婚約破棄編
思いの外長くなったので分割。
ドラゴン――地域や時代によって多少の違いはあろうが、我々人間から見れば、とんでもない相手であることに変わりはない。
因みにこのゴドディン王国においては、守護神のような存在だ。建国王を支えた白黒二頭のドラゴン――の末裔は、八〇〇年を経た現在でも権勢を奮っている。
国内の経済を掌握し政治にも大きな影響力を誇る、白竜公ペンドラゴン。
大陸最高峰の魔術の使い手でありながら科学技術の発展をも牽引する、黒竜公ドラゴネル。
双公と称される彼等のどちらかでも敵に回せば、仮令王家でも無傷では済まない。
ゴドディン王国に暮らす者であれば、子供でも知っていることだ。
……と思っていたのだが、間違いだっただろうか。
「だから、あたしがこのルートを選んだ以上、ウェル様があたしを溺愛するのは確定なの!」
「……助けてマシュー……話通じない……」
僕に言われても。
たかが子爵家の令嬢でしかない小娘に迫られて、黒竜公が途方に暮れたように従者を見る。
しかし見られた従者に、一体何が出来ると言うのだ。
この空間にいる中で最も地位が高いのは第三王子殿下、だが……如何せん子爵令嬢の取り巻きになり下がるような木端王子である。同じく取り巻きの高位貴族令息達も、似たようなものだ。
比較的冷静に見えるのは、子爵令嬢から悪役呼ばわりされた公爵令嬢――我がドラゴネル公爵家のサクラお嬢様だけだが、ここで下手にお嬢様が口を出すと、このヒース子爵令嬢が余計に面倒なことになりそうで。
……僕も大分混乱しているようだ。とりあえず、状況を整理しよう。
まず。
ゴドディン王国第三王子のアカンサス殿下が、王立学院の卒業式でサクラお嬢様に婚約破棄を突き付けた。
どうやらヒース子爵令嬢との「真実の愛」を貫くためらしい。殿下の腰巾着である貴族令息達もそれに追随、更に何をどう勘違いしたのか、よってたかってお嬢様を責め立てた。
……駄目だろ、それ。
但し。
ゴドディン王立学院の卒業式には、毎年国王陛下と双公両閣下が来賓として出席される。当代ドラゴネル公爵――僕の主であるヴァーヴ様の目の前でその妹君を糾弾とか、つくづくアホなんじゃないかと、主の背後で思った僕である。
実際にヴァーヴ様が立ち上がるまでは。
代々のドラゴネル公爵は、ほとんどが優秀な魔術師として名を残されている。当代もその例に漏れず、式典会場である学院の講堂を一瞬で氷付けにした。
……駄目だろ、それも。
ただでさえ王子の一声で式典をぶち壊された上に会場中を埋め尽くす氷で凍えそうにもなっているのだ、これ以上巻き込まれたら関係ない卒業生が可哀想だ。
ゆえに。
ペンドラゴン公爵の口添えもあり、渋々関係者一同を引っ立てながら別室に移動したヴァーヴ様である。式典をぶち壊されたのに急遽場所も用意してくれた学院長には、後で謝っておこう……。
そして改めて話し合いとなったのだが、ヴァーヴ様による一方的な断罪劇にならなかったのは、ヒース子爵令嬢のせい。
「どーいうことっ!? こんなイベント、ゲームにはなかったわっ!」
いきなり喚き出した彼女には、殿下とその他もきょとんとしたほど。
だが彼女はすぐさまヴァーヴ様へと向き直り、王子他の陥落に使用しただろう上目遣いで迫る始末。
「あ! それとも、ここでシナリオ分岐? そうね、完全にゲームと同じわけでもないってことは、小説でもよくあるもんね!
