1-1 この世界で必要なこと
村は、多くの人で賑わっていた。
遠目からではわからなかったが、ここの村の規模は相当大きなものらしい。行き交う人の数は一つの村とは思えないほど多く、家の数は数え切れないほどあり、作物を作っているだろう畑も大分広い。今は閑散期なのか茶色の大地であるが、暖かい季節になればきっとたくさんの緑で埋め尽くされることだろう。
いわゆる、大集落というものだ。よくあるファンタジーだと、こういうところには宿屋や露店、食事処があるものだ。
とはいえ、見知らぬ世界の村の中など勝手がわかるはずもなく、ツクノに案内してもらうしかない。
「とりあえず休めるところを、ってあれ?」
気づけば、ツクノの姿は近くになかった。辺りを見ている間に、どこかに行ってしまったのだろうか。
困惑しながら辺りを見渡していると、遠くからケイトを呼ぶ声が聞こえてきた。
「あっ、ケイトさま。ここのお団子、とてもおいしいですよー」
声の方に目を向けると、茶屋と思われる場所で団子を頬張っているツクノの姿が見えた。いつの間に注文したのか、今食べているものの他に二本も手に持っている。
自由気儘な付喪神に一度苦笑してから、ケイトはその茶屋へと向かった。
「まったく、僕はここの地理に暗いんだよ? 一人で勝手に行かないでほしいな」
「あはは、ごめんなさーい。だって、おいしそうな匂いがしたんですもの。ついー」
いたずらっぽく笑むツクノに、反省の色は全くない。
普通だったらちょっと怒ってもいいところなのだろうが、不思議とそんな気は起きなかった。この子に、多分悪気はないのだろう。ただ、自分に正直過ぎるだけだ。
――おばあちゃんだったら、一発拳骨をお見舞いしてただろうけど。
その光景が不思議と目に浮かんで、ケイトは少しおかしくなってしまった。
「ケイトさま? どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」
茶屋の長椅子に腰掛け、一息入れる。途端に団子の良い匂いがして、自分も一本頼もうかと思ったが、生憎この世界のお金を持っていない。仕方がなく我慢することにした。
「それにしても」
目の前に移る光景は、とてもではないが異世界には思えない。
往来する人々の姿はまさしく人間そのもので、建物も時代劇に出てきそうな感じの古い様式のものばかりだが、それほど見慣れないものではない。
何をもって、ここがクロス・ワールドという世界なのか、ケイトにはまだ区別がつきそうもなかった。
「そういえば、普通に食べ物や建物とかもあるんだね」
「もちろんですよー。物の世界とはいえ、生きるモノが過ごしてるんです。衣食住があるのは、世界が違っても変わらないことです」
「そういうものなの?」
「そういうものです!」
堂々と胸を張りながら、ツクノが言った。ますます、ここと自分の世界の違いがわからない。
そんな疑問も、彼女が知る適性とやらを聞けば解消されるのだろうか。
「……さて、さっきのお話の続きといきましょうー」
小さな手拭いで口をごしごしと拭きながら、ツクノが言った。残っていた二本のお団子もあっと言う間に食べてしまったらしく、皿には串だけが残されている。
「ケイトさまには、この世界で戦うための力、道具使いとしての適性があるんですー」
「道具使い?」
「はい! 物と心を通わせ、力を引き出して扱う人を道具使い、またの名をユーザーって呼ぶんです! その能力は凄いんですよー? なんと言ったって、魔法みたいなことがたくさんできてしまうのですから!」
「魔法……」
思わず、胸が高鳴る。魔法と聞くと、自分の置かれた境遇も忘れて少しワクワクしてしまった。誰しも、一度くらいは不思議な力を使ってみたいと夢見るものだろう。当然、ケイトもその例に洩れない。
「ねえ。その魔法って、どんなものがあるのかな?」
「そうですねぇ。例えば……」
「ふざけんじゃねえ!」
ツクノが言いかけた時、その言葉を遮るような怒鳴り声が上がり、次いで近くで何かが勢いよく倒れる音が聞こえた。
「何度も言ってるじゃねえか! この俺が、その解放軍とやらをぶっ倒してやるって! だから、さっさと食料と物資をよこしやがれ!」
あまりにも荒々しい声に、ケイトは思わずそちらへと顔を向けた。
視線の少し先には、筋骨逞しい髭面の大男が、大きな剣を肩に担ぎながら周りの人たちに怒鳴り散らしている姿がある。
その大男の足元には、無数の果実と大樽が転がっていた。どうやら、大男が倒したものらしい。
周りの人たちは、心底迷惑そうな顔をしながら大男を見ている。
それが癪に障ったのか、大男が果実を思い切り踏み潰し、大きな剣を頭上に振りかざした。
「てめえら、俺を舐めてやがるな!? 俺がこの剣を振り回せば、てめえらなんか一発で真っ二つになるんだぞ!」
大男が脅すように叫ぶが、それでも人々に動揺した素振りはない。
ケイトにはその光景が、あまりにも不思議だった。
「んー、普通の人間さんですねぇ。ケイトさま、放っておいても大丈夫ですよー」
「えっ?」
ツクノの暢気な言葉に、ケイトは思わず首を傾げた。
大男は、見るからに強そうである。大きな剣は刃の長さも幅も相当なものだし、それを軽々と持ち上げる腕は丸太のように太い。
不意に、空気が低い唸り声を上げた。威嚇のつもりなのか、大男が剣を頭上で振り回したのだ。勢いがあり、結構速い。
それでも、人々が動じた様子はない。やっぱり、不思議だ。
