南淵と深谷
俺はびくっと身体を揺らした。いつのまにか辺りは明るくなっている。
隣では深谷が寝息をたてていた。
「馬鹿め……」
思わずつぶやく。
二人同時に寝てしまうとは無用心だ。
この寒さの中、よくもまあ殺人鬼がうろうろしてる状況で眠れたものだ。図太いにも限度ってものがあるだろうに。
深谷と接触していない右腕は恐ろしく冷えていた。鳥肌がものすごいし、心なしか白くなっている気がする。
なんとなく左腕と見比べようとして、やめた。
深谷から離した瞬間、刺すような冷たさに襲われ全身に悪寒がはしった。右腕の感覚が馬鹿になっている。このまま使い物にならなくなったらどうしようか。
ぼんやりと空を眺めていると、すずめが飛んだ。
そういえば、お腹が減っている。
俺は右手に息を吹きかけ、スマホを確かめる。
今は朝の六時過ぎ。久々の早起きだ。これで連れ去りから十三時間くらい、ゲーム開始からは十二時間。
昨晩七時に運営からメールが来ていた。
食料の配布を知らせるものだ。
件のふざけた口調でまくしたてるように書かれているが、今朝の分は関係なかった。
俺は首筋を掻き、スマホを片付けようとする。瞬間。
ピロン……
スマホを放り出しそうになった。今の音で起きたらしい深谷が伸びをする。グーに握った手が顔面に当たって地味に痛い……。
運営からの、メールだ。
『やあ、みんな。朝ごはん時間だよー。お腹は減ってるかな? 二日目だけど調子はどう? 今日の朝ごはんはライオンの檻の前だよ。今度も早い者勝ちだからね。
そうそう、昨日脱落しちゃったお友達は二十四人。ちょっと早いかな? 最初から百五十人しか居なかったんだもん。これじゃ五日持たすには微妙かな?
ところでみんな、死神さんにはあったかな? そう、黒いスーツの。いかした仮面でしょ? あれは狩手だよ。みんなはエサって呼ばれてて、殺しに来るよ。全部で二十五人。こんなに少ないんだから、当然生き残れるよ、ね?』
俺は小さくため息を吐いた。相変わらず腹が立つ。
馬鹿は極限になっても治らずまた元気で、それが馬鹿たる所以だ。
そこまで考えてはっとした。馬鹿は、俺だ。
俺たちは今変なゲームに命を賭けるハメになっている。けど、運営は傍観して楽しんでいるだけだった。頭がちゃんと回っていない……。
俺は二日目にしてこの体たらくであることを呪った。まさか日ごろの運動不足がこんな形で祟るとは。そういうのはもっと歳をとってから苦労するものであって早死にする予定の俺には関係ないと思っていたのに。
俺は深谷を見た。図太いことに二度寝を決め込もうとしている。
深谷を文字通りたたき起こした。
「ふあ……なんだ。健二君か」
なんだ、ではない。しかも勝手に下の名前で呼ぶな。
「いつから健二君になった」
「生まれたときからでしょ?」
「違う。呼び方の話だ」
「もう二日目だから。普通だよ」
ため息がもれた。そういえば口調も昨日より砕けている。
深谷と俺の常識は違う。いちいち直すのも面倒だ。なにか言って波風立てるほうが面倒くさい。不慣れな呼ばれ方はなんとも気分が悪いが我慢するしかなさそうだ。結局面倒くさい。
俺は嫌な顔をしそうになって、慌てて別の話題を引っ張り出した。
「飯とりに行かなきゃ」
「それなら」
深谷がクーラーボックスを差し出す。ただでさえでかい胸を前に突き出し、得意そうに腰に手を当てている。
「人いっぱい居たよ? そしたら狩手がね」
どうやら昨晩俺が寝ている間にとってきたらしい。俺は深谷とクーラーボックスを交互に見た。
見るからに貧弱な深谷、食料の入ったクーラーボックス。
その時俺は間抜けにも眠り居なくなったパートナーに気付きもしなかった。
もし、深谷が死んでたら。俺はなんと言い訳しただろう。
いい加減自分が情けなくなった。
「人いっぱい居たよ? そしたら狩手がね」
「聞こえてる」
「聴いてくれなきゃ嫌」
「子供か」
「未成年だもん」
調子が狂う。深谷は相変わらずのんきな様子で狩手が食料に集まったエサを殺しまくる様子を話した。物語るみたいに、笑ってさえいる。
深谷は喋りながらクーラーボックスを開け、そのうち一つを俺に差し出した。
大きめのペットボトル。ラベルははがしてあるけど、おそらく緑茶。
「ぷえぇ、これ青汁だよぉ」
「…………」
それから馬鹿みたいな大きさのおにぎりが三つ。取り出した深谷がうれしそうに自分の顔の前に抱えていた。おにぎりとほぼ同じ大きさ……。
