11-13 束ねられた想い
ツクノの姿が淡い光となり、ケイトの中へと入っていく。
「ぐっ……!」
全ての感覚を共有した瞬間、頭の中に声が響くように聞こえ始めた。それも、一つ二つではない。膨大な数のモノの声が、一切途切れることなく頭の中に語りかけられてくる。
人が憎い。苦しい、辛い。恨めしい。いつか必ず、殺してやる。
耳に届く数多の負の感情に、気が狂いそうになる。酸っぱいものが喉にせり上げ、思わず膝をついて吐き出してしまいそうにもなる。それでも怨嗟の声はやまず、ケイトに襲い掛かってくる。
「愚かな。自ら悪意の虜になるか!」
オウリュウの、嘲るような声が聞こえる。しかしそれも、耳に届く怨念の声の一つにしか思えない。
――ツクノは、これを一人で押さえていたのか。
激しい悪寒を覚えながら、そんなことを思う。これほどの敵意と悪意を真っ向から受けて、耐え続けていたというのか。
「……耳を澄ませ、ケイト。聞こえてくる思いは、それだけじゃない」
太刀鋏が、辛そうにしながらも強い声で言った。
相棒の言葉に、ケイトはすぐに従った。頭が割れそうな痛みに苦しむも、それに耐えて何とか耳に神経を集中する。
悪意に満ちた声。相変わらず、気持ちがどうにかなってしまいそうな、真っ黒な思いに溢れた声。どれもこれも、恨みや憎しみ、怒りをぶつけてくる。
だが、聞こえてくるのは、確かにそれだけじゃない。
「……聞こえる」
ふと届いた声に、ケイトは耳をそばだてた。
どうして、こんなことになってしまったのか。誰かを、傷つけたいわけではなかったのに。ただ、使われないで捨てられるのが、寂しかっただけなのに。手を差し伸べてほしかっただけなのに。
そんな声が聞こえてくる。
それは、誰かへの憎悪の類ではない。悲しみや後悔といった、自分自身に向けたものだ。その声は、怨嗟の声に紛れて確かに聞こえる。何度も何度も、聞こえる。
――みんながみんな、同じように憎んでいるわけではないんだ。
きっと、誰もが救いを求めている。憎悪に捉われてしまったモノだって、最初は救われたかったのに違いない。それが長い時を経て、こじれてしまっただけなのだ。
だったら、やることは決まっている。悪意の闇から、捉われの心を解き放つ。そのために、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
「……負けて、たまるか」
強い決意を胸に、ケイトは立ち上がる。依然として頭の中では声が響いてくるが、もう惑わされることはない。全ての思いを、受け止める。
「僕は、受け止める。だから、君たちの思いを貸してもらうよ。あいつを、倒すために」
そっと呟き、頭の中でイメージを固める。全身に巡る悪意を糸で紡ぎ、一つに纏める。それを、鮮明に描き切る。
体の中で荒れ狂う悪意たちが、ケイトの意思を感じ取ってか、不思議と動きを止めた気がした。声も、やんでいる。
そこを逃さず、ケイトは頭の中で糸を操り、悪意を束ねていった。様々な思いが一つに重なっていくのを、体の中で感じる。
「行きますよ、ケイトさま!」
全てを纏め終えたのと同時に、ツクノがそれらを力に変換する。瞬間、纏め上げた力が弾け、ケイトの全身を眩い光が包み込んだ。まるでオーラのように全身から立ち昇り、自身の周囲を照らし出した。
――感じる。
清らかなれど、強大な力が湧いてくる。今ならば、何であろうが負けはしない。そんな気さえしてくる。
「ケイトさま、あれが見えますか?」
ツクノが見ているものを目にし、ケイトは小さく頷く。
「ああ、見えるよ。奴の真ん中にある光が」
オウリュウの体はほとんどが闇に覆われているが、丁度真ん中の辺りにさっきの光が映っていた。ただ違うのは、小さな点のようなものではなく、はっきりと人の形を成している。そしてそれは、救いを求めるように手を伸ばしていた。
間違いなく、オウリュウだ。ならば、やることは一つ。その手を掴んで、悪意の闇から救い出す。
「馬鹿な!」
オウリュウが、喚くように叫んだ。
「悪意の負の心を御し切れるわけがない! そのようなまやかしに、我が負けるわけなどないのだぁっ!」
吼え声を上げたオウリュウが、磁石の礫を飛ばしてくる。前方を覆いつくそうなほどの数だ。避けるのは、ほぼ無理だろう。
しかし、ケイトにはもう避ける気がなかった。勢いよく迫るそれらを、両の刀で振り払う。刀身からも出ている燃えるような光が、礫を跡形もなく消し去った。