ねえ、ウェル様?」
……とまあ、こんな具合に、いきなりヴァーヴ様に色目を使い出したんだが……。
ううん、状況を整理しようとしたのだが、巧く纏まらなかった気がするぞ。
その間にもヒース子爵令嬢は、ヴァーヴ様へとずずずいっと迫りながら、勝手な主張を並べ立てる。
「ハーレムルートに入ったのにウェル様とのフラグが立つ気配がないから、可怪しいとは思ってたのよね……」
よく解らないが……もしかしてこのお嬢さん、ヴァーヴ様に近付くために殿下とその他を踏み台にしたのだろうか。
うちのお嬢様を蔑ろにさせてまで。
殿下の不埒な噂が耳に入った時点で、ヴァーヴ様自ら学院に乗り込んで、殿下とその他とこの子爵令嬢にも口頭で注意したことはある。だがその時この子爵令嬢は、ヴァーヴ様からずっと目を離そうとしなかったけど……?
「本当なら竜王祭の前に、マシューがウェル様に引き合わせてくれるはずなのに、この従者全然仕事しないし!」
「……マシュー?」
「……マーロウはサボらないでしょう、お兄様じゃあるまいし」
「こら妹」
あれ、矛先がこっち来た?
子爵令嬢のみならず、ヴァーヴ様とサクラお嬢様までこちらに問うような目を向けたので、言い訳はさせて貰おう。
「……ヴァーヴ様、殿下がこちらのご令嬢にかまけられてお嬢様を蔑ろにされていると聞いた後、しばらく王都に滞在されてたでしょう?」
普通はよほどのことでもない限り、領地から出ないのに。
「その頃……そうですね、確かに竜王祭の一月ほど前くらいでしょうか。こちらのご令嬢が、別宅周辺をうろちょろしてたんですよ。
初めはお嬢様への非礼を謝罪するつもりなのか、そうでなくとも、ドラゴネル公爵であるあなたに睨まれたことで僕に執り成しを頼むつもりなのか……と思ったんですけど、どうも違うらしいと言うかそもそも反省していないようでしたので、早々にお引き取り戴きました」
「尤もな判断ね」
僕は自分の行動が正当だと言われて安堵するが、ヒース子爵令嬢はぼそり呟いたサクラお嬢様を睨み付ける。
……と言うかこの子爵令嬢、ヴァーヴ様が立ち上がるまでは、式典会場で怯えたように殿下にしがみついていたはずだが。
因みに式典をぶっ壊した殿下、今はヴァーヴ様の威圧ゆえかはたまた真実の愛を囁いた相手の本性ゆえか、完全に腑抜け状態。その他令息も茫然自失としているが、下手に喚かれるよりはいいか。
閑話休題、お嬢様は涼やかな青灰色の目線を子爵令嬢に投げ掛け、溜め息一つ。
「ところで……あなたの話、完全には理解出来ないのだけれど。
殿下や他の皆さんと親しくなったのは、お兄様に近付くためだった……という解釈でいいのかしら」
「だってウェル様攻略にはハーレムルートが必須なんだもん!」
『エリカっ!?』
言外に肯定されて、殿下他は愕然と声を裏返した。
ははは、ざまーみろ♪
しかしドラゴネル公爵に近付くためにその妹君に喧嘩を売るとは、このお嬢さんもアホなんじゃなかろうか。何だかんだ言いつつ、ヴァーヴ様は年の離れた妹君を大事にしているから。
「夏休み明けの公爵襲来イベントはクリア出来たのに、このマシュマロ野郎が使えないから……!」
『……マシュマロ……』
苦々しく吐き捨てる子爵令嬢の言葉に、公爵兄妹は揃って僕を見た。
のみならずヴァーヴ様は、わざわざ手を伸ばして僕の頬をむにむに、
「……巧いこと言うな」
どっ、どうせ色白ぽっちゃりだよ、僕は!
僕の頬をむにむにしたことで、ヴァーヴ様もいくらか平静になれたようだ。
……不本意だ。
真の愛をぽっきり折られた殿下とその他が黙っているうちに、話を進めてしまおう。長~く落ち込まれるのも鬱陶しいが、ものは考えようだ。
「で、お前さん」
「エリカって呼んで下さい、ウェル様っ♡」
「……じゃ、俺のことも真面に呼んでくれるか……個人的には『公爵』推奨な」
このゴドディン王国で公爵家はずっと双公二家のみだから、ペンドラゴン公爵がいなければ一番判りやすい記号――と言うのが、当人の弁。
「そもそも『うぇるさま』って何よ」
「え? だって本名、『ウェルウァイン』でしょ? でもそれだと――」
「言いにくいのは認める。俺もサクラも古典雅語読みだからな。
だから俺の名前のスペル見たら、まず『ヴァーヴェイン』て読むのが普通だろ。わざわざ訂正するのも面倒だから、学院時代はそれで通してたし――マシュー、お前も覚えてるだろ?