「いやそれよりも、普通の人間ってどういうこと?」
「あー、そういえば言い忘れてましたねぇ。この世界には、時々人間が迷い込むんですよ。まあ、世界が繋がっているんですから、あり得ない話ではないんですよね」
何でもないことのようにツクノが言って、ケイトは少し困惑した。
「ええっ? だったら、僕をわざわざ呼ばなくても良かったんじゃ……」
「いーえ、そんなことはありませんー。ここに迷い込む人って、大体が適性不足ですし。道具使いになれそうもない人ばっかりですもん」
「そうなの?」
「そうなんですー。それに、あちらの世界でわたしの声が聞こえるって、すっごい資質があるってことなんですよ? ケイトさまの代わりなんて、そうそういないと思ってくださいねー」
ツクノが、面白くなさそうに頬を膨らませながら言った。面白くないのは、こちらの方のはずなのだが。
二人でそんなやり取りをしている間に、向こうの方では進展があったようだ。
「おい、そこのでかぶつ」
人々の中から、真っ白なコック帽と赤いエプロンをつけた若い男が、大男を鋭く睨みながら前に進み出てきた。何かに怒っているのか、額には青筋が浮いている。
「果実からその汚い足をさっさとどけろよ。食材だって、無限にあるわけじゃないんだぞ」
「何だと、てめえ!」
大男が顔を真っ赤にし、若い男を睨む。例に漏れず、彼もまた動じた風はない。
その若い男が、腰に差していた剣を引き抜いては、いきなり地面に突き刺した。
「忠告するぞ。痛い目に遭いたくなかったら、おとなしくここから立ち去るんだな」
「何が忠告だ! 痛い目に遭うのは、てめえの方だぁッ!」
大男が剣を振り上げたまま駆け出した。足元の果実を、何のためらいもなく踏み潰しながら大男が進む。その巨体には似合わないほどに俊敏で、二人の距離は瞬く間に近づいていく。
若い男は、剣を地面に突き刺したまま動かない。そればかりか、その場で大男をキッとさらに睨み、はっきりと聞こえるくらいの舌打ちをした。
「忠告したからな」
男が、剣に両手を添える。
刹那、剣が微かな光を放った。それは瞬きするよりも短い出来事だったが、ケイトはその光を見逃さなかった。
その間にも、大男が得物の間合いに入った。
「死ねやぁッ!」
大きな剣を振りかざし、大男は突っ込む勢いと共に今にも斬りかかろうとする。
巨大な刃が振り下ろされた、まさにその時。
「……着火」
男の声に反応するかのように、大男の足元から青白い炎が上がった。
炎の勢いは大男が剣を振り切るよりも素早く動き、瞬く間にその体に乗り移っていく。
「な、何じゃこりゃあッ!?」
事態に気づいた大男が、剣を放り捨てて地面に転がる。しかし、炎は一向に消える気配がない。
悲鳴を上げて転げ回る大男を、若い男は冷たく見下ろしている。
その男が、剣をゆっくりと地面から引き抜き、天高くかざしてから振り下ろした。
「水洗い」
男の声が空に消え入るのと同時に、どこからともなく大量の水が大男目掛けて降ってきた。
転げ回っていた大男が、その水をまともに被る。炎は瞬く間に消えた。
大男が唖然としながら、大の字になって地面に寝そべっている。真っ赤だった顔色は、血の気が引いて真っ青になっていた。
その大男に、若い男が近づく。
「どうだ? まだやるか」
「ひ、ひいっ!?」
引きつった声を上げた大男が跳び上がり、大声で喚きながら一目散に逃げ去った。
面倒事が去ったことで、ここの人たちが笑顔を見せて談笑を始めた。さっきまでのことなど、もうまったく気にしていないようだ。
しかし、ケイトだけは変わらず唖然としていた。一連のことに驚きを隠せず、思わず空を見る。頭上は澄み渡った青色が広がっていて、雲一つない。地面も、燃えるようなものが落ちているわけでもない。何が何だか、さっぱりわからなかった。
「ふーん。あの人、調理器具の道具使いさんなんですねぇ」
ツクノが、にやにや笑いながら言った。
その言葉に、ケイトはハッとした。
「もしかして、あれがユーザーの能力?」
「ご明察ー。その道具に関する事柄を具現化し、自在に扱う。それがユーザー能力です。今の場合だと、おそらくコンロの着火と食器とかの水洗いを具現化したものでしょうねぇ」
「事柄を、具現化……?」
「はいー。簡単に言えば、連想ゲームですよー。調理器具が関係するのは何かと言ったら、まさしく調理です。その調理に関する事柄を思い浮かべたら、焼くとか洗うとか出てきますよね? さらにそれに関係するのが、火や水です。そういった具合に連想していって、道具使いが好きに具現化するってわけです」
驚きのあまり、ケイトは何も言えなかった。何も言えなかったが、唐突に理解した。この不可思議な力が普通に扱われる。それこそがクロス・ワールドである証なのだと。
「ふっふっふ。その様子だと、ちゃんと理解してくれたみたいですねぇ」
不敵に笑ったツクノが、今度はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「この世界では、熟練の冒険者よりも道具使いの方が強いんだってことが。そして」
ツクノが、期待の眼差しをこめてケイトを見つめてくる。自分に、その続きを言うように促してくる。
考えなくても、その答えはすぐにわかった。
「……道具使いにならないと、この世界の危機は救えない」
「はい、ご名答でーす」
突きつけられた現実に緊張したケイトなど意に介していないかのように、にっこりと笑顔を見せながらツクノが言った。