッドに投げ置かれた夜着にイヌエンジュが手を伸ばそうとし、あたしは「動かないで!」と声をあげた。ビクッと肩を震わせるイヌエンジュ。動揺して自分の方が有利だということを忘れているのだろう。魔術師なんだから遠隔で拘束するくらいできるはずなのに。


「結界は解かないで。誰にも邪魔されずに話したいから」


 こんなふうにイヌエンジュのテントに忍びこむのは何年ぶりだっけ。お母さんが死んでからは一度もなかった。


「どうして脱いだの?」


 女性の体なんて見慣れてるはずなのに、イヌエンジュは顔を赤くして挙動不審にキョロキョロと頭を動かしている。


「一晩で四人相手にするくらい女好きのくせに、あたしの小さい胸なんて見てもなんとも思わないでしょ。どうしてこっち見ないの?」


「見れるわけないだろ。それに、おれは女好きじゃない」


「じゃあ女嫌いなの?」


「そういうことじゃなくて」


 こんな話をしに来たわけじゃないのに、我慢できずについ反射的に言い返してしまう。


「姫、タカイラ隊長もこんなふうに誘惑したの? 姫がタカイラ隊長を密林に誘い出して、師令官がタカイラ隊長を殺したって」


「ラフリクスが言ったの?」


「そうだよ。師令官はタカイラ隊長を恨んでた。駐屯地が閉鎖されたら復讐する機会がなくなるから、姫を利用してタカイラ隊長を呼び出して殺したんだってラフリクス隊長が言ってた。姫だってタカイラ隊長を恨んでるだろ?」


 イヌエンジュは早口に言うと、ようやくあたしをまっすぐ見た。


「姫、おれのことも殺す気? おれに襲われたように偽装して」


「はぁ?」


 呆れてため息が漏れる。


「服を脱いだのは結界を解いてほしくないから。師令官はあたしが今ここにいることを知らないし、獣人のあたしが一人で魔術師を殺せるわけないでしょ? ねえ、イヌエンジュ。あたしがタカイラを恨んでるって、どうしてそう思うの?」


 喋り過ぎたと感じたのか、イヌエンジュは自分の夜着を掴んで無意識に口を覆った。


「ねえ」


 急かしても反応がなく、あたしは仕方なくスカートをまくりあげる。


「ちょ、……姫、何して」


 動揺して後ずさったイヌエンジュが木箱に足をぶつけてベッドに倒れ込んだ。これじゃあ、あたしがイヌエンジュを襲おうとしてるみたいだ。



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