はなだれ雪色の酒
晴れた空の青に、大陸から渡る黄色い砂が旅をし混ざる。そうかと思えば、時々に思いもよらぬ時に雪が降る。大きな白いボタンの花弁の様なソレが、ぽさりぽさりと空からアスファルトに落ちてくる。
――、困ったな。どう書けばいいか迷うし、わからないし……。オーナーも田中さんも村上さんも酷いよな。
午後3時。ランチタイムを終え、片付けられた店内では、出入りの花屋の店員が春色をした、とりどりの花でアレンジメントをつくっている。それをぼんやりと眺めながら、テーブルのひとつを陣取り、くるくるとペンを回していた。
「あら、ご苦労様。イイわね、イケメンのペン回し。書けた?なっちゃん」
一緒にコーヒーでもどう?と、オーナーの妻である真砂子が機嫌良く話しかける。
「何にも出てきません。秋からレストランウェディングを受けるのは良いですけど……、どうして僕の要望を書かなきゃいけないんですか?」
「そりゃ一番、相応しいからよ。夢ちゃんだっけ?考えてるんでしょ。結、婚、うふふ。そうだ、丁度いいから彼女さんにも聞いてみてよ」
花嫁さん側からのも欲しいな。と向かい側の椅子にすとんと座る。
「はぁぁ……、今、年度末で彼女の会社も忙しいから、最近会ってないんです。あ、そうだ。真砂子さんにお願いが……。しばらく良いですか」
「あら……また?で?どっち?男?女?顔がイイと無駄に苦労するわね、構わないわよ、旦那には話しとく」
「わからない。もう、どうしよ。色々ありすぎて、これも書く事が分からなくて困ってます」
数日前から、どこかしらから見られている気がする夏樹。振り返っても姿は見えない。でも気配はある……。家まで帰る道を、あの手この手で撒くために、わざわざ変えていた。
――、はぁぁ、ストーカーかよ。面倒くさいな。ほんと。
こういう時には、店の一角に作られてる、畳敷きの休憩室を借りる夏樹。泊まりに備えて布団も、一式押入れにある。
更衣室にはシャワールームに、ランドリー設備。不自由は無いといえばないのだが……
――、朝から晩までずーと!ここ!ああ……、夢さんとしばらく部屋で過ごせない。
恋人を持つ青年らしい、ほてる熱そのままに想い、切なくなる彼。吐息をきつつ、しかめっ面でレポート用紙を眺めている。そんな若い従業員に、いい手があるわと真砂子は言う。
「早くコブ持ちになればいいのよ。そういう事は無くなると思うわね。どう?なっちゃん。7月位に練習がてらここでお式、挙げてくれない?費用はこっち持ちよ、その代わりフォト、ホームページで使わせてね」
はい?まだちゃんとした、プロポーズしてませんよ?と、夏樹はブツブツとボヤく。
パチン、パチン……!鮮やかな黄色い菜の花の茎、濃きピンクの花桃の枝の長さを整える、剪定鋏の音がする。
「テーブル席の配置とか、飾り付けやらお料理やら、ああ、引き出物のお菓子もいるし。一度やっておいたら、マニュアル出来るから。ね、さっさとプロポーズしてきて、お店を助けて頂戴」
真砂子の言葉に考え込む夏樹。指輪も子供もなにも要らないと言った言葉が、彼の心に住み着いている。
「さっさとって、真砂子さんも大概だな……、うーん……」
パチン、パチン……!
