始動
「いやっほーい」
目の前ではアリアがバイクを乗り回していた。無免許だ。
なんで乗れちゃうかなあ……。
もしかしたらゲームだからだろうか。ならば放置されていたバイクに都合よく燃料が入っていたことも納得がいく。
私も、さすがにこの殺風景になれていた。アリアは口調も雑だし直感で動きすぎる。結局裏表がないと気付くにはさほど時間がかからなかった。むしろ、今は。私がしっかりしないと、このあぶなっかしい彼女はどうなるか。
「やほやほー。これでまた報酬あっぷっぷー」
アリアは片手をはなしてぶんぶんと振った。タイヤに血がついている。アリアはそうそうにあの馬鹿みたいに大きな銃を諦めてバイクで人を撥ねるという方法を選んでいた。不思議と今の私は「そういうゲームだから」と言える。
自分が同じことをしろと言われてもできないが……。
それくらいゲームに作られたエサたちもVRの風景もリアルだった。アリアがVRは「バーチャル・リアリティ」のことだと教えてくれたときなるほどと思ったほどだ。ところでバーチャルって何だろうか?
「危ない。早く戻ってきなさい」
私はまだ爆走しているアリアに向かって大きな声を出した。
「もー。頼子ってほんとアレ、アレだよ。なんだっけ心配性みたいな?」
「あなたは危機感が薄すぎるの」
「えー大丈夫っしょ。あたし運動神経良いし? みたいな?」
「普通は運動神経でどうにかなる範疇じゃないの」
まだ口を尖らせているアリア。私は笑っていた。こんなことって許されるのだろうか? 私たちは今人を殺すゲームをしているのに。
なんなら私はこの何も便利でない世界を愛してしまっていた。ゲームというのにトイレに行きたくなること。おなかが減ること。運営からの連絡は来るものの、せわしない連絡やら既読未読の問題やら返事の有無やらで揉めなくていい。会話したければ顔を合わせるしかないわけだ。
運営からの連絡を受け取る端末だって充電しなきゃならない。
変なところが現実臭いくせに非現実。そこが愛しかった。
しかも私はテストプレイヤーとして雇われたらしいから、単純に遊んでいるわけではない。こんなに充実しているのに。パートをいくつも掛け持ちしていた日々が嘘みたいだ。
少なくとも私は久々に笑っていた。借金を負わされて、友人に裏切られて、夫に捨てられて、息子もいなくなった……現実に戻りたくない。
いつまでも続いてくれたらと願う。
「ねえ、今日の夕飯どこで配るって?」
「それならここに」
「え? え? なんで?」
「アリアが狩してる間に行ってきたの。お肉とコーンスープみたい」
「やった! お・に・くー」
私は机の上にまだ温かい料理を並べた。私たちの拠点、迷子センター。アリアと食卓を囲めばもう家族だった。
「頼子はさあ」
アリアが肉を咀嚼しながら言う。飲み込んでからって注意しても無駄なんだろう。これも、もう慣れた。
「なに?」
「あんましゲームとか詳しくないくさいじゃん?」
「うん」
「それにあたしみたいに不真面目じゃないし?」
「それ自分で言う?」
「や、だって、うん。まじまじ。えとさ、だから。なんか借金とかって違いそうじゃん。職場にやなヤツでもいた?」
「……VRではリアルの話ってしちゃ駄目じゃないの?」
アリアは俯いた。なんだか気まずそうだった。
「ごめん。なんかアンタが心配って言うか。でも、ううん、やっぱ違うわ。あたしがね、ホントはあたしのこと聞いて欲しかった」
私は思いもしなかった展開に驚いた。それ以上にアリアみたいに自分を生きていそうな人に悩みがあったことにも。
「あんね、あたし借金があるんだわ。あたしね子供できない身体でさ。なんかね、うまく着床? できないんだって。養子もらったとこまでは良かったんだけど。血がつながってない子に夫が暴力振るうようになって。別れて、さああたし一人で育てるぞって、なんて言っても人恋しいんだよね。性懲りもなく駄目男に貢いで。子には好かれてたいって何でも買い与えちゃった。バレてたんだよね、実子じゃないの。今度はあの子があたしに殴りかかって、あたしの子なんかになるんじゃなかったって言って」
