3. 推しが目の前にいる生活
彼を知り己を知れば百戦危うからず。
私の場合、まずは己を知らなければならない。
『王太子の婚約者であるアリスは、ヒロインに意地悪をしまくって二年目の学園祭で断罪される→闇堕ちして、悪魔召喚しようとする→しぬ→ヒロイン覚醒!』
「悪魔召喚ってなんだこれ……。どうやってするの?」
「アリスお嬢様、なにやら物騒な単語が聞こえましたけど……」
テーブルにお茶の準備をしていた侍女のリラが、ベッドにいる私の方を向いて怯えた顔をしたので、「あははー!何でもない!夢の話!」と笑って誤魔化した。
私は紙に『日本語』で、覚えている限りのシナリオを書き出していた。びっくりするほどスッカスカだった。使えない『私』の記憶……。
とりあえず、王太子の婚約者にはならない方がいい。うん、これはフラグ回避の王道だろう。そしてヒロインちゃんに近づかない。これだ!仲良くするのもやめておこう。
あとは……シナリオでは、悪が顕現したら、ヒロインがバーンと覚醒してキラキラーってやっつけて、めでたし!みたいな感じだったけど……。(※記憶力の限界)
「だから、悪魔召喚って何よ……」
イケメン魔王だったらよろこんで召喚するけど、でもそんなのはなかったなあ……ヒロイン覚醒がメインでわりとサクッとストーリーがすすんで……とブツブツ言っていたら、いよいよリラが泣きそうな顔をしている。気が触れたわけじゃないよ!
リラはふたつ年上で姉みたいな存在。11歳の頃からずっと一緒だから家族同然。悲しませてはならぬー!
私は脳内シミュレーションをやめてベッドからおり、ソファに座った。出来るだけおしとやかにお茶を飲んでみたが、リラはまだ不安そうな顔をしている。
「ねえ、リラ。私はいま何歳?」
「14歳でございますよ、お嬢様。来月のお誕生日で15歳。いよいよ社交界デビューですね」
大丈夫ですか?と怪訝そうな顔をしながらリラが答えてくれる。
お嬢様の様子がおかしい、ということはうちの共有事項になっていた。
事故から一週間が経ち、屋敷中をうろうろしながら、「これは何?」「何をしてるの?」「あれは誰?」と、皆にあれこれ質問していたからだ。
『アリス』の記憶はとてもはっきりしていて、『私』の記憶は過去のものとして認識されている。『私はアリスである』という認識を鮮明にするために、記憶と実物を突き合わせる作業をしていた。もともとが忘れっぽいから、何度も同じような質問をして、皆から憐れむような眼を向けられていたが気にしない。
まず屋敷が広い。豪邸のレベルが半端ない。方向音痴でもある私は、毎日迷子になっていた。でも領地にはもっと大きいお屋敷があるそうで、それはもうお城といって差し支えないらしい。父が国の要職に就いているため、アリスは幼い頃からほとんどを王都で過ごしているので、伝聞であるが。
この王都の屋敷は一般的な貴族の館で、コの字型をしている。中央二階には、生前見たホテルのバンケットルームより広い大広間がある。しかもそこで公爵主催の舞踏会も開かれるそうな。王族を招待する為の席も設えてあるとか。
自分ちで舞踏会って何だ。意味わからん。
でもその意味わからん「自分ちで15歳のお誕生日の舞踏会」にて私は社交界デビューする、らしい。
(えーと、お誕生日会って、お友達が集まって文房具とかのプレゼントもらって、お母さんがケーキ焼いてくれてジュース飲んでワイワイするあれじゃないの?)
この国では、一般的に14~16歳くらいの貴族の子女は、『王宮の舞踏会』で社交界デビューするそうなので、娘のデビューのために舞踏会を主催する公爵家が破格なのだろう。ちなみに大きな舞踏会としては『花の舞踏会』『魔術師の舞踏会』などがあるらしい。
夜会、晩餐会、お茶会と忙しくしている母を見ているので、アリスは覚悟はしていたようだが、改めてそれを聞いた『私』は(めんどくさーー!)と思っていた。
さて、屋敷の半地下には、大人数を招いても平気なだけの厨房がある。ここはレストランかと言いたくなるくらい広い。もちろん、毎日舞踏会やら晩餐会があるわけではないから、住み込みで働いてるのは少人数だが、お抱えシェフの腕は言わずもがな一流だった。
あと食卓は長い。しかもなんかテーブルの装飾がすごい。ベッドから起き上がれるようになり、家族と食事するようになった日は、ビビりまくって侍女頭のマーゴに叱られた。
廊下は美術館と見まごうばかりに絵画が並んでいるし、どこまでが庭かわからないくらい敷地も広い。よく手入れされた庭は迷路のようだった。季節ごとに植え替えられるという花壇も美しい。
毎日毎日ウロウロウロウロして、使用人の皆さんに色々と教えてもらっていた。
「頭を打って少しおかしくなったらしい」
「お医者様によると記憶が混乱してるって」
「物腰が柔らかくなって…」
「使用人には居丈高な態度しかとらなかったのに」
