2話
二人に殺された後、気付けば私は何も見えない場所に居た。音もどこか遠く、ハッキリとは聴こえない。だが熱なら感じる。ここはとても温かい。ここが天国なのかもしれない。だがそんな事はなかった。
熱が遠ざかり、冷たい風に身体が晒される。しかし同時に光は溢れ、視界が明るく染まる。
思い切って目蓋を明けると、そこはなんて事ない路地裏だった。
倒れているのか視点が低い。
起き上がろうとすると、頭上に影が迫った。反射的に腰に手をやるが、そこに武器など無かった。代わりにあるのが毛皮の感触、毛皮のコートでも着せられているのだろうか?
頭上の影は私の顔をべろべろ舐め回してくる。よく見ると、それは巨大な猫だった。
何故猫がこんなに巨大なのだろう?
そういえば先程から痛みがまったく無いが、トマスとゴトーに付けられた無数の傷はいったいどうなったのだろう?
疑問に思いながら腹部を見た。
毛皮だ。まっ白でふわふわの毛が生えていた。何故との思いで毛をかき分ける私の手も、やっぱりふわふわの毛が生えていた。
「ミ!ニャンニャニャー!」
これは予想外の展開だ、どうしたものか。
・・・・・・
まあ、せっかく生まれ変わったんだ、ねこの人生を楽しむとしよう。
私がねことして目覚めてから1年が過ぎた。共に育った兄弟たちも巣立ち始めている。私もそろそろ巣立とうと思う。
母へ別れの挨拶をし、路地裏から旅立つ。
この辺りは王都の北部街だ。治安はあまり良くないが、スラムと言う程ではない。精々がらの悪いのが多いくらいだ。
一先ず東部街へ行こうか。人間だった頃に借りていた部屋を見に行きたい。部屋はもう人手に渡っているにしても、荷物を保管してくれていたりしないだろうか。コレクションと言う程ではないが、結構良い武器が何本か置きっぱなしだったんだよな。
大太刀が一本、片手剣が二本、打刀が二本、両手剣が一本、それから半月状の刃が特徴的な一対の大型ナイフ、月刃が二組の、計十本。あれらが処分されてるとなると、結構ショックだな。
ねこの身体じゃ使えないんだけど、それでも未練が残るって言うかな。
って言うかあの大太刀、ほんとに良い物なんだよ!
錬金術の圧縮製法で作られてんだけど元の金属塊には重量軽減の術式が刻んであるから500キロの金属塊なのに羽みたいに軽いしアダマンタイトの合金だから頑丈だししかも鞘なんかも凝ってて、っと危ない危ない。
うっかり馬車に引かれるとこだった。
しかし思ってた以上に遠いな。この1年弱でねこの移動距離の感覚に慣れてきたつもりだったが、なかなか思うようには進まない。人の頃の感覚に引きずられている、最近は殆ど無かったんだが。
結局私は三日程かけて東部街までやって来た。ねこはスタミナがないのは知っていたが、まさかここまでとはな。母の元に居た頃は、こんなに長く歩いた事が無かったから気付かなかった。
私が借りていた部屋まではまだ遠い。東部街の中央区画まではもう一日かかるだろう。
今日は休みだ。明日また頑張ろう。路地裏に潜み、ネズミを捕らえて食べる。あとは人家の庭先に入り、そこから床下に隠れれば久しぶりにゆっくり寝られる。
一日ゆっくり休んで英気を養った私は、今日こそ昔の部屋を訪ねるべく行動を開始した。先ずは昨日の路地裏で朝食を取り、中央区画へ向かう。
そうして中央区画までやって来たは良いものの、想像以上に道幅が広い。遠くが霞んで見えないのだが。
「ミャーン、ミャォォン?」
いっそ誰かの背中に飛び乗るか? この国の人ならねこに優しいだろう、だがねこを食べる国もあると聞く。どうしたものか。
「ねこちゃん、君も渡りたいの?」
私を優しく抱き上げたのは、嘗ての仲間だった。
「ミャ! ニャウニャ!」
そこに居たのは弓聖アウラだった。懐かしい顔だ、だが少し元気がなく見える。
しかしこんな偶然があるのか、驚いた。驚きのあまり、尻尾の毛が逆立っている。
「あ、ゴメンね、驚かせちゃったね。・・・ バイバイ」
「ミッ! ニャウニャ!」
気にせず歩き出したアウラのブーツに飛び付く。それからねこパンチ!
