英雄の死と理外の存在
嵐と共に現れた神獣ハクウンノツカイ。しかし蛍池というシェオール内で発見された場所と、害を与えるような危険性は無いとしてギルドは手を出す事を禁じたはずだった。だが、突然現れたホルス、ユル、マエリアの三名が危害を加えた事でハクウンノツカイは豹変した。
全身を纏う羽毛。二対の翼。魔力によって変えたその姿は、私の知る限りではエインフェリアの従者と呼ばれる“デュポン”だった。
その力は圧倒的で、タナイヴのパーティーにいたはずのホルス達を瞬く間に撃破した。そしてハクウンを抑止するために飛び出した私達だったが、私が負傷した事によりミサキと自警団は防戦する事しかできなくなっていた。
そんな中、逃げ出したはずのマリアからの、「エリックは悪魔だった」という報告を受け事態はさらに深刻化するかに見えたのだが、応援に駆け付けたリーパーを洗脳しハクウンノツカイと戦い始めた。
これにより勝機が見えたのだが、その矢先アドラ殿の気配を察したハクウンノツカイは、戻って来た悪魔に攻勢を強め勝負に出た。
大きな四枚の羽根を使い、悪魔の結界を覆いかぶさるように押さえつけたハクウンノツカイは、魔障飽和による負傷など恐れることなく握り潰すように力を加え続けた。それは正に鬼気迫るものを感じ、異様な存在感を放ち近づいてくるアドラ殿の気配さえ薄めた。
「どうしますか! このままではリーパーさんまで巻き添えになってしまいます!」
ミサキの目から見ても今の状況はハクウンに分があると判断したのか、加勢してなんとかリーパーを助け出そうと言った。
「し、しかし……今のあの状況でミサキが加勢しても、もう弾は使えないのだろ!」
私が負傷した事により、ミサキは弾の生成を止めた。これによりミサキは本来の魔力を取り戻したが、その代償としてあの強烈な炸裂魔法は打てなくなった。
「あれは無理でも射出の方は使えます!」
「分かった! イチかバチかだやれ! 援護は私とマリアがする!」
「お願いします!」
ハクウンは私達の読みが確かならば、大きな魔力を察知すると身の危険を感じ、未然に防ごうとする。その為ミサキが詠唱を始めるといの一番に叩きに来る。
悪魔を撃破できる状態にある今のハクウンなら、もしかしたらそれを無視する可能性もあったが、もし再びあのスピードで向かって来られれば、今の私ではとても二人を守れる自信はなかった。それでも目前で仲間が死ぬかもしれないと思うと、やらない選択肢はなかった。
何があったかは知らないが、既に戦う者の目になったマリアにも迷いはなく、意見も聞かず指示を出したのだが、ミサキの返事を聞くと横に来て、ハクウンを見つめたままナイフを構えた。その姿はとても心強く、もう未熟な少女では無かった。
「いつでもいいぞミサキ!」
「行きます!」
横に並ぶ心強い後輩。背中越しでも押し潰されそうになるくらいの魔力を練る頼もしき仲間。この二人とデュポンからシェオールを守れるのなら、腕の一本や二本は安い!
