フライドポテトの待ち合わせ
薄々と寒さが開いたばかりの五片を包む。うなだれる桜の房。花冷えの春。花が冷たい雨に打たれ、花弁が透きとうる。シタシタと丸い水晶の粒が落ちる地面。公園では、花見客を見込んだ露店が、ブルーシートを被って眠っている。
トンと、オフィスの窓ガラスに当たり、潰れて筋になるりを繰り返す雨粒を眺める夢。降り始めたそれでガラスは水の膜を纏う。
3月はお互い忙しく、なかなか会えなかった。電話だけの日々。
「ちょっとね、店に泊まり込みになるから、休みのランチタイムは大丈夫」
忙しくてと話す夏樹に、わかった無理しないでねと返事をした夢。なんとなくこれで少しずつ離れていって、終わりなのかなと思う。
切ないのと、何処かホッとした気持ちが混ざる彼女。バレンタインデーの時に仄めかされた将来の話。それ以来何かが目を覚ましたかのように感じる夢。
スーパーで買い物をしていても、通勤で使うバスに乗っていても、街中を歩いていても……、目に入るのは小さな子供。幸せそうな母親。親子連れ。
今迄は昔を思い出して、痛くて目を背けていた。
今では先を想い浮かべ、優しく目を向けてしまう。
いいな、欲しいな。欲しいな……、強く願ってしまう。
……、これ以上、一緒にいて好きになっちゃいけない。もしもの事があって、私みたいな子供を作っちゃいけないの。
別れちゃったら、きっと泣くのかな?それとも……、ちゃんとしなきゃ。気持ちを切り替え、やるべき事に向かう彼女。別れて、元に戻って独りこうして働いて……。このままでもいい。と書類をまとめながらそう思う。
トトト、震える携帯。メールが入ったらしい。名前を見ると開くかどうか迷う。なんだろう……、画面には、夏樹の名。
――「なっちゃんが、一通り出来る様になって、毎日じゃないけどさ、早く帰れる日もあるだろ?融通がきくようになったし。まぁ今は、ブライダルに向けて、休みの日は午後を返上してるけど……」
オーナーが来客で席を外している厨房では、昼食を食べながら、田中が村上のボヤキ話を聞いていた。
「それはそうだけど、さつきちゃん、今シフト日勤で、僕が遅番……、新婚なのにすれ違いなんですよ……。家に帰ったら夜中ですやすやと可愛く寝てるし……起こせない……うっ!返上、明日も午後出勤……」
「あー、ハイハイ、じゃぁ明日の休みの日には、早起きしろ、僕は休日は朝食作ってるぞ。皆揃って、パパのご飯美味しいって、言うからさぁ、ああ……、晩御飯もバッチリだったのに……」
だからさっさと、ウェディングプランのメニュー完成させないと、と田中は夏樹に話をふった。
「なっちゃん、早くしてくれなきゃ家庭崩壊だよ」
「早くって書いて出したじゃないですか!」
「花嫁さん側からの要望聞きたいの!それに夏には式上げて貰わないと……、プロポーズしたのか?」
田中の言葉に、最近避けられている気がするんですよね、と話す夏樹。
「喧嘩か?家にいつ帰れそう?」
「違います。ゆっくり話す時間が最近無くて。そろそろ帰れそうだけど、その……帰ってそうそう、泊まりに来てって連絡したら……ソレが目的なの!と思われませんかね?」
なんか嫌われそうな、と話す夏樹。村上がなんで!と声を上げる。
「ソレが!目的に決まってるよ!若いんだから!当然だろ?ああ!早くウェディングプラン決めなきゃ、いつまで経っても休日出勤」
「そうよねぇ……、私も休日に映画を見たり、あちこちしたいのよねぇ、なっちゃん……、不純異性交遊じゃなく、婚前交渉なら大丈夫よ、部屋使っても。家族サービスはしなくちゃ」
食べ終え食後のコーヒーを飲みながら、真砂子がさっくりと会話に加わる。
「は?」
「は?じゃないの!もう4月よ!さっさと動く!言いにくいのなら、メール入れたらいいじゃない、ああ!もうじれったいたら」
つけつけと言われ、些かへこんだ夏樹。食事を終え片付けを済ますと、つかの間の休息に入る。オーナーは商談が弾んでいるらしく、まだ応接室にいるらしい。真砂子もそちらに向かった。休息室でくつろぐ先輩達と離れたく、そのまま厨房に残る。
時間は3時。仕事をしている彼女、今までもメールを入れた事はある。今晩会える?と彼女の予定を聞くために。でも今日は何故か、聞く気にはなれない。だから……、気持ちそのままに文字を打ち込こむ。
