お祝いの発泡白ワイン
ふあふあとした砂糖菓子を、口いっぱいにした様に幸せと思う夢。
早くかっちゃんの所に行かなきゃと言う夏樹に、慌てなくてもいいよと話す。母親も結婚しようと言われた時は……、こんな気持ちになったのかしらと思う。少しだけ優しい気持ちになれた。
「6月の花嫁って、幸せになれるのよ、だから……、6月でいい」
ジューンの季節に指輪を嵌めてねと、笑える自分が信じられなかった。家族連れで賑わうゴールデンウィーク、夢の苦手な数日間も今年はサラリと過ぎていった。街路樹の葉は鮮やかに緑を広げている。
半ばもとうに過ぎ、皐月の終わり。初夏の季節が来ている。もうしばらくすれば梅雨に入るかもしれない。なのに、今年は風が寒いと夢は感じていた。含まれる薫風にも青臭さを感じて、何もかもが鼻に付き、鬱陶しいと思っている。
……、もしかして、ううん。大丈夫。そんな事ない。
オフィスでは子供が出来ちゃたわ。と話す年上の同僚。
「匂いが鼻につくから、雨降りは大変」
3人目だけど、こればかりは慣れないわね。と周囲に幸せそうに愚痴をこぼしている。そんな彼女に聞こうかと思ったが、それほど親しくはなく、言葉に出せない夢。とりあえずドラッグストアへと、仕事帰りに寄ってみた。
――「この時間はやってませんよ」
風邪を引いたみたいでと、翌日、休みを取った夢は夏樹の店へと来ていた。前夜電話で話を交わした時、話すかどうか迷い、上手く伝えられなかっ彼女。一晩眠れず夜を明かし、社に連絡を入れた後、何もせずに午前中は、ベッドの中で丸くなり考えた。
……、早い方がいい。
そう心を決めた。人と付き合う事が少ない彼女は、心を許し相談を持ち掛ける相手は居ない。着替えを済ませると、晴れた空が広がる午後の外に出る。
「あ。はい……、その。すみません」
外壁に沿って作られた植え込みに、花の入れ替えをしていた女にそっけなく言われた、店のロゴを染め抜いたエプロンをつけた彼女から、入るなと、圧を掛けられた気がした夢。その場から離れると夏樹に連絡を入れる。
「どうしたの!夢さん!仕事は?」
カララン、ドアベルの音を響かせ、直ぐに夏樹は外に出た。中に入って。手を取ると中へ誘う。外でと思った夢だが、誘われるままに店内へ入り席についた。
……、恥ずかしい。どうやって話せばいいの?
何?なにか飲む?待っててねと、用意をする為に夢の側を離れた夏樹。休憩室から出てきた田中は村上に、真砂子さん、事務所に居るよな、呼んでこいよと密かに話す。
「え?と真砂子さん?どうして?」
「なっちゃんの彼女ちゃんが来たって、へえ……、わざわざ!仕事休んでねぇ、くくくく、多分アレかなぁ、なっちゃん!アレかなぁ、いやぁ……、いいねえ」
妻と子供を3人抱えている田中。もじもじと赤くなりながら待つ夢の様子を伺い、何やら思いついた様子で夏樹に声をかけた。
でどうしたの?紅茶どうぞと出した夏樹。
一度お店に来てみたかっただけと話す夢。
「ランチタイムに来たらいいのに」
笑う彼に、うん、そう今度そうすると話すと……、帰る、席を立とうとした。疑問符を浮かべる夏樹。
「ハイハイ、なっちゃん田中君が呼んでるから、行った行った、初めまして、えっと、夢さん。真砂子です」
明るい声で二人に近づく真砂子。夏樹が立ち上がり、空いた椅子に座る。腰を浮かした夢だが、人の良さげな笑顔を向けられ座り直した。
「んふふ。話には聞いてます。それにウエディングプランに色々ありがとうね。なっちゃんだけじゃ、どうにもダメダメで……、感謝してます」
「こ、こちらこそ初めまして。いえ、そんな大した事は、書いてません、同僚の結婚式で見た事をまとめただけだし……」
それでどうしたのと気さくに聞いてくる真砂子。口籠る夢に、なっちゃんには恥ずかしくて言えないとか?と見透かした様に言葉をかける。
「言ったら喜ぶわよー、家族欲しいなってずっと言ってたから……、それとも何か心配事でもある?」
「心配事……は……」
ドキドキとする夢。怖いと何処かで思っている。真砂子は誰にも言わないから、話していいわよ、そりゃなっちゃんの奥さんになるのは不安になるわよと小声で言う。
