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デストラクション  作者: 桂田 武史
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銃口 Side.健二

   銃口 Side.健二


 死んでもいい人間はいる。ある日突然にわいた考えは、デスゲームに巻き込まれたからといって変わるものではなかった。だからスマホを見て真っ先に失望し、それから俺は怒った。


『ルールを説明するよ

・デスゲームは全部で五日間。食べ物はあるよ。感謝してね

・男の子と女の子二人ペアで行動しよう。二人で生き残るとなんと賞金二倍! わお、超お得! 檻の前に番号札があるからおんなじ番号の子探してね

・あ、そうそう。ちゃんと死神さんもいるよ。怖いね

 じゃ、親愛なるみんな、ガンバ! いつも君のそばに。運営より』


 誰が人を殺そうが、誰が自殺しようが俺には関係ない。みんなそいつらの理由があるから。だが、こいつは違う。まともな理由が思い浮かばない。ただ人の死を楽しんでいるだけだ。わざわざ金をかけて。しかも、喧嘩をうりながら自分の顔を見せない卑怯者だ。

 それなりに必死こいて生きて、その末路がこいつの玩具か。

俺はこんなくだらない遊びをするやつ以下なのか。

 こんなゲームで死んだら、俺は無価値なごみになってしまう。そんな末路望んでいない。ひとまとめに殺されていく害虫と一緒ではないか。

 運営の野郎はぶっ潰すべき敵だ。このゲームを考えたやつは、死んでもいい。

 俺はゆっくりと檻の外へ出る。

〈カバ〉

 さびた横書きの看板は、片側のねじが外れ縦向きになっていた。残念ながら、上に来ているのは「バ」のほうだ。

 悪意だ……。

 ふざけた看板付近を捜すと、あっさり番号札は見つかった。間抜け面なカバの絵にテープで貼り付けてある。尻に。

 俺は舌打ちし、番号札をむしり取った。九番。スマホのホームにあったペアというアプリをタップしてみる。


《ペア情報

・十七歳

・初期位置 ライオンの檻

・状態   生存

・現在地  マップに表示》


 いちいち腹が立つ。

 なんで俺がカバでペアはライオンなんだ。

 まさかライオンのような女という意味ではないだろうな。それなら俺の短い手足はカバというわけだ。待て、この野郎。

 おまけによく考えたら問題はそこではなかった。

 俺は人間、特に女が苦手だ。五日も一緒に行動なんて耐えがたい。本当にライオン女だったら最悪の極み。

 目の前で死人が出るのも困る。

 残念ながらモヤシな俺には護る力も度胸もない。できれば別行動で、死ぬなら俺の知らないところで死んでくれ。

 もう一度スマホに視線を落とす。

 俺を示す赤三角に、ゆっくりと近付く青丸。その距離、小さな檻一つ分ほど。

 顔をあげるとこちらに向かって歩いてくる小学生が一人。俺と目が合うと満面の笑みを浮かべ、ペンギンのような走り方でさらに近寄ってきた。

「あの」

 小学生が話しかけてくる。

 身長が百六十とそこらしかない俺から見てもかなり小さい。ふわっとした茶色い毛は染めている様子もなく、柔らかそうだ。

 しかし、最近の小学生は発育がいいらしい。胸元が自己主張激し目にふくらんでいる。癖毛なのか飛び出た一筋の髪が彼女の動きにあわせ揺れていた。

「九番ですよね?」

 え?