『角のファミレスで待ってて』
開いたその文字にどうしようか迷う彼女。残業を誰かと変わる?それとも、一度帰って……。
何時もと違うソレが何かを伝えて来る様。唇を軽く噛み気持ちを定めると、夢はわかったと返事を返す。変わる相手なら沢山いる。オフィスで時間を潰す事にした。
――、雨が上がって良かった。蛍光灯が明るい店内に、夢が着いたときは夜の10時を過ぎた頃。奥まったテーブルに席を取ると、ドリンクバーにフライドポテトを一皿頼んだ。立ち上がりオレンジジュースをグラスに注いだ彼女。
店内にはまだ若者には時間が早いからか、若いお客の姿も多い。賑やかに話ながら食べたり飲んだりしている。中には夢の様に独りで食事を取ったり、タブレット端末で何か作業をしている人もいる。
「お待たせいたしました」
丸い皿にこんもり盛られたフライドポテト。ケチャップとマスタードの小袋が添えられている。そのままに一本、さくりと摘んで食べた。ジュースをひとくち。
……、このポテトが無くなったら帰ろう。
店が終わりここに来るのは11時を回る。忙しければもっと先になるかもしれない。ゆっくりと食べる。食べながら、早く来てと思う。飲みながら会わなくてもいいかな、ゆらゆらふらつく夢の気持ち。
会いたくないならカラトリーが入ってるそこから、フォークを取り出し、数本づつまとめて食べたらいい。何も全部食べなくても残したっていい。
何故、ひとつづ食べているのだろう。
何故、ひとつづつまんでるのかしら。
会いたいから?そう?会いたいから?
自問自答をする彼女。時間を見る。遅くて速くて。速くて遅い。
……、11時を過ぎたら帰ろう。
皿に残っていても、それが悪い事でも。そう決めると、立ち上がり飲み物を注ぎに行く。二杯目を手にして座る。4分の1程食べた皿に残るフライドポテト。時間は11時5分前。じっとそれを眺める夢。何もする事が無いので、手を伸ばしてつまんだ時。
「ごめん。待たせて……、先輩が早く行っていいって」
少しだけ息を弾ませた声が上から降りてきた。向かい合わせに座る夢の大好きな人。
「いいの?忙しいのに、大丈夫?」
「うん、大丈夫。今日は雨降りだったから、お客様少な目でね、ポテト貰っていい?」
目ざとく来たウェイトレスに、アイスコーヒーと頼むと、夢の返事を待たずに手を伸ばす夏樹。
「何も頼まなないのは悪いからね、さっと片して出よう」
「話があるんじゃ無いの?」
「あるけど……、ここじゃ出来ないな。ああ、今店で寝起きしてるの話したっけ?」
どうぞ、とグラスが来た。ブラックのそれを飲む夏樹。辺りをチラリと見渡すと、グラスを置き身を乗り出し夢に顔を寄せる様な仕草をする。素直に従う彼女。
「変なのにつけられててね、それだけ。忙しいのは本当」
「ええ!大丈夫なの?ストーカー?警察に相談した?無理したらだめ。危ない事無いの?」
さっと青ざめる夢。もしもの事があったらどうしよう、不安が彼女を包んだ。笑顔で言葉をかける夏樹。
「大丈夫、最近はそんな事無いから……、ありがとうね、さぁ、残ってるけど出よう」
立ち上がるとレジに向かう彼に、慌てて着いていく夢。ありがとうございました。声に送られ外に出る。一歩、彼の後ろにいた夢。押し開ける夏樹の後でフロアーマットに進む。
共に夜の外に出た。背後で扉が閉まる。そのタイミングで夏樹は夢の肩を引き寄せる。優しくいいよねと、囁いた。
甘い言葉と空気で、耳をくすぐられた夢。
「明日仕事だから……夏樹のお店だし……」
小声で断りを入れる。
「大丈夫。明日は定休日だから……、朝早くには誰も来ない」
上目遣いで夏樹を見る夢。甘く視線で捉えてくる。ずるいと思う。そのまま言葉に出した。
「……、ズルい」
「え?どうして?」
僕が休みだから?と聞き返す夏樹に、うっすら赤くなりながら頬を膨らませた夢。
「そんな顔されて言われたら……、断れないじゃない」
濡れたアスファルト。街灯の光がちららと散りばめている夜。二人で歩くその道。
春の雨上がりの夜は、冬の様なキリキリとした寒さは身に染み込まない。それは恋人達が自身の中で熱持つ血潮が宿り、繋ぐ手も揃えて進む足も、寄り添う腕も、向き合う顔もどこもかも……、流れてじわりと火照っているせいかもしれない。