「あの顔ですものねぇ、今までも彼女さんいた事はあったのね、でも忙しくて会えなかったりしたら……、女の子の方が持たないのよ。他に居るんじゃないかって、信じられなくなるのよね」
「あ、いえ……、そういう事じゃ無くて。私大丈夫かなって思ってて……」
どういう事かな?と優しく聞く真砂子。夏樹の事もよく知っている様子をみせる彼女に、持っている不安を聞いてほしくなった夢、ぽつりぽつりと話す。
「私、ちゃんとしたお母さんになれるかなって。私母親と上手くいってなくて、新しい父も妹も私の事、家族だって思ってるけど、母は違ってて……、よく言われたんです。私に似てたら良かったのにって」
……、妹が可哀想、お姉ちゃんと全然似てないのねって、言われるのが可哀想。と言われてたんです。だから……夢は言葉を閉じる。少し考え気持ちをまとめる。彼女の話を待つ真砂子。
「だから……、大丈夫かなって。もし、もし、夏樹に何かあって、独り残っちゃったら……、母親と同じ様になるかもしれない、この子が、私みたいな子供になるかもしれない。だから……、誰とも付き合わないでいようと思ったのに、夏樹に出逢っちゃって……」
夢の言葉を受ける真砂子。
「恋して好きになっちゃった……」
こくんと首を縦に下ろす夢。
「それで……、赤ちゃん出来た。おめでとう」
夢の言わんとしていた事を話す真砂子。
「……、大丈夫かなって、怖くて、優しいお母さんになれるかなって」
「なれるわよ」
さらりと言う真砂子。心配なら、なっちゃんに話せばいいし、ほら……病める時も健やかなる時もっていうでしょ、何もかも一人で背負わなくても大丈夫。笑顔で包むように話す。
「なっちゃんに言いにくい事は、私で良ければ話も聞くし……、ね」
ニコニコとする真砂子に、少しだけ軽くなった気がする夢。ありがとうございますと頭を下げた。テーブルの上の手に、優しく己の手を添えた真砂子。
数秒……視線を合わせた。
夢の中に温かい物が広がる。
笑顔が綻ぶ。その様子に安心をした真砂子。するりと外すと……、
「ハイハイ、おめでたい話にしんみりはダメダメ、お祝いしましょ、なっちゃん、しっかりしないとね」
明るく言いつつ立ち上がる。そうだ大勢の方がいいわねと、思いつき店の入口へと向かう。外には花屋の店員の彼女が作業中なのを把握していた。
お祝いって、あのその……、赤くなる夢。様子を伺いソワソワとしていた、夏樹が彼女の側に駆けつけた。
「何話してたの?でも!それはどうでもいいや、ねえ、田中さんがね、そうなんじゃないかって言うけど、そうなの?夢さん、そうなの教えて!頼む」
真顔で聞く夏樹。まだ病院に行ってないけど、と小さく教える夢。やった!ありがとうね夢さん。嬉しい。抱きしめたいところをぐっと堪えて、座って見上げる彼女の両手をテーブル越しに握りしめる。
「ハイハイおめでとうございます。用意は!してましたよ。なっちゃん、良かったなぁ。て!村上……、先を越されたな!アハハ」
トレーにグラスを並べ運ぶ田中。クソお……、なっちゃんズルいよと冷えたボトルを持つ村上。
「あの、やっぱり私みたいなのが……」
真砂子に誘われた店員は、外の水栓で手を洗いエプロンを外した姿で彼女と共に店に入ってきた。
「いいの、いいの、おめでたい事は大勢でお祝いしなくちゃ、ほんのひとくちだけ、ね、付き合って。歩きでしょ?」
ハイと、冷えた発泡白ワインをひとくち、注がれたグラスを彼女に手渡す真砂子。
「えっと夢さん。田中です。よろしくね、ハイ、お水」
「水!水ですか!ええ!!いいの?水で……、あ、村上です。よろしく夢さん」
当たり前だろ!妊婦さんにいくら軽くても、酒勧めたのがうちの嫁さんに知られたらどやされるぞ!と田中が皆に祝杯を手渡す。
……、みんないい人。いいのかな、こんなに嬉しくて、幸せで幸せで、夢みたい。
座ってて、と彼女を案じる優しい声。このまま時間が止まればいいのに……、夢は胸がいっぱいになりながら、手渡されたグラスを、おめでとうと乾杯!真砂子の声の後、チンと鳴らした。