「え!? 何!?」
「ミャウニャ!」
両手を挙げて抱っこアピール、これで通じると良いのだが。
「えっと、抱っこして欲しいのかな?」
恐る恐る抱上げるアウラ。乗り心地はあまり良くないが、安い辻馬車と思えば問題ない。
「ミャッミャミャー!」
アウラの歩行に合せ、尻尾がぶらぶら揺れている。人の頃は気にならなかったが、人間の歩行は結構揺れる様だ。ねこの大きさだと余計に揺れを感じる気がする。あとはクッションの性能か。小さいと全然だし、かと言って大きいと逆に弾みそうだ。なかなかちょうど良い大きさってのも難しいものだ。
しかし人間だった頃はあれほど追い求めたおっぱいなのに、ねこになってからは全く興味が持てない。背中にあたる柔らかさに、なんの幸せも感じない。
人間じゃなくなったんだなって、今さらながらに実感する。
それにしてもアウラ、さっきからずっと私の都合の良いルートを歩き続けているな。適当なところで飛び降りようと考えていたのだが。
もしかして私の部屋に向かってるのか? それなら好都合だ。私のコレクションを引き取ってもらおう! 人間だった頃の知識は残ってるんだ、爪で字を書けば理解してもらえるだろう。
「ミャッミャーウ!」
「? ねこちゃんご機嫌だね」
何でそんなに寂しそうに笑うかね? 私が死んだからか? それにしたってもう一年半は過ぎてる筈だ。
・・・・・・ そう言えばアウラは友達居なかったな。仲良くしてたのはパーティーメンバーくらいか。そのうち私は死ぬし、勇者トマスと賢者ゴトーとは縁を切っただろうし、聖女リディアは教会に戻ったろうし。
全く、だからあれほど友達作れって言ったのに。
「ンナウ!」
お前なんかねこパンチの刑だ! 寂しそうにしやがって! おちおち死んでられん! 全く、ねこだけが友達なんて! 私がこいつにちゃんと人の友達作ってやらなきゃ。
「どうしたのねこちゃん、もう降りる?」
ま、今の私の憤りが通じる訳ないよな。アウラの質問にはしがみつく事で答える。
おおかた寂しさを紛らわす為に私の部屋に引っ越して、で、そのまま借りてるんだろ。
「ミャッ! ンナッナウ!」
「ねこちゃん? 変な子」
私の読み通り、アウラは嘗ての私が借りていた部屋に着いた。
「ただいま、ユースト」
私が人間だった頃の名前だ。今の私に名前は無いが、とっくに生まれ変わってるんだ。そんな風に呼び掛けられてもな。
「ニャッミャウ!」
「ねこちゃん、家まで連れて来ちゃったけど良いの? 帰り道分かる?」
今のアウラを一人にしておけない。私も再びこの部屋に住むとしよう。
彼女の腕から飛び降りて、彼女の部屋を探索する。家具の配置は殆ど変わっていないように見えるな。1度高い所から俯瞰したい。クローゼットの上はどうだろう? とりあえず跳び乗ってみるか。
助走をつけてジャンプ、爪を立てて素早くクローゼットの脇を駆け登る。
多少埃っぽいがなかなかの見晴らし。こうして見ると何も変わってないな。アウラ、寂しい奴。
「ねこちゃん、そんなとこに登っちゃだめ」
クローゼットの上は駄目らしい、見られたくない物でも上がってる訳でなし、別に良いじゃないか。
飛び降りた所を、アウラにつまみ上げられてしまった。
この体勢はダメだ。全く抵抗できない。幼い頃、母にもこうして首をくわえられたのだが、こうなると全身から力が抜けて何もできなくなってしまう。
