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第二話:黒曜庁

 相変わらずここは薄暗い。

 ふと、そんな事を思って天井を見上げた。

 見えるのは、面白みもない薄暗さだけだ。ただでさえ薄暗い国で、空から降るものを遮るように作られたそれは、ただ濁った闇だけを湛えていた。

 これは、ここに居る人間の瞳によく似ている。


「前へ」


 玉座のような椅子に座った老人が、重く嗄れた声で、呟くように命ずる。

 声に命じられるがまま、俺は上に向けた視線を降ろし、前へと歩み出た。

 視線の向こうには、俺と同じ黒一色のフード付きローブを纏った少年が居た。年の頃は十五といった所だろうか。俺よりも、年上なのは間違いないだろう。

 ……その瞳は、やはり濁った闇に染まっていた。珍しいものではない。ここに居る人間の瞳は、だいたいがこうだ。

 瞳の前に立てた剣を、ゆっくりと倒す様に傾ける。剣の切っ先は瞳の先、前に立つ少年に向けられた。

 向こうの少年もまた、同じように俺へと刃を向けている。

 これが、ここの儀礼だ。敵対者として敬意を払い『殺す気で行く』という誠意を、行動で示すのが目的だという。


「構えよ」


 儀礼を終え、俺達は互いに構えを取った。

 少年は大剣を、俺は二刀を。互いに慣れた、固有の構えだ。


「始め」


 準備が整ったのを確認すると、昏く厳かな声で、老人──この場を取り仕切る星皇(ヴェズダー)であるザウル=エリンが試合の開始を宣言する。

 対峙する少年が駆けるのは、宣言と同時の事であった。

 ──中々鋭い踏み込みだ。大剣を構えているというのに軽やかな動きには感心させられる。

 早く、重い一撃。防御不能の速攻を狙っているのだろう。これは、記憶にある限り──どちらかと言えば堅実な戦いを好む──この少年が初めて見せる動きだった。


「はあああッ! 潰れろォ!」


 だが磨き抜かれたであろう重撃は、むしろ此方のほうが得意だと言わんばかりの自信に満ちている。恐らく、今日この時の為に取っておいたのだろう。同志にすら手の内を隠す──ここでは、よくあることだ。

 放たれた気合が、音の弾丸となって少年の口から飛び出る。

 振り上げられた剣は、乱れなく、確かな技術をもって『重さ』を束ねきった。

 受けた剣ごと相手を叩き潰すような剣閃だ。培ってきた全てをこの一撃に賭ける、という強い意思を感じさせる。


「くだらない」


 そんな一撃を──血反吐を吐いて過ごした日々の結晶を、俺は無造作に、虫でも払うかのように、右手の剣で弾き飛ばした。


「なっ……!」


 少年の瞳は驚愕に開かれ、その口からは理不尽が溢れ出る。

 振り下ろされた以上の威力を持って弾かれた剣は、少年の身体を僅かに浮き上がらせた。

 ……無防備だ。今なお勢いの残る大剣は戻らない、宙に浮く身体は逃れる為に蹴る足場さえ無い。

 防御も回避も──少年は今、身を守るすべての選択肢を失った。


「がっ……あ……」


 そんな少年の腹部に、俺は作業的なまでに左手の刃を突き立てた。

 うめき声が聞こえ、少年の身体から力が抜けていく。

 左手に血が滴らぬようにと、俺は素早く剣を引き抜いた。唯一の支えを失った少年が膝から崩れ落ち、地に倒れ伏す。


「そこまで。素晴らしいぞユーリ=ロマノフ」


 決着を確かめると、その一部始終を見ていたザウル=エリンはひどく愉快そうに手を叩いた。

 いっそ苦しそうにさえ聞こえる笑い声は、堪えきれぬ愉悦が形になったものだ。

 少年同士の命のやり取りを見た直後とは思えない……というのが、この男に通用しないことはこの七年でよく学んでいる。


「ありがたきお言葉です」

「お前の成長を嬉しく思う。下がって休むが良い」


 事務的な言葉で礼をいうと、今日の鍛錬は終わりだと告げられた。

 俺は一礼してからその言葉に従うため、倒れる少年へ背を向けるように歩き出す。

 途中、慌てて少年へと駆け寄る治癒魔術師達とすれ違った。……急がずとも、急所は外しているのだから問題ないのだが。


「見たか、流石は『闇の寵児』だ」

「フランツの奴も相手が悪かったな」


 淡々と『今日の鍛錬』を終えた俺を称える声の中、俺はザウル=エリンの膝下──黒曜庁の修練場を後にする。


「十二のガキが偉そうな……」

「ヴェズダーの薫陶を賜れば、誰しもアレくらいはできるだろうよ」


 中には妬み嫉みを隠そうともしない者も混じっていたが、慣れた事だ。もはや気にもならなかった。

 ここ、黒曜庁がそういう場所だということは、ここよく知っている。

 次の試合に参加するものを告げる指導官の声を背に、俺は修練場を後にする。

 やはり暗い廊下を歩いて向かうのは──ここで唯一安らぎの場ともいえる自室だ。

 人の気配が消えると──俺は、がっくりと肩を落とした。


「(はあ……絶対死なない箇所を狙ってるっていっても、人をぶっ刺すのは悪い気がするな……)」


 人から離れ、一人になると、ユーリ=ロマノフは相良鋼太郎へと戻る。

 『冷酷無比の闇の寵児』から『普通の日本人』に意識を切り替えるのだ。


 ──二重人格。それが、今俺の抱える悩みの一つだった。

 ……ザウル=エリンに見込まれ、黒曜庁に来てから七年と少しが経過した。黒曜庁というのは、ヴェズダー=ザウル=エリンの元で次期の『星皇(ヴェズダー)』を目指すという、超一流魔術師による超一流魔術師のための育成機関のことだ。

 十二歳より入庁が認められた子どもたちは候補生となり、地獄のようなカリキュラムを乗り越えた優れた者だけが黒曜庁の一員と認められ、国を担うエリート魔術師となる。

 こうして育て上げられた魔術師は、国で最強の魔術師達の一員として治安の維持や、有事の際には最強の魔術師団として活躍する──

 黒曜庁とはいわば超スパルタ育成機関であり、最強の特殊部隊であり、治安維持機関でもあるトンデモ機関なのだ。が、はっきりいってここの環境は異常だった。

 それを一番良く表しているのが、先程の試合形式の訓練だ。黒曜庁に所属する魔術師は、申し込み申し込まれといったやり取りが発生すると、ああして試合形式で実戦を行う。……手加減なしの、死人も珍しくない実戦をだ。


 先程の少年を見れば分かるだろう。人に大剣を振り下ろせば死ぬ。あの少年はそれを躊躇なく行ってきた。

 もちろん、訓練は訓練だ。殺せとはいわれていない。だがここで相手を殺してもお咎めは何もなく、ただ淡々と訓練中の事故として処理されていく。やられた者はその程度、という事だ。

 ……こんなのは一端でヤバい魔物が犇めく山でサバイバルとか、実際に犯罪を犯した魔術師を始末するだとか、黒曜庁の正式な魔術師となるための訓練は多岐にわたる。


 ただでさえ存在そのものがトラウマなザウル=エリンと、そんな環境を過ごすのは──『俺』には無理だった。

 その防衛手段として生まれたのが、先程までの俺である。……二重人格とかいうと厨二病っぽく聞こえるが、これもれっきとした生存戦略だ。

 おかげで、日常のストレスは分割された。人前に居なければ俺は普通でいられるし、必要な時には『闇の寵児』でいることで過酷な環境を無感動に過ごすことができる。そういう意味では二重人格もありがたいのだが──段々と、ザウル=エリンの望むように作り変わっていくというのは、やはり気持ちのよいものではない。


 それに──

 曲がり角に人の気配を感じ、俺はため息を吐き出した。『ユーリ』でいると、敵も非常に増える。

 そんな人間関係のストレスは、日本人の俺にはボディブローの様によく効くのだ。

 天井の闇を見上げる。

 ……『切り替えた』俺は、角の奥で待っているであろう人物に向けて再び歩き出した。


「今日は早い上がりなのね、お疲れ様」


 曲がり角の先に居たのは──黒曜庁所属を示す黒いローブに身を包んだ、少女であった。

 平均年齢が一五歳という候補生達の中にあって、一際小さいシルエットは、忘れたくても忘れられない。

 唯一の『同期』の顔を一瞥し、俺は歩みを止める。


「何か用か」

「別に。同期に声をかけるのはそれほど不自然なことかしら?」


 水色のサイドテールをかき上げながら、少女はなんでもないことのようにいう。

 ……わざわざ待ち構えていたくせによくいうものだ。


「そうか。用がないのならばもう行くぞ」

「……ふん、無愛想な事ね。ヴェズダーに気に入られたからといって、良い気になって!」


 何事も起きない内に通り過ぎようと、横を通ろうとすると、少女は怒りを露わにして語調を荒らげる。

 先に茶化してきたのはそちらだというに。理不尽な感情を表する様に、ため息を吐く。

 少女の名は、エリナ=リトヴァクといった。先程述べた通り、この黒曜庁における唯一の『同期』だ。俺と同じく庁内最年少の十二歳にして、『七年目』のベテランであり──俺と同じく、ザウル=エリンにその才を見出された『特別候補生』である。

 ……が、俺と比べれば、彼女がザウルより直接教えを受けた時間は少ない。

 より『見込みがある』とされた俺が、優先的にザウルから教えを受けているからだ。

 それこそが、彼女が俺に突っかかってくる理由となっていた。


「良い気になどなっていない。何も感じていないだけさ」

「……! それを、良い気になっているといっているのよ……!」


 彼女、エリナは孤児だ。だがその魔術の才を認められ、五歳の頃より黒曜庁に迎え入れられた。

 だからこそ、彼女は普通以上にヴェズダーであるザウル=エリンに心酔している。

 くだらないことだ、此方は代われるのならば代わって欲しいというに。


「気を悪くしたのならば謝る。悪かったな」

「──ッ! ふん!」


 それでも波風を立てないよう謝罪を述べると、これ以上自分に理はないと思ったのだろう、エリナは去っていった。


 ……はあ。

 折角の同期なんだし、仲良くできれば良いんだけどな。

 人の気配が消えたことを確認してから、肩を落とすとまた気が抜ける。

 さっさと休もう。

 辛いことは寝て忘れるのが一番だ

 そそくさと部屋に帰った俺は、ローブを脱ぎ捨てると、直ぐにベッドに倒れ伏した。

 その寝心地だけは、最高だ。

 黒曜庁では、候補生達にはその成績に応じた待遇が与えられる。

 この部屋や寝具もそうだ。俺やエリナの様な成績優秀者に与えられる待遇は──五歳までとはいえ裕福な貴族の家で育った俺でも驚くような、最高級のVIP待遇だった。

 だからこそ、人と会わずにいられ、居心地も良いこの部屋は俺の最後の安息の地である。

 皮肉にも寝る子は育つ、を実践しながら俺は眠りに落ちていった。



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