ミサキの巨大な魔力に反応して本能的にこちらを優先的に叩きに来たのなら、右腕を犠牲にしてでも退けようと誓った。だがハクウンにとっては悪魔を潰す機会が優先されたのか、途轍もない魔力を前にしても執拗に悪魔から離れようとはしなかった。
悪魔が何を目的としているのかは不明だが、これによりハクウンが離れればまだリーパーを救うチャンスはある。それに、もう目に見えるのではないかというほど大きく重たい気配を放つアドラ殿が到着すれば、間違いなく私達は救われる。
背中に感じるミサキの魔力は、容積は決まったのか色を変えだす。それは目視しなくとも鮮明に感じ取れるほどの密度で、心底感服する。
ミサキは独特の魔力形成をする。一般的には形を作り変化させ、最後に大きさを決めるのだが、ミサキの場合は気分次第で順序がめちゃめちゃになる。これだけの魔力を有し、さらに独自の魔法まで作り上げたミサキは正に天才だ。これほど素晴らしい女性とこうして何かを守り戦える私は、恵まれているのかもしれない。
後は形だけ。このままいけばミサキの魔法は通る! そう思った矢先、強烈な電撃音と稲妻が飛び散るような魔力の弾けと共に、ハクウンの羽根が悪魔とリーパーを押しつぶした。
それを見た瞬間、音が消えた。
リーパーが……死んだ……
そう心の中で聞こえると、まるで止まっていた時が突然動き出したかのように打ち付ける雨の重さと騒がしさに襲われた。
ハクウンはリーパー達を握りつぶすと、その場で数回羽ばたき、鋭い弧を描き空へと舞い上がった。
私はそれをただ見ている事しかできなかった。重たい雨の音と冷たい世界で……
「わぁああああ!」
そんな中、突然後ろから叫び声が聞こえ、咄嗟に振り向くとミサキが鬼の形相で光を放つロッドでハクウンを追っている姿が目に入った。
「やめろミサキ!」
頭で思うより早く体が叫び止めに入っていた。だが既に発射態勢に入っていたミサキに、明らかに無理だと分かってしまった。
もしこれでハクウンの標的になってしまえば、さすがに凌げる自信はなかった。いや、もうその瞬間にはハクウンに食い千切られるミサキのイメージしか浮かんでいなかった。
その時間はとても遅く、ミサキに向けられた自分の手がより悪いイメージを鮮明にさせた。
だが次の瞬間、私だけでなく本当に全ての時が止まってしまったと思うほどの得体の知れない重圧が体を襲った。
雨の音は確かに聞こえているがそれが幻聴に聞こえるほどの轟音。色は何一つ褪せてはいないのに灰色の世界。そのあまりに異様な感覚に、我を忘れて魔法を放とうとしていたミサキでさえ、形相を一変させ人形のように止るほどだった。
……この感覚は知っている。ミズガルドで一瞬だけ経験した感覚……だけど……
ミズガルドで悪魔と戦ったアドラ殿が一瞬見せた威圧。あの時と似たような感覚だった。だが今感じているのは無慈悲というのはこういう物なのかと思ってしまうほど巨大で、比べ物にならない程だった。
アドラ殿ではないのか! ……なら一体誰だ!
威圧には確かにアドラ殿の“気配”は感じる。だが悪しき者が腸まで絡みつくようなこの感覚はあの時も今までも感じた事は無かった。
それほどの威圧の中でも辛うじて身動きは取ることができた。それはこの気配の持ち主が私には敵意を向けていなかったからなのかもしれない。それでも目を向ける事には怖れを抱いていたが、幼稚な好奇心に恐る恐る気配の発生源へ目線を送った。
きっと恐ろしい鬼がいる。そう思って振り返ったのだが、今この状態でも理外と言っても良いほどなのに、そこには主の姿は見えなかった。
ハクウンノツカイも当然この気配を察し、既に手の届かないほど天高い位置で視線を落としていた。
――師匠をどうした……
激しい雨音をかき消すはずの重圧。逃げまどうように騒ぐ森。遥か遠方に感じる距離。聞こえる筈の無い“音”だった。
――お前に言ってるんだよ鳥野郎
それは確かにアドラ殿の声だった。すると突然アドラ殿の声に反応したのか、ハクウンノツカイが耳を劈く勢いで吠えた。
“貴様がここの主か!”
ハクウンノツカイの咆哮の中に、聞こえる筈の無い声が聞こえた。しかしハクウンに関しては、翼を出現させてから度々咆哮の中に言葉のような物が聞こえていたのだが、今までは言語のような物? としか認識していなかった。それがはっきり言葉として聞き取れた。
――ぬし? なんだそれ?
完全に私の理外の出来事に呆然としているとそう聞こえ、目線を移すと森の茂みからハクウンに勝るとも劣らない白髪を逆立たせ、大きな剣を軽々肩に担ぎ、真っ赤な瞳と赤いジャケットよりも目を引く赤黒い魔力を弾かせながら纏うアドラ殿が姿を現した。
その姿はいつもの穏やかなアドラ殿から想像できないほど猛々しく、未だ見た事も無い魔王を連想させた。
あれがアドラ殿の本来の姿……もう私達の踏み入れる領域ではない……
たった一命で一国を滅ぼすとまで言われるデュポンとインペリアル。この両者の対峙を前に、己の小ささを知った。




