泡弾けるスパーリング 花火
曽祖父から続く宝飾店を引き継いだ君影、定休日の午後、彼は顧客から招待状が届いていた、新社屋完成披露パーティに顔出しをしたあと、商店街の役員会という名の飲み会に出た。
会長行きつけのバーのボックス席、めんどくさいやり取りを聞きつつ、君影はかしこまり黙って酒を飲んでいた。
付き合い酒ほど嫌なものはないな……、パーティに引き続き、なんとも付き合いは面倒だと、しみじみ思っていると、喋るだけ喋って満足した年上の店主達は、そろそろ帰るかと席を立つ。
カラン。グラスの中の氷が名残を惜しんだ。琥珀色した液体も……。
何故か、飲みかけのグラスをそのままにするのが、イヤな気分になった君影。定休日だったからか。それとも付き合いばかりで気疲れしていたからか、翌朝の仕込みなど無い彼は残る事にする。
帰ろうとの声に、これだけ飲んだら帰りますから、と断りを入れ、場所をカウンターへと変わる。ゆっくりと自分の好きなのを一杯だけ、これを空けたら頼もう、肩の力が抜けて軽くなった。
店にはお客はちらほら。5人掛ければ満席の、オークの一枚板のカウンターには若い男女二人連れの客。何やら話し込んでいたのだが、ちょっと電話してくる、女が席を立ち店の外へと姿を消した。
美味しいのを飲みたいな、と君影が空にし、隣の客の事など気にせず、顔馴染みのマスターに注文をした。日本酒のスパーリングが入ってるけど、今の時期にピッタリな名前のお酒でね、女のコ受けしそうでしょ。とボトルを見せ勧められる。
「ホントだ。花火のデザインだね。面白そう。じゃぁそれで」
やり取りをしていると、不意に声がかかる。
「ホント、花火をシャンパングラスで、と言ったら喜びそうだね」
男の方がキザなセリフを言いつつ、話に割って入ってきた。
隣りに座る君影は、つい何時もの習慣で身なりを見て値踏みをしてしまう。高価な品を売買する彼は、持ってるお客かそうでないかを、先ずは外見でざっと判断する習慣が身についていた。
至極あっさりとした、ノーブランドのシャツにスキニーをラフに着こなしている。見場の良い彼が着ると、高級感溢れるなと思いつつ、ショットグラスを持つ手に視線を動かす。
……、ホント、いい顔してるなぁ、モデルかホストかと思ったけど、違うかな?小さな火傷の跡があちこち。仕事をしている『手』だな。そこそこかな?実入りは。
頬杖を付き君影を眺める彼。人懐っこく笑いかける。
「でね、僕と友達になってくれないかな?」
「は?」
唐突な言葉に、眉目秀麗という漢字が、そのまま当てはまる佳人の申し出を、ナンパかと思った君影。
一通り見分し終わると、関わり合いは無用とばかりに、黙ってマスターから差し出された、冷えたシャンパングラスを手にする。
シュワワと細かな気泡が上に上がっている。香りが良く甘めなそれは飲みやすく、確かに女のコ受けしそうだなと思う。言われた事にはスルー。黙ったままでグラスを傾けていた。
君影は、不躾な隣の席と世界を切離そうとしていたのだが。
「で、今晩泊めてくんない?」
その思惑を素通りする隣に座っている彼。さらりと次なる手を打ってきた。知らぬ顔をしようとしたのだが、つい反応をしてしまった君影。
「は?」
「さっきの彼女にさ、僕の家に泊まりたいって言われたんだ、困ってる、この街に住んでないんだよね」
ため息をつく彼は、目元涼しく鼻筋通った顔。彼の癖なのだろう、語尾が少しばかり上がるイントネーションで喋る。仕方が無いので向き合う君影、足元に膨らんだデイパックがあるのに気がつく。
「旅行中?」
「そう、店が再開発で今、工事中でさ、ひと月休みを貰ったんだ、オーナーはこの際勉強してくるって、イタリアグルメツアー。先輩達は家族サービスだし……、駅前の『ベイ・サルーニ』っていうホテル暮らし、かれこれ7日、ワケアリで引き払ったけどね」
「ええ!凄いね。あそこ高いんだよ」
君影は少し目を見開く。彼が滞在していると言うホテルは、シングル一泊でもそこそこの値段がする、超高級ホテルだからだ。金持ちのおぼっちゃまくんか!と興味を抱く。
「そうなの?道理でいい部屋だと思ったよ、僕がお金を出していた訳じゃなかったけど」
ふう、と悩ましげに吐息をついた佳人。少し暗めな店の照明、カウンターに肘をつきグラスを眺め、憂い顔の姿はまるでポスターか、映画ワンシーン。無視しようと思ったが引き寄せられる様に問い返す君影。
「は?出してた訳じゃ無い?オーナとやらが太っ腹とか?それとも金持ちのボンボンとか?」
「あは、金持ちのボンボンなら、火傷しもって、手を荒らして働いてないよ。うん?最初はビジネスホテルに泊まってたんだけど……、彼女のひとりが部屋をとったから、移ってって言ってくれて、さ。いい部屋で過ごさせてもらった。フラフラしてたらね、声がかかるんだ。ほら、モテるから僕」
はい?凄いぞこの男と思った君影。つまり目の前の男は、束の間のヴァカンスを、逆ナンしてきた、女の金で遊び暮らしているという事に気がついたのだ。ここは断り席を立とうとするのだが、闇夜に密やかに香りを放つ白い梔子の様な男の話に、いつになく惹かれた。
「へえ、つまりは貢いでもらってたの?」
「うん、そういう事に結果なったのは、頭が痛い問題。でもね、お互い承知の上の関係だったし……、流石にこのままではヤバいと思ったから、終わりにしてる。さっきの彼女にもそう言ったら、僕の家に来るって聞かない、だから友達と、この後約束があるって言ってね、するとオンナでしょう!だって、ね、だから友達になってくんない?」
ふざけた話を頼み込む佳人。君影は、さて……どうしようかと、判断がふらつく。あ、彼女が来ちゃった。ね、ね、話し合わせてねと言う男は名前を名乗る。
「僕ね、アオソラナツキ、君は?」
「きみかげ、かつら」
「かっちゃん、にしよう、僕達仲良しになれるよ、きっと……、あ、彼女来ちゃった」
ホント!ふざけた奴だなと思いつつ、スルリと名前を返してしまった事に縁を感じ、下らなくなりそうな茶番に付き合う羽目に陥った君影。
ツカツカと、少しばかり苛立つ物を纏った女が、うすら紫煙の香りをさせつつ二人に近づく。座ったままで対する君影と夏樹。
「友達の『かっちゃん』」
「あ……どうも。え?隣の席に座ってた気がする……」
「気を利かせてくれてたんだよ、ね、かっちゃん」
人懐っこい笑顔を君影に向ける夏樹。あ、うん、そうと応える君影。そんな彼を見て、女は怪しいと思ったのか、不躾な視線で舐めるように君影を見分する。そして何か気がついたのか、しかめっ面で君影に問いかける。
「……、えっと、かっちゃんさんとやら?何処のお店で!出会ったのですか?」
日本酒のスパークリングの『花火』は、酒がめっちゃ強い、末娘のお薦めなのです。旦那様に似たのね。きっと!