チョコフォンデュと埋め込まれたキモチ
2月になる。立春、春が立つ。なのに寒さが一段と底に入る。からっ風が吹き、冷たい空気が大陸から張り出す。その中でも梅の花は綻び甘く香る。
「チョコレートフォンデュ?」
うん、バレンタインデーにやろうか。夏樹は定休日に、昼休みの夢と待ち合わせ、彼女の会社近くにある安くて美味しいと評判のカフェで、日替わりランチを頼み終え、待つ時間に話す。
真っ赤になり俯く彼女。夢はこの年になる迄、チョコレートを選んだり作ったり、女の子なら一度はある事が無い事実を、目の前に座る恋人に知られるのが恥ずかしかった。
それに併せて彼女は、好きな男に、夢さんと食べたいなと言われ、羞恥と甘くてこそばゆい気持ちが半々に混ざり、ふあふあと包まれ頬に熱が広がっている。
夏樹は慌てる。そういや……、女の子の日だったと思いだした。やっちゃったと反省しつつ謝る。
「あ、ゴメン。お店でディナーのデザートでやってて。夢さんと一緒に食べないなって思ったんだ」
「あ、ううん、気にしないで。私……、初めてなの」
……そうだよな。チョコフォンデュなんて、ご家庭で普通しないし……。
恥ずかしそうにそう話す夢に、悪い事言ったかな?と夏樹は考えつつ笑顔で教える。
「美味しいよ。チョコレートフォンデュ、ベルギー産のを湯煎してね、オレンジリキュール垂らして。マシュマロとか、苺とか、バナナとか、ポテチとか……、柑橘系のピールもおすすめ」
何が?とは聞かず、美味しい物をプレゼンする様な夏樹の、少し焦点がズレた答えに、クスクスと笑う夢。固くなった身体が、柔らかになった気がしていた。
「美味しそう、私チョコフォンデュ、初めてなの」
――、ひと口サイズの天むすが数種類、小鉢がいくつか、大振りなマグカップには豚汁、フルーツ、スイーツがワンプレート、飲み物がついてワンコイン。それが運ばれると、さっと二人して食べ終える。
「喋るのは歩きながらにしよう、並んでるし、ね」
会計を済ませると外に出る。薄曇りの空。太陽が薄らぼんやりと、ひなひなとした光を広げる。昼食時間、行き交う人も多い。会社迄並んで歩く夏樹と夢。
「ワンコインかぁ……、価格では勝てない」
「夏樹のお店、ちょっと良いものね。特にディナーは特別な日に、彼氏と行きたいって話になってる」
「へえ?そうなの、やっぱり女の子が多いね、小鉢が多いのはちょっとずつ色んな味を食べたいんだろうな……。それと、フルーツとスイーツ、デザート2つの威力かな」
「そうかもね、男の人ってあれだけで足りるの?」
「ん?ああ、この後、新しく出来たパン屋に行くから、胡桃とドライフルーツのプチフランスが、美味しいらしいんだ、軽く焼いてから、クリームチーズにメープルで食べようかなと、思ってる」
小さなブティック、ケーキ屋、和食、不動産会社、雑居ビル、コインパーキング、角地にはファミリーレストランの店舗。人に紛れ立ち並ぶ歩道を進む二人。
「ファミレスとかには行かないの?」
「お昼時はあんまり行かないかな?私はお弁当の時もあるし。それに同じ部署の男の人とかに出逢うから、ちょっと行きにくい、それとママさん多いから……」
「子供連れか。夢さんは……、子供好き?」
何気なく聞かれた夢は、とっ……。心臓が跳ねた気がする。彼女は子供は好きなのだが、生い立ちにより親子連れは苦手だった。母親と子供の幸せそうな光景は、冷えた時を過ごした自分には、痛くて見たくない世界。
「あ、うん。子供は好きよ」
さらりと答えるに留めた夢。胸の中はチリチリと焼け焦げる様な痛さがある。僕は好きだよ、弟や妹、欲しかったんだ。寂しい暮らしを思い出す夏樹。
「夢さんは……、子供何人欲しい?」
「え……、そんなのわからない」
唐突に聞かれた夢。チチチと胸の中の焼け焦げが、大きく広がって行く気がする彼女。時折、すれ違いざまにあの人カッコイイ、と声が聞こえる。頭ひとつ分高い夏樹を見上げ、夢は話題を変えようと、思いつくままに話す。
「あ、そうだ。バレンタインデーだし、チョコレート買えないから……、キャップ買ってもいい?」
「ええ!いいの?嬉しいな」
「うん、何時も被ってるし、前からプレゼントしたかったの」
何処で買おうかなとウキウキ心が弾む夢。チリと焼けた、寂しさ色は消えていく。そんな彼女の嬉しそうな顔を見ながら、夏樹はするりと言葉が出る。
「あ、じゃぁ……ホワイトデーには、かっちゃんのお店に行ってこようかな、サイズは多分9号かな?」
サイズ。かっちゃんのお店……、その言葉に含まれた意味に気がついた夢。夏樹から話だけは聞いている、宝飾店のオーナーである風変わりな友達。
埋め込まれている『怖い』が頭を上げる。
「あ、ううん。あのね、あの……、なんにもいらない。いらないから……」
こんな事いったら嫌われるかな。でも……怖い。夢は怪訝な顔を向ける夏樹におずおずと話す。
え?と、聞き返す彼。金属アレルギーでもあるの?と聞く夏樹。
「無いけど……。なんにもいらないの、いらないから、指輪も子供も欲しくない。夏樹だけでいい。このままでいいの、変わりたくないの、ごめんなさい」
一息に答えた夢。その言葉、声に潜んでいる彼女の何かに気がつく。それはとても寂しく冷たい塊の様なモノ。
「……、うん」
そう返してしまう夏樹。一言だけの返事は二人にとって重く大きい。手が触れる距離で歩く二人。その隙間に入り込む困惑と戸惑い。
黙ったままで歩く二人。何かをしなければ壊れそうな物が張り詰めている。夏樹はそろりと夢の手を握る。俯いていた彼女が顔を上げた。
「ごめんね」
夏樹は笑い、そう言う。
「ううん。私……、変な事言っちゃった」
いいよと笑う夏樹。彼が放つ、暖かな空気が夢の緊張を解いた。
「でもキャップは買ってね」
「あ、うん、カッコいいの買っちゃう」
何時もの二人に戻る。それよりさ、プレゼント云々じゃなくて、一度かっちゃんに会いに行かない?と、話題を変える夏樹。
「かっちゃんさんって、確か、おぼっちゃまくんなのに、夜中のラーメンの人」
「そうそう、信じられない食生活送ってる。おぼっちゃまくんは、TKG知らないし、ペットボトルそのままだし、初めて行ったときには、グラスひとつなかったし、心は砂漠だし、そのくせ、外ヅラは王子でビシッと決めたらホスト」
「アハハ、何?砂漠って。面白い」
だろ?変なんだよ。かっちゃん。気が落ち着いたのか、笑顔が戻った夢にホッとした君影。花屋の前を通り過ぎる。箒で店先を掃いていた店員が小さく頭を下げる。
「かっちゃん酷いんだよ。必要の無い物は置かない主義だとかで……」
気がつかないのか、そのままに通り過ぎる夏樹。繋いだ手はそのままに歩く。
「ええ?本当に何にもなかったの?」
暖かさを取り戻し、問いかける夢。
二人の周りは、ほわりとした温度で満ちている。冬の雲が重なる空。時折、さっくりとひび割れた場所から、ひなひなとした日の光が地上に差していた。
ザッ……、箒でタイル張りの歩道を強く掃く音。ざわざわとした人の流れの音に混ざり消えていく。