バシルペーストのバケットとトマトスープ
独りなら静かな住居スペース。他人が一人居るだけでこんなにも賑やかになるのかと、定刻に宝飾店を閉め、雑務を終えると君影は思う。
ドアを開ければ……
「おかえりなさーい!お風呂にする?それともご飯?それとも、わ、た、し?」
喰らえ!シャボン玉砲!夏樹が百均で仕入れてきた『バブルシューター』で、シャボン玉をシュワワと発射させてくる。
「馬鹿?着替えてくる」
冷たく言い放つ君影。シャボン玉がキラフワ浮かぶ、無機質な男の部屋。
「クソお……そこは、おい、やめろよ。困った奴だな、ハハハ。取り敢えずビールと答えるのがセオリー。サハラ砂漠と化している、かっちゃんの心を潤す為に頑張ったのに……、ヒドイ男だな!」
「は?母親が亡くなりその寂しさを癒やそうとこの街に来て、遊び周りその挙げ句、数多なる貢ぎちゃんのハーレム状態。そして身辺整理に忙しかったお前に、言われたくない!僕はきちんと暮らしているぞ!お母さん泣いてるぞ」
「う……、帰ったら写真に謝っておくよ。もう二度と貢ちゃんを作りませんって……。ええ?きちんと?何処が!証拠を見せてみろ!ああ?この家に調味料はないのか!米は?砂糖は塩は!コーヒー、紅茶、牛乳、スナック菓子、インスタントラーメンすらない!」
「無い!デリバリーか、外食だからな。コーヒー、紅茶に緑茶は、店で飲むか喫茶店、美味しい酒はバー、家はビールか水!家では濃い酒は飲まない事にしてるからね。何たる健全」
「ハッ?冷蔵庫に、ビールとミネラルウォーターのみってのはおかしい!無駄に良いシステムキッチン!使ってないのがおかしい、鍋にフライパン、包丁、カラトリーすらない!どういう事だ!女気皆無!仕方が無いから買って揃えた身にもなれ!」
「ほお……、宿代だな。そのキッチンは無いといけないと、設計士が設置したんだ。まっ、たまにここスタジオ代わりにして、商品のフォト撮るのに使えるから良いけどね。女気って……、彼女居ないからな、皆無だ。そして必要無いものは家に置かない主義」
「必要無い?あるある!食事は生きる糧だぞ!なさ過ぎだろ!そんな顔しててさ、無駄におぼっちゃまくんだし。そこに来てこの部屋だろ?だから僕もちょっとヤバって思ったんだよ!」
「無駄に?何がヤバい!そっちが勘違いしただけだろ?お前は男にもモテる顔してるくせに。フリーなのは、仕事が忙しいから。知り合うきっかけがないだけさ」
「お店に女子来ないのかよ……どんな店なんだよ」
あの夜から残りの日数を君影の家で過ごしている夏樹。レストランの厨房で働いていると話す彼が、深夜に戻る君影に夜食を作ろうとしても、1から道具や材料を揃えた事や、君影の気儘な食生活に文句をつける。
「そもそも、夜食にラーメン屋の出前って!カロリー的にアウトだと思う!野菜を食べろ野菜を……」
夏樹は初めて来た夜に、あらぬ妄想が広がりドキドキ感満載の中、君影にチクリと否定された後の事を話す。深夜にも関わらず、腹へったから、これからラーメン屋から取るけど何にする?と聞かれたことだ。
「太らない体質だ!女子でもないのに、カロリー?ハッ!野菜野菜とうるさい。言っとくけど、僕は他人を性的に好きになった事はない。店は至って健全。リア充カップルが、エンゲージや、マリッジリングを買いに来る老舗の名店だ」
「はぁぁぁ。かっちゃん、お母さんに言われた事ないの?。今のままでいたら、年取ったら腹に回るぞ!脂質が……、メタボリックシンドロームになっていいのか!ポヨポヨになったらどうする?好きになる努力位しろ!」
「ふむ……そんな事無かったな。独り身?どうもしない、努力?仕事に回す!そう!仕事に生きるのみ!」
言われた事が無い、それを聞き夏樹は嘘だろと思う。お野菜って高いわと言いつつ、職場で見切り品を買ったり、ブロッコリーの芯や食べれる物なら皮まで上手く料理して、食べさせくれていた母親の事が過る。
「ええ!おぼっちゃまくんは言われたことない!?お母さんって言うだろ普通……、独り身どうもしないって、寂しく無いの?僕は家族、欲しいなぁ……」
「ああ、忙しい人だから無いな。くっ……ハハハハ!夏樹が、結!婚!そんなお目出度い女いるのかよ!お前のこの街でのひと夏の過ち、悪行の数々を全て受け入れる、例えると聖母様だな!見てみたいよ!」
頓着なしに笑う君影の声。置いてるだけだったキッチン、何も無かったそこ。がらんどうの長物。君影のそれまでの暮らしぶりに重なる気がする夏樹。彼の代わりに、少しばかり寂しくなる。それを吹っ切る様に言葉を返した。