「私、深谷梨緒ふかやりおといいます。あの……よ、よろしくお願いします」

「小さい……」

 思わず本音がこぼれた。それから間違いに気付く。

 一度悪くなった印象を回復するほど面倒なことはない。どうしていいのか正直、深谷がなにも言わないうちからげっそりした。

 ……これから一緒に過ごさなければならないのに。

「そうですよね。百四二センチしかなくて。十七歳なんですが」

 やや間があって、深谷は言った。意外にも口調ほど気にしてなさそうな表情だ。俺はひとまず安心した。

 スマホを確認すると三角と丸が重なっている。

 性別も年齢もあっているようだし、ペアはこいつで間違いないらしい。

「でも良かった。草食そうで優しそうで、あんまり大きくないから怖くない人がペアで」

 ほめる体裁をとってさりげなく貶された気がする。相変わらず満面の笑顔。さっきの仕返しではないようだ。

 俺は深谷を改めて頭から足の先まで見た。

 一緒にいると俺が誘拐犯に見えてしまうような童顔、その白い顔からこぼれそうなくらい大きな瞳は明るい茶色だ。脚は細いほうではなく、生来かキャラ作りかわからない内股。

 服装はベージュのセーターに暖かそうな白のコート。ダウンっていうやつだと思う。

小奇麗なタイツが寒そうなこと以外、変なところはない。

 現状では深谷を嫌う要素はない。

 むしろそこそこアタリだとも思う。かわいいし。

 だけど、俺は深谷を好きになれそうにない。何故か一瞬怖いと思ってしまった。

 一瞬、本気で別行動を申し出ようか迷った。

 俺でも女子高生を見捨てるのはなけなしの良心が痛む。プライドもメキメキ傷つく。

 深谷の外見のせいで余計に罪悪感もある。放置したら一時間後には死んでそうだ。

「……南淵健二。よろしく」

 悩んだ末に嫌いな名前を吐き出した。

 名乗らなければ五日間「小さいお兄さん」や「カバさん」、酷ければ「バカの檻の人」なんて呼ばれてしまうかもしれない。このさりげに失礼なチビならあり得る。

 俺は勝手に歩き出した。一刻も早くカバの檻をはなれたい。爆発にも焦れなかった俺が、今更になって怖いと思い始めている。

 特に抗議もせず深谷はちょこちょこと後ろをついて来た。

 途中、こけた。俺のシャツをひっつかんでくる。振り払うと深谷は泣きそうな顔で俺をにらんだ。仕方ないから手をつなぐとまた笑顔にもどる。

 表情の忙しいやつだ。やりにくい。

「あの、まず何しましょうか」

 俺は無視した。まだ作戦もなにもない。すると深谷は俺の手をつかんだまま俺の正面に回りこんだ。弾けそうな笑顔とかちあう。

 俺はなんとなく深谷に感じた恐怖の正体を知った気がした。

 深いため息がもれる。

 深谷の表情は、状況にそぐわない。

 俺はペア制の暴力に頭を抱えたくなった。

 まず、よほどの人でなしじゃなきゃペアが死んだとき自責に駆られる。見捨てたら後味が悪いから俺たちみたいに行動を共にすることを選ぶしかない。

 さらに本気で二倍の賞金がほしければ死なないようにペアを監視下におくだろう。

 俺が金の亡者だったらそうする。俺は金なんてどうでもいいが、深谷は同じじゃないかもしれない。

 俺はまだ深谷を信用できない。腹を探ろうとしている。俺が言うのも変だけど、いきなり誘拐されて知らん奴とペアを組まされるとなれば妥当な感情だと思う。

 対して「信用しますよ、隠し事もありません」みたいな深谷の態度はかえって不気味だ。

 これは笑える状況じゃない。天使の表面を剥がしたら、どれだけ真っ黒いものがでるのだろう。恐ろしいことに、深谷は裏側をまったく感じさせない。どころか表側でさえ怪しい。まったくつかめない……。対応に困る。