「埃まみれ、ねこちゃん、お風呂入ろっか」
風呂か、当然だがねこになってから入れてないな。特に風呂好きと言う訳ではないが、言われて見ると身体中ドロドロだ、昔はふわふわだったのに。
野良だからしょうがないが、こんな汚ないねこをアウラはよく抱っこしてくれたな。
「ねこちゃん、おいで?」
風呂つきの部屋はこんな時に便利だな。魔石式の湯沸し器で何時でも入れるしな。
平凡な浴室の中だが、ねこの視点ではなかなかに雄大に見える。ただ湯船に湯を張っているだけなのに、蛇口から出る湯が滝の様だ。湯気がまた壮大に見せている。
湯船の縁に登ってもっと近くから見てみたいが、滑って落ちたら危険だ。やめておこう。なんとなくそんな気がする。気がつくとアウラの腕にギュッとしがみついていた。
「ねこちゃん、ここに入っててね」
木製のたらい、このたらいは私が使ってたのだな。カビの模様が同じだ。前は手桶代わりに使ってたのが、今は私の湯船か。随分と小さくなったものだ。
「お湯かけるね」
湯が背中を流れていくのは分かる、だが全然染みてこない。ずっとダンジョンに籠ってた後の風呂みたいだ。垢と脂で髪が全然洗えない感じ。
少し俯き、顔を上げると、アウラはたらいに石鹸を溶かし、私の毛皮をもみ洗いを始めた。エルフは人間程脂が強くないって聞くが、アウラも覚えがあるみたいだな。たしか、昔は冒険者だったって言ってたしな。
何度か湯を替えもみ洗いを続けると、きれいになったみたいだ。
「うん、きれいになったよ」
ぶるぶる身体を振るわすと水分が飛んでいく。
「もう少しおとなしくしててね」
そう言えば、何でアウラも全裸なんだ? いや風呂だから当然なのだろうが、私を洗うだけなら脱ぐ必要ないだろう? 朝風呂は趣味じゃないって言ってたと思うが。
私が頭をひねっている間にも、アウラは身体を洗っていく。
「ミャンニャッニャウ?」
「? もうちょっと待っててね」
通じないか、いや通じる訳がないな。筆談しようにも書く物が無い、どうしたものか。
目の前には染みひとつ無いきれいなアウラの背中。ねこには充分な大きさだ。
肉球で伝わるか? 伝われ!
『冒険者に戻ったのか?』
「ッ! ねこちゃ、ン! ッダメ! くすぐったい!」
アウラ、背中弱い人だったか。つい自分の感覚でやってしまった、私は背中くすぐったくない人だったから。
「ミュゥ!」
「ゴメンね、飽きちゃったね。もうすぐだから」
そういう事じゃないんだが。まぁ良い、大人しくしてるか。
それからアウラは宣言通り、すぐに洗い終わり、私の身体を拭いてくれた。それより先ずは自分の身体を拭いて欲しかった。くしゃみをしてたし、私の世話で風邪を引かれちゃかなわん。
「おまたせ、風あてるね」
着替えたのは良いが、私の毛皮の前に自分の髪を乾かせというに。頭に駆け上がったれ。
「ねこちゃんダメ、降りて。そこじゃ乾かせない」
「ミャーニャニャナナウ! 」
ねこパンチならぬ、ねこタップで優先度を伝えようとする。伝わるかはわからないが。
「ほら、怖くないよ~、ね? だから」
ダメだ全然伝わらん、ならば再度ねこタップだ。
「う~、・・・ なら、私が先にやって見せるから、ね? それなら安心でしょ?」
まぁ及第点としよう。
それからアウラは髪を乾かし始めたのだが、すぐに私の毛皮を乾かそうとする為監視に気が抜けなかった。