「悪行!ちゃんとね、過ち!?、僕は遊びだけどいい?って聞いてから、そーゆー関係になる。本命にしか愛してるやら、好きだよなんて言わない主義!」
「ほお?じゃあ女子から、好きだ惚れたと言われたら?」
「うーん……、笑顔でごめんねって返して……、でね、女の子はそれでもいいから側にいて、ってなるんだよ。そう、遊びになるよって念押しをする。すると、いいよだって。じゃあ、遠慮なくいただきまーす。てな感じになってさぁ……、何言わせんの!かっちゃんだって、帰りたくないとか言われたらどう返事するの?」
わざと明るく茶化し答える夏樹。
「アハハ、それで結婚考えてるの?ムリムリ。あー?帰りたくない、それはまた面倒な女だね。そう、僕は仕事だから帰るねってなる」
「嘘!ヒドイ男だ!信じられない!女の子泣いて帰ってるよ!その心の無いサハラ砂漠をなんとかしたら?」
お前にだけは言われたくない、と話す君影と言い合いをしつつ、夏樹はキッチンで鍋をかき混ぜながら、据え付けのオーブンレンジの中のバケットの焼き加減を見る。
「参ったよ、皿や調理器具すらないなんて、百均近くにあってよかった、ホント!」
「食器は前はあったけど、使わないから処分して、そのまま買ってない」
買えよ!かっちゃん人間離れしてるよ!部屋に広がる温かい湯気の香りと夏樹の小言。料理の匂いをかぎ、小言を聞き、深夜のニュース番組を見ていると、何時も独りで食事を取っていた君影は、家族とはこんな感じか?とこそばゆく思う。
「あー、ワゴン無いんだよな……、ああ!トレー買ってない!カウンターでいいか。出来たよ、かっちゃん」
カチャカチャと食器の音。ボヤく夏樹の声。着換え、言い合いをしつつソファーに座って、ノートパソコンで予定を組んでいた君影は閉じると立ち上がり向かう。
野菜が彩り良く入れられた温かいスープに、バジルペーストを薄く塗った、バケットのトーストが添えられた、深夜の食事。
「駅ナカのパン屋さん、小麦粉とバターいいの使ってるよね、バターロール、クロワッサン絶品。このバケット美味しいし。マーマレードも秀逸だな、今朝食べてびっくりした。時々買いに出てこようかな……」
「そっちに無いのか?ふーん……、でいつ帰る?」
横並びに座り食べる二人。夏樹はバケットを千切ってスープの中に散らす。こうして食べるの好きなんだと笑顔を君影に向ける。
「明後日かな……かっちゃんにはお世話になったね、お昼はかっちゃんご購入のデリバリーに付き合って、色々勉強になったし……」
「いや、掃除洗濯、飯作り迄、世話になったのはこっちかな?ああ……、帰るときは買ったもの持って帰れよな」
「はい?」
「使わない」
「はあ?いや!置いておく!パン屋に来た折には、ここに泊まって使う!」
「はあ?泊まりに来るの?わざわざ?」
「ああ!せっかく百均といえど、一通り揃えたんだからな!使う!使い倒すから!暇を見つけて連絡入れる、ラーメン頼まずに待ってろ」
パンにスープが染み込む様に、スプーンでかき混ぜる夏樹。カリカリに焼いているそれを、ザックリ齧る君影。
トマトベースのスープは、ベーコンの塩気が効いている。スプーンですくい一口。ホロホロと崩れるじゃがいも、鼻に抜けるハーブの香りが密かに主張をしている。
「旨い飯だから、飲もうかな、夏樹は?いる?」
立ち上がり冷蔵庫ヘ向かう君影。
「うん、貰おうかな、グラス冷えてるからついでに出してよ、僕は注いで飲む事にしてる」
「はっ?思っていたけど、缶のままで良くない?面倒くさ」
「はぁ……、それでかっちゃん、よく客商売してるね、信じられない、水はペットボトルそのままだし、おぼっちゃまくんだとは思えないお育ちだよ」
「クッ!飲めりゃ何でもいいし。細やかな気遣いは店と両親と小うるさい親族の前で使い倒してるからね、独りの時はどうでもいい」
プシュッとプルトップを開ける。注いでやろうか?と聞くと、自分でするからいいよ、泡の分量が大事。と笑う夏樹。
「面倒な奴だな、それで女にモテるのは顔か?やっぱりそこ?」
「ふっ!それもあるけどね、ちょっとした細かい気遣いの方が大事。かっちゃん、女の子は誰しも、お姫様を心のどっかに飼ってるんだから、ね」
黄金比率に注いだグラスを、満足そうに目の高さに上げる夏樹。そのままで酒造メーカーのポスターに使えそうな華が溢れ出る。
あー、何かそのお姫様ってのはわかるな、店に来るお客様そうだし、と意見の一致の返事をする君影。他愛の無い話しで盛り上がる。
夜更けの食事。店の柱時計が、ひとつ。ボーンと欠伸をするように音を立てている。コチコチ進んでいる時間。はしゃぐ様な3階の部屋。にぎやかな時もあと少し。夏の終わりがすぐそこに来ていた。