 それでもペアだ。時には生存の鍵をにぎる。信頼できないのではなく、信頼しなければいけない。

 深谷にだって俺を殺すメリットなんかないんだから。できるだけ優しく接するのが得策だと思い直した。

「……怖くないの」

 俺はできる限り優しい声を出した。我ながらに寒気ものだ。イケメンとは言いがたい顔に貼り付けた誘拐犯のような笑顔が不気味さをかもし出しているに違いない。

「まさか。怖いですよ? 私だって女の子ですし」

 深谷は戸惑った様子で答えた。やはり顔か……。不細工には不細工の立ち位置がある。いきなり失策だ。

 ……話が続かない。

 この空気感は苦手だ。お前がなんとかしろって言われてる気がして居心地悪い。俺は、言葉を探すのに必死だった。

 いい天気ですね。……これが? 曇ってる。何故、デスゲームに? 聞けるか。胸のサイズは? ……もっと聞けるか。

 完全に手詰まりだった。

 誰かと会話を成立させるには……。

 俺は手つないでいるくせに、一瞬深谷のことを忘れていた。

 だから深谷が突然俺の腕を両手で抱えたとき、全身がこわばった。

 あっという間に頭が現実に戻ってくる。

 俺は口を半開きにしたままに腕を掴む少女を見つめた。

 申し訳ないが俺には護れる力もない。この状況をどうにかする頭も、虚勢を張って画になるような男らしさだって。

 むしろ、今すぐ逃げ出したいとさえ思っている。

 臆病だし、面倒事は嫌いだ。

「悪いけど俺無理だ」

 独り言の癖がたたって俺はポロリと本音を吐いた。

「そんな。私、気持ち悪いですか?」

 とても気まずい。俺は黙った。黙って、しばらくして致命的なミスに気付いた。気持ち悪いかときかれたまま黙ったら、八割の人間は肯定ととるだろう。

 実際にはどう答えるべきだったかわからない。

 深谷に対する恐怖心は、気持ち悪いとどう違うのだろう。そんなに大差ない気もした。

 俺は横目で深谷を見る。

 深谷は相変わらず能天気な顔をしていた。視線に気付くと、すこし首を横に傾けてみせる。

 やはり、深谷は異常だ。

 こんな状況でも自然な笑顔をみせる女なんているのか。深谷の表情は日常の延長線でしかない。わからない。わからないけど今、現に、目の前にいる。これと、最大で五日一緒にいなければならない。

 俺は笑顔の理由をきこうとして、やめた。ろくでもない事情を掘り当てでもしたら、もうどうしていいかわからない。

 とりあえず深谷はいないことにして今後のために地形を確認すべきだと割り切ることにした。ペアとはいっても他人。無理に話さなくてもいいと納得しようとした。

 途端に深谷は俺に話しかけてくる。無視していると、大きな声を出した。

「あの!」

 うるさい、と言いそうになった。さすがに大人気ないと別の言葉をさがす。

「……緊張感持とう。デスゲームだから」

「でも。なにもないですよ? それに私一応サバゲ部員です」

 頼りない。返す言葉に困るから話しかけないでほしい。

「その、まあ、開幕瞬間アウトですけど……」

 やっぱりか。ため息がでそうになる。オチがない話もあれだけど、オチが見えすぎた話のほうが反応に困る。

 こういう場合、どう返事をすれば後腐れなく相手を黙らせることができるんだ。

「どこへ向かっているんですか」

「地形確認」

 突き放すように言って、俺は歩調を速めた。深谷の足音がパタパタとせわしなく追ってくる。

「大きいマップ、ありますよ」

 なんだと、と怒鳴りそうになった。深谷がスマホをかざす。確かに地図だった。

 どうにも気分が悪い。

「立体では分からないし。だいたいスマホが壊れない確証もないからさ」

 俺は前を向いたまま独り言と変わらない調子で言った。話しかけないでくれ。そっけない態度がせいぜい俺にできる意思表示だ。

 しかし二歩分くらい後ろの深谷は黙ってくれない。

 無視しようとしたそばから会話をしかけてくる。

 女子特有の高く柔らかい声が耳にまとわりついた。

 甘ったるくて、怖い。

「ところで死神ってなんでしょう」

 イライラする。

「俺が知るか。そんなもんは信じない。少し黙ってくれ」

 俺は振り返って怒鳴った。

「うぅ……」

 泣きそうな顔をする深谷。少し大人気なかったかもしれない。

 ……いや、深谷は十七歳だ。誰か、こいつの取扱説明書を作ってくれ……。

 こんなのを繰り返しながら歩き回ること十五分。園内は意外と広く、見るべき動物もいないのにまだ回りきれていない。足も心もくたくただ。

 丁度、爬虫類館の角を曲がろうとした時だった。

「あれ」

 深谷が俺の腕を両手で引っ張る。なんだ、と睨みつける前に俺も異変に気付いた。深谷の視線をたどった先に、真っ黒なスーツの男がいる。後姿で顔は分からない。一瞬、別の参加者かと思った。いや、参加者であってほしい。

