9話
「あの~、師範代さん?」
「あ、はい。どうしました?」
昼休憩後の作業中、そろそろ一服しようかと言うところでアウラが例の話題を切り出した。このタイミングなら、名前を聞き出した後の休憩中、こっそり私に教えるという行動が自然に見える。
よくやったアウラ、後で誉めてやらんとな。
「あの、まだ師範代さんのお名前聞いてないなーって」
「あれ? 師範から聞いてませんか?」
「それが、アッシュも忘れたって言ってて。ごめんなさい」
「ハハッ! 良いんですよ、元々人の名前をあまり覚えない方ですから。改めまして、俺の名前は■■■■です」
「■■■■さん、改めてよろしくお願いします」
興味ないふりで作業をしていたが、奴の言動はバッチリ盗み見ている。もう少し作業を続けたら休憩にするか。
「あの、そろそろ休憩にしませんか?」
奴から声が上がるとはな。まぁいい、好都合だ。
「そうだな。アウラ、一服にしようぜ」
頷き寄ってくるアウラ。
「俺はちょっとトイレ行ってきます、昼の弁当が当たったっぽいです」
そう言い残すと、師範代は走って行った。アウラがやって来る。
「アッシュ、名前聞いてきたよ。■■■■だって」
「そうか、■■■■か。聞いたことがない無いな」
ん? 私もアウラも何を言っているんだ? 口に出した言葉が理解出来ない。
ちゃんと聞こえて口にも出したのに、思い返すとそこだけ、ゴニョゴニョとなり理解出来ない。口に出してみても、自分がどんな発音でどんな動きで喋っているのか、さっぱり分からない。
「おいアウラ、ちょっと試しに奴の名前書いてみろ」
「うん、あれ? 書けない。何で?」
アウラも同じ状況のようだ。
「奴に魔力の動きはあったか?」
「う~ん、無かったと思うけど」
やられたな。どんな手かは知らないが、奴が敵だってのは分かった。そうなると、
「癪だが、全て奴の、奴らの掌の上って事だな」
「どう言う事? わたしにも教えて!」
「奴はロドン流の手先だって事だ。今にも襲撃があるぞ、逃げる準備をしとけ」
アウラはまさか、といった顔をしているが、この業界だとよくある話だ。
力ずくで道場を奪い、自分達の物にする。守れなければその程度の流派だった、と言われるだけだ。衛兵隊に駆け込んだとしても、道場破りと言われれば彼らは何も出来はしない。
その辺の事情を説明してやると、アウラは予想通りの反応を返した。
「じゃあアッシュが返り討ちにすれば良いでしょ? アッシュなら出来る! だって強いもん!」
私が以前と同じく技が出せる事は、アウラには伝えていない。それなのにこの答え、恋は盲目とは良く言ったものだ。
「いいや、逃げる。今の私には奴らを追い返す術がない。わかったらほら、抱っこしろ。何時でも逃げれるようにするんだ、それとも先に逃げちゃうか?」
アウラに腹芸は出来ないだろうしな、奴らを前に逃走を図るより良いかもしれん。どうせ奴らの掌の上なのだ、ここで私たちが逃げるのも想定内だろ。
「む~! アッシュは強いもん! あんな奴らに負けないもん!」
「そうか、じゃあお先でーす」
私は一足先に逃げさせてもらう。散々忠告してやったんだ、それでも残るってんなら後は知らん。囲まれて回されても私は知ったこっちゃない。さらばアウラ、奴らに大人にしてもらえ。
「やだ! 待ってぇええ!!」
叫びながら追っかけてくる。ま、そうだよな、そうはならんよな、アウラだし。今のこいつは150歳児だしな。
腐っても弓聖、すぐに追いつかれ抱き上げられた。
「置いてかないでぇええ!」
「分かったから家帰るぞ」
泣き虫アウラ。
部屋に帰り、落ち着かせる為にアウラにお茶を淹れさせる。私にはミルクが出された。急にねこ扱いしてきたな、こいつ。まぁいい。
「道場無くなっちゃったね」
「おう、予定通りにな」
「え!?」
「考えてもみろ、あの道場を元通りに直すのは大変だぞ? それならいっそ、奴らにくれてやればいい。まずは力を溜めて、最期に奴らの本拠地を奪う。そうすりゃただでデカイ道場が手に入るって寸法よ」
「それなら何で直しに行ったの?」
「知らなかったからな、敵のスパイが師範代に化けてるなんて」
まぁたぶん師範代含め、門下生は全員殺されたんだろうな。
「そっか、じゃあもしかして、」
「死んでるだろうな」
「!!!」
特に堪えた風に見えないのであろう、私の薄情さを咎めて睨み付けている。さすがにそこまでイエスマンじゃ無いみたいで安心した。
「別にこの業界じゃよくある事だ、弱い奴が悪い。まぁ皆殺しってのはなかなか聞かないがな」
「アッシュは何も思わないの? アッシュを慕って集まって来た人達なんでしょ?」
目尻に泪を溜めている、やっぱり泣き虫アウラだな。
「仇は取る、後は知らん」
「アッシュの事見損なった! そんな人だと思わなかった!」
これはちょっとまずいな。今の私にはこいつの力が必要だ。
「別に何も感じねぇ訳じゃない。陳腐な台詞を口に出せんのは女子供の特権てだけだ。後は察しろ」
