1-6 ホムラ登場
解放軍がいなくなったことで、村は歓喜に湧いた。
しかしケイトは、それを喜ぶ余裕がなかった。
片膝をつき、刀を杖にするように地面へと突き刺す。そうしていないと、今にも倒れてしまいそうだった。
吐く息は、ひどく乱れている。体は、異様に重い。これまで感じたことのない疲労感が、体に圧し掛かっているかのようだ。
「おい、大丈夫か?」
ケイトを助けてくれた若い男が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「……大丈夫。ちょっと、疲れただけだから」
「嘘つけよ。お前、かなり顔色が悪いぞ。疲れただけとは思えないな」
「そりゃそうですよぅ」
若い男とケイトの間に、ツクノが割って入ってきた。
ツクノが頬を少し膨らませ、怒ったような心配しているような、複雑な表情を見せた。
「もー、ケイトさまったら、無茶し過ぎですよぅ。今日道具使いになったばかりなのに、こんなに戦って……!」
「何だ、お前。……って、ちょっと待て。今日なったばかりだと? あれほどの実力があるのに?」
男が驚きの表情をしながらこちらを見てくる。黙っているつもりもなかったから、ケイトは苦笑しながら頷いた。
何も言えずに、男が唖然としている。ケイトたちの話を聞いていたのか、歓喜に湧いていた村人たちの声に驚きの色が混じった。
「……だったら、休ませてやった方が良いな。おい、そこの!」
若い男が、村人の一人に大声で呼びかけた。
村人がすぐさま駆け寄って来る。
「悪いが、こいつを宿の部屋に連れて行くのを手伝ってくれないか?」
「それは構わないが。……おや、本当に調子が悪そうだな。坊主、顔色が真っ青じゃないか。すぐに休ませよう」
男と村人がケイトに肩を貸し、担ぐようにして歩き始める。大丈夫だと言ってやんわりと拒否しようとしたが、そうする間もなく連れていかれた。ケイトは少し気恥しかったが、正直動くのも辛かったからありがたかった。
部屋に運び込まれると、ケイトは壁に背を預けた。すぐに敷いてくれた布団に寝るよう促されたが、これから話をするのに、寝たままというわけにはいかない。
村人はさっきの戦闘の後始末をするために、外へと出て行った。部屋の中にはケイトとツクノ、そして若い男の三人がいるのみだ。
「さて、色々と話したいことはあるが、まずは自己紹介からだな」
男が白のコック帽を脱ぎ、少し乱れた短めの金髪を手で整えてから続ける。
「俺の名はホムラ。クック・ホムラだ。調理器具に宿ったモノで、流浪の調理人をしている」
「僕はケイト。訳あってこの子、ツクノに呼び出された人間だよ」
「へえ、やっぱりか。道具の精霊にしては、少し雰囲気が違うと思っていたんだ」
ホムラが物珍しそうにケイトを見てくる。「わたしはー?」とツクノが騒ぎ立てているが、ホムラが気にした風はない。その視線がこそばゆくて、ケイトはすぐに話題を変えた。
「流浪の調理人って言ってたけど、どうして旅をしているんだ?」
「もちろん、自身の料理の腕を磨くためさ。色々な技術を知って身につけるには、旅以上に最適なものはない。何よりも、多くの人と会えるからな。いろんな人に、作った料理を味見してもらえる」
「味見? それって、自分でするものじゃないの?」
「そりゃするさ。でもな、料理ってのは自分だけじゃ完成しないんだよ。他に食べてくれる人がいて、その人がおいしいって感じてくれて、やっと完成するんだ。自分だけ納得しても、それはまだ未完成なのさ」
ホムラの言葉に、ケイトは思わず感じ入って何も言えなかった。
見たところ、ホムラは大分若く見える。おそらく、自分とそれほど年は変わらないはずだ。それなのに、考えていることはずっと大人びている。
「君はしっかりしているんだね。凄いな」