 のんきな考えを、振り返った男が打ち砕く。

 スーツと同じ真っ黒なネクタイ、顔の上半分を覆い隠すのっぺりとした白い仮面、そして右手には拳銃。男は俺たちにゆっくりと銃口を向ける。

 冗談だろ。ここは日本だ。

 隣で深谷がへたり込むのがわかった。俺はどうすることもできずに固まる。背筋と手のひらが冷たくなった。

 男は躊躇した様子もなく引き金を引く。

 一発。

 頬をかすった。熱い。本物だ。足が、情けないほどに震える。

「あれぇ」

 ねばついた声。男は銃口を覗き、それからまた俺たちを狙う。

 俺は下唇を強くかんだ。どうするべきか。

 死んで終わりにできる。ただ、まだ運営とこんなゲームに俺を売った親に復讐していない。そんなの許せるか。

 なら、どうする。

 本当なら深谷もつれて逃げるべきだ。無力な俺にできるのか。それならば深谷を生贄にしてひとまず生き延びるか。

 俺ははっとした。すでに右足が半歩退いている。今なら深谷を見捨てても言い訳できるなんて思ってしまった。

 深谷を置いて逃げようとする。途端に救いもないむかつきが胸元を駆け上がり、膝から折れそうになった。

 臆病者が。

 内心叱責してみても状況は変わらない。口が渇く。

 もう、どうしようもない。

 俺には立ち向かう度胸も、深谷を見捨てる度胸もない。視界がぐるぐるし始めた。

「いや。死にたくない。死にたくないよお」

 俺は深谷の手を掴み走り出していた。後ろで銃声がする。夢中で走った。足音がついて来る。こんなはずではなかった。どうして、深谷を助けたんだ。

「ああああああああああああああ」

 俺は絶叫した。

 逃げる、逃げる、逃げる。少しも進んでいる気がしない。

 背後で銃声がする。滅茶苦茶に駆けた。


「もう、もう大丈夫だよ」

 深谷の声で、俺はわれにかえった。後ろを確かめると、黒スーツの姿はない。

 俺はゆっくりと呼吸を整えた。運動不足。犬みたいな呼気の俺を深谷が涼しい顔で眺めている。ちょっと前に死にたくないと言っていた奴の顔だとは思えない。

「ここ、何処でしょう」

 深谷がのんびりとつぶやいた。



 ふれあい広場の前だ。初めて通る。慌てて道を思い出そうとすると、見事なまでに忘れてしまっていた。俺は下唇をかんだ。

 深谷の手前、狼狽を悟られたくなかった。弱みを見せたら、食われる。そんな気がした。俺はゆっくりと口を開く。

「大丈夫だよ。ここは」

「ふれあい広場の前ですね。それと、あの、口調気を使わなくても大丈夫ですから」

「…………」

 俺は黙った。スマホの光が深谷の顔を照らしている。少し怒った口調に反して、道端に子猫を見つけた時のような顔。

「とりあえず移動しましょう。私、怖いです」

 確かな寒気がした。気温のせいではない。はっきりと理解した。俺は、やはり深谷が怖い。同じ人の形をしているのに欠片も理解できない現実が、怖い。

 深谷は今まで遇ったことがない種類の人間だ。

 逃げるように歩き出した。横合いから深谷がスマホを差し出しながらついてくる。

「えっと、意地張ってる場合じゃないです。その、安全なところへ行きましょう」

 意地ではない。寄るな。安全なところなんてあるか。

「あの、さっきは助けてくれてありがとうございます」

 俺は固まった。大きく丸い目が、静かに俺をとらえる。少し潤んだ場違いに明るい瞳。「ありがとう」が気遣い、感謝、打算、皮肉……どれであるかも判別させてくれない。

 置いて逃げようとした手前、なにか言い訳をしなければならない気になった。

 それが、適切な言葉が見つからない。

「とりあえず休みましょう。疲れちゃいました」

 深谷は俺の前を横切って、近くにあった檻に入ってゆく。

 取り残された。

 空、地面、檻。全部灰色で何もない。看板の緩んだねじがカタカタとなっていた。

 黒スーツも他の参加者も、小さな虫でさえも通らない。背筋がゆっくりと凍ってゆく気がした。

 たまらず俺も檻に入る。深谷と目が合った。

 俺は深谷から五メートルくらい離れて座る。すかさず深谷が近寄った。思わず睨みそうになる。そもそも半径一メートル以内に遮蔽物もなく人がいれば深谷じゃなくたって居心地悪い。