話を聞いては、「ありがとう」と微笑んでいたら、その都度相手は戸惑っていた。『アリス』は「使用人は使用人」という意識が強かったが、『私』はごくごく一般的な家庭に育ったため、お手伝いさんや料理人さん、庭師さんなどと一緒に暮らすという経験自体が慣れないものだった。
「なんか大家族って感じで楽しいな~」とのんきに考えていたが、使用人の皆さんから見れば、お嬢様が頭おかしくなったとしか思えなかったのだろう。それでも、時が経てば人間慣れるもの。
一番近しい侍女のリラやカーラをはじめ、だんだんと皆がアリスを受け入れてくれるようになっていった。
「ただいま、アリス。そんなに動き回って大丈夫?頭痛は治ったのかい?」
夕暮れに、厩舎で馬の世話をしているモハメド爺さんと一緒に庭園を歩いていた私は、帰宅したばかりの兄にそう声をかけられた。ちなみにモハメド爺さんはルテール公爵家のことなら何でも知ってる事情通。今も、「マーゴは貴族とは名ばかりの貧乏男爵家に嫁いだが、若くして未亡人になり、路頭に迷いかけたところを公爵夫人に助けてもらった恩があるので特に忠義に篤い……」という昔話を聞いていたところだった。
馬車から降りてきた兄は、外套を侍女に預け、こちらに向かってくる。
「お帰りなさいお兄様。もう大丈夫です。今日はお庭を探検してたの」
にこっと笑った私を見て、兄がほっとしたように微笑んだ。アリスは博識で優しい兄が大好きだ。
(そして生前の私もお兄ちゃんが大好きだったのよーーー!!!攻略可能なキャラクターの中では最推しだったのに血の繋がった兄妹になるなんて!!!結婚できないじゃんんん!!!)
マクシム・トマ・ルテール。
18歳の成人を迎え、内務省で働いている文官だ。爵位は男爵だが、いずれルテール公爵を継ぐ嫡男。どちらかと言えば気性の激しい両親から、どうしてこんな穏やかな子が生まれた?とびっくりするくらい温和な性格をしている。
母譲りの深い緑色の髪が風にたなびき、緑がかった黒い瞳は、アリスを心配そうに見つめていた。
(あ~~~格好良い~~~眼福~~~)
マクシムは二周目以降に攻略可能なキャラクターだ。ヒロインと悪役令嬢アリスとの間にも、隠しパラメータとして好感度が存在している。アリスの中でヒロインの好感度があがると、マクシムも攻略可能となる。やはり、ヒロインちゃんには近づいてはいけない。
「夜風は病み上がりの体に悪いよ。おいで」
「ありがとう、お兄様」
差し出された兄の手をとり、アリスは屋敷へ戻った。暖かい手。優しい眼差し。
(でも家族ってことは、毎日最推しが見られるって事でもあるんだよね~!神様仏様、ありがとうございます!)
届くかどうかわからないけれど、私は神仏に感謝した。
「お兄様にお願いがあるのだけど」
夕食のあとのお茶の時間にアリスはそう切り出した。
「何でも言ってごらん」
静かにティーカップを置き、優しい声でそう言うと、マクシムが微笑んだ。
「っ!カッコイイ!結婚してください!!!…………じゃなくて、来月の誕生日の舞踏会で、私のエスコートをしてくださらない?」
「私が?」
うんうん、とアリスはうなずいた。だって、社交界デビューは一度きりの晴れ舞台だもの。それくらい夢見たっていいじゃないか。妹という立場を最大限に利用させてもらうよ!
「アリス、あなたまだ決めてなかったの?ジョセフがいないから言うけど、せっかくだから、好きな男の子を誘ったらいいのに」
母はそう言うと、給仕を呼んでお茶のおかわりをしていた。ちなみにジョセフとは父の名前。父はまだ帰宅していない。夜会に顔を出すと言っていたから夜中まで帰らないだろう。父がいたら好きな男の子の話題なんか出来ない。すぐ遮るので。
「アリスはラファエル殿下だろう?」
マクシムの言葉に私は全力で首を横に振った。
(いえ、違います。私の最推しは違います。)
「そうね。小さい頃から殿下はアリスにとって特別だったものね」
母がマクシムに同意したので、私は今度は母に向かって全力で首を横に振った。頭が痛い。
(ゲームのシナリオ通り、王太子の婚約者とか死んでもいやです。死んでもいやというか、そのコースだと多分死ぬんです)
「いやです。私はマクシムお兄様がいいんです!」
「そういえばアリスは『王妃様になる!でもお兄様とも結婚する!』とか無茶を言ってたわねえ…」
幼い頃を思い出したのか、母がやれやれと片手をあげて、続けてこう言った。
「もうお兄ちゃんは卒業なさい、アリス」
「えええええええええええ!お兄様がいいんです!」
「わかった。じゃあ、殿下に断られたらおいで」
仕方ないなとマクシムが笑った。どう見ても、引き受ける気はなさそうだ。
なんでそうなるの……。まあいいか。断られたことにして、またお兄様にお願いしよう……。
―――そんなにうまくはいかないのだが、その時の私は知る由もなかった―――
次は【4. 教室でラブコメとか恥ずかしすぎるだろ】です。月曜更新予定です。よろしくお願いします~。