これで一人前なら飢えることはないが。
「悪意だ……」
三食ぜんぶ米。中身不明は怖いが、具なしはきつい。おまけに全てコンビニの三角のやつと同じ仕様。食いかけでの保存が利かない。クーラーボックスに直で突っ込むのはなんだか気持ち悪い。具の表示のかわりに貼られた消費期限シールは今日の日付だ。
さらに。深谷がとってきたクーラーボックスは六つ。これは荷物だ。
「拠点がいる」
俺はかちかちになった尻を押さえ立ち上がった。深谷からうけとったおにぎりをクーラーボックスのうえにのせた。冷えたジーンズと自己主張の激しい膝関節に舌打ちしそうになる。
「じじいか。俺は」
手元のスマホはもう充電六十パーセントをきっていた。明日まで持つ確証も無い。念のため深谷のも確認しようとすると、深谷は口元をおおって笑っていた。
「健二君、独り言多い」
「……うるさい」
「不機嫌なかものはしみたいで可愛いよ」
褒められた気がしない。
深谷のスマホもまた六十パーセントをきっていた。
不思議そうに俺の顔を眺める深谷はすでにおにぎりをむさぼっていた。やっぱり具らしきものは見えない。
この状況でよくも、とは思ったけどおかげで毒物は入っていないとわかった。
と、すれば。
食料の配給情報がわからないのは辛い。
それにマップが確認できるうちに移動しておいたほうがいいに決まっている。できれば屋根があって人が居ない場所がいい。ヒーターと布団があれば最高だ。
そんな場所はあるのか……。
マップを拡大するとわりと近場に医務室があった。これはいい。途中開けたイベント広場を通らなければならないのが難点だけど。
俺はどう広場を切り抜けるか考えた。
が、いきなり名案が浮かぶわけがない。うなりそうになった。すると横合いから深谷が覗き込んで指をさす。
「ここ、いいなあ」
「……深谷がそういうなら」
偶然にも医務室だった。俺は体裁だけでも深谷を優先したようにみせかけようとする。売れる恩は売っておくに限る。
すると、深谷は声をださずににんまりとした。背筋が冷えた。
「ね、行きましょ」
「待ってくれ。安全確認」
まあ、どうせ運次第か。
「行きましょ。見つかったらその時です」
そして。
「待ぁぁて、おらぁぁっ!」
やっぱりこうなるのか。
「ひゃっはぁ! オレ様の刀のサビになりなぁ?」
面倒な。こんなのに殺されてはできる成仏もできなくなりそうだ。しかし、オレ様とは……
「恰好悪い」
「あ? んだとおっ!」
しまった。つい独り言が。
「健二君のばかぁ!」
深谷が絶叫した。
刀ぶんまわし男は刃を斜めに返し、突進してきた。見た目や口調に反して鋭い。
冷や汗が出た。
俺たちはクーラーボックスを三つずつ縦に抱えたまま広場をぐるぐると走り回った。
「ごめんなさいっ」
声が、震えている。
「ごめんで済みゃぁ警察はいらんよなぁ!」
「あ、あんたにだけは言われたくない!」
よろけた俺の頬を白刃がかすめていった。
熱い。血が出たのかもしれない。一歩間違えば今頃は串刺しだった。
後ろが怖い。振り返るのは、もっと怖い。足がすくみそうになる。だめだ、前へ。
細い通路がいくつかあるけれど、どれもどこへつながっているか解らない。逃げ込んだ先に他のがいるかもしれない。
ぐるぐる回りすぎてどれが医務室へ続く道かも判断がつかない。
隣の深谷もわき道と俺を交互に見ては悩んでいる様子だった。
もういっそ、適当な道へ入ってしまおうか。でも、その選択は運命を大きく左右する。無責任に俺が決めることはできない。
それよりも度胸がない。
と、腕の中でクーラーボックスがバランスを崩した。あわてて抱きとめるが一番上にあったおにぎりが地面におちた。
「ひゃっはぁ! チェス……ぶるわっ!」
「健二君、ナイス! 今!」
後ろから変な悲鳴が聞こえ、同時に深谷が俺に軽く体当たりをしてわき道へ入っていった。慌てて俺
は深谷を追う。幸い他の狩手はいない。俺と深谷は申し合わせたみたいに道端の長いゴミ箱へ飛び込みふたを閉めた。
震える膝がクーラーボックスにあたって音がする。俺は身体を丸めた。隣の深谷も同じように身体全体で膝をだまらせようとしている。さすがに笑顔はなかった。
「ああ? なぁ、どぉこ行きやがったぁ」
外から怒鳴り声がする。近いかもしれないし、遠いかもしれない。俺はひっと声がもれそうになるのを必死で押さえた。固く目をとじる。
しばらくして俺はゆっくりと目を開け、すこしだけゴミ箱のふたを持ち上げた。
