袂別
「ん」
帰って来た鋼志はわたしの顔も見ずに充電器を投げてよこしました。辛い顔でした。間違いなく「頭がおかしい」「キモい」と言われたことが尾を引いています。でも……。
わたしが励まそうとして何になるのでしょう。こんなことになった原因は他でもないわたしなのですから。これって余計に鋼志を傷つけてしまうのではないでしょうか。
鋼志の口許が引き攣った笑みを浮かべていました。
無理に笑おうとしないでください。
これも、わたしが言っては駄目なことかもしれません。わたしはどうしていいのか解らなくなって歩き始めました。鋼志は黙ってついてきます。
わたしは手を強く握り締めました。挽回したい。でも、また余計なことをするなって言われてしまうのが怖い……。
焼け野原になったエリアの隣を抜けました。行き先がありません。どれくらい経ったでしょう、後ろから鋼志が言いました。
「我慢してんじゃねえよ……トイレ」
わたしははっとしました。言われてみれば……わたしは慌てて最寄のトイレに駆け込もうとします。が、鋼志が後ろからわたしのブラウスを掴みました。
「待てよ。そっちは男子トイレだろ」
わたしは固まります。
「お前、いっつもそっちでしてたのか?」
鋼志の声が低いです。わたしは焦りました。何か言わなきゃ、でも……
「お前女なんだろ?」
「でも、だって、わた……わたしはおと、おとっ……」
「ああ? んだってんだよ? お前は女で、なら女子トイレ行けばいいだろうが」
「わ、わっかってるよ! でも、そそそそんな! だって見られたら通報ささされ、て言うか、」
「うっせえな。こんな! こんな状況で? こんな何もねえ場所で? 誰が見てるって? ああ?」
「怒鳴ればいいってもんじゃないでしょ? わわわわたしだって、鋼志みたいに堂々としてたら苦労しないよ! こここんな、わたっ、わたしがトっトイレから出来ておっ、おっ」
胸の奥が強く痛みました。それなのに止まれませんでした。わたしも怒鳴ってしまいました。
「女の子にみえるって人がいると思うの?」
涙が出ました。
「鋼志はいいじゃん。ちゃんと男の子に見える。堂々としてて強くて、わたしなんかとは違う!」
「…………」
「もうすこし人のこと考えてよ。みんながみんな鋼志みたいにはなれない。ねえ、どっか行ってよ。顔も見たくない」
「……ああそーかよ。え? オレのことそんな風に思ってたのかよ。わかったよ。消えてやんよ。お前つまんねえな。自分ってもんはねえのかよ」
「最っ低!」
「お前いい人してりゃ報われてホンモノになれるって思ってるだろ。誰かに許可とらねえとお前は自分ですらいられねえんだな」
わたしは返す言葉を失いました。じゃあ強くなれない人はどうしたらいいのでしょう。そんなにわたしが悪いですか?
言葉につまる私のポケットでピロンと小さな音がします。鋼志がわたしの端末をとりあげ、読み上げました。
『やあ、みなさんお元気? そろそろ疲れたかな? あと少しで終わりになっちゃったねえ。さーみしいっ。
さてさて、またまた大事なお知らせなんだけどね。
ぶっちゃけさあ、今のペアどう? 運営のやつ勝手に決めやがってみたいになってない? ちょー怖いんだけどさ。
でねでね、ペアの組みなおしが可能になったよ! ペアってアプリから試してみてね。
相方死んじゃって寂しい人、相方まじウザくてむりって人良かったねえ。
そうそう二つ注意点があるんだ。
相方が生きている場合は双方の同意がなきゃ解散できないよ? 当然だよね? そこで揉めたのまで僕らのせいにされたくないもん。
あとね、ルール上ペアは双方の同意で組めるんだけど異性でなきゃ組めないからね?
じゃ、まったねー』
鋼志がゆっくりと暗い笑みを浮かべました。
「だってよ。じゃあな」
わたしは動かない頭を放棄して、とにもかくにも鋼志を引きとめようとしました。鋼志は怯えた目で叫びます。
「はなせ、女! オレに暴力ふるってオレをナベたらしめて何処までもオレの邪魔しやがって! 汚ねえんだよ!」
わたしは手を引っ込めてしまいました。鋼志は地面に唾を吐くとわたしに背を向けます。そのまま行ってしまいました。
どうして。鋼志なら、同じ苦境にある鋼志ならわかってくれると思っていたのに。
いいえ、違いました。鋼志は男の子になれなかった男の子、わたしは女の子になれなかった女の子。たとえ世間で一括りにされようとも、対極だったんです。
わたしは鋼志がどうしても欲しいものをもっています。それはわたしにとって一番要らないもの。
わたしには、鋼志を追うことが出来ませんでした。
これが喪失でしょうか。わたしは、泣きました。