アウラは私を抱きしめ、一人静かに泣いていた。よくもまぁ、顔も知らない赤の他人の為に泣けるもんだ。
日が暮れるまでそうしていたアウラは、いつの間にか泣き疲れて眠ってしまった。
私も今日はこのまま寝てしまおう。多少予定は狂ったが特に問題は無い。むしろ好転と言えるだろう。アウラに話すのは明日だな。
翌日。アウラは目を覚ますと、イスで寝たせいでバキバキに固まった身体をほぐし始めた。野営の朝によく見た光景だ。
「おはようアッシュ。昨日はごめんね」
「いや、良いんだ。ちゃんと片してくれれば」
テーブルの上には転がったカップと、こぼれて混ざったミルクティーがあった。
「え!?」
「アウラが蹴飛ばしてたぞ、それでこぼれたんだ。私にはどうしようもなかった」
まぁ、ミルクティーにして飲もうとした私がしくじったんだが。面倒だからアウラに押し付けてやれ。こいつのどうでもいい懺悔の身代わりになってもらおう。
「ねえアッシュ、これからどうするの? まだ道場の再建に拘るの?」
「私は決まってる。お前こそどうするんだ、アウラ」
「私はアッシュと一緒に・・・」
本当にそれで良いのか?と、じっと見つめるとアウラは言葉尻を濁しうつむいた。
「しばらく真面目に考えるといい。ただ『好きだから』って気持ちだけだと昨日みたいな事になる。しっかり考えろ。私はこれまでも、そしてこれからも修羅の道を行く。ついてくる気なら、無意味な殺生に手を染める覚悟をしろ」
アウラは無言で部屋を出ていった。昔から、深く考え込む時は緑の中に身を置こうとする。しばらく帰ってこないだろう。
まぁ、アウラが居なくても私の計画はどうとでもなる。いた方が手っ取り早いが、奴に人殺しを楽しめるとは思えんし、楽しんで欲しくもない。
150歳の児童に修羅道は似合わない。
三日後、アウラが部屋に戻ってきた。
「ちゃんと考えたか?」
「うん。わたしやっぱり、アッシュと一緒に行くよ」
「・・・ 『自分の方が強い』たかがそんなことの証明の為に人を殺せるか? 無理だろ? 止めとけ、な? お前にはそんな事出来るようになってほしくないしな」
「うん、出来ない。それにアッシュにもさせない」
「無理だな、ずっとそうして来たんだ、今更変わらん」
「無理じゃない! だからあんなに恨まれるんだよ。今度からはわたしがアッシュを止める。それでアッシュを誰にも恨まれない、みんなから好かれる、世界一の人気者にしてみせる!」
いや無理だろ、それこそ無理だろ。私が世界一の人気者って。
あれだろ? 王族のパレードみたいに、馬車から街道沿いの民衆に手を振る、みたいな。私が? いやいやいや。
想像しただけで気色悪い。鳥肌もんだ。全身の毛が逆立ってる。
「見てて。弓聖アウラは狙いを外さないんだから!」
アウラが私の逆立った毛を撫でながら言うが、どうやらこいつの決意は変わらんらしい。
馬鹿げた案に少し取り乱したが、まぁ概ね予想通りだ。
「そうか分かった。どうやら決意は堅いらしい。だが私を止める必要はないぞ」
「んーん、止めるよ!」
「私が剣を振らなくてもか?」
「え!?」
「私に代わり、お前が剣を持て。それなら別に止める必要無いだろ?」
「えっ! えええ!!」
そんなに驚く事か? 私はねこなんだ、ちょっと考えれば剣術なんて出来ないって分かると思うが。まぁ奴に覚悟を促す為に、あえてそっちに話をもっていかなかったのは確かだがな。
「ムリムリムリ! 絶対ムリだよ! わたしに剣術なんて!」
「そうか? ならしょうがない。また門下生を集めて、そいつらと道場破りするか」
「ダメぇえええ!!」
「ならどうするんだ? あれもダメ、これもダメってのは通らねえよ。選べアウラ、二つに一つだ。私の道場破りを止めるか、お前が剣術をやるか」
「うぅぅ・・・ 道場破りは絶対ダメ、でも剣術も絶対ムリ、どっちも選べない」
「そうか、そうだな、ちょっといじわるな言い方だったな」
アウラは私の上っ面な言葉に希望を見いだしたようだ。
「私の人切りを黙認するか否か、だ」
「もっとイジワルになってるよ! アッシュのイジワル!! 大きらい!!」
大きらいときたか。まぁどうせ剣術をやることになるんだ、好きなだけ言わせておけ。その分厳しくしごいてやる。
さあ、また搦め手で子供を手玉に取ってやるか。
「あのな、アウラ。私はどうしたってお前より早く死ぬぞ? 早けりゃ十年後くらいだ」
「いや! 聞きたくない!」
「だから私の技術を全部お前に教えてやる。そしたらお前の中に私が残り続ける。これならどうだ? 寂しくないだろ? それでも剣術いやか?」
首を横に振っている。肯定のようだな。
「アウラは長生きなエルフだからな。きっと私より強くなるぞ」
また首を横に振っている。今度は否定のようだ。
「そんな事ない! アッシュが一番!」
こいつの中で私の評価高過ぎないか? まぁいい、明日から特訓だ。時間は少ない、私が死ぬまでに五刀流の全てを教え込まないとな。