それに今となっちゃ、俺をギヴンネームで呼ぶ奴もいないからなぁ」
先代亡き今、当代黒竜公の本名を知る、あるいは知ることの出来る人間は、極めて限られる。
なのに本名の響きに由来する愛称を勝手に付けた子爵令嬢相手に、夜色の瞳孔が縦長になっていく――それに伴い、ヴァーヴ様の纏う魔力が竜気を帯びて行く。
人にはあり得ない、ドラゴン独特の魔力。
ペンドラゴンはごく普通の人間の貴族としての政略結婚が主だが、ドラゴネルはそのようなことに頓着しない。異種族の血を入れることにも躊躇いはなく、ゆえに今もドラゴンの要素を強く持つ。
そして人ならざる気配は圧迫感となって、室内の人間達を圧倒する――それなりに慣れている僕も、息苦しさは否めない。温室育ちの少年少女に至っては、最早揃って顔面蒼白である。
それでも。
「……脅かし過ぎではなくて? お兄様」
同じドラゴンの血を引くサクラお嬢様から窘められ、ヴァーヴ様は肩を軽く竦めながら竜気を引っ込める。
……ふぅ、ようやく楽になった。
僕は溜め息一つで済んだが、殿下他は息をするのも必死の形相だ。
件の子爵令嬢も涙目で絶句していたが、やがてその瞳から雫を落として、力ない声をあげた。
「……っ、なんで……。
何でっ、どうしてウェル様、こんなことするの? 唯一無二のつがいである、あたしにまで……!」
まーた頓珍漢なこと言い始めたぞー。
ヴァーヴ様も呆れ果てた面持ちである。
「……木端王子共の心配はしないのかよ……いくら俺でも、任意の方向に絞って竜気を突き刺すとか、そこまで器用な真似は無理だからな? 大体お前が俺を警戒させたせいだし……。
あーもう! ツッコミが間に合わねぇ!」
御愁傷様です……僕に出来るのは、お茶のお替わりを淹れて差し上げることくらいですが。
ヴァーヴ様は苛立ちをそのまま、子爵令嬢に鋭い視線を突き刺した。
「小娘! 言いたいことは色々あるが、手短に纏めてやる!
いくらこのアホとの縁談が王家からの申し出で、サクラがこのアホのことなんざ道端の小石程度にしか思ってないにしても、」
「ちょ、ちょっと待て!」
「うるせえぞ石ころ」
慌てた様子で口を挟んだ殿下は、ヴァーヴ様に睨まれて露骨に怯む。
「おい、俺あの時言ったよな? てめーの立場を弁えろって。お前が他の女に惚れようがその辺の男に掘られようが勝手だが、婚約っつー契約に縛られてることだけは忘れるなって、公爵言ったよなぁ王子サマ? あぁ?
最早こんな縁談なんて無効も同然だが、辛うじて有効だった頃は、てめーの不始末はサクラの不始末にされてたんだよ、この無能。理解出来てないなら、いっそ脳の動き全部止めてろ」
「死んじゃいますよ……」
「その方が公爵的には遺恨が残らない!
で、だ。
アホを唆したお前も同罪だぜ、小娘」
「え……ウェル様……?」
「だから公爵だっつーの。
冷静に考えろよ? サクラの心情はどうあれ、お前がこいつの婚約者に手を出した泥棒猫ってことに変わりはねーんだよ。
なのにどうして、俺に受け入れられるとか思うわけ?」
そう言えば、溺愛とか言ってたね。
……ないわ。
お嬢様を貶めようとしたマイナス要素がないとしても、ヴァーヴ様が“溺愛”とか、ないわー。