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スチュアートはケイファ王国に向かう馬車に揺られ、流れる景色をぼんやり眺めていた。
先ほどまでは文法の復習をしていたが飽きてしまい、すぐに他のことを考えてしまう。今は出発前のエリアスとの会話で頭がいっぱいだった。
「ザカリーが強制労働所へ!? 本当なのですか!」
「侯爵家は取り潰しになって罪人扱いなんだから当然。侯爵は役に立たなくても若い人手が必要だから助かる」
兄は気味が悪いくらい通常通りで、キラキラした笑顔だった。
「毒殺未遂と未来の王太子妃および第二王子妃の殺人未遂の主導。処刑じゃないだけ良かったじゃないか。俺が結婚していたら確実に処刑だったけれど」
「毒殺未遂は……ザカリーのせいではありません……あれは恋人を守りたい令嬢がわざわざ……」
「でも、もう発表したから今ではあの事件のすべてがザカリーのせいだ」
「そんな。ルルティナ王女殿下の主導だったのに」
「スチュアート。政治というのはそういうものだ。ルルティナ王女が関与していたことが分かったらメイメイに悪感情が向くかもしれないじゃないか。それに隠ぺいすることでワイマーク王国に恩を売れる」
鼻歌でも歌うようにエリアスは続ける。
あの頭のおかしなメイファアウラ殿下に悪感情が向くだろうか、と失礼な思考がスチュアートの頭をよぎる。
母である王妃の病気療養が発表され、エリーゼ嬢もまだ本調子ではないのでメイファアウラ殿下の公務参加がここ最近増えたのだ。要領がいいのか図々しいのか、メイファアウラ殿下はすでに王妃よりも人気を集めている。
異国の雰囲気が漂う外見とあの図々しい性格が王族らしくなく、母よりも親近感を抱かせるのだろう。孤児院の慰問で一体誰が木登りまでするのか。
そんなメイファアウラ殿下と彼女を命懸けで庇って怪我を負ったと報道されたエリーゼ嬢は今非常に人気が高い。正直、平民では誰も王妃の病気療養など気にしていないのではないか。
エリアスの情報操作かもしれないが。
「もしかして、兄上はこれが目的だったのですか」
「これとかそれとかあれで会話を済まさずに具体的に言ってくれ」
「そんなに……ザカリーを処分したかったんですか」
スチュアートは学園の騒動後から自分もずっと捨て駒のように見られてきたのかと密かに身震いした。
「他の者は思いとどまったのに嫉妬とプライドでザカリー・キャンベルが勝手に堕ちてきただけだ。学園での騒動。そして今回の事件。腐った果実を置いたままだと他の果実も腐る。最も腐った果実は早急に処分しなければいけない」
腐った果実の中に自分は含まれていたのだろうか。含まれていただろう。
「フライア嬢の元婚約者だったイライジャ・ストーンは今回だけはうまく立ち回った。最後の最後で泥船に乗らない嗅覚はあるらしいな」
エリアスはすっと目をそらしてほとんど積み込まれ終わったスチュアートの荷物を見た。
「ザカリーは腐った果実だから、やっていないことまで罪をかぶるのが当然ということですか?」
「付け入る隙を与えてしまったからだ。あーあ。スチュアートだってバイロン公爵を怒らせていなければこの馬車に乗っていたのはアシェルかもしれなかったのに」
エリアスはふざけたように言いながら小さな箱を取り出した。
「何ですか」
「餞別。うまく使え」
「?? どういうことですか」
スチュアートが箱を開けようとするのをエリアスは手で覆って阻止する。
「ケイファ王国がかの国からこれを奪ったらしいから。お前はこのブレスレットに縁があるようだし。まぁ、異国で頑張れ」
「なっ!」
ブレスレットと聞いて心当たりは一つしかない。手元の箱をエリアスに返そうとしたが、エリアスはさっさとスチュアートから離れていた。
「あんな騒動を起こせるくらい欲深いなら一妻多夫制の中でもしっかりやっていけるさ。ここに置いといても不安だからな」
「だからって!」
「すべての行動には責任が伴う。そうだろう? だからその責任はお前がこれから取るんだ」
言い争いをしようとしたが、アシェルがエリーゼ嬢の手を引いて現れた。さらに後ろから車椅子を持ったゼインまでやって来たのでスチュアートは口を閉じた。
「珍しいヘビやカエルがいたら知らせてね」
「スチュアート殿下、お気をつけて」
スチュアートの前までやって来たアシェルはそれだけ言うと、スチュアートに言葉を続けようとしているエリーゼ嬢の手を引いてさっさと背を向ける。
これから他国に婿入りで一生帰ってこないかもしれない弟に対する挨拶がそれか。
車椅子を大げさだと座るのを必死に拒否しているエリーゼ嬢を見ながら、白目をむきそうになった。
馬車が揺れてスチュアートは記憶の海に漂うのをやめた。
そもそもこのブレスレット、本物なのだろうか。またダミーじゃないか。エリアスがからかっているだけなのだろうか。
箱を開けて現物を確認しても分からない。
ナディアと婚約したままだったらこんなことにはならなかったんだろうか。兄への嫉妬と劣等感で欲を出さなかったら良かったのだろうか。
ブレスレットを眺めながら己に問いかけても答えは出なかった。ただ、ナディアと結婚した未来はどうしても想像できなかった。それが答えだと、スチュアートは思い込むことにした。
ナディアの幸せを、そして自身がケイファ王国でなんとかやっていけるように。その二つを今更ながら祈った。