鋼志の焦燥
オレは足元に合った石を蹴り飛ばした。真芯をとらえず勢いにかけた石にもう一撃食らわせてやる。今度は宙に浮き、勢い良く飛んだ。
「チクショウが」
近くにいたガキがオレを変な目で見て逃げていく。行く先も決まっちゃいない。ただただ化野の甘ったれが許せなかった。
あいつもオレも性同一性障害だ。今じゃトランスジェンダーとか性別違和なんて言い方するみてえだけど正直違和ってレベルじゃねえ。
生まれ持った障害と変わりない理不尽。
化野の女になりたいって気持ちはかけらも分からん。けど自分以外が自分を自分と思ってない悔しさは分かる。嘘をつきながら生きる苦しみはオレもおなじだ。
悔しくて自分自身を気持ち悪いって思って、自信がなくなっていく辛さ。
風呂とかトイレとかそういう日常生活でさえ精神的ダメージに直結する怒り。
――鋼志はいいじゃん。ちゃんと男の子に見える。
化野の言葉が頭の中でぐるぐるした。くっそ。見えるってなんだよ。ホンモノには言わねえだろ。
くそ。くそくそくそ。
オレは、「そういう人」になんか生まれたくなかった。
本物に生まれてりゃ避けられた差別も沢山あった。
オレがナベだって知って離れてった友人も山ほどいた。
所詮その程度の奴って切り捨てられれば楽なんだろうが、そいつがイイ奴だっていうのは友達だったオレが良く分かっている。友人なんて二度とつくらねえと決めていた。
自衛官になりたいって気付いた。叶わない夢だった。今のオレじゃ男として試験を受ける資格も男性用の制服も与えられない。大卒までに奇跡起こすか金を用意して、戸籍変えて体鍛えて、足りねえ身長を補わねえと……。
もう全部諦めてバーで働いて一生一人でいいって決めた。
それが、こんなゲームに巻き込まれて、化野に出会っちまった。なんでこんなタイミングで。
こんなに話したのは化野が初めてだった。同類以外や家族を入れたってこんなに喋ってて楽しい奴いなかったんだ。
オレははじめて自信を持って男になれた。小説で読んだだけの薄い知識で調子乗って「デスゲ経験者ですが?」みたいなツラして化野リードして。
けど結局、化野に怒鳴っちまったんだ。
どうして。こんなハズじゃなかった。
オレは、オレの矛盾に対する答えを見つけられなかった。
ただただ、化野の顔が頭から離れない。
だらしなく鼻水まで垂らして泣いていた化野。馬鹿みてえなお人好し。
化野に情がわきすぎるのが怖かった。
同類でも分かり合えない現実を見るハメになるかもしれないから。オレが本心では化野を女って思ってるのか向き合うのが怖かった。
見える、って言われたときドキッてした。化野は、オレを女だと思っていたのか? オレは? オレはどうだったんだ?
「ナベならオカマと一緒にいろ」って奴に「お前は同じ日本人なら誰とでも仲良くできるのか? できねえから、オレらを馬鹿にしてる」なんて毒づいてた。多数派の暴力だろってビール片手に薄ら笑いしながら。
けど、どうなんだ? オレはちゃんと化野を女だと思っていたか? 自分が男って言うための自衛じゃないのか? もし最初から「普通」に生まれていたらオレは今のオレみたいな人間を「キモい」て言わなかっただろうか?
んだよ。オレが一番わかっちゃいなかったじゃねえか。
怖かった。
化野がまっすぐ目ン玉覗き込んでキレイゴト言うのが。
化野を女として意識しなきゃって思うのが悪いことみたいに思えた。
打ち解けていくのが怖かった。
そういう人同士の似合いのカップルなんかになったら負けだと思った。距離を縮めて結局分かり合えなかったなんて結末迎えて、はっとしたら出来損ない二人の傷のなめあいなんて耐えられなかった。
だせえ。納得いかねえ。
オレはオレに怒鳴りたかったんだ。
ああ、くそっ!
どんなときにも余裕そうで正しくあろうと戦い続けるあいつが不気味だったんだ。
いくら理解が広がりつつあるっていっても、ナベやオカマになんの未来があるっていうんだよ!
オレがなりたいのは「そういう人社員」とか「腫れ物」とかじゃない。化野だってそうに決まっている。
あの馬鹿だって全く将来を考えてないわけがない。
甘ったれたことばっか言って頑張れば報われる、人のためになろう、なんて。うるせえんだよ! オレらなんか悪いことしたかよ? そんなのにこんな呪いみてえな生まれ方して。健常な奴らがオレらに何したか覚えてんだろ! オレらは世間的立位置も生物としても奴ら以下なんだぞ?
きっと、これからもオレはナベなばっかりに差別される。ナベだったばっかりに! 身体が女だから言い返せない悔しさも変わらない。なんでこんな惨めな目見てんだ。
こんな身体にさえ生まれなければオレは!
信じられない、人が。オレ自身が一番アテにならない辛さも。信じないお前が悪いとか変な生まれ方した気狂いがとか言われて。なんでだよ! 誰でもいいから殴らせろ。
化野だっておんなじような目にあってきたんだろうが!
信じてた親にデスゲームに売り飛ばされて信じるもんも失くしてさあ!
のに。何でこんな辛い目見てまだ人を信じようとしてるんだよ。
オレと化野、同じ理由で差別されてたハズなのに。なんでキレイゴト吐いてられんだ……。
あいつと一緒にいると人を信じない俺が間違ってるって責められてるような気分になるんだよ!
信じないのはオレの臆病だって、必死に見なかったことにしてる部分に土足であがってくる感じで胸糞悪い。
そんなやつが真顔で「鋼志みたいに強くなれない」ってざけんなよ!
いくら本物より非力でも、オレも男ならせめて心の支えにと思ったのに。いつも、余裕がないのはオレのほうだ。
情けねえ。
オレは本物になるって、じゃあこの身体はなんなんだ。なんで、こんな風に生まれるのがオレじゃなきゃいけなかった。大事なのは心とか、叶わない夢はないとかふざけんなよ。まだ、オレは男になってない。
じゃあ、死んでやる。なんて勇気すらねえんだぜ。
くだらねえ。
化野みたいな馬鹿正直と一緒にいると、自分が惨めになるんだよ。
くだらねえ。
オレは手近の案内板をぶん殴った。
化野はまだ同じ場所でオレを待ってるのかもしれない。
ホント、くだらねえなオイ!
あんなモヤシ、一人じゃ生き延びられないだろう。もし狩手と戦うハメになったら、戦闘はオレの役目だ。
けど、オレは謝りに戻りたくなかった。
あいつの強さが、怖い。憎い。
どんなにオレがイイ奴でいても、どんなに化野が強くあっても他人を変えるような力はない。
オレが去って、そうしたら世でいう「オカマ」のあいつを誰が助ける。
世間的弱者のあつまりがエサって言ったって、弱者同士なら分かり合える道理はない。誰も助けやしねえだろう。
きっと、そうなってもあいつは折れない。そんな目をしていた。
どうして。なんたってこんな理不尽にまみれて人を信じられる。甘ったれでキャイキャイやかましくて、虫すら触れねえくせに。
ゴミ箱を蹴倒した。ビールが欲しい。
オレはアプリでマップを見る。この苛立ちを静めてくれるならなんだっていい。
地図の上のほう「ドキドキランド」を見つけた。フザけた名前だ。けど、なんとなく脚はそっちへ向かう。
目の前を馬の被り物の白スーツが二人、死体を運んでいた。
ああ、むかむかする。
オレも死んだらこうやってゴミみてえに運ばれるのか。その最期でさえ女子の戸籍に奪われる。こぼれた臓腑もオレの人生を台無しにしやがったあの悪魔に臓器で、死体はあの馬鹿親に。ついた戒名は女のそれ。ゴセンゾサマとまとめてチーンだ。
くっそ。
こんなトコで終わってたまっか。
「おい、てめえら」
白スーツたちは足を止める。
「なんの目的か知らねえけどとりあえず世間に恨みがあんだろ。こういう馬鹿なことする奴なんてのは昔から同じだからな」
「……それで」
手前にいた黒いほうの馬が返事をした。茶色いほうは立ち止ったまま動かない。黒いほうのスーツの胸には赤いバッジがあるからコイツが上司ってわけだ。
「自衛官になりたかったけど気が変わった。誰でもいいからぶっ殺してえんだ。オレも仲間に入れろや」
「君は人を殺したい。それが君のメリットだ。だけど我々にメリットがない」
「うっせえ馬鹿たれ。こんなゲームやってる奴が良く言うぜ。ホントはオレみてえなとち狂ったのを待ってんだろ? いいから仲間に入れろボケカス」
オレはできるだけ見下した顔で言った。えらそうに仁王立ちするのも忘れない。どうしてもなりたいものになれねえなら、どうしようもない理由じゃなく自分のせいでぶち壊したい。
「……人に物を頼む態度ではないな。まあ、いいだろう。君はマスターが所望している人物像に一致する。だが本当に我々側の人間か確かめたい」
「なんだって言えよ」
「んん、そうだな。狩手を五人殺して来い、というのはどうだ」
「面白い。やってやんよ」
むしゃくしゃしてんだ。誰でもいい、オレの餌食になれ。オレの怒りを、オレの苦しみを、オレの屈辱を喰らえ。
「そうか。君は」
「キトウコウジ。鬼の頭に鋼の志でキトウコウジだ」
「では、鋼志君。健闘を祈る」