アリアは一度言葉を切って私を真っすぐに見た。明るすぎる茶色の瞳は明るいまま、だが涙があふれそうで。何故だか私は「もう言わなくてもいい」と言えなかった。
「出てっちゃってそれっきり」
予想していた答えが、重い。わかっていたのに私まで泣きそうになる。
「あー、めんご。ここ笑うとこだから」
「笑えないよ。辛かったでしょ。それなのにごめん。私最初アリアみたいな人には悩みなんてないって一面しか見ないくせに勝手に決め付けてた。本当にごめんなさい」
「うわ。頼子の生真面目って時々残酷よね」
「ごめん」
「ごめんはいいよ。これアンタの優しさなんでしょ? そだな、じゃさ、嫌じゃなかったらアンタのこと教えてよ」
私は頷いた。アリアになら話せると思った。
「私は……」
話し始めた口は重い。それでもすんなりと言葉が出た。胸が痛い。止まらない。いい歳をして私は泣いているのか? まっすぐなアリアの瞳は、ずるい。
「普通の家だったの。冴えないけどずっと昔から知り合いの人と夫婦になって息子も生まれて、夫は子育てに積極的だし煙草もギャンブルもやらないしコレクション癖もない、なんか勝ち組だって油断してた」
ある日、高校時代の友人がやってきた。昔から弾けられない私は金髪に染めてブランドにも詳しかった華やかな彼女にあこがれていた。そんなに話すわけじゃなかったけど私のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。
「彼女、ホストに貢いでいた。それで破産して。私、借金の連帯保証人になっちゃったの。彼女は返してくれるって言ってたし、なにより私たち友達じゃんって言われて断れなかった。そんなの本当の友達じゃないのに。私は結局弱いの。馬鹿だった」
「なにそれ? 騙されるほうより騙すほうが絶対わるいし! うっわ、ソイツ同じ金パ族として絶対許せないわ」
「何、金パ族って……あなた茶髪でしょ」
「だった。えへ」
アリアの笑顔はさっきの悲しそうだったのが嘘みたいにまぶしい。私もまた笑うことが出来た。今なら断言できる。人間に「こういう種類」という札をつけるのは不可能だ。
アリアはきっと言葉を選ばないから他人を傷つけるし、本人も気付けない。それでも、彼女は他人のことを自分のことみたいに怒ったり笑ったり出来る人だ。私は、そんなアリアがいい。
「あちゃー、スープさめてるー」
「ああ、本当に。ってお肉だけ先に食べちゃったの」
「おいしいんだもん。好きなものに理屈は要らない、はい名言いただきましたー。頼子こそ、この貧乏性」
「あ、こら」
アリアが目の前から肉を一切れさらっていった。
食事を終えた頃、端末に運営からの知らせが入った。
『テストプレイヤーの皆様各位。
ゲーム内時間四日目となりました。お疲れ様です。お楽しみいただけているでしょうか。
さて、本題ですが。一部の方がテストプレイについて正しく認識されていないようですので再度確認させていただきます。
このゲームは動物園の跡地で人を倒すゲームです。テストプレイにつきましては本来の目的のように動いていただけない場合、統計をとったり異常を検出したり出来なくなります(武器のグラフィック不良、NPCが破壊不能になってしまっている等)ですから、一人も倒さずにテストプレイを終えられた場合、申し訳ありませんが報酬は支払えません。
なお、他にお気づきの点等ございましたら終了後に現実で実施するアンケートにてお伺いします。
*このメールは配信専用アドレスです』
私はスマホを机に置いた。隣で同じメールを読んでいただろうアリアの肩に触れた。
「これ、どうしよう……」
「大丈夫。これはゲームだし? あたしが教えるって」