緑茶と袋菓子
「明日、夜に外せない貸し切りの予約が入ってて、この後頼めるかな。それと葬儀の後も、今から少しばかり料理を仕込んで来る。告別式には立てるから」
ロビーで座る君影に、友人の勤め先であった店のオーナーが頭を下げてきた。
「良いですよ、こちらは今日と明日は休みにしてますから、それよりも葬儀の段取りをして頂き、ありがとうございます」
ありがとう、僕の奥さんは今晩ここに残るから、夢ちゃんのこと頼むね、と話す主。君影は、伽の間から出てきた皆と頭を下げ合い挨拶をし、その夜は別れた。友が安置されている場へと戻る。
「お腹空いてない?お茶でも入れましょうか、上着脱いで、ネクタイ外して楽にしたら?」
襖戸を開けると、ハキハキとした声がかかる。
「いえ、慣れてますから。変な時間に食べましたから、胸焼けしてますよ」
通夜式の前、午後6時に用意された料理を食べた君影。何時もとは違う時間の食事が、まだ胃の中で主張をしていた。靴を脱ぎ畳敷きの座敷の間に入る。線香を一本、火を灯し灰にそろりとたてた。
「あ、接客業だったか、スーツは慣れてるわね、ウチの人は駄目、肩が凝るって。へえ、夜中にラーメンの人が胸焼けするの?」
静かな空気が苦手なのか、残った彼女がくすくす笑う。
「しますよ。夏樹からどんな風に聞いてるかは知りませんが」
「心がサハラ砂漠のおぼっちゃまくんの家なき子、家にはビールとミネラルウォーターしかない」
と、なっちゃんが話してた。緑茶を湯呑みにいれると、こっちに来て座りなさいと、菓子盆が置いてある座卓に誘われる。はい、と答え正座をし、両手を添え出された茶を飲んだ君影。
「お店でしか会ったこと無いから、お育ちのいいおぼっちゃまくんなんだけどねぇ、テーブルマナーもバッチリだし。ペットボトル直接とは思えないのよねぇ」
「小うるさい親族と両親が居るときは、ちゃんとしてますよ、何ですか?その家なき子って」
ニッコリと営業スマイルを向け、湯呑みを下ろす君影。共に飲んでいる彼女は、菓子盆の上から小袋をひとつ取ると、封を開けて食べつつ答える。
「ん?なっちゃんがね、そう言ってたの。親を知らない気がするって、御両親、ご顕在なのでしょ?」
「ええ、バイヤーで世界中飛び回ってますよ。アハハ、言い得て妙だな。小さい頃から殆どの時間、独りで過ごしていたから、何ヶ月も会えない事もザラだったし」
「ええ!ご飯なんかどうしてたの?掃除に洗濯は?」
「小さい頃は家政婦さん、大きくなったら適当に外食したり、デリバリー、掃除洗濯は通いの家政婦さんがやってて、その内、洗濯ぐらいは自分でする様になりましたよ」
「まあ、お金持ちも大変ねぇ。ところでね、ちょっと話があるの」
ポリポリと、海苔巻きのおかきを食べつつ、さり気なく話を切り出した彼女。何ですか?と君影は愛想よく問うた。
「なっちゃん、指輪頼んでるでしょう、それなんだけどね、夢ちゃんに形見として渡すの、待ってくれないかな?」
ひとつどう?ここのおせんべい美味しいのよ、と勧められた君影。付き合いで袋をひとつ手に取る。丸い醬油煎餅が和紙を模した袋の中に一枚、そのままパキパキ割り、封を開ける。欠片を口に入れた。
「そのままボリボリじゃないとこが、ぼっちゃんだわ。あのね、もう少し落ち着いて、考えて答えを見つけ決心をしたら渡して欲しいの、それまでは預かっててくれないかな」
変なところで感心をする彼女。欠片を噛み砕き飲み込むと、何故ですか?と聞いた君影。
「わかってるくせに、男の稼ぎでも大変な時代よ、シングルだと男女問わず、子育ては火の車、勿論そうじゃない家もあるけど、夢ちゃんは普通の稼ぎの女のコよ、一人暮らしが精一杯の、若い若いお嬢さん」