周囲に狩手はいない。他のエサも。
俺と深谷はゆっくりとゴミ箱から出た。
広場に出ると血のあとがある。
「鼻血出たんだ」
深谷が妙に弾んだ声で言った。近くでおにぎりがつぶれていた。これで転んだのかと思うとなんだか滑稽だ。
俺は不運なおにぎりに内心で合掌してみた。なんとも哀れだった。これはもう食べられない。
「ああ、これじゃ食べられませんね」
茫洋とした口調で深谷がつぶやいた。妙なタイミングに俺は少しだけ笑ってみた。
「ああ」
とはいえラッキーだったのかもしれない。ラッキーといえば逃げ込んだゴミ箱のふたがしっかりと閉まらなかったことも。あれは中から開けられないタイプのやつだった。
それに。
「ゴミが入ってなくてよかった」
「そう?」
振り返ると深谷が真っ茶色になったバナナの皮をつまみあげていた。俺は深谷を睨んだ。誰だバナナなんて食ったやつ。
≫≫≫
医務室はわりと低い位置にいくつか窓があった。お洒落仕様か傷病者が外から見えないようにするためかマジックミラーだったのも好都合だ。
ただ、寒い。
暖房はあったし、何故か電源も入った。けど室外機がものすごい音をたて始めたから諦めるしかなかった。
かえってエアコンと分かるものが視界に入っているだけに地味に辛い。
俺は身震いした。外はもう暗かった。壁にかけた時計によればまだ五時だけれど。
「みて、雪!」
深谷は簡素なパイプベッドに土足のまま乗って外を見ていた。
足元から凍りそうな気がする。
俺はちゃんと靴を脱いでから深谷の隣に移動した。
すかさず深谷は俺にくっつく。深谷の白いコートも、表面のポリエステルが冷えてなかなか温まらない。
すくなくとも裸に半そでYシャツ一枚でいられる環境じゃない。
俺はがたがたと震えながら深谷の下から毛布をむしりとった。人生初の雪も、この状況じゃ感動のしようがない。
なんで静岡は雪が降らないの? なんて言ってた昔の俺の馬鹿。
「健二君、あれ」
突如、深谷が甲高い声をあげて窓の外を指差した。
俺は窓ににじりよって暗闇に目を凝らす。ガラスに映りこんだ自分の顔がわりと邪魔だ。
「ほら、そこ。えっと二本目の外灯のとこ」
「あ」
そこには俺と同じような背格好の少年が倒れていた。緑の、あたたかそうなミリタリー風コートを着ている。
俺は外に出た。深谷もついてくる。遠目では彼はピクリともしなかった。
俺と深谷は迷わず彼に近寄った。
「おい」
反応は無い。
「死んでるの、か?」
俺はしゃがんで彼をみつめる。青白い。さして容姿がすぐれているわけではない顔も、ここまで白いとなにか置物に見える。喉元に大きな傷跡があった。
人間の死骸を見るのは初めてだ。漠然と、今が夏じゃなくて良かったと思った。
「ねえ、このコートもらっちゃいましょ」
深谷は死骸の傍らに座り、上目遣いで俺を見て微笑んでいる。
「だめだ。汚れてる。血が板みたいに凍りついてる」
「とれませんね」
俺はコートをはぎとる深谷を呆然と眺めた。俺の中で、なにか閃くものがある。おそらく深谷は俺と同じ……。
「亡くなってるからって人様のものを」
俺はおそるおそる口を開いた。人であればこう言うのが正しいと推測される言葉。対して深谷は作業もやめずに言った。
「なんで? 死体はモノですよ? それに寒いのは生きてる健二君です。死体じゃない」
「…………」
俺は腕を組んだ。
俺も、コートを剥ぎ取ることに抵抗はない。
存外、深谷は俺と似ているかもしれなかった。昨日、それから今日一日行動を共にして薄々感じていた。
と、すれば深谷に対する違和感の正体は多分これだ。
同族。ただ俺と違うのは時に他人とずれたことを言ってしまうのを恐れていないこと。多分深谷の表面は俺のように単純な作りモノじゃない。
実は深谷梨緒なんて人間、どこにもいないのではないか。
一瞬考えたけど、我ながらにあきれた。深谷は今、目の前で死骸からコートを盗んでいる。
ともあれ。
「深谷、君もそう思うのか」
「健二君、なんだか嬉しそう」
俺はコートを剥ぎ取るのを手伝う。薄赤い氷が落ちた。
袖を通してみるとサイズはぴったりだ。
「ああ、じゃりじゃりする。冷たいな」
「とりあえずそこの水道で血をおとしましょう。あとは乾くのを待てばいいと思います。ま、血が残ってるほうがミリタリーっぽいって割り切りましょう」
「そうだな」
俺と深谷は医務室に戻った。
俺は手前のベッドに、深谷は奥のベッドにもぐりこんだ。