そのまま止まることなく、ケイトは糸が通された針を十本出しては、オウリュウへと投げつけた。左右で五本ずつを、投げる際に一拍ずつ置き、方向も若干ずらした。赤い光を纏った針は鋭い軌跡を描きながら、オウリュウへとまっすぐ迫る。
「ちょこざいなッ!」
オウリュウが咆哮を上げ、その衝撃で針を吹き飛ばす。針は上下左右へと弾け飛び、あちこちに突き刺さった。
狙い通りである。
ケイトはオウリュウへと間合いを詰めるべく、一気に駆け出した。空中からはさらに放たれた礫が襲い、頭上と足元からは鉄の柱が突き出し、ケイトが前へ進むのを阻んでくる。
しかし、止まらない。礫も柱も、こちらに届く前に全て切り払う。
「ええい! 人間風情がぁっ!」
声を荒げたオウリュウが、自らケイトを迎え撃とうと、泥にまみれた翼を広げて突進してきた。巨体が、勢いをつけて迫って来る。
だが、それがこちらに届くことはない。既に、布石は打ってある。
「な、何っ!?」
オウリュウが、驚きに満ちた声を上げた。
飛ぶように突っ込んで来ていたオウリュウの体が、不意にぴたりと止まった。前に進もうともがいているが、何かに阻まれて動けないでいる。
その体には、赤い光を帯びた糸が纏わりついていた。糸は、先程放った針へと繋がっている。あちこちに突き刺さった針から伸びた糸は、まるでクモの巣のように張り巡らされ、オウリュウの体をからめ捕っていた。
その糸は、他ならぬ太刀鋏が張り巡らした。なんと言っても、彼は元々は裁縫道具なのである。扱えるものは鋏だけであるはずがない。針や糸だって、自在に扱える。ケイトが針を放った際に太刀鋏はそちらへと乗り移り、オウリュウに弾かれたのと同時に、自らの意思であちこちに飛んだ。そうすることで、オウリュウの目の前に糸の罠を張り巡らせたというわけだ。
「糸縛り」
オウリュウの近くにいる太刀鋏が、落ち着いた声音で言った。
「貴様ぁ、何をしたッ!」
叫んだオウリュウが、再びもがく。糸が絡まっているにも拘らず、無理やり動かそうとしている。まるで、糸が見えていないかのようだ。
いや、実際にオウリュウは糸が見えていないのだろう。あれは、モノと人を繋ぐ糸だ。本来ならば、誰の目にも映ることはない。鬼一法眼と同じ能力を持つケイトだけが、その繋がりを可視化できる。
当然、わざわざそれを教えてやるつもりはない。
絶対の隙を逃さず、ケイトはさらに駆ける速さを上げた。張り巡らされた糸を避けるように、右へと迂回しながらオウリュウへと迫る。
「させるかぁッ!」
オウリュウが吼えたのと同時に、その体から無数の黒い手が伸びてくる。それらは糸の結界をすり抜け、存外速い動きでケイトへと迫ってきた。
間近に来たドロドロの手が、しがみつくようにケイトの手足や体を掴んだ。細く華奢なように見えるのに、籠められる力は大分強い。
だが、そんなもので足を止めたりはしない。掴んできた手を切り払い、さらに前へと進む。オウリュウとの距離は、まだ少しある。
「ええい、ならば吹き飛ばしてやる!」
翼を大きく広げたオウリュウが、力を溜める素振りを見せる。広げられた両翼に黒い光が集まっていき、それほど間を置くこともなく放たれた。細いレーザー光線のような攻撃が、何本も迫って来る。一直線に来るものもあれば、迂回するようにして左右から迫るのもある。どれも微妙に間隔がずれていて、全てを防ぎ切るのは難しい。
――だったら。
まっすぐ突っ込んで、真っ向から突き破るだけだ。
覚悟を決めて、さらに駆ける速さを上げる。左右から迫るレーザーを間一髪すり抜け、前方から迫るものには両の刀で切り払った。さっきとは違って、今度はレーザーは真っ二つになり、あらぬ方向へと飛んでは霧散していく。
今の力なら、通用する。その確信を持ち、思わず刀を握る手に力が入った。
だが、それがまずかった。微かな慢心。オウリュウへの意識を、ほんの少しだけ削いでしまった。僅かに抱いた油断を、オウリュウは待っていたようだ。
「隙を見せたな、道具使い!」
ケイトは、ハッとした。視線の先では、オウリュウが大口を開けながら帯電する黒い球体を生み出し、衝撃弾を今にも吐き出そうとしているところだった。
その球体は、今までの何倍も大きい。普通ならば気づかないはずはなく、現にずっとオウリュウを見ていたのだが、ケイトはほんの一瞬だけ反応が遅れた。自分の力を実感した時に、僅かに意識が逸れてしまったのだ。
咄嗟に回避行動を取ろうとしたのと、オウリュウが攻撃を放ったのは、ほぼ同時だった。