「いいや、そんなことはないさ。それっぽいことを言ったが、結局のところは自分のためにやっているんだ。俺は、俺のために腕を磨いている。マスターに誇れる、俺であるために」
「マスター?」
「そう、マスターさ」
ホムラが部屋の窓に歩み寄り、外へと目を向ける。
いつしか傾いた太陽が、橙色の眩い光を放ちながら遠くの山へと沈みつつあった。
その光に照らされたホムラの横顔に、少し嬉しそうなものが浮かび上がる。
「俺は、人間世界にいるマスターが初めて自分で買った調理器具なんだよ。まあ、最初は一本の庖丁に過ぎなかったんだけどな。マスターは、調理器具を大切に扱う人でな、手入れとかも時間をかけて入念にやってくれるんだ。本当、大切にしてくれてさ。お前達がいるから頑張れるんだって言いながら、ピカピカに仕上げてくれるんだぜ。そんな温かな心をいつも感じていたからか、いつの間にか俺の魂は、マスターが扱う調理器具全てに宿っていたんだ」
一度言葉を切ったホムラが、瞳を伏せて口元に笑みを浮かべてから続ける。
「マスターは、まだまだ料理人見習いなんだけど、本当に努力する人でさ。誰よりも練習するし、誰よりも時間を料理に割いている。それでも怒られたり、失敗することはまだ多いんだけど、マスターはめげずに努力するんだ。誰もが笑顔になれる料理を作る。そんな夢を抱きながらさ」
「素敵な夢だね」
「だろ? 俺にとって、そんなマスターは誇りなのさ。そのマスターの道具なのに、俺が努力しないなんて冗談にしても笑えないさ。だから、俺は旅をして腕を磨いているんだ。向こうの世界で頑張っているマスターの道具として、ふさわしくあるためにな」
言い終えたホムラが、少し気恥しそうに頭を掻きながらケイトに目を向けた。
「……つい、自分語りが過ぎちまったな。じゃあ今度は、ケイトの番だな。色々と気になることはあるが、どうしてこの世界に?」
「ええと」
「それは、わたしがお話ししますー」
ここぞとばかりにツクノが割って入り、自己主張するかのように聞かれていないことまで説明を始める。
ホムラは怪訝そうにしていたが、ケイトは彼女が話すのに任せた。実は、話すのもちょっと辛い。
モノと繋がる適性が強いケイトが、このクロス・ワールドを救うために召喚されたこと。すぐさま裁縫道具と共鳴して道具使いになり、そのまま鉄鬼を倒したこと。
鉄鬼のことは、ホムラも知っているだろう。それでも彼は、驚きを隠せていないようだ。
「……つまり、この世界に来たのは今日で、ユーザーになったのもついさっきってことか?」
「まあ、そうなるね」
「信じられないが、その疲れ具合から見ると本当なんだろうな。自分の力を制御できてない証拠だ」
「制御って、そういうことも必要なの?」
ケイトの言葉に、ホムラが苦笑を浮かべた。
「そりゃそうさ。道具と人は対等でも、立場は分かれるんだ。使う者と使われるモノって感じにな。使われる方は、道具としての自分の力を目一杯出そうとする。それがまた全力なもんだから、ユーザーが下手に力へと手を伸ばすと、すぐにばてちまう。そうならないために、モノの力をうまく使いこなしてやらなきゃいけないのさ」
「そうなんだ……。だから、こんなに疲れたのか」
「鉄鬼やあのでかぶつを倒せるくらいだからな。力は異常に強いから、疲労は相当なものだろう。まあ、道具に使われているようじゃ、ユーザーとしてはまだまだ半人前だぜ」
ホムラが肩を竦めながら言った。
ケイトは、今のことを確かめるために武器を出そうとした。しかし、出せない。疲れ切ってしまっているからか、刀も槍も、針さえも出すことはできなかった。ただ、裁縫道具としてならば、取り出すことができた。
どうやら、体力が尽きたら武器として具現化させることはできないらしい。道具とちゃんと繋がっていないと、力は発揮できないということなのだろう。
「とはいえ、凄まじいな力なのは変わらないよなぁ。ユーザーになりたてだったら、本当はそんなに影響が出るほどの力は引き出せないはずなんだ。いくら適性があるって言っても、これは異常だぜ?」