 俺と深谷はしばらく黙ったままでいた。

 ますます変な空気。変な空気にしてるのは俺だって分かっているからイライラした。

 できるだけ深谷のことは考えたくない。

 それよりも別の、これから先のことを考えるべきだ。

 運営の言う「死神さん」は、あの黒スーツだと考えて間違いない。あれと似たようなのがあと何人いるか。武器だってもっとヤバイのを持っているかもしれない。

 散弾銃、手榴弾、新種ウイルス……重度の軍事マニアや快楽殺人鬼じゃない俺だってこれくらいの武器は想定できる。

 狙撃手だっているかもしれない。

 対戦車用武器で人間を狙うくらいに非情なことだって運営の野郎なら十分にやり得る。

 触ったものに毒物が付着している可能性も否定できない。

 会場の下に大型爆弾が仕掛けられていて誰も生きて返す気がない、なんてことすら考えてしまった。

 一度疑いだすときりがない。仮に推測のどれかが当たったにしても、全て俺にはどうしようもない次元の話だ。

 余計なのは頭の片隅へひとまず追い払い、いかに腐った運営を潰すか作戦を練るべきだ。

 一番の問題点は、体育の成績が万年アヒルちゃんだった俺が運営を潰すところまで生き延びられるだろうかということ。

 冷静かつ客観的に考えて無理。

 先刻生き延びたのは運が良かっただけだ。

 だいたい五日間、水も食料もないかもしれない。

 マニュアルにはあると書かれていたが信用できるか。そんな中で何人いるかわからない人殺しから逃げ回る。

 これではゴキブリ級の生命力があったって生きられる気がしない。

 この問題を前にしたら、そもそも俺に戦う度胸があるかとか運営を追い詰めるような知的作戦とは何かとか、そんなことはどうでも良くなってしまいそうだ。

 俺はなんとも言えない皮肉にため息を吐いた。

 つい数時間前まで死ぬことばかりを望んでいた俺が、いかに生き延びるかで足りない脳みそを酷使している。

 それも運営のせいだ。やつらは潰さなくてはならない。その後俺は俺の手で、俺の納得のいく方法で死んでやるんだ。

「南淵君」

 唐突に深谷が口を開いた。自分でも情けなく肩がはねたと分かる。

「なんで、笑っているの」

 はっとして頬をなぞった。笑った自覚はない。固く冷めた感触だけが手のひらに残った。


         ≫≫≫


 結局、俺たちは日が暮れるまで動かなかった。動けなかったともいえる。

 動き回って黒スーツに襲われることを恐れた。

 互いに数回トイレに立っただけだ。幸いにも近くにあって、ちゃんと手洗い場の水もでた。暗くて汚らしいトイレだったけど人として大切なものを失わなくてすんだ気がする。

 いよいよ冷えてきた。

 下宿で暖房ガンガンにして寝ていた俺は、現在半そでのYシャツ一枚。おまけにランニング等下着の類は着用していない。

 深谷がぴったりと身を寄せてくるが、さすがに避ける気にはなれなかった。

 そんなことしたら凍る。

 日は傾き、西の空が赤くなっていた。東ではべっとりと塗られた濃紺が鉛色の空に溶け出している。

 妙に詩的なことを考えた自分に呆れた。

 色々ありすぎてもとより馬鹿な頭がくたびれている。

 詩的でも俺がチビで不細工なのは変わらない。

 感傷に浸ってかっこいいと思っているなら俺は馬鹿だ。不細工の自己陶酔ほど救いがたいものはない。これでは俺が軽蔑する種類の人間となんら変わりない。

 現実、馬鹿げた思考に逃げている暇はない。