「独りで産み、ひとりで育てられないと?」
酷い事を言うもんだなと腹の中で思う君影。通夜式の時には、お腹の子供の事を案じたり、しっかりしなさいと言っていた彼女。
「今はね、育てたいと言ってる。今しか見えてないから、でもね、なっちゃんのお母さんは独りで産んで育てて、働いて働いて死んだのよ、去年の事だったけど」
知ってますよ、お店がある時は踏ん張れたけど、休みになったら家にいたくなかったから、出て来て自暴自棄の結果、貢ちゃんハーレム作ってましたもん。と話す君影。
「そうなのぉ!知らなかったわー。流石はなっちゃん。ホントはホールでウェイターして欲しかったのよ、あの顔でしょ、お客様バンバン引き寄せるもの、いい遺影ね、彼ならどう言うと思う?」
額縁の中の夏樹を見る彼女。しんみりとした物が広がる部屋。
「夢ちゃんのこと大事にしてたから、だからね、夢ちゃんには幸せになって貰いたいの。まだ若いんだもん」
「子供を諦めて、想い出に昇華し、次を見つけろって話ですか?」
あけすけな君影の言葉に、はっとする彼女。うーん、そうなんだけどそうじゃないのと話す。
「なっちゃんの前では可愛そうな話よね、酷い事を言ってる、もしも、夢ちゃんが独りで頑張るって決意をしたら、それを渡して欲しいということだけ。枷に囚われず考えてほしいなって思っただけなのね」
「そうですね。これが有れば選択肢が狭まる、後で後悔しない様に、そういう事ですかね?」
ポケットの中の箱が重さを持った気がした君影。わかりました。取り敢えずしばらく預かりますよと答える。
「悪いわね、変な事頼んで、夢ちゃんにはこの事秘密にしてて」
「はい」
クシャクシャと小袋を丸めると、立ち上がり屑入れに捨てた彼女。ちょっと夢ちゃん見てくるから、火の当番、宜しくね、とついでに部屋から出て行った。
ふう、とため息をつく。立ち上がり白い地模様が浮かび上がる布地へと近づく。悪いモノが入って来ぬ様に、錦の袋の護り刀が置かれている。
窓は開けられている。四角いそこには色白い顔。
「馬鹿だよなぁお前。付き合ってもないストーカーなんかに襲われて、顔が良いのも良し悪しだな」
コォォォ、エアコンの音。
「これ、どうする?お前が可愛いのが良いって言って、ダイヤじゃなく、ピンク色の石を選んだんだろ、彫金も済ましていたのに、どうする?どうしようもないから、彼女にプロポーズしちゃたよ」
コォォォ、静かな風の音。
「店の、柱時計の前のソファーでね、受け渡しするんだよ。受け取り書にサインしてもらうから、その時はあそこのテーブルの上に、ブライダルピンクの花籠を用意するのが決まり。そして和菓子屋さんの金平糖、赤と白、ピンクに薄いキイロ、オレンジ、綺麗な色いっぱいの金平糖の袋を渡してね、スタッフ一同でおめでとうございます。お幸せにって言うのが決まりなんだ」
コォォォ、音立てるものはそれだけ。
「起きてきて、どうするか言ってくれなきゃ、馬鹿だよなぁ、うん、どうしてこうなった、あれ?おかしいな、目がおかしいし、熱いし痛いし。困ったな」
両手で顔を覆う君影。
「お前が悪い、酷い男だ。サハラ砂漠で良かったのに、カラッカラ、湿度無しで良かったのに、僕に涙なんかあったの知らなかったよ、お爺さん達の時もどうって事、無かったのに」
コォォォ、静かな音の中、君影は初めての嗚咽をこらえていた。想い出すのは初めて出会った夜の事。
それは去年の夏の日、街路樹に蝉がしがみつき、ヒートアイランド。アスファルトと、光跳ねるガラス張りのビル、エアコンの排気熱。亜熱帯化しているのか、日が落ち、夜になっても羽を震わせ鳴いていた季節の事。