「そうですよねぇ。それに、鉄鬼を斬ったのだって、やっぱりおかし過ぎますよぅ」
ツクノがまた、ひょいと口を挟んだ。
「そうだよなぁ。……って、またか。急に割って入ってくんなよ、ちっこいの。さっきからちょっと鬱陶しいぞ」
「鬱陶しいってなんですかー! わたしだってお話に入れてくれてもいいじゃないですかー!」
「お前が出てくると、話の腰が折れる気がするんだよ!」
「何をー!」
二人が互いの顔を睨む。まるで子どもがいがみ合っているかのようだ。
ただ、ここはさすがにホムラが折れたようだ。先に目を逸らし、気持ちを落ち着けようと何度か息を吐いている。子ども相手にむきになるほど、大人げなくはないらしい。
「……まあいい。確かに、こいつの言うことは頷ける。なあ、ケイト。お前のユーザー能力って何なんだ?」
「何って、うーん……」
いきなり言われても困る。まだ能力については、ほとんど理解していないのである。今日の二回の戦闘では、ただ太刀鋏で斬っていただけだ。
「何かあるだろ。じゃなきゃ、あんなに迷わずに攻撃なんてできねえよ」
「確かに。ねえ、ケイトさま。どうしてためらいなく攻撃できたんですか?」
「どうしてって、わかりやすい目印があったから」
「目印?」
二人が、声を揃えて言った。ばかりか、不思議そうにじっとケイトを見つめてくる。
だけど不思議なのは、こちらの方だ。
「君たちには、やっぱりあの光は見えていなかったのか?」
「あの光って?」
「鉄鬼や巨人に張り巡らされていた、あの青い光の糸だよ」
二人が顔を見合わせ、首を傾げる。
やはり、彼らにはあの光は見えていなかったらしい。だとしたら、あれは自分だけに見えていたということなのだろうか。
仮にそうだとしたら、あれは何だったのだろう。自分にしか見えない何か。いくら考えても、わかるはずがなかった。
「……とにかく、僕はその光を断ち切ったんだ。そしたら、鉄鬼も巨人も壊れたんだよ」
「それがお前のユーザー能力か? いや、それにしては何か違う気がするが……」
「わからない。でも、あの光は僕が道具使いになってから見えたんだ。何かしら関係があるとは思うよ」
「そうか。なあ、ちっこいの。お前はどう思う?」
ホムラがツクノに声をかけるが、さっきのようにすぐには返事が返ってこなかった。
見れば、ツクノは左右に首を傾げ、何かを考えているようだった。小さな唸り声が、その口から何度も漏れる。ホムラがもう一度声をかけるが、気づいた様子はない。
ケイトとホムラは顔を見合わせ、首を傾げた。いきなり考え込んだツクノは、ちょっと変だ。
少しの間、二人してツクノの様子を窺った。
不意に、ツクノが寂しそうな顔をしてから遠くを見つめ、小さく口を動かした。
「……わたしたちに見えない糸を見て断ち切る、か。まるで、あの人みたい」
ぽつりと言った言葉は、あまりにも小さくてよく聞き取れなかった。
しかし、なんて言ったの、とは聞けなかった。それだけ、今のツクノには話しかけづらい雰囲気がある。
少しの間、重い沈黙が流れた。空気も、ちょっと息苦しい。
だがそれは、すぐに壊れた。壊したのは、他でもない。ツクノ自身だ。
「あっ……」
部屋中に響き渡るような、大きな腹の音がツクノから聞こえた。ハッとした彼女が、顔を赤くしながら急いでお腹を押さえる。
場の雰囲気が、俄かに緩んだ。
「ははっ。そういや、もう夕飯時だよな」
小さく声を上げて笑ったホムラが、窓の外を見ながら言った。確かに、外は夕陽が沈みかけ、宵闇が辺りに広がりつつあった。
「ちょっと待ってな。飯を作って持ってくる。続きは、食事を終えてからにしようぜ」
そう言い残したホムラが、ゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。