 いくら目をそむけても、自分の決定的な矛盾に気付いてしまってからは嫌悪が止まらなかった。

 俺は、死んでもいい。深谷もどうでもいい……くせに、置いて逃げられなかった。それに、死にたいなら逃げなくても良かったのではないか。

 運営を潰すため、よりあの時頭を占拠していたのは恐怖じゃなかったか。

 臆病の産物が。

 黒スーツにあってから頭から離れてくれない。

 もはや独り言を吐く気も失せてしまった。

 逆に俺が生きていなくてはいけない理由は何だ。

 運営を潰すこと……。それは本当に俺にしかできないことか。

 もう、考えるのも面倒になった。

 どうにもならないことばかりだ。何のとりえもないちっぽけな俺が何かを変えようとしたって、いつだって「成る様」にしかならなかった。

 風が吹き、頭上でギシギシと音がする。

 頭上には二、三本のロープが張ってあった。

 テナガザル、それともレッサーパンダか。ここにいた動物たちは何処へ行ったのか。なんだか檻の外へ逃げおおせたみたいで羨ましい。

「南淵君」

 深谷が妙に小さい声で言った。「なんだ」と言うのも面倒で、首だけを深谷にむけた。

「あれ」

 深谷の指差す先になにかいる。黒スーツだ。少し腰が浮いた。

 さっきのヤツとは別だ。体つきからして今度のは女だと思う。

 拳銃ではなくもっと大きくて、ごつくて、太い……あれは多分バズーカだ。黒スーツの華奢な体躯とあいまって余計に不気味だった。

 黒スーツは東の濃紺からゆっくりと浮き出てきたように見えた。

 逃げなければ。

 俺は深谷の腕を掴んだ。深谷は、動かない。俺も固まってしまいそうになる恐怖から逃れようと必死だった。

 黒スーツは近付いてくる。隣の檻に入った。

 俺は深谷の腕を強く引いた。ちっとも動かない。見かけよりもずしっとしている。動け、動け……。俺の前で死なれたら後味が悪い。

「おいっ」

 俺は大きな声を出しそうになった。慌てて口を閉じるが遅い。黒スーツが急に向きを変え俺たちの檻に入ってきた。

 まだ、遠い。

 俺は深谷を睨んだ。腰を抜かしている場合じゃ……いや、違う。

 吐きそうになった。

 また、深谷は笑っていた。大好物を前にした子供の顔。嬉々として、どこか挑発的でもある。

「上」

 背を丸めていたら、俺のほうが引っ張られた。大木の陰を伝い、深谷は頭上のロープにつかまる。俺も慌ててロープをつかんだ。

 ああ、豚の丸焼き。鉄棒の授業で唯一俺にもできた技。だけど状況はそんな楽観的じゃない。

 首をひねって、下を見た。

 手のひらが冷や汗で濡れる。滑りかけた。背筋が伸びかけて、またバランスを崩す。

 黒スーツは何度も同じ場所を行き来した。

 早く出て行ってくれと願うばかりだった。

 十五分くらいだろうか。本当はもっと短いのかもしれない。ようやくやつは首をかしげながら出て行った。深谷は軽やかに着地し、下から俺を引っ張る。

「降りましょう。遠くから見えてしまいます」

「鈍感なヤツで助かった」

 深いため息がもれた。

「いいえ、違います。イチかバチかの賭けでした。近くに他の死神さんがいなかったのも運が良かった」

 深谷はにっこりと笑う。俺にはその笑顔を怖いと思う余裕はなかった。むしろ、その笑顔に安堵しかけた自分に慄然とさせられた。


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