目の前の真砂子に、思い悩む事柄の相談を、持ちかけようとしたが、店員が扱う剪定鋏の音がそれを止めた。当たり障りのない事を話す。
「取り敢えずコレ、なんとかしてまとめます」
「ハイハイよろしくなっちゃん、いい返事待ってるから。コーヒー入れてくるわ」
立ち上がりその場を離れる真砂子。テーブルの上に置いていた携帯を手にすると、メールを書き込む夏樹。
パチン、パチ……!枝から丸い桃色が、ポトリ、ポトリと床に落ちた。
――「まさかの店に呼び出すとは……、車だけど、飲む。しかしここでは泊まらない、駅前のホテルの部屋取ってきた」
「当たり前だ。場所もない、ええ!わざわざ飲むためにホテル取ったって……おぼっちゃまくん。色々あってさ、ごめん」
この!高級感溢れるイタリアンに、ガチの和室!と興味津々で見渡す君影。畳って久しぶりだ。座ると持ってきたコンビニの袋を天板の上に置く。
店を閉め、皆が片付けを終え帰った時間。君影はメールを読み、店を閉めたあと車でここに来ている。
「これ!ホーム炬燵。うわあ……。冬には布団があるとか?へえ……」
「あるよ。おぼっちゃまくんは、変な所に感動するんだね。そういや炬燵はなさそうだな、君の家には。安上がりでよろしい」
上にはグラスがふたつ。夜の賄いの残りをまとめた大皿。摘んで食べれる料理が盛られている。君影からブライダル事情あれこれを聞き、まとめ上げていると、コレ貰ったんだと、君影が小ぶりなボトルを取り出した。
「バーのマスターが、振って飲む酒いる?て言うから貰った。甲州の濁り白、ルミエール」
へえ……、搾りタイプのワインか、興味を持つ夏樹。グラスに少しばかり注ぐと、ひとくち味を確かめた。
「香りはいいけど甘い。デザートワインだね。女の子好きそうな……、かっちゃんさ……、あのマスターから、女ウケする酒ばかり教えて貰ってるけど、試したことあるのか?」
無いなと話す君影は、クイッと空にすると、ビールにしよう、と持ち込んだレジ袋から缶のそれ取り出す。プルトップをシュッ!と開け、テキパキと話を進める。
「でひとつは済んだ。次の相談したい事って何?」
「ん!ああ……、夢さんの事がわからない……、指輪の事を仄めかしたら、いらないから側にいて、って言うし、子供も要らないって言うし……」
「ふーん……それは僕に相談しても意味が無い。まぁ……、私、何にもいらないの、貴方だけでいいの。てなのは、本当は指輪も子供も欲しいの、だけどガツガツしたくないの、わかってるくせに馬鹿ー!という裏返しと聞くが」
ゴクゴクと飲みながら話す君影。彼女いないのに詳しいね、とため息を漏らす夏樹。
「結婚したくないから、今のままでいいって言うのかな。何にもいらないから側にいて。だし……、変わりたくないのだし……、よくわからん」
グラスをひとくち。甘さと搾りたての葡萄の香りが口の中に広がる。
「どうしたらいいと思う?かっちゃん」
さあな、と君影の返事。先輩達は、僕の名字がネックだって言うんだけどさ……と話し始めた夏樹。
――「変わりたくないのって、そりゃなっちゃん、名字とか?思えば『青空』だもんなぁ……、真理ちゃんが『水田』に嫁ぐもんだもんなぁ……なっちゃん、子供の頃に、かわれたこと無い?」
「別に、女の子みたいとかは、言われた様な気がしますけど……」
「凄いよな。青空 夏樹に負けてない顔してるもんな、なっちゃん。奥さんが青空 夢、子供が産まれたら、青空 陽陽やら太陽にしたら、コミックのファミリーみたいだよ」
「ホントだ!山田さん。ファミリー揃ってキラキラネーム!大丈夫大丈夫、きっと美少年か美少女が産まれるって!そうだ!彼女、今度ここの賄い食べに連れてきなよ、顔みたい」
――「ろくでもないアドバイスだな。なんの解決策もない。名字にこだわるならば、結婚相手のそれに準じればいいだけだろ?」
「まあね……、でも嫌だといいそうだし……。ホントはさ、ホワイトデーに指輪渡してプロポーズとかちょっと考えてたんだ……、流れたけどね」
指輪との単語に、それはいらない。そう言われたのでは?と問う君影。
「僕は買おうと思ってる。いいのある?かっちゃん」
「サプライズか?女子は好きだ。そうだな、店のホームページ見るか?新作紹介もしてるし、売れ筋も載せている」
営業モードで、黒の手提鞄からタブレットを取り出す君影。用意がいいねぇと、半端呆れる夏樹。ページを開くと、お客様、さあどうぞと見せる。
「へえ……、まさかのかっちゃんモデルしてるし……。ホストにしか見えないのは流石だね。あの部屋で撮影って本当だったのか。顔出ししていない、この娘はモデルさん?まさかの隠し彼女とか?妻!」
「違う。店のスタッフ、モデルさん頼むと高いからね。スクリーン張って撮影したんだ。で、エンゲージリングはだな……、サイズはわかるの?」
華やかなフォトの後、カタログのページがアップされる。夏樹は9号。触った感覚だけど大丈夫と答えた。
「は?触った感覚でわかるって、ほんとか?」
「ああ、ひと夏の経験値だな。結婚指輪外して、ね。それをもてあそんだり、手を絡めたり、相手に嵌めたり外したりしているうちに、わかるようになった」
好みの品物を探す夏樹。マリアちゃん、こんな男でいいのかよとボヤく君影。
「うふふ、いいだろかっちゃん。早く彼女見つけなって……、このピンクのやつかわいい」
「ん?ホワイトゴールドに、ピンクのトルマリンか……確かにかわいい系だな。これは新作だから入荷は、4月過ぎるけど」
「うん、現物見てから決めたい、こういった系統のにする……う?! ふえ!コレ何?……高っ!」
夏樹が指差す先には、立ち爪の一粒タイプ。プラチナリングにピンクダイヤのエンゲージ。高い?そうでもないけど、と君影。
「ああ……、俗に言う、給料3ヶ月分、三高女の譲れないラインの商品、色々あるさ。で、このエンゲージリングにより、意見の不一致で破談もある事にはある」
意地の悪い笑いを浮かべ話す君影。え!と夏樹は引き気味で話を聞く。
「色々あるぞ、入らないで揉めたり、お前がサイズ騙してたんだろ!と揉めたり。誕生石は嫌だったのにと、揉めたり、それが傑作で、前の彼女と誕生月を間違ってたり……クッ!茶番劇も大概だろ?」
結婚する前で良かったですね、と顔には出さないけどな。腹のなかでは思ってる。アハハと、バッサリ斬った君影。かっちゃんよくそれで宝飾店やってる。信じらないと夏樹は、残った酒をグラスに空けた。
持ち上げて蛍光灯にかざして見る。透き通った硝子の向こうに不透明な白。純白ではない。はなだれ雪が重なり積もった様に、どこかしら頼りなく、ふあふあと柔な色。
「じゃぁ。ぼつぼつ揃えておく、帰る」
唐突に切り出す君影。
「もう少しゆっくりすれば?」
「いい、朝イチで帰るし、品物が入ったらどうする?持ってこようか」
タブレットを片付け立ち上がる君影。
いい、店に行くからとグラスを置く夏樹。
ゆらりと白が揺れる。
送る為に立ち上がり、忙しいから少し先になると話す。
「まだちゃんとした、プロポーズをしてないから。それに今、秋にレストランブライダルを受けたいって、オーナーが動いてて、あれこれ本当に忙しい。時間が出来たら夢さんと行くから待ってて、かっちゃんに会いたいんだって」
「僕に?それはそれは、マリアちゃんに色んな事話さなきゃな。ククク。楽しみに待ってる。じゃぁその時にマリッジも見たらいい。そっちも揃えておきますから、お客様」
いらない話をするなよな、夏樹は靴を履く君影の背に声をかける。ここでいい、じゃあな。従業員出入口で別れた二人。
君影が帰るとカチャン、鍵を掛けた夏樹。し、んと静寂が足元から立ち上がる。誰もいない厨房を通り抜ける。
時間は……、声が聞きたくなった。寂しさがじわりと広がる深夜。明日の仕事の為にもう寝ていると思い、諦める。
夏樹はポケットの中の携帯から、
手を……、そろりと離した。