第四話:任務
不規則に揺れる馬車の中、俺はどこか遠い風景を見るように窓の外へと視線を放っていた。
夜明けを前にしたこの時間、チェムナータは月一つ無い完全な闇に包まれる。馬車の外を見ても、そこは深海の様に塗りつぶされた黒一色だ。面白いことなど何もない。
「そんな何もない所を見て楽しい? 変わってるわね」
だが──敵意を隠そうともせずに睨みつけてくる少女の瞳と向き合うよりは、幾分か面白みのある風景だった。
向かいのエリナは、どこか勝ち誇るように挑発的な笑みを浮かべている。
事実、してやられたと言えばそうだ。
それこそこんな、窓の外が何もなくなるような時間帯に馬車に揺られているのは、この少女のせいだったのだから。
──ヴェズダー=ザウル=エリンに呼びつけられた俺たちは、とある任務を申し付けられていた。
黒曜庁のある王都ブリェスクから馬車で三日ほどの位置にある、グリーナの町。その付近に、普段は山から降りてこないような魔物が多数見られるという情報が入ったのだ。
俺達に命じられた任務の内容は、そんなグリーナの町の調査であった。
なぜ魔物が降りてきているのかを調査し、可能ならば原因を断つ。小さな町での出来事故、候補生である俺達が任命された──というのが、現在の運びである。
……だが、本来ならば出発は明日──日付はもう変わっているので今日か──の昼だったはずだ。それを無理やり、即座に敢行させたのが、エリナの一声だった。
ザウル=エリンに良い所を見せようとしたのだろう。巻き込まれる方の身にもなってほしいが、恐らくは俺を困らせるというのも、彼女の目的の一つだ。苦言を呈した所で調子づかれるだけなので、放っておく事にした。
「……面白いさ。何もない、というのがある」
適当な事を言ってはぐらかすと、エリナの方からは唸るような吐息が聞こえてきた。
まったく、結局言い返せなくなるのなら最初から絡まなければ良いものを。
それをいった所でエリナは態度を改めないだろう。だから、俺は言わなかったが。
再び馬車に沈黙が戻ると、それはそれで暇だった。
なので、考え事をすることにした。
異世界において、スマホのアプリで暇を潰すなんて概念はない。一人で出来る暇つぶしといえば、せいぜい読書くらいのものだ。
暇に弱い現代人である俺が、ちょっとした暇を考え事で潰すのは習慣として身についていた。
暇つぶしとして選んだ議題は、何故ザウル=エリンが『簡単な任務』を俺達二人に任せたか、だ。
確かにグリーナは小さな町だ。しかも魔物が確認されているものの、大きな被害はまだ受けていないという。ブリェスクから離れているということもあり、小さな町の小さな異変に、正式な黒曜庁の魔術師を動かすことは考えづらい。そういった事件に候補生を使うのは、自然な考えといえるだろう。
……だからこそ、本当に小さな異変ならば『特別候補生』である俺達が出る必要もないはずなのだ。
俺達をより強く育てようとしているザウル=エリンにとって、本当に小さな事件ならば俺達に任せるのは時間の無駄だ。
ただの候補生とは違い、ザウル=エリンから才を見出され、直接教えを受けた特別候補生である俺とエリナの実力は群を抜いている。黒曜庁の魔術師の中でも、俺達に勝てる者は数えるほどしか居ないだろう。
それ故に本当に小さな事件ならば、他の候補生に回すはずなのだ。
にも関わらず特別候補生の二人に任せるからには──この異変には、裏がある。それが何なのかは分からないが、俺達でなければならない理由が、絶対にあるはずだ。俺は確信していた。
それがなんなのかは分からないがな。
思考に一つ決着を付けると、俺はふと視線を馬車の中に戻した。
向かいの少女は、気楽にも眠っている。
人をこんな時間に外へ出させておいて、気楽なものだ。
こうして見てると、年相応の可愛らしさがあるんだけどな。
寝息を立てるエリナを見て、俺はため息を吐いた。
少女らしい、丸みを帯びた頬。普段きつく結ばれた瞳も今は閉じられており、微笑むように緩んでいた。
その顔は標準よりもかなり整っていると言える。普段見る機会が無い顔に、思わず興味が惹かれた。
子供の寝顔は誰でも可愛いっていうのは本当なのかもしれない。エリナもまだ十二歳の女の子だ。素の彼女は『ユーリ』にとってもそれほど疎ましい存在ではない……のだと思う。
普段突っかかってくる煩わしい少女も、寝ていると可愛らしいものだ。
そんな事を思うのは、『鋼太郎』の方の俺である。
安らかな時間を楽しんでいた俺だったが、平和な思考も長くは続かない。
……敵だ。明確な害意をもった魔力が近づいてくるのがわかった瞬間、即座に臨戦態勢を整えた。
「敵ね」
「ああ」
エリナもまた、敵の接近に気づいたらしい。
今の今まで寝ていたというのに、その瞳はもう普段の彼女以上に研ぎ澄まされていた。
いざ戦闘になれば、冷静なものだ。彼女の二つ名が『氷姫』だというのも頷ける。
「御者、止まれ」
「で、ですが……いえ、はい……!」
身を乗り出して馬を駆る御者に命じると、僅かに揺れてから馬車が止まるのが分かった。
馬車の外へと降りると、肌寒さを感じる。……もうじき冬がくる。そんな事を思うのは、余裕の現れだろうか。
気がつくと空は白み始めていた。成る程、こんな時間に平原を走る馬車は、格好の獲物だと言うわけだ。
まあ、同感である。普段から人が少ない場所の、人が少ない時間帯。それは悪事を働くに好都合だろう。
「立派な馬車が走ってると思ったら、乗っているのはガキか。ツイてるな」
止まった馬車を確認して、馬に乗った男たちがやってくる。
その数は六人。呑気なものだ。
「おう、しかもかなり見れる顔してるじゃねえか。……おいお前ら、傷は付けるなよ。このガキどもなら高く売れ──?」
馬車に描かれた紋様をわかっているのかいないのか。
黒曜庁の魔術師を前に取らぬ狸の皮算用、か。
金品だけでなく、俺やエリナを品定めしている男達に嘆息する。
話し合いの余地はない様だ。それは『向こうから話したい』場合も同じである。
「『氷刑─アイシクルプリズン─』」
夜盗の目的を確認するや、エリナは極めて冷酷に、魔術の発動を宣言した。
男達がどうかしらないが、此方のエリナは非常に短気だ。『敵』に対する容赦はない。
……瞬きの間に、男は四方八方をツララに囲まれた。理解を越えた突然の出来事に、動きが凍りつく。
ツララの全てがその殺意を語るように、尖った部分を男に向けていたからだ。
エリナが開いていた手を握ると、ツララは男を抱きこむ様に、一斉に『閉じた』。一瞬の後、そこにあったのは針の全てが内側に向けられたウニの様な、奇妙なオブジェ──
アイシクルプリズン。中々の魔術だ。
基本的に攻撃魔術は『どこ』に『なに』を出すかで難易度が決まる。精密な魔力の操作が必要とされる『棘』の造形を、目印もない平原で十数メートル離れた場所に複数出すというのは、見事としか言いようがない。
悲鳴を上げる間もなく、仲間に命じていたリーダー格の男は串刺しになった。
まるでアイアンメイデンと思ったが──アレは拷問を目的としているモノ。極太の異物を一斉に挿し込むようなえげつない殺意は、また別の何かだろう。
一切の警告さえなく、頭目が絶命させられた。
遅れて認識される事実が男たちの間に、恐怖を伝播させていくのがわかる。こういう感情は、わかりやすい。俺自身がようく知っているから。
蜘蛛の子を散らすように男達が一斉に逃げ出したのは、その直後のことだった。
リーダー格が為す術もなく殺されたのが原因だろう。拍子抜けするような出来事に、エリナの目が丸くなる。
バラバラに逃げられると、少し厄介だ。彼女もそう思ったのだろう。
それなりに有名な盗賊団にしては情けない姿だが、みすみす逃がすつもりもない。ついでに始末できたのは、幸運だったな。
「『アバドン─呑食─』」
ここで殺す。盗賊団がどうこうの前に、黒曜庁に歯向かったものを活かしておくつもりはない。
俺が一言そう唱えると、互い同士で離れるように逃げる男達が、一斉に転倒した。
「う、おお! な、なんだ、なんだよこれ!」
「うげっ……た、助けてくれ! もう悪さはしねえ! 監獄でもなんでも入るから……っ!」
そして、一様に恐怖を叫び始める。
今俺が唱えたのはアバドン─呑食─という闇の呪文だ。
これは『恐怖』を感知して、対象の元に『孔』を開ける魔術である。
脚を取られた男達はズブズブと音を立て、底なし沼に飲まれていくように沈んでいく。
もがけばもがくほど早く沈んでいくのは沼と同じだ。少し違うのは、沈んだ後何処へ行くか、俺もよくわかっていないという点だろうか。
ザウル=エリンが言うには奈落の底だというが、まだそんな場所は見たくないモノである。
恐怖を喰らう、貪る者。その名を冠する魔術に飲まれ、男達は声一つ無く、この世に在った証を消した。
それだけ確認すると、俺は身を翻す。さっさと馬車に戻りたかったからだ。
「……大したものね」
そんな俺の背中を、エリナの言葉が追いかける。
予想だにしない賞賛に振り返ると、自分が何を言ったか遅れて理解したエリナは、顔を赤らめて悔しそうに歯噛みする。
まさか、こいつから俺を褒める言葉が聞こえるとは。面食らったのは、俺も同じだった。
「……お前こそ、見事だった。あれ程の氷魔術は、そうは見られん」
口数少なに、俺は──自分でも珍しいと思う──意趣返しを行った。
驚かされたままなのがなんとなく悔しかったからだ。
反応を見ることもせず馬車に戻ると、大分遅れてからふん、と息を吐き出す声が聞こえる。
……馬車に戻ってきたエリナは、いつもよりか少しだけ棘の少ない表情をしていた。
思わず口に出してしまったという賛辞を聞いて、エリナは案外素直な子なのかもしれない、などと思う。
普段突っかかってくるのも自分の気持ちを隠さずに行動しているが故のことだとすると、いくらかの愛嬌を感じる気がした。
ユーリと鋼太郎が混じった奇妙な心地の中、俺は目を閉じて眠りにつくのであった。