開幕
開幕
南淵健二は諦めていた。
未来なんてモノは、荷物でしかない。
大人になって、とりあえずスゲーことして世界に自分の名を知らしめる。なんて妄言を吐いていたのはいつのことだったか。少なくとも十九年以内の出来事、それでも百年よりとおい昔に思えた。
漠然とした野望だけではない。
漫画家になりたいという夢も、もはや道端の虫の死骸より無価値に思えた。
「つまんね」
つぶやいた声は冷え切った部屋にとけていく。
「独り言って気味悪がられるけどさ。独りで言うから独り言なんだよ」
すっかり癖になっていた。
ベッドにそれほど長くもない四肢を投げ出し、健二は天井を仰ぐ。 閉じたカーテンの間をくぐりぬけた光が天井に線を引いていた。
学校をさぼった罪悪感と、脳裏に浮かぶ親の顔を無理やり追い払う。
こんな世間が悪いんだと切り捨てた。
健二は妄想する。
何一つかわらない町並み、いつもどおり過ぎゆく時間。忙しない人間社会、気ままなノラ猫。そんな日常で自分不在。きっと、誰も気にかけない。
恍惚とする。
――俺が真の安息を得るのは死んだときだ。
すべてを投げ出していい、すばらしい救済ではないか。
妙に納得し、健二は目を閉じる。
空想の彼女を抱いて胸に顔を埋めるより、何百倍も気持ちいい。
遠くで子供の声がする以外は静かだった。
――近くの小学校、昼休みか。そういえば、朝から何も食ってないな。コンビニ行くのめんどい。ていうか学校休んだくせに歩いているのを見られたら困る。あれ、今頭に流れてきたの何の主題歌だっけ……。
一人、やることもないと、妄想に紛れどうでもいい事が頭の中を行ったり来たりする。健二は特に不快な顔をすることもなく気紛れな思考に任せた。真昼の妄想は気だるく、夜のそれよりよっぽど優しい。沈んでいく体感がたまらない。
そのうちに頭に浮かぶ文章がくずれ、かみ合わなくなる時がくる。徐々に思考が停止していく感覚が好きだった。
いよいよ頭の重みが心地よくなってきた。しかしその瞬間。
ガシャン、ガシャン、ガシャン……
――どこの馬鹿だ。
健二はのっそりと起きあがった。
下宿の外階段を上る音だ。都内とはいえ、おしゃれな物件だけじゃない。健二の住む築四十年のぼろ屋では、少しのことで大きな音がたった。
住人か、来客か。どちらにせよ貴重な安らぎを台無しにされたことには変わりない。
健二はせめて犯人をにらみつけてやろうと玄関のドアを開けた。
それが、間違いだった。
鬼……?
隣室の前に、角の生えた面をした奴がいる。
体型を隠す厚手のローブを着ていて、しかし異様に高い身長から男だと推測できる。
ドアを閉めようとしたが、思うように体が動かない。
鬼はゆっくりと健二のほうを見た。
『南渕健二』
鬼が言う。刑事ドラマで誘拐の時に聞くような、ふざけた加工音声だった。無機質な声は、続く。
『おまえか』
瞬間、声が出なかった。健二は自分の胸元を見つめる。着衣すれすれまで包丁がつきつけられていた。必死で首を横に振る。死ぬのは大歓迎だが、理由も知らず殺されるのは気に入らない。
『嘘をつくとためにならない』
――そんなんで脅しのつもりか。
ふるえる体と裏腹に、思考は平淡だった。
『黙っていても変わらない。なにが正解か馬鹿でないならわかるだろう』
――馬鹿はどっちだ。
ここは住宅地。健二が悲鳴をあげたなら、目撃者はいくらでも用意できる。 それに鬼は『南渕健二』をさがしている。本人確認ができなければ殺されることもないだろう。
健二は知人をかたっぱしから思い浮かべた。でかい男、でかい男……。
――だめだ。
幼少期の友人が今も同じ身長でいるわけもなく。さらに年齢を重ねるごとに消極的になった健二は大学で一年ともに過ごした学科の仲間さえ顔と名前が一致しない状態だ。
――誰だ、コイツ。なんで俺を捜している。
内心を見透かしたように鬼が言った。
『私は君と面識がない』
――なら何で俺にからむ。
『悪く思うな。君の親からの依頼だ』
――え…………。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
――親が、何で、こんな不審な奴を。 いままで機嫌を損ねないようにふるまってきたじゃないか。
気がつくと、目の前でスタンガンが青白い光をはなっていた。
『諦めろ』
逃げ場はない。
『君にはデスゲームに参加してもらう』
脇腹に焼け付くような痛みが走った。焦げたにおいがする。
『可哀想に』
気を失う寸前、鬼がそうつぶやいた気がした。
≫≫≫
目を開くと、灰色の天井があった。さほど動揺しなかった自分に無意味な感動を覚えつつ、健二は視線をめぐらせた。
窓はない、全面コンクリートの部屋。ところどころヒビが入っているが、掃除はされているようだ。
途中、監視カメラのレンズ部分をばっちりと見てしまった。 妙にすねた気分になる。人間同士なら「目があった」とでもいうべきか。人間と目を合わせるのが嫌いな健二にとって、不快感は人外が相手でも大差なかった。
手足は縛られていない。健二はゆっくりと上体を起こす。
体の下に、薄い毛布が敷いてあった。それでも体の節々が痛む。
鬼のことを今更のように思い出した。
乱暴なようでいて、妙なところで親切。
鬼の、それよりは鬼の雇い主がいると考えるべきか。どちらにせよ誘拐犯の考えは予想もできない。
――待て。確か鬼は気になることを言っていた。
『君の親からの依頼』
健二は腕を組んだ。
生まれて十九年、いつも親の望むようにふるまってきた。
女の子が欲しかったという暴言につきあわされスカートを穿かされても、テストが百点じゃないとぶん殴られても歯向かわなかった。生まれてきたことを謝れと言われれば、親の望むように。こうやって努力して、やっと家族になった。家に居場所を作った。
それなのに。
――何を、どこで、どう間違ったというのだ……。
考える時間は、ほとんど与えられなかった。
『みんな目が覚めたみたいだね。今から君たちにはデスゲームに参加してもらうよ。拒否権はないからね。うらむなら親をうらんでね。どういうことか気になると思うから、説明会をするよ。部屋から出てね。三十秒以内に。部屋を爆破するよ。三十、二十九、二十八……』
健二は黙って立ち上がる。
――俺が死んだとして、死んだってだけだ。けど、訳もわからないデスゲームに巻き込みやがった奴らには、なにか仕返しをしなくては気が済まない。
健二はドアを蹴り開けた。自分の短い足が視界に入り、余計にむしゃくしゃする。
『十三、十二、十一……』
カウントダウンは、続く。開いたドアから、寒気が流れ込んでくる。鼻が痛くなった。
驚くほどに灰色の景色と、不健康に白い空。
健二がいたのは、大きな建物の一室ではなかった。学校の物置とそう変わらないサイズの立方体の中。
――贅沢にも一戸建てか。
健二は口元だけで薄く笑った。 皮肉好きな性格は健在。
外の様子は、意外というより他になかった。健二も、幼い頃におなじような景色を何度か見たことがある。
動物園だ。ただし、動物は一匹もいない。健二が、動物の代わりに檻の中にいる。
向かいの檻にも参加者らしい少年がいて、あたりを見回していた。
『……二、一、零』
直後、背後で轟音がした。激しい砂煙に健二は咳き込む。たまらず目を閉じた。
ようやく咳がおさまったときには、あたりが騒然としていた。
状況を飲み込み損ねた健二は、呆然と立ちつくす。足下に大きなコンクリートの塊が落ちていた。
『やあ、みんな。君たちの親は、偉い人の命令には従いなさいと教えてくれなかったのかな? 僕たちは、君たちの命を預かっている。殺すこともできるよ。偉いのはどっちか、もうわかるよね? なのに今の爆発で五人死んだ。あんまりがっかりさせないでほしいな』
血のにおいは、しない。ごく近くで人が死んだらしい。
こんなにも無感動なものかと健二は嘆息した。
『さあ、めんどうな説明はマニュアル読んで。はい、説明会終了。え、マニュアルがないって? 君たちさあホント使えないよね。腰についている見慣れないスマホに気付かないとか。爆弾だったら死んでたよ?』
一方的にまくしたてる機械音声。健二は静かに腰を確認した。
ベルトとポーチ、手のひらくらいの四角い手触り。健二はポーチの上から固くスマホを握った。
時刻は午後一時丁度。
『ではでは、ゲームスタート!』