棄てられない傘
惚れっぽいです。
棄てられない傘が一本ある。
骨が曲がって、ややひらきにくくなった、ブラウンの豹柄のやつ。
高価いなものでもないのだが。
ちょっとしたいわくというか、あるいは想い出というか。
そのせいもあるけれど、まだ使えるわけだし。その傘はいまだに傘立てにささりつづけ、たまに私の雨除けとして出勤する。
洋服のショップに通うのが趣味だった時期があった。誰かと連れだって、ということもなく。ひとりで気ままに、足を運んではのんびりと見てまわり。気まぐれに、買い漁ったりもしてみる。
服を見るのは好きだ。
それだけ? いや、ここで嘘をついてもしかたがあるまい。
というより、これはなにも私に限ったことでもないだろう。
ショップや飲食店のクルーや店長さんと仲良くなって、通うようになることなんて、よくあることだろう?
当時、私が通っていたショッピングモールには、行きつけのテナントがふたつあって。
ひとつは一階のアクセ屋さん。ロングスカーフや指輪、イヤリング——ピアスはあけていない——などの小物。かんざしやシュシュなどの髪飾りなどを買っていた。
ゴスっぽい衣装をしたキュートな店長さんと仲良くなり、ほかのクルーとも話すようになって。かんざしのやりかたを知らなかったから、教えてくれて、私の金髪も留めてくれたっけ。
ふたつめは二階の女性用の洋服店。こちらには、おもにシャツを買いに行っていた。
そして、そこにそのひとはいた。
タイプ的には、かっこいいかんじのひと。
細身で、さばさばしたかんじの美形で。
でも、けっしてぶっきらぼうではなく。
むしろ、豊かな表情とよく動く大きな目は。私に「かっこいいだけじゃなくて、可愛いひとだな」とおもわせるに、じゅうぶんな魅力をもっていた。
私は惚れっぽいのだ。
でも、口説きたいとかそういうのではなく——というか、そこまで頭がまわらず。
仲良くなりたいって、そうおもってしまう。
じつは、そのひとと、まったく縁がないわけでもなかった。
職場の同僚の同級生だったのだ。
その同僚のことも、好きだったなあ。
あいてがいるひとだったので。好きってきもちと、仲良くなりたいとだけ伝えて——平穏な意味で好きだとは、それこそ頻繁に口にしていたし、友達って呼んでも、うなずいてくれたとおもう。
まあ、そんな縁もあり。
ショップのそのひととも、ちょっと仲良くなれたのだ。
だが、私の好意は態度に出るらしい。
そのひとは既婚者だったので、もちろん、変なちょっかいをかける気もなく。好き、ということばさえ、口にしてはいなかったはずだ。きもちとしても、仲良くなれて嬉しいな、くらいで。
だが、ショップのほかのクルーには、ばればれだったよう。
そのひとがいないときに、訪店すると「きょうはおやすみだよ」なんて、つっこまれてしまったものだ。
あれは、知りあってからどれくらいたったころか。
私が訪店してときは、そのひとがちょうど昼休憩をとりにでるところだった。
同じ階にあるテナントに、ラーメン屋さんがあり。
そこで食事をしにいくそのひとに、私がごいっしょさせてもらえることになった——私から提案したのだろう、おぼえていないけれど。
レンゲのうえに、麺・具・スープをそろえて。
「ミニラーメンをつくるんだ」って嬉しそうにしていたのが、ふだんの凛々しいイメージとギャップがあり、やっぱり可愛いひとだなって。とても楽しい時間をすごさせてもらった。
「戻るまえに、傘、見に行きたいんだけどいい?」
そんな質問に、私が首を横に振るわけもない。
ていうか、その聞きかただと、私もいっしょに行っていいってことだよね?
むしろ、それにつきあわせてくれることが嬉しかった私。ちょうど、コンビニのビニール傘じゃないのも、欲しいとおもっていたところだし。
ふふ、なんか仲良し。
さて、傘を見に行ったわけだが。
私たちふたりがむかったのは、安売りコーナーの傘。
ハンガー掛けのような什器に吊るされているのではなく、テーブル状のワゴンに平置きされている売り場だった。
「あ、これがいい」
そのひとが手にとったのは、ブラウンの豹柄の傘。このなかでは、いちばん可愛いデザインだ。
「あ、それいいな。おそろいになっちゃうけど、私もおなじの買ってもいいかな?」
だいそれたことを言う私に、そのひとはべつに嫌な顔をしなかったように——すくなくとも、表面上はそう見えた。
まあ、べつにならんで歩いて、おなじ傘をさすわけでもないし。私も、変な悪戯心があったわけでもなく、たんにその傘が気にいっただけなのだが。
そして、その傘はいまでも。
骨が曲がって、ややひらきにくくなったものの。傘立てにささりつづけ、たまに私の雨除けとして出勤する。
え? そのひととは、どうなったかって?
べつに、進展などあるはずもないし。
させようとも、おもっていたわけではないのだが——いちおう、後日談はある。
そのひとが、ショップを辞めることしたのは、それからしばらくたってのことだ。
そして、これもどちらから言いだしたのかはおぼえていないが。
ちょうど、私の職場に人員の空きがあったのだ。
私と、そのひとの同級生である私の同僚。
ふたりも知りあいがいるなら、信用がおけるだろうということで、面接から採用の流れは早かった。
「面接にいったら、採用前提で。
すぐに、いつからこれるかのはなしになってて、びっくりした」
そのひとが、そんなことばを口にしたほど。
こうして、そのひとは私の後輩になったのであった——お気にいりのひとを、後輩にしてしまった私であったと、いいかえてもいいが。
それで、おしまい。
いや、ほんとに、おしまいなんだって。
職場がおなじでも、やる仕事はちがうし、勤務時間もちがう。
いれちがいに顔をあわせて、あいさつくらいはしたものの。
むしろ、ショップに通っていたころより、ずっと疎遠になってしまったのだから皮肉なものだ。
結局、私が職場を変えるまで、ろくに会話もないままだったとおもう。
まあ、そんなものだ。
じゃあ。
骨の曲がった傘を、なぜ棄てずにいるのかって?
言ったはずだ——まだ、使えるから。
そのひととの、ちょっとしたいわくというか、あるいは想い出というか。そんなものに、こだわっているからではない。
いや、それもちがうか。
まだ使える傘を、ちょっと骨が曲がったくらいで、これ幸いとばかりに棄てるのは。逆に、そのひとになんらかの想いを残していて。それを断ち切ろうとしているように見えて、気がすすまなかったのだ。
ように見えて、とは言ったものの。誰もそんな事情を知る者などいないとしても。私が、どの傘をいつ処分するかなんて、誰も気にしていないとしても。
べつに、葬り去りたいような、恥ずかしさや悔いのあるエピソードでもない。
とはいえ、胸の内にだいじにしておきたい、というほどでもない。
忘れるころには忘れるし。
傘だって、棄てるときには棄てる。
それだけだ。
だから、まだ。
私はそのひとのことを忘れてはいないし、顔も、声もちゃんとおぼえている。
その傘だって、いまだに傘立てにささりつづけ、たまに私の雨除けとして出勤するけど。
それだけ。
胸の内にだいじにしておきたいエピソードでもないが。
これを読んでいるあなたにくらい、ちょっと知っておいてもらいたい。
そんなエピソードだったりする。
だから、仲良くなりたいんだってば。