7. 兄弟喧嘩に巻き込まないでください
アリスの前には、書籍、貴族のための高額な雑誌だけでなく、民衆が読むような新聞もあった。マーゴが見たら下賤だと怒り狂いそうな内容も載っている。それを見てガブリエルは面白そうに笑った。
「アリス嬢もそんなの読むんだ」
ふうんと笑うと、アリスの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
ガブリエルは、アリスの2つ年上。17歳で高等部に在籍している。長いダークブロンドに深い蒼い瞳。ラファエル様に似ているが、生来のものか育ちのせいか、王子様というよりは野心的な顔立ちだ。
「ラファエルにはもったいない気がしてきたなぁ」
「殿下が何をおっしゃりたいのかわかりません」
ガブリエルの手を振り払って立ち上がり、本を返すために歩き出した。雑誌に染み込ませてある香水が薫る。一級の調香師によるその残り香を追うように、ガブリエルがついてきた。
ガブリエルは、国王の長男だが庶子である。身分の低い侍女が国王のお手付きとなり産んだ子どもで、離宮で育った。彼は15歳で公爵位を賜り、臣に下った。母方の後盾もない庶子が、なんの功績もなく15歳で公爵という破格の待遇に反発もあったが、領地は王家直轄のままにするということで収まったそうだ。
国王が自分の子だと認めているため大公殿下と呼ばれるが、要はただのお飾り肩書。母親も身分は平民のまま。隠れるように離宮に住み、国王からの寵愛を受けている。ガブリエルの下に小さいお子様もいるそうだが、王室の禁忌とされ、ほとんど話題にされない。
……何より王妃様がその話題を忌み嫌っているので。
そのような事情は別としても、生真面目なアリスは、幼い頃から軽佻浮薄な振舞いのガブリエルが苦手だった。今も習性でつい避けてしまう。
「アリスは来月、社交界デビューだったよね。エスコートの相手は決まった?」
「まだ……ですけど……。大公殿下には関係ありません」
「関係あるよ。まだ決まってないなら僕も立候補したいんだけど」
「え?」
思わぬ言葉にアリスは立ち止まった。この人は私が自分を避けていることを知ってるくせに何を言ってるんだろう。
立ち止まり振り返ったアリスに歩み寄り、ごく自然に、ガブリエルはアリスの腰に腕をまわした。書棚と書棚との狭い隙間なので密着してしまう。
ダークブロンドの髪が頬に触れる。
(近い!ちーかーいーーー!!!アワワワワワ)
ふたつしか年が離れていないわりに、ガブリエルは大人びている。その視線に、アリスはびくりと肩を震わせた。
「怯えてるの?可愛いね。泣かせてみたくなるな……」
「そこまでです、兄上。アリスから離れてもらえませんか?」
足音もなく近づいていたラファエル様は私の腕を掴んで、やや強引にガブリエルから引きはがしてくれた。
(びっくりした~~!王子様!ありがとうございます。まさに天使)
「おっと、王子様のご登場だね。そんな睨まなくても、無体な真似はしないよ」
穏和なラファエルが苛立っている様子をみて、ガブリエルは面白そうに笑った。そして指の背でアリスの唇に触れた。
「こんな場所では……ね」
「かっ……からかわないでください!」
アリスが振り上げた手を軽々と躱すと、ガブリエルは意味深長な微笑みだけ残して颯爽と去っていった。
実際、ゲームにおいても、ガブリエルは謎が多い人物だった。攻略対象ではなくヒロインの味方でもない。ヒロインの味方じゃないなら、自分の味方にした方がいいのかな?うーん、無理。『アリス』が苦手みたい。
「アリス、何もなかった?」
「大丈夫です、ラファエル様」
図書館から出て、改めて御礼を言うと、ラファエル様がほっとしたように笑う。
この異母兄弟はゲーム上の設定でも、仲が良くない。
正妃と、側室ですらない平民の妾。母親同士の争いもあったというし、仲良くするのは難しいんだろう。
「聞こえてしまったのだけど」
「はい?」
ラファエル様が真っすぐにアリスを見て言った。
「舞踏会の相手が決まってないなら、僕にエスコートさせてもらえないかな?」
「はいいいいいい?????」
大公殿下へのあてつけでしょ?と言いたかったが、もちろん言える立場じゃない。まだ決めてないことはバレてるから誤魔化しようがなく、私は精一杯とりつくろった笑顔で返事をした。
「ありがとうございます、ラファエル様。よろこんで」
「これは悪役令嬢の道へのフラグなのでは……」
帰宅したアリスはいつものように部屋着でソファに転がる。アリスのだらけた態度にも独り言にもすっかり慣れたリラが、平然とお茶の準備をしていた。
「王太子殿下に申し込まれて断れる訳ないじゃない!お兄様がよかったのに!!!どうしてもだめならオスカーあたりに適当に頼もうと思ってたのに……」
マクシムお兄様がいいと思って、さっさとエスコート役を決めてなかった私の落ち度だ。
「お嬢様、いくら幼友達でも、その言い方はオスカー様に対して不敬ですよ」
リラがあきれたようにたしなめる。
「はっ!そうだった。オスカーもラファエル様のはとこなのよね」
オスカーの母、ノワイユ侯爵夫人は前国王の末妹の子である。
つまり、国王とアリスの母とオスカーの母は、従兄妹同士だ。ああ、血縁関係がややこしくなってきた。考えるのやめよう。貴族なんて皆さん、親戚、縁戚。
「それより、お嬢様。どうして王太子殿下からのお申込みに悩まれてるのです?お妃様になるのが夢だったのでは?」
「あーうん、その件は変更しました」
「え?」
「私の目標は、悪魔を倒すこと!」
勢いよく天に向かって拳を突き上げていた私を、リラがぽかんと口を開けてみている。唖然とはいまのリラの状態をいうのだろう。
普段無口なカーラが小声で「リラ先輩!しっかり!」とリラの背中をさすっている。
図書館でわかったのだが、聖女だの悪魔だの伝説はあるが、あくまでお伽話なのだ。
ゲーム内では、ヒロインがバーンと覚醒してキラキラ―っとやっつける悪魔(※記憶力の限界)。シナリオではかなり雑な描写でさくっとすすんだストーリー。案外たいしたことなんじゃないか、と思っていた。
この世界はてっきり剣と魔法のファンタジーで、実は私も魔法が使えるんじゃないかと試してみたが、どんなに頑張っても炎だの水だのを何もないところから生み出すことが出来なかった。
ただ、ヒロインは聖なる力に目覚めるわけだし、お城に宮廷魔法使いもいるので、魔法は皆無ではない。だが、少なくとも私の周りには魔法を使える人はいない。
王太子やヒロインに近づかないのはもちろんのこと、国の危機とやらもなんとかしなくては、皆破滅してしまう。私が悪魔召喚する(らしい)のだから、きっとどこかできっかけがあるはず。
万難を排さなければ、私の恋が成就しないではないか。
……まだ相手に出会ってないが。
「お嬢様の目標はひとまず置いておいて……」
リラは、私の悪魔打倒発言はなかったことにしたらしい。
「いくらお嬢様が王太子妃になるつもりがなくても、社交界デビューが王太子殿下のエスコートとなると、当然周りは王太子妃の第一候補だと思いますわよ?」
「あーーーあーーー聞こえなーーい」
私はクッションにうつぶせて耳を塞いだ。
「それに何よりラファエル王太子殿下は、アリスお嬢様を気に入っていらっしゃいますもの」
その言葉を私はきっぱりと否定する。
「いや、それはナイデショ。幼馴染だよ。お友達」
「そうですか?」
「そうです」
「そうですか……」
リラはしょんぼりしている。王太子妃のお付き侍女になりたいのかな。出世だもんね。
そこに、王太子殿下がいらっしゃいます、との先触れが来たので、リラがぱっと顔を輝かせた。
「ほら、アリスお嬢様に会いに来られたんですよ、きっと」
「いや、お母様にご用事なんじゃない?」
そこに侍女頭のマーゴが現れて「お着替えですよ!」と叫んだ。
その後、
「苦しいー!お願い絞めないで絞めないでー!アクセサリを合わせるだけでしょ?コルセットは絞めなくていいでしょー肋骨おーれーるー!おーたーすーけー!」
というアリスの絶叫が屋敷中に響き渡った……。
次は【8. 主役だけど舞踏会を欠席したい】です。水曜更新予定です。よろしくお願いします~。