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体力を戻すためにエリーゼは大変苦労していた。十日以上も寝込んでいたら元々大してあるわけではない体力は完全に地の底レベルになっていて、最初のうちは起き上がって歩くだけで息切れした。
回復しているのに、ゼインが倒れたらいけないと車いすを持って後ろをついて回るのに辟易した。
エリーゼが回復してからやっと会えたメリーは「お嬢様がパーティーに行ったと思ったら襲撃されるなんて!」と泣きわめきながら、体を支えて一緒に散歩をしてくれる。
起き上がっていられる時間がだんだん増えてきて、心配をかけたクロエたちや公務を肩代わりしてくれているメイメイにお菓子を作ろうとメリーに手伝ってもらってクッキーを焼いたところだった。
「ち、近すぎない?」
「そう?」
クッキーができたタイミングでアシェルがやってきたので、庭でお茶をすることになったが相変わらずあの事件以降距離が近い。すぐ左隣に座る必要性があるだろうか。対面でいいのではないだろうか。
左手でクッキーを口に運ぼうとするとアシェルの手が伸びてきた。そのままエリーゼの左手をクッキーごと軽くつかむと、クッキーを自分の口まで持って行って食べてしまう。
突然の行動にエリーゼが固まっていると、アシェルはクッキーを食べ終わってそのままエリーゼの指をぱくっと口に含んだ。
思わず悲鳴を上げかけたが、視界の端に車いすを持ってきたゼインがすさまじい速度で回れ右をして去っていくのがうつって息と悲鳴を飲み込んだ。
「こ、こんなところで……こんなことをしなくても」
アシェルはぺろっとエリーゼの指をなめてちょっと笑った。
「エリーゼが離れていかないように捕まえておかないと」
口の周りについたクッキーのくずを舌で舐めとるアシェルは、今まで見たこともないくらい煽情的だ。顔が赤くなるのを感じて俯いたエリーゼの額にアシェルは自身の額をこすりつける。
あの事件があってから一体何なのだろう。今の状況はキスより恥ずかしい。
「エリーゼが今度死のうとしたら僕も死ぬから」
穏やかな声音なのに不穏すぎる発言で視線を上げると、アシェルと至近距離で目が合った。
「……死のうとなんて、してない」
「あの日、これから先一緒に生きていくならエリーゼがいいって僕は言った」
領地に来るまでにヘビを捕まえてきて最高にプロポーズには程遠いはずだったのに。あの日のアシェルの言葉が再び心に刺さる。
往来している使用人の視線を時々感じて委縮していたが、エリーゼは思い出して胸がいっぱいになって頷いた。
「次は忘れないで」
エリーゼの左手を再び持ち上げてアシェルは唇を当てた。
あの日の言葉がここでいきてくると思わなかった。うっかり涙をこぼしそうになって俯いたが、目元を舐められたのですぐに涙は引っ込んだ。
***
「トファー、見てよあれ。俺に見せつけてるよね」
「わざわざ見ているあなたも大概ですけど」
「忙しい俺への嫌がらせだと思わない?」
「忙しいんですか? 私の視力では残念ながらそうは見えません」
エリアスは執務室の窓から身を乗り出して、お茶会中の自分の弟とその婚約者の様子を見ていた。書類を携えてやってきたクリストファーが机の前で立っていてもお構いなしである。
「俺がメイメイかばって刺されとけば良かったかな。そしたらさらにイメージ良くなったよね」
エリアスの言葉にクリストファーはピクリと反応する。
「無能は何も期待されていなくていい。一度メイメイを庇ったら勇者か聖女扱いだ。俺はどれだけ仕事をこなそうと素晴らしいことをしようと当たり前で大して評価されないのに」
「それはうちの妹に対する侮辱ですか?」
「いいや。でも事実じゃないか?」
「それなら、スチュアート殿下をなんとかしてからそういう発言をしてください」
急に緊迫した二人の空気に他の側近たちは書類から顔を上げた。
「見てよ、あのアシェル。あいつが意外と要領がいいの知ってた? 自分で直接言いに来るんじゃなくてああやって周囲から埋めていくんだよ。わざわざあそこでお茶会してるのは俺に何か言いたいわけだ。多分、エリーゼ嬢との婚約解消のウワサを聞いたんだろう。一体だれがそんなつまらないウワサを広めたのか。まだアシェル狙ってる家あるのかな」
「今、うちの妹と婚約解消したら王家のイメージは大幅にダウンするでしょう」
エリアスはやっと振り返ってクリストファーを見た。クリストファーが体の横で握りしめている拳に目を留めて笑う。
「トファーの妹、妊娠できないんだろう?」
「可能性としてそうなだけです」
「ふぅん。トファーは意外と妹思いだったんだね」
「この世で、たった一人の妹ですから」
笑っているエリアスと明らかに怒りをこらえているクリストファーの二人に側近たちは固唾をのむ。
「殿下がそんなことをしようとするなら……」
「脅さないでくれ。婚約解消なんてしないしない。何のために新聞社にあの記事掲載させたと思ってるんだ。婚約解消なんてしたらあの記事の効果が薄れるし、王妃の病気にガタガタ言ってくる貴族もうるさいし、なんならエリーゼ嬢の友人たちもキャンキャンピィピィ騒ぎそうだし。そんな面倒なことはしない」
「……妹にも影をつけてください。二度とあんなことが起きないように。お願いします」
クリストファーが急に頭を下げたので、側近たちは驚いた表情をする。エリアスはクリストファーのつむじをしばらく面白そうに眺め、他の側近たちに席を外すよう手を振ってから頭を上げるように指示した。
「それは安心しろ。俺はやられっぱなしは嫌いなんだ」
「まだ何かするんですか」
「やだなぁ、トファー。いい加減いつもみたいに気安く喋ってよ。何その線引きしたみたいな堅苦しい喋り方。悲しい~」
「妹の件で怒ってますから。この話し方でないとうっかり酷い言葉を言ってしまいそうです」
「やれやれ分かった。ナディア妃が妊娠した」
「あぁ、ウワサ通りでしたか。そろそろ正式発表があるでしょうか」
「やっとロレンスに復讐するチャンスが回ってきた」
「本当にロレンス殿下が絡んでいたんですか?」
「間違いない。あのブレスレットはケイファ王国が奪ったのち、アルウェン王国にまた略奪されたんだ」
「しかし……あれはもうスチュアート殿下に持たせていましたよね」
「やだなぁ、トファー。それ以外にもやり方はたくさんあるんだよ」
クリストファーは長い付き合いなので、エリアスが冗談を言っているのではないと分かった。
「ザカリー・キャンベルはやっと